記事一覧

伝統あるオメガ ダイバーズウォッチの最高峰。オメガ「シーマスター プラネットオーシャン ウルトラディープ」

「ウルトラディープ」は地球の最深部に到達した史上初の時計となり、歴史に名を刻みました。記録的な潜水を可能にした技術を駆使し、2022年には6,000mの防水性能を持つ革新的なコレクションが誕生しました。高機能素材と特許出願中のデザインを備えた45.5mmのモデルは、オメガスーパーコピー ダイバーズウォッチの伝統における頂点を極めています。

スーパーコピー 代引き

90年の歴史を誇るダイバーズウォッチ
 海の世界における真のパイオニアであるオメガと海のつながりは、1932年に発表された「オメガ マリーン」から始まりました。これは、商業化された世界初のダイバーズウォッチです。巧みなダブルケースによる優れた防水性は野心あふれる探検家から支持を集め、オメガのダイビングウォッチの未来を切り拓きました。

 1948年、オメガは初の「シーマスター」を発表し、海に情熱を傾けていきます。1957年にはオメガ初のプロフェッショナルダイバーズウォッチ「シーマスター 300」が発表されました。それ以来、オメガからは多くの伝説的なダイバーズウォッチが誕生しています。特徴的な「シーマスター 600M プロプロフ」、数々の探検に参加した「シーマスター 1000」、1995年からジェームズ・ボンドにも選ばれている人気の高い「シーマスター ダイバー300M」などがその例です。


初代「ウルトラディープ」
 オメガは海での豊かな経験を基に、2019年、初代「ウルトラディープ」を発表しました。この先進的な時計は、最も過酷な環境に耐えられる堅牢性を備えています。グレード5チタンからすべて機械成形されたケース、時計を保護する革新的な「マンタ ラグ」に加え、サファイアクリスタルのフェイスには、潜水艇の覗き窓にインスピレーションを得て、耐荷重性に優れる円錐形のデザインを採用しています。

 この年の4月、3本の「ウルトラディープ」は探検家ヴィクター・ヴェスコヴォと共に、太平洋マリアナ海溝の海底を目指すミッションに参加しました。当初10,925mと記録された水深は、後に10,935mに更新され、人類と時計の潜水記録を塗り替えました。「ウルトラディープ」のうち2本は潜水艇のロボットアームに、もう1本は「ランダー」と呼ばれるデータ収集ユニットに装着されました。独創的な構造とデザインのおかげで、3本ともが無事に12時間の潜水を終えることができました。

OMEGA(オメガ) 2022新作 伝統あるオメガ ダイバーズウォッチの最高峰。オメガ「シーマスター プラネットオーシャン ウルトラディープ」
チタン製新作ウォッチ
 最先端ダイバーズウォッチの次なる一歩として、2022年には「ウルトラディープ」コレクションに7つの新モデルが登場します。6,000mの防水性能を持つ45.5mmシリーズの中でも中心的存在となるのは、サンドブラスト仕上げのグレード5チタンで作られた大胆なモデルです。

 ブラッシュ仕上げのセラミックベゼルとリキッドメタル™のダイビングスケール、特徴的な「マンタ ラグ」、オリジナルの「ウルトラディープ」を想起させる流線形の非対称ケースを採用し、唯一無二の個性を発揮しています。このモデルには、グレード5チタンのループとバックル、シアンカラーとブラックのストライプのポリアミド製のNATOストラップがついており、NATOストラップは漁網を100%リサイクルして作られたものです。

 ドーム型のサファイアクリスタルの下におさめられたダイアルはブラックのセラマイズドチタン製で、シアンカラーの数字と、中央にブルーグラデーションの秒針が配置されています。

 時計を裏返してみると、グレード5チタンのケースバックには、オメガを象徴する中央のシーホースと共に、ソナーパターンがレーザーエングレービングで刻印されています。「Diver's watch 6000m for saturation diving」の文字が、冒険に耐えうる信頼性を物語っています。


O-MEGA スティール製新作ウォッチ
「ウルトラディープ」コレクションの6つの新作モデルは、新しいO-MEGA スティールを使用しています。この高性能なステンレススティール合金は通常の水準を上回る品質を備え、最先端素材の開発におけるオメガの卓越性を示しています。O-MEGA スティールの特長は、優れた強度、より白いカラー、比類のない光沢です。耐食性にも優れ、長期にわたり美しい外観を維持することができます。

 O-MEGA スティールのシンメトリーなケースは、ダイビングスケールの付いたセラミックベゼルと、圧力への強度を最大限に高めた面取りのドーム型サファイアクリスタルを備えています。ケースには、深海での保護性を高める新しいリュウズガードが取り付けられています。

 ダイアルカラーは、ホワイトとグラデーション(グレーからブラック、またはブルーからブラック)からお選びいただけます。ダイアルには光沢仕上げが施され、18Kホワイトゴールドの針とインデックスが配置されています。いずれのモデルも、チタン製モデル同様、レーザーエングレービングでソナーパターンと文字が刻印されています。

 それぞれ、ラバーストラップかO-MEGA スティールのブレスレットをお選びいただけます。ラバーストラップはテクニカルダイビングスーツと同じ表面構造を採用し、O-MEGA スティールのバックルを備えています。メタルブレスレットは、オメガが特許を取得した、伸縮可能でダイビングの際にサイズ調整がしやすいラック&プッシャー クラスプを備え、厚手のウェットスーツの上から着用するのに最適です。


防水性のテストと認定
 コーアクシャル マスター クロノメーター キャリバー8912によって駆動するこのコレクションは、スイス時計産業の最高水準の精度、性能、耐磁性を誇るマスター クロノメーター認定を取得しています。さらに、2021年に水深6,269mのマリアナ海溝で「ウルトラディープ」の実地試験が行われました。

「For Saturation Diving(飽和潜水用)」のマークは、スイスの独立検査機関であるスイス連邦計量・認定局(METAS)がISO 6425基準を満たしていると認定した飽和潜水用ダイバーズウォッチであることを示しています。これは、時計製造業では初めてのことです。

スーパーコピー 代引き
Seamaster Planet Ocean Ultra Deep
シーマスター プラネットオーシャン ウルトラディープ
Ref:215.92.46.21.01.001
ケース径:45.50mm
ケース厚:18.12mm
ケース素材:グレード5チタン
防水性:600気圧(6,000m)
ストラップ:漁網を100%リサイクルして作られたシアンカラーとブラックのストライプのNATOストラップ
オメガスーパーコピー 代引きムーブメント:自動巻き、Cal.8912、毎時25,200振動、約60時間パワーリザーブ、39石
仕様:時・分・秒表示、サンドブラスト仕上げのグレード5チタン製逆回転防止ベゼル、[ZrO₂]セラミック製ベゼルリング、スイス連邦計量・認定局(METAS)認定テストの合格を証明するマスター クロノメーター認定書が付属、飽和潜水用ダイバーズウォッチを対象とするISO 6425:2018の要件を順守
価格:1,573,000円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/brand-copy-IP-2.html

クエルボ・イ・ソブリノス「ヒストリアドール・アストゥリアス」

クエルボ・イ・ソブリノスが、ヒストリアドール・コレクションのスーパーコピー 時計新作「ヒストリアドール・アストゥリアス(全4タイプ、各330,000円/税込)』を2022年3月より全国の正規代理店にて発売します。

「ヒストリアドール・アストゥリアス」の原型は、1940年代に製造されたクエルボ・イ・ソブリノスを象徴するアールデコ様式美を大胆かつエレガントに取り入れたラウンドモデルに見られます。端正なラウンドケースと、ティアドロップ(涙滴形)に猫足をミックスしたユニークなラグとの組み合わせが、当時の優雅でエレガントな雰囲気を伝え、手首のカーブに沿うように緩やかな弧を描くラグ形状がデザイン面だけでなく快適な装着感を提供してくれます。ケース径40mmのステンレススティール製ケースは丁寧に研磨され、美しい曲線で構成されたラウンドケースの輪郭を強調しています。

スーパーコピー 代引き

ダイヤルのカラーバリエーションは、ブルー、グリーン、レッド、タバコの4色。外周に向かうほど濃い色調に変化する、神秘的でスモーキーな仕上げが採用されています。ダイヤルにセットされる長短針はフランス語で菱形を意味するローザンジュスタイル。バトンスタイルのアプライドのインデックスに上品に調和しています。また6時位置に配置されたデイト表示はダイヤル全体の雰囲気を考慮した黒ディスク×白数字を採用。12時位置にはアプライドのブランドエンブレムが備わります。

「ヒストリアドール・アストゥリアス」に搭載されるムーブメントは、プゾー224をベースにしたスイス製自動巻きCYS 5104。巻き上げローターにはブランドのエンブレムが施され、表面はコート・ド・ジュネーブで装飾さています。シースルーバックケースを通して高性能ムーブメントの精緻な動きを鑑賞いただけます。

CUERVO Y SOBRINOS(クエルボ・イ・ソブリノス) 2022新作 クエルボ・イ・ソブリノス「ヒストリアドール・アストゥリアス」
アストゥリアス
 クエルボ・イ・ソブリノスは、1882年にクエルボとその甥たちによって設立されました。この注目に値する起業家と高度なスキルを持つ金細工職人のグループは、スペイン北西部の地域であるアストゥリアス出身でした。「ヒストリアドール・アストゥリアス」は、19世紀に富を求めて南北アメリカに航海した勇敢な移民を称えています。キューバは、新しい世界を発見し、より良い生活を送ることを熱望している勇敢なアストゥリアス人に人気のある選択肢でした。

 アストゥリアスの町プラビアからの移民であるラモン・フェルナンデス・クエルボは、1862年にハバナに宝石店を設立。その後、1882年にドン・ラモンは甥たち(ソブリノス)と新しい会社を設立し、「クエルボ・イ・ソブリノス」はそれに因んでいます。ドン・ラモンと彼の家族の並外れたビジネス洞察力は、彼らの成功に貢献しました。

 クエルボ・イ・ソブリノスは、クエルボ家の発祥の地を称えるこの一連の新しいモデルを発表できることを嬉しく思っています。これらの新しい時計は、キューバの歴史と伝統を祝う一連のクラシックモデルであるヒストリアドール・コレクションに加わりました。

スーパーコピー 代引き
Historiador Asturias
ヒストリアドール・アストゥリアス
Ref:3195.1ASV
ケース径:40.0mm
ケース厚:9.9mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:3気圧
ストラップ:グリーンのコードバン、ステンレススティール製フォールディングバックル(CYSエングレービング刻印)
ムーブメント:自動巻き、Cal.CYS5104、毎時28,800振動、約38時間パワーリザーブ、28石
仕様:時・分・秒・日付表示、ローザンジュスタイルの時分針、グリーンスモークダイヤル、シースルーケースバック
価格:330,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
Historiador Asturias
ヒストリアドール・アストゥリアス
Ref:3195.1ASB
ケース径:40.0mm
ケース厚:9.9mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:3気圧
ストラップ:ブルーのコードバン、ステンレススティール製フォールディングバックル(CYSエングレービング刻印)
スーパーコピー 時計ムーブメント:自動巻き、Cal.CYS5104、毎時28,800振動、約38時間パワーリザーブ、28石
仕様:時・分・秒・日付表示、ローザンジュスタイルの時分針、ブルースモークダイヤル、シースルーケースバック
価格:330,000円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/

時計が小さくなるにつれて、伝説はますます大きく。パネライ「ルミノール マリーナ クアランタ」

パネライ スーパーコピールミノール マリーナ コレクションを進化させる、ルミノール マリーナ クアランタ

最も評価の高い時計であっても、変化する潮流に対応して進化します。ルミノール マリーナを象徴するテクノロジーとスタイル、つまりサテン仕上げのクッションケース、頑丈なラグ、ポリッシュ仕上げのベゼルを継承しながら、最新の進化によってその価値をさらに高め、ファンを拡大する変革を遂げました。

ルミノールの40mmサイズがルミノール マリーナ クアランタとして復活します。一目でパネライと認識できるこのモデルは、ルミノール マリーナの最小サイズとしてコレクションの歴史を多様性に対応させます。エレガントな存在感とカジュアルで都会的な佇まい、バランスの取れたプロポーションで、これまで以上に幅広いファンに支持されることでしょう。

スーパーコピー 代引き

ルミノールマリーナクアランタは、ステンレススティールケースと3種類のダイヤルで展開されます。それぞれが強力な美的アイデンティティを備え、9時位置にスモールセコンド、3時位置に日付が配されています。各時計には、文字盤とコーディネートされたアリゲーターストラップとカーフストラップが付属しています。マットホワイトダイヤルにはブラックアリゲーターとディープブラウンカーフ(PAM01271)。マットブラックダイヤルにはブラックアリゲーターとブラックカーフストラップ(PAM01272)。サンブラッシュブルーダイヤルにはネイビーブルーアリゲータースとタバコカーフストラップ(PAM01270)。いずれの場合も、ストラップとバックルにはクイックリリースシステムが搭載され、ツールを使用せずに両方のパーツを素早く交換できます。厳選されたストラップコレクションで、ルミノール マリーナ クアランタの印象を簡単に変えて楽しむことが可能です。

そして間もなくルミノール マリーナ クアランタの外観をアップデートする機会がさらに増えます。クイ ックリリースシステムを搭載した柔軟で軽量なラバーブレスレットがフルカラーバリエーションでラインナップされる予定です。

ルミノール マリーナ クアランタのクローズドケースバックに収められた自動巻きムーブメントは、厚さ4.2㎜のP.900キャリバーで、3日間のパワーリザーブを備えています。防水機能は10気圧(水深約100m)です。

スーパーコピー 代引き
LUMINOR MARINA QUARANTA
ルミノール マリーナ クアランタ
Ref:PAM01271
ケース径:40mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:10気圧(100m)
ストラップ:ブラックアリゲーター、パネライ特許取得のクイックリリースシステムのバックル、ディープブラウンカーフストラップが付属
ムーブメント:自動巻き、Cal.P.900(パネライ自社製)、毎時28,800振動、72時間(3日間)パワーリザーブ、23石
仕様:時・分・スモールセコンド・日付表示、ホワイトダイヤル、夜光アラビア数字とアワーマーカー
価格:858,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
LUMINOR MARINA QUARANTA
ルミノール マリーナ クアランタ
Ref:PAM01272
ケース径:40mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:10気圧(100m)
ストラップ:ブラックアリゲーター、パネライ特許取得のクイックリリースシステムのバックル、ブラックカーフストラップが付属
ムーブメント:自動巻き、Cal.P.900(パネライ自社製)、毎時28,800振動、72時間(3日間)パワーリザーブ、23石
仕様:時・分・スモールセコンド・日付表示、ブラックダイヤル、夜光アラビア数字とアワーマーカー
価格:858,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
LUMINOR MARINA QUARANTA
ルミノール マリーナ クアランタ
Ref:PAM01270
ケース径:40mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:10気圧(100m)
ストラップ:ダークブルーアリゲーター、パネライ特許取得のクイックリリースシステムのバックル、タバコカーフストラップが付属
パネライ コピームーブメント:自動巻き、Cal.P.900(パネライ自社製)、毎時28,800振動、72時間(3日間)パワーリザーブ、23石
仕様:時・分・スモールセコンド・日付表示、サンブラッシュブルーダイヤル、夜光アラビア数字とアワーマーカー
価格:858,000円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/brand-copy-IP-4.html

ベル&ロス「BR 05 クロノ ホワイト ホーク」

2020年にリリースされたBR 05 クロノは、ケースがブレスレットと融合した、一体型ブレスレットを採用したコレクションに属します。

ベル&ロススーパーコピーの名声の礎となった、視認性、機能性、信頼性、高精度というブランドの基本理念に忠実に、毅然と都会的な環境に完璧にフィットするスタイルと技術的な複雑さに裏打ちされた、新しいクロノグラフBR 05 クロノ ホワイト ホークによって、BR 05 コレクションがさらに充実されました。

ホワイト ホークという刺激的な名前をもつ、この新しいタイムピースは、航空業界のオマージュです。強さ、力と名声を誇る、この威厳のある生き物は、象徴的なシンボルであり、強靭な宝石というテーマを完璧に体現しているのです。

スーパーコピー 代引き

都会の探索者の時間
短時間の計測をするために必須のツールであるクロノグラフは、航空計器の中でも主要な複雑機構であり、スポーツマンや活動する男性のための卓越した機構です。この機能は、時間を自身でマスターしようとする、常に移動し続ける都会の探索者に最も適しています。

BELL & ROSS(ベル&ロス) 2021新作 ベル&ロス「BR 05 クロノ ホワイト ホーク」
強靭な宝石
この貴重な計測するインストゥルメントは、ベル&ロスのマスキュリンな美観とハイエンドな高級時計製造の技術的な精巧さが融合した逸品。直径42mmのケースのラインは、ベル&ロスのアイデンティティを形成する、基本的な幾何学図形の「丸」と「四角」を組み合わせたものです。

新しいアイコニックなBR 05 コレクションのシグニチャーカラーであるブラックとブルーの文字盤モデルをリリース後、ベル&ロスは、既存のカラーとは対照的で、淡いトーンの色味に着目しました。そして、ダークカラーの文字盤に代わる、補完的なモデルがコレクションに加わりました。

精緻な仕上げが、現代的でありながら洗練された上品な時計にしています。ピュアで時代を超える時計を作り上げるため、ブランドは、深みと活力をもたらす要素としてホワイトを起用しました。

表面と角度から成る、ケース径42mmの幾何学的な時計は、どんな手首にもブレスレットがシームレスにフィットします。エレガントな見た目のサテン・ポリッシュ仕上げのステンレススティール製ブレスレットと、スポーティシックなブラックラバーストラップを装備しています。

BELL & ROSS(ベル&ロス) 2021新作 ベル&ロス「BR 05 クロノ ホワイト ホーク」
ホワイト文字盤にレッドの針
ホワイトオパライン仕上げのシルバー文字盤は、ポリッシュとサテンで仕上げたステンレススティール製のカラーと光沢に完璧にマッチ。文字盤のザラつきのある表面がメタリックに反射し、光を捉えます。ケースとダイヤルが融合し、ルミナスな一体感のあるフォルムを成しています。視認性が高いシックなデザインです。

クロノグラフ機能による情報は全てレッドで表示されています。一体型ブレスレットのコンセプトに呼応し、リューズガードおよびリューズはシングルピースとして形成され、ケースのボリ ュームに完璧に馴染んでいます。

BR 05 クロノ ホワイト ホークの文字盤は、そのグラフィックとコントラストにより、読み取りやすく、最適な視認性を保証します。また、9時位置にクロノグラフの30分積算計、3時位置にスモー ルセコンドという、スネイル装飾が施された2つのカウンターが、この時計をネオレトロな外観に仕上げています。

スーパールミノバ®をコーティングしたスケルトンメタルの時針、分針、インデックスおよびアプライドの数字により、昼夜を問わない視認性を誇ります。

250本の限定モデル
BR 05 クロノ ホワイト ホークは、360度回転する振り子式ローターによって巻き上がるキャリバー BR-CAL.301を搭載。サファイアクリスタル製ケースバックからこのムーブメントの心臓部を覗くことができます。時計の名前の通り、ケースバックの開口部にシルバーメタリックの鷹がプリントされています。

この限定250本の強靭な宝石は、メカニカルな職人技の愛好家や都会の探索者、パイロット、そしてコレクターを魅了するでしょう。

スーパーコピー 代引き
BR 05 CHRONO WHITE HAWK
BR 05 クロノ ホワイト ホーク
Ref:BR05C-SI-ST/SST
ケースサイズ:42mm
ケース素材:ステンレススティール(ポリッシュ/サテン仕上げ)
防水性:100m
ストラップ:ステンレススティール(ポリッシュ/サテン仕上げ)、ステンレススティール製フォールディングバックル(ポリッシュ/サテン仕上げ)
ムーブメント:自動巻き、Cal.BR-CAL.301
仕様:時・分・スモールセコンド・日付表示、クロノグラフ(9時位置に30分カウンター、センターにクロノグラフ秒針)、シルバーオパライン文字盤、スーパールミノバ®をコーティングしたアプライドおよびインデックス、スーパールミノバ®をコーティングしたスケルトン メタルの時針および分針
限定:世界限定250本(※ラバーストラップモデルと合わせた限定数です)
価格:803,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
BR 05 CHRONO WHITE HAWK
BR 05 クロノ ホワイト ホーク
Ref:BR05C-SI-ST/SRB
ケースサイズ:42mm
ケース素材:ステンレススティール(ポリッシュ/サテン仕上げ)
防水性:100m
ストラップ:ブラックラバー、ステンレススティール製フォールディングバックル(ポリッシュ/サテン仕上げ)
ベル&ロススーパーコピー 代引きムーブメント:自動巻き、Cal.BR-CAL.301
仕様:時・分・スモールセコンド・日付表示、クロノグラフ(9時位置に30分カウンター、センターにクロノグラフ秒針)、シルバーオパライン文字盤、スーパールミノバ®をコーティングしたアプライドおよびインデックス、スーパールミノバ®をコーティングしたスケルトン メタルの時針および分針
限定:世界限定250本(※ブレスレットモデルと合わせた限定数です)
価格:737,000円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/brand-copy-IP-14.html

ブラック マザー オブ パールを採用したブライトリング「クロノマット B01 42 ジャパン エディション」から、希少なダイヤモンドワークスモデルが登場

ブライトリングコピーが、新しくなったクロノマット コレクションでは初となるマザー オブ パールを採用した日本だけの特別モデルを発表。この度、その日本限定モデルからホリデーシーズンにぴったりのダイヤモンドワークスモデルが登場します。ベゼルに112個のダイヤモンドが贅沢にあしらわれた、まばゆい輝きと共に圧倒的な存在感を放つ本作。ケースバックから美しいマニュファクチュール キャリバー01を鑑賞することができ、 本限定の証が刻まれています。

スーパーコピー 代引き

あらゆる要望に応える万能スポーツウォッチ、クロノマット
クロノマットは、ブライトリングの歴史の中で重要な位置を占めるモデルです。発売された1984年は、極薄のクォーツ時計が隆盛を極めていた頃。ブライトリングは極めて印象的な機械式時計で大胆な賭けにでたのです。かの有名なイタリア空軍とのコラボレーションによって1983年に開発・発表されたフレッチェ・トリコローリ・クロノグラフをもとに、クロノマットは100年にわたって築き上げてきたブライトリングのスタイルを祝し、機械式クロノグラフをブランドの本来の重要な位置へと連れ戻しました。こうして、この素晴らしい時計に対する世界的な評価が確立したのです。この新しいクロノマットは、湾曲しないラグを備えた42mmのケースに、ライダータブを4カ所配したアイコニックなベゼルを装備。さらに独特な「ルーロー」ブレスレットが際立ちます。

BREITLING(ブライトリング) 2021新作 ブラック マザー オブ パールを採用したブライトリング「クロノマット B01 42 ジャパン エディション」から、希少なダイヤモンドワークスモデルが登場
クロノマット B01 42 ジャパン エディション ブラック マザー オブ パール
新しいクロノマット コレクションでは初めてマザー オブ パール文字盤を採用した本作。真珠母貝の文字盤は、その唯一無二の美しさから日本では常に高い人気を誇るディティールです。今回は、このブラック マザー オブ パールのダイヤルを採用したクロノマット B01 42 ジャパン エディションから、大変希少なダイヤモンドワークスモデルが登場。ベゼルには1.03カラットのダイヤモンドを112個セッティング。大胆でラグジュアリー、ひときわ美しいエレガンスを演出します。機能性を維持しながら圧倒的な美しさと存在感を兼ね備えたタイムピースには、精度と信頼性における最高の認定基準であるCOSC公認クロノメーター、キャリバー01を搭載。サファイアクリスタル越しにその美しいムーブメントを覗き込むことができ、ケースバックには25本限定の証が刻まれています。

スーパーコピー 代引き
Chronomat B01 42 Japan Edition Black Mother Of Pearl
クロノマット B01 42 ジャパン エディション ブラック マザー オブ パール
Ref:AB01349A1B1A1
ケース径:42.0mm
ケース厚:15.1mm
ケース素材:ステンレススチール
防水性:200m
ストラップ:ステンレススチール製ルーローブレスレット、バタフライクラスプ
ムーブメント:自動巻き、ブライトリング キャリバー01(自社開発製造)、毎時28,800振動、約70時間パワーリザーブ、COSC公認クロノメーター
仕様:時・分・秒表示、日付表示、クロノグラフ、30分積計、12時間積算計、ラチェット式逆回転防止ベゼル、ベゼルに112個のダイヤモンド(1.03カラット)をセッティングブラック マザー オブ パールダイアル、スーパールミノバ®蓄光塗料を塗布した時針と分針
限定:日本限定
価格:1,826,000円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/brand-copy-IP-13.html

より鮮やかなカラーをまとった、オメガ「コンステレーション」

オメガスーパーコピー 時計の新しい「コンステレーション」の36mmコレクションは、ワントーンでまとめられたカラーの時計をお好みの方におすすめのモデルです。今回新たに追加される3本は、サンブラッシュ仕上げのダイアルに、今までにあまりなかった同色の煌めくレザーストラップを備えています。

スーパーコピー 代引き

・バーガンディのPVD加工を施したダイアルと同色のストラップを備えた36mmのステンレススティール製モデル:1,298,000円(税込)
・ブルーのPVD加工を施したダイアルと同色のストラップを備えたステンレススティール&18Kイエローゴールド製モデル:1,606,000円(税込)
・ブラウンのPVD加工を施したダイアルと同色のストラップを備えたステンレススティール&18Kセドナ™ゴールド製モデル:1,606,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
3つのモデルに共通する特徴は、ベゼルに配された38石(0.92ct)のダイヤモンドです。ポリッシュ仕上げのベゼルにセットすることで、ダイヤモンドの輝きと光の戯れが増幅します。またサンブラッシュ仕上げの美しいダイアルには、日付窓が6時位置に、インデックスに計0.19ctのダイヤモンドがあしらわれています。

 それぞれのモデルのオメガロゴ、コンステレーションの星、そしてインデックスは、ケース素材のカラーに合わせて、18Kホワイトゴールド、18Kイエローゴールド、もしくは18Kセドナ™ゴールド製です。

 ムーブメントはオメガ コーアクシャル マスタークロノメーター キャリバー8800で、傷のつきにくいサファイヤクリスタル越しに見ることができます。マスター クロノメーター認定を受けるためには、スイス連邦計量・認定局(METAS)が定めた時計業界で最も厳しいテストに合格する必要があります。

OMEGA(オメガ) 2021新作 より鮮やかなカラーをまとった、オメガ「コンステレーション」
 オメガのコンステレーションが持つドラマティックでタイムレスなデザインは、おなじみのハーフムーンのファセット、ケースの“爪”、そしてケースと一体になったブレスレットが特徴ですが、レザーストラップによって従来とはまったく異なる趣が楽しめます。とはいえ、このアイコニックな時計が持つデザイン的なDNAはしっかりと残っています。

 鮮やかに、そして極めて美しく。ストラップとダイアルがマッチした36mmモデルの登場で、コンステレーションの新たな魅力を見つけていただけるでしょう。

スーパーコピー 代引き
Constellation
コンステレーション
Ref:131.18.36.20.61.001
ケース径:36mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:50m
ストラップ:パール仕上げのバーガンディアリゲーター
ムーブメント:自動巻き、Cal.8800、55時間パワーリザーブ、毎時25,200振動、35石
仕様:センター時・分・秒針、6時位置に日付窓、バーガンディのPVD加工を施したサンブラッシュ仕上げダイアル、ベゼルに38石(0.92ct)のダイヤモンドをセッティング、ダイヤモンドインデックス、シースルーケースバック
価格:1,298,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
Constellation
コンステレーション
Ref:131.28.36.20.53.001
ケース径:36mm
ケース素材:ステンレススティール&18Kイエローゴールド
防水性:50m
ストラップ:パール仕上げのブルーアリゲーター
ムーブメント:自動巻き、Cal.8800、55時間パワーリザーブ、毎時25,200振動、35石
仕様:センター時・分・秒針、6時位置に日付窓、ブルーのPVD加工を施したサンブラッシュ仕上げダイアル、ベゼルに38石(0.92ct)のダイヤモンドをセッティング、ダイヤモンドインデックス、シースルーケースバック
価格:1,606,000円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/brand-copy-IP-2.html

エドックス「デルフィン メカノ 60th アニバーサリー リミテッドエディション」

エドックスが、機械式スーパーコピー時計 代引きの魅力を堪能できる限定モデル「デルフィン メカノ 60th アニバーサリー リミテッドエディション」を発表しました。2021年12月10日(金)より全国の販売代理店と、エドックス公式オンラインストアで発売中です。

スーパーコピー 代引き

エドックスは機械式時計の魅力を堪能できる、デルフィン初のスケルトンモデル「デルフィン メカノ オートマティック」を発表しました。コレクションの中で最も長い歴史を持ち、ブランドのアイコンとなっている「デルフィン」は、1961年に世界初の特許を取得した防水機構“ダブル-Oリング”を備えた腕時計として登場しました。スケルトンが印象的な「デルフィン メカノ」ラインは、時計としての実用性、デザインの美しさの両面において品質を追求。防水機構や伝統的な意匠等のエドックスのレガシーを継承しながら、よりモダンなテイストを加えています。この度プロペラブレードのモチーフにより、歩みを止めず進み続ける時をイメージし、カットワークが施されたダイアルデザインの限定モデル「デルフィン メカノ 60th アニバーサリー リミテッドエディション」が新しく追加されました。

EDOX(エドックス) 2021新作 エドックス「デルフィン メカノ 60th アニバーサリー リミテッドエディション」
デルフィン メカノ
スケルトンウォッチの醍醐味は、時計内部の構造が確認できること。「デルフィン メカノ オートマティック」に搭載した自動巻きムーブメント EDOX853は、香箱の一部をくり抜いてゼンマイの動きを見せるなど、繊細な工夫が細部に至るまで施されています。コンテンポラリーな雰囲気を纏うダイアルのカットワークは、古代ギリシャ語で“時間”を意味するエドックスのブランド名を再解釈しデザインされました。美しいカットワークアートと精巧なムーブメントの動きを、心ゆくまで鑑賞することができます。丁寧に磨き上げられた12角型の美しいベゼルや、ダイナミックな印象を与えるベゼル上のビスは、1973年発表のアーカイブピースから踏襲したもの。モダンな印象のスケルトンウォッチに伝統的な意匠を組み合わせることにより、スポーティーながら品格漂うデザインに仕上がっています。エドックス独自のユニークな視点から開発に至った特許取得のリューズ機構や堅牢なケース構造を受け継ぐと同時に、デザイン面も継承しているヘリテージコレクションにふさわしいタイムピースです。

スーパーコピー 代引き
DELFIN MECANO 60TH ANNIVERSARY LIMITED EDITION
デルフィン メカノ 60th アニバーサリー リミテッドエディション
Ref:85304-357GN-NRN1
ケース径:43.0mm
ケース厚:12.5mm
ケース素材:ステンレススティール(グレーPVD)
防水性:300m(30気圧)
ストラップ:ブラックラバー
ムーブメント:自動巻き、Cal.EDOX853、毎時28,800振動、42時間パワーリザーブ、25石
仕様:時・分・秒表示、スーパールミノバを塗布した時分針、ねじ込み式リューズ、サファイアクリスタル風防、EDOXオリジナルスポーツバッグが付属
価格:286,000円(税込)

【関連記事】:https://www.aimaye.com/

オメガ「グローブマスター アニュアルカレンダー」に新モデル3種が登場

冬の訪れに合わせ、オメガスーパーコピーが洗練されたグローブマスター シリーズに新たな3本のモデルを追加します。グローブマスターは、世界初のマスター クロノメーター認定コレクションとして2015年に初めて登場しました。今回のアニュアルカレンダーの新作は、グローブマスターの特徴であるクラシカルなスタイルを踏襲したデザインが魅力で、重ね着したニットやテーラードスーツの下に合わせるのに最適です。

スーパーコピー 代引き

新モデルはすべて41mmで、ファンにはお馴染みのディテールが施されています。フルーテッドベゼル、そして1952年に発表された初の「コンステレーション 」ウォッチにインスパイアされた“パイ-パン”ダイアルなどです。ファセットには各月がエレガントに記される一方、傷のつきにくいサファイアクリスタルのケースバックの真ん中には、天文台のメダリオンがあしらわれています。これは、20世紀初頭にオメガが打ち立てた数々の精度記録という偉業に敬意を表したものです。

OMEGA(オメガ) 2021新作 オメガ「グローブマスター アニュアルカレンダー」に新モデル3種が登場
グリーンのチョイス

ステンレススティール製のモデルは、サンブラッシュ仕上げのグリーンダイアルが特徴で、ファセット仕上げの針、オメガロゴ、インデックス、そしてコンステレーションの星に18Kホワイトゴールドが使用されています。このモデルには、グリーンのアリゲーターストラップに加えて強度と耐久性を高めるために炭化タングステン製のベゼルがセットされています。オメガ コーアクシャル マスター クロノメーター アニュアルカレンダー キャリバー8922が搭載されています。

バーガンディのチョイス
サンブラッシュ仕上げのバーガンディダイアルが色鮮やかなモデルは、ステンレススティールケースに、オメガ独自のレッドゴールド合金である18Kセドナ™ゴールド製のポリッシュ仕上げのベゼルをセットしています。このゴールドはリュウズのほか、ファセットのついた針、オメガロゴ、インデックス、そしてコンステレーションの星などのディテールにも採用されています。バーガンディのアリゲーターストラップがデザイン性をさらに高め、オメガ コーアクシャル マスター クロノメーター アニュアルカレンダー キャリバー8922が搭載されています。

OMEGA(オメガ) 2021新作 オメガ「グローブマスター アニュアルカレンダー」に新モデル3種が登場
ゴールドのチョイス
このモデルの特徴はなんといっても18Kセドナ™ゴールドです。この魅力的な合金は、ケースとポリッシュ仕上げのベゼルのほか、ダイアルにも採用され、そのことを示す“Au750”の文字が記されています。オメガロゴ、コンステレーションの星などにも18Kセドナ™ゴールドが使用されている一方、インデックスはセドナ™ゴールドの枠にオニキスがセットされています。またオメガ初の試みとして、時針と分針にもオニキスが採用されています。光沢のあるブラックアリゲーターストラップが付属し、オメガ コーアクシャル マスター クロノメーター アニュアルカレンダー キャリバー8923が搭載されています。

新作「グローブマスター アニュアルカレンダー」には、5年保証とマスター クロノメーター認定カードが付いています。

スーパーコピー 代引き
Globemaster Annual Calendar
グローブマスター アニュアルカレンダー
Ref:130.33.41.22.10.001
ケース径:41.00mm
ケース厚:14.87mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:100m
ストラップ:グリーンアリゲーター
ムーブメント:自動巻き、Cal.8922、55時間パワーリザーブ、毎時25,200振動、39石
仕様:センター時・分・秒針、月表示針、6時位置に日付窓、アニュアルカレンダー、マスター クロノメーター認定、超高耐磁性能ムーブメント、シースルーケースバック
価格:990,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
Globemaster Annual Calendar
グローブマスター アニュアルカレンダー
Ref:130.23.41.22.11.001
ケース径:41.00mm
ケース厚:14.87mm
ケース素材:18Kセドナ™ゴールド&ステンレススティール
防水性:100m
ストラップ:バーガンディアリゲーター
ムーブメント:自動巻き、Cal.8922、55時間パワーリザーブ、毎時25,200振動、39石
仕様:センター時・分・秒針、月表示針、6時位置に日付窓、アニュアルカレンダー、マスター クロノメーター認定、超高耐磁性能ムーブメント、シースルーケースバック
価格:1,331,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
Globemaster Annual Calendar
グローブマスター アニュアルカレンダー
Ref:130.53.41.22.99.002
ケース径:41.00mm
ケース厚:14.87mm
ケース素材:18Kセドナ™ゴールド
防水性:100m
ストラップ:ブラックアリゲーター
オメガスーパーコピー 代引きムーブメント:自動巻き、Cal.8922、55時間パワーリザーブ、毎時25,200振動、39石
仕様:センター時・分・秒針、月表示針、6時位置に日付窓、アニュアルカレンダー、マスター クロノメーター認定、超高耐磁性能ムーブメント、シースルーケースバック
価格:3,663,000円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/brand-copy-IP-2.html

ネベレストと共に新たな冒険へ。ノルケイン「アドベンチャー ネベレスト ナイトサイト」誕生

ノルケインのネベレストコレクションに加わった第3のスペシャルモデル。それは、昼夜を問わず24時間にわたり完璧な視認性を発揮する全面夜光文字盤を搭載した屈強な3針モデルです。ウブロスーパーコピー他のネベレストモデルと同じく、このモデルの売上金の一部はバタフライ ヘルプ プロジェクト(Butterfly Help Project)とのパートナーシップを通じて、ネパールの子供たちの支援に寄付されます。

スーパーコピー 代引き

困難をきわめる登山ルートでは、いかなる場面においても時間を正確に読み取れることは時計の精度と同等の重要性を持っています。新たに完成したアドベンチャー ネベレスト ナイトサイト 40mm DLCは、視認性と精度の両方において過酷な状況に耐えうる基準を満たしています。

 限界のない冒険に挑む人は、モデル名のナイトサイトの由来となった、完全に暗闇で光る文字盤を高く評価するとノルケインは確信しています。パワフルで高品質なX1スーパールミノバが文字盤全体に塗布され、常に完璧な視認性が保証されます。ねじ込み式リューズとCOSC認定のマニュファクチュールキャリバーNN20/1により、アドベンチャー ネベレスト ナイトサイトは、昼夜を問わず、あらゆる冒険の理想的なパートナーになります。印象的なデザインで高品質なアドベンチャー ネベレスト ナイトサイトは、自然の豊かさと美しさに敬意を払う人々、自己を高めることに挑み続ける人々のための時計です。

 ノルケインは、アドベンチャー ネベレスト ナイトサイト、またはこれ以前に発売されたその他のアドベンチャー ネベレスト モデルの販売による収益の10%を、ネパールの子供たちに教育を受ける機会を与える「バタフライ ヘルプ プロジェクト」に寄付します。時計の購入者は、「バタフライ ヘルプ プロジェクト」を通して自らの意志を貫き、社会に貢献する生き方を実践することができます。

 ノルケインのブランドロゴであるスイスアルプス、そして最新コレクションのインスピレーションの源となったエベレストまで、マウンテンクライミングはノルケインの製品開発ストーリーと一体化しています。モデル名でもあるNEVEREST(ネベレスト)は、独立ブランドであるノルケインの大いなる挑戦スピリットと、最高のクオリティを創りあげるという永遠のモチベーションを表しています。

NORQAIN(ノルケイン) 2021新作 ネベレストと共に新たな冒険へ。ノルケイン「アドベンチャー ネベレスト ナイトサイト」誕生
パワフルな夜光性能と、卓越した計時性能
 ノルケインのモットーであるyour life, your way -真の自分らしさを- を具現化したこの直径40mmのモデルは、24時間、頂きを目指しつづける冒険者のために設計されました。最も印象的かつ特徴的な機能は、夜の暗闇で緑色に光るX1スーパールミノバのコーティングで仕上げられた独自の文字盤です。日中は、3時、6時、9時、12時位置の黒の手塗り、サテン仕上げのアラビア数字とサンドカラーの文字盤が美しいコントラストを表現しています。美しく仕上げられたライトグレーの針にはX1スーパールミノバがセットされており、統一感のあるデザインと完璧な視認性を実現しています。グレードX1スーパールミノバは、優れた品質を誇り、標準グレードのスーパールミノバに比べて2時間後でも最大+60%の発光量を誇ります。これにより、夜間の文字盤の視認性が飛躍的に向上し、比類のない品質を達成しています。

 ステンレススチール製のケースは、ポリッシュ仕上げとサテン仕上げのコンビネーションです。ケース、ベゼル、ねじ込み式リューズ、ラグには、オールブラックのDLCコーティングが施され、時計の力強さを表現しています。ケースの左側にある“NEVEREST”と刻印されたノルケインプレートにもDLCコーティングが施されています。またアドベンチャー ネベレスト ナイトサイトのリューズガードは、耐久性を向上させると共にこのモデルのデザインの特徴となっています。

 両方向回転ベゼルには、方位を示す文字が刻印されています。唯一「北」の方角には、山をモチーフにしたノルケインのロゴが刻印されています。200m防水で、文字盤には“200M / 660FT” の刻印がされています。

 このスタイリッシュで頑丈な時計は、ローレット加工のベゼル側面と同じデザインモチーフが用いられたブラックラバーストラップ付(442,200円/税込)、または黒い縦縞入りのサンドカラー フレックスファブリックストラップ付(440,000円/税込)が用意されています。

NORQAIN(ノルケイン) 2021新作 ネベレストと共に新たな冒険へ。ノルケイン「アドベンチャー ネベレスト ナイトサイト」誕生
NORQAINの独自性、次なるレベルへ
 アドベンチャー ネベレスト ナイトサイト 40mm DLCは、ノルケインのマニュファクチュールキャリバーNN20/1を搭載。サファイアクリスタルガラスのケースバックから眺めることができます。NN20/1はCOSC認定の自動巻きムーブメントであり、70時間のパワーリザーブを誇ります。ブリッジにはノルケインのコアバリューである「アドベンチャー・フリーダム・インディペンデンス」の文字が、ローターにはノルケインの「ダブルN」ロゴが刻印されています。2020年2月、ノルケインが製作発表したマニュファクチュールキャリバーNN20/1およびNN20/2は、家族経営の独立企業であるノルケインにとって重要なマイルストーンです。マニュファクチュールキャリバーを手にすることで、ノルケインはスイス時計業界において独自の地位を確立し、長期にわたり独自の道を歩み続けるために邁進していることを業界に示しました。これらのムーブメントは4年間の国際保証で、時計購入時にご購入者がご自身の情報を登録することで5年間に延長されます。


ネベレストモデルの販売を通してネパールのバタフライ ヘルプ プロジェクト (Butterfly Help Project) を支援する
 ネベレストモデルの売上の10%はバタフライ ヘルプ プロジェクトに寄付されます。ノーブ シェルパとアンドレア ツィメルマンのワイルド ヤク エクスペディションによるこのプロジェクトは、ヒマラヤ山脈で命を落としたシェルパ (登山家たちのサポートを専門とするプロフェッショナル) の家族を支援し、その子供たちが教育を受けることができる環境を提供しています。ノルケインは、彼らの想いを共有し、2021年に50人の子供たちが学校に行くことができるようにし、今後彼らを支援し続けることにしました。ネベレストモデルの時計の販売による収益により、ノルケインはバタフライ ヘルプ プロジェクトを通じて、学費、教室の資料、本、ユニフォーム、運動器具の購入など、より多くの困っている子供たちをサポートしていきます。

スーパーコピー 代引き
Adventure NEVEREST Night Sight
アドベンチャー ネベレスト ナイトサイト
Ref: NNB1001BBWA/IL107
ケース径:40.00mm
ケース厚:13.25mm
ケース素材:316Lステンレススチール(DLC加工)
防水性:200m
ストラップ:黒い縦縞入りのサンドカラー フレックスファブリックもしくはブラックラバー
ウブロスーパーコピー 代引きムーブメント:自動巻き、Cal.NN20/1、70時間パワーリザーブ、毎時28,800振動、27石、COSC公認クロノメーター
仕様:時・分・秒表示、サンドカラー(夜光時はグリーン)のX1フルルミノバスペシャルダイアル、方位が刻印された両方向回転防止ベゼル、ケースサイドにDLC加工のノルケインプレートを装着、ノルケインロゴが刻印されたねじ込みリューズ、シースルーケースバック
価格:440,000円(税込) ※ラバーストラップモデルは442,200円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/brand-copy-IP-3.html

H.モーザー社が創業した1828年に敬意を表す。H.モーザー「ヘリテージ ブロンズ “SINCE 1828”」

1920年代初頭に懐中時計を精巧なアタッチメントを用いて作り変えた腕時計からインスピレーションを得たヘリテージ コレクションは疑いようもなく伝統的なモデルです。シャネル時計コピーヘリテージ ブロンズ “Since 1828” 限定エディションでは、輝かしい創業者ハインリッヒ・モーザーの時代には時折使用されていたキリル文字のロゴを配したフュメダイアルを採用することで、コレクションの持つ歴史的な側面をさらに強く押し出されています。H.モーザーの歴史に深く根差したこのヘリテージ ブロンズ “Since 1828”には、過去と現在の繊細なつながりが表現されています。ヘリテージ ブロンズ “Since 1828”は、シャフハウゼンを拠点とするブランドの豊かな伝統のモダンな象徴として、現代的で革新的なマニュファクチュールのおよそ200年にも及ぶ長い歴史を誇るH.モーザーを完璧に体現するモデルです。

スーパーコピー 代引き

ケースの素材として、H.モーザーは、時とともに変化し、パティナ(緑青)が濃くなるにつれて美しさを増すブロンズを採用しました。まったく同じ経年変化をたどるケースはないため、最終的には、一つひとつがいわばユニークピースとなります。クラシックな趣の丸みを帯びたデザインで、先細のラグと刻みのある大型のリュウズを備えています。温かみのあるブロンズの光沢が、キリル文字のH. Moser & Cie.ロゴをあしらったブラックオア(光沢)仕上げが施されたフュメダイアルのクールな色合いと魅力的なコントラストを成します。H.モーザーは、伝統と現代性の狭間に立ち、独特なカラーと素材を用いることで、このモデルのクラシックなデザインに波紋を投げかけます。ホワイトの線路型の分目盛りでモダンなルックスに仕上げ、剣形の針にはスーパルミノヴァ®のアクセントが施されています。一方で、立体感のある独特のアプライド数字には、どんな形状や色にも仕上げることのできる画期的なセラミック ベースの素材、グロボライト®を使用し、スーパールミノヴァ®が配合されています。

H.Moser & Cie.(H.モーザー) 2021新作 H.モーザー社が創業した1828年に敬意を表す。H.モーザー「ヘリテージ ブロンズ “SINCE 1828”」
ヘリテージ ブロンズ “Since 1828”を駆動するのは、サファイアガラスのケースバックから覗くHMC 200ムーブメントです。自社で一貫して設計、開発、製造されるこのキャリバーには、系列会社のPrecision Engineering AGが製造した調速機構が組み込まれています。名高いモーザー ダブルストライプで装飾されたHMC 200キャリバーのパワーリザーブは約3日間です。

ヘリテージ ブロンズ “Since 1828”は、2021年11月24日から28日にかけて開催されたドバイ ウォッチ ウィークで発表され、H. モーザーおよびそのパートナーで長年の信頼関係で結ばれたセディッキ、またはH.モーザー本社のオンラインプラットフォームで販売予定です。

疑う余地のない H.モーザー スタイルの高級時計です。

スーパーコピー 代引き
Heritage Bronze "Since 1828"
ヘリテージ ブロンズ “Since 1828”
Ref:8200-1701
ケース径:42.0mm
ケース厚:11.1mm
ケース素材:ブロンズ(銅-アルミニウム)
ストラップ:ブラックのファブリックまたはグレーのクーズーストラップ、モーザーのロゴが刻印されたブロンズ製ピンバックル
ムーブメント:自動巻き、Cal.HMC 200、約3日間(約72時間)パワーリザーブ、毎時21,600振動、27石
仕様:時・分・秒表示、サンバーストとブラックオア仕上げを施したフュメダイアル、グロボライト®の数字、スーパールミノヴァ®で強調された剣形の針、キリル文字のH. Moser & Cie.ロゴ、シースルーケースバック
限定:50本
価格:2,502,500円(税込)


【関連記事】:https://www.aimaye.com/brand-copy-IP-6.html

セイコー プロスペックスより、セイコーのダイバーズウオッチの原点を受け継ぐ「1965 ヘリテージ」モデルが進化を遂げて登場

セイコースーパーコピー時計ウオッチ株式会社が、2024年の新作としてセイコー プロスペックスから、「メカニカルダイバーズ 1965 ヘリテージ」のレギュラーモデル2種とSEIKOブランド100周年を記念したスペシャルエディションモデルを1種、2024年6月8日(土)より発売します。希望小売価格は、176,000円~203,500円(税込)です。

スーパーコピー 代引き

1965年に誕生したセイコーのダイバーズウオッチの原点を現代に受け継ぐ「1965 ヘリテージ」モデルが、防水性能と持続時間をスペックアップ

1965年に発売された国産初のダイバーズウオッチは、セイコーダイバーズウオッチの歴史を切り開いたモデルです。以来、セイコーはその安全性、信頼性、使いやすさから、世界中のプロフェッショナルやスポーツ愛好家から支持されるダイバーズウオッチを数多く生み出してきました。そんなダイバーズウオッチのひとつが、2020年に登場した「SBDC101」です。200m空気潜水用防水と70時間のパワーリザーブを備え、その機能性と、1965年の初代モデルから受け継ぐヴィンテージスタイルのデザインが世界中で高い評価を得ました。

2024年に登場する本作は、そのモデルをベースに、様々な改良が加えられ、更なる進化を遂げています。

PROSPEX(プロスペックス) 2024新作 セイコー プロスペックスより、セイコーのダイバーズウオッチの原点を受け継ぐ「1965 ヘリテージ」モデルが進化を遂げて登場

本作に搭載される、メカニカルキャリバー「6R55」は、3日間(約72時間)のロングパワーリザーブを可能にしたムーブメントで、このモデルの信頼性をより一層高めるものです。

また、空気潜水用ダイバーズウオッチとしてはセイコーで最高のスペックとなる300m防水を備えています。さらに、日付窓が4時と5時の間に配置されていることで、12か所のインデックスがルミブライトで発光するので、よりシンメトリーなデザインとなり、暗い状況下での更に高い視認性も確保されています。

本作はセイコーのダイバーズウオッチに求められる信頼性、安全性、使いやすさはそのままに、「SBDC101」よりコンパクトにデザインされました。ステンレススチール製ベゼルにはアルミニウムプレートがインサートされ、クラシカルな雰囲気のデザインとなっています。レーザー加工によって彫り込まれたダイビングスケールに塗料を入れることで、精緻に仕上げるとともに、長期間の使用による塗料の剥離を防ぎます。

今回、新たに開発されたブレスレットは、しなやかに動く短いピッチのこまとコンパクトなバックルで構成され、サイズダウンしたケースとの組み合わせにより、心地よい装着感が実現されています。

PROSPEX(プロスペックス) 2024新作 セイコー プロスペックスより、セイコーのダイバーズウオッチの原点を受け継ぐ「1965 ヘリテージ」モデルが進化を遂げて登場
SEIKOブランド誕生100周年を記念したチャコールグレーにゴールドが映えるスペシャルエディション

SEIKOブランド誕生100周年を記念して、チャコールグレーのダイヤルとベゼルに、ゴールドカラーをアクセントに加えたスペシャルエディションモデルも登場します。SEIKOの名の下に過去1世紀にわたって続けられてきた数々の時計製造の進歩を「輝き」として表現したものです。

スペシャルモデルならではの特別仕様として、環境に配慮したペットボトル再生原料を100%使用した、ファブリックの替えストラップが付属します。「製紐(せいちゅう)」と呼ばれる日本の伝統技術が用いられた技法で編み込まれた、立体的で豊かな表情の織り柄が特徴です。この「製紐」のストラップも、セイコーダイバーズウオッチの厳しい基準をクリアしており、タフな使用環境での長時間使用にも耐え得る丈夫さを備えています。また、しなやかで通気性に優れ、常に心地よい肌触りを保つストラップです。

スーパーコピー 代引き
メカニカルダイバーズ 1965 ヘリテージ
Ref:SBDC197
ケース径:40.0mm(りゅうず含まず)
ケース厚:13.0mm
ケース素材:ステンレススチール(ダイヤシールド)
防水性:300m空気潜水用防水
ストラップ:ステンレススチール(ダイヤシールド)
ムーブメント:自動巻(手巻つき)、Cal.6R55、約72時間パワーリザーブ、毎時21,600振動、24石
スーパーコピー時計 代引き仕様:時・分・秒・日付表示、秒針停止機能、デュアルカーブサファイアガラス(内面無反射コーティング)、逆回転防止ベゼル、ねじロック式りゅうず、スクリューバック
価格:176,000円(税込)
発売予定:2024年6月8日(土)

【関連記事】:https://www.jpan007.com/

オメガ「スピードマスター ムーンウォッチ」から艶やかなラッカー仕上げのホワイトダイアルが登場

地球上で最もアイコニックなクロノグラフとして知られるオメガスーパーコピー 代引き「スピードマスター ムーンウォッチ」コレクションから2024年の新作として、宇宙探査とスピードマスターの有名なヘリテージから着想を得て誕生した、ラッカー仕上げのホワイトダイアルが登場しました。

この時計は、2023年11月にニューヨークで開催された「プラネット オメガ エキシビション」で、アンバサダーのダニエル・クレイグが着けていたことで注目の的となり、それ以来、ムーンウォッチファンに熱望され続けてきました。そして今回、ついに正式発表となり、2024年3月7日より発売が開始されました。

スーパーコピー 代引き

このタイムピースの最大の特徴は、ユニークな白のダイアルです。初代スピードマスターが誕生した1957年当時、デザイナーたちの大きな目標のひとつは、優れた視認性を備えた見やすい表示にすることでした。ブラックのダイアルにホワイトの針とインデックスというデザインになったのは、このような背景があったのです。今回の新作では、意図的に当時のモデルと配色を逆にしたことで、同じ効果がもたらされています。ただし、白いダイアルの表示をブラックにし、新しいアプライドインデックスを配しただけではありません。Speedmaster の文字を赤にして際立たせ、ダイアル全体を艶のあるラッカーで仕上げています。ムーンウォッチのステップダイアルにラッカー仕上げが採用されたのは初めてです。

OMEGA(オメガ) 2024新作 オメガ「スピードマスター ムーンウォッチ」から艶やかなラッカー仕上げのホワイトダイアルが登場

なぜ白なのか? この新しいルックスの大きなインスピレーション源となったのは、宇宙飛行士の 宇宙服、特に宇宙遊泳などの船外活動(EVA)の際に着用されるホワイトとブラックの宇宙服です。スピードマスター ムーンウォッチは、1965年以来、NASAの宇宙飛行士によって公式に着用されており、さらに月面で着用された最初の腕時計としても知られています。そして1970年のアポロ13号以来、船長の宇宙服にはコマンダーの階級を示す赤いラインが描かれているのです。このように今回のモデルと宇宙探査にはれっきとしたつながりがあり、このデザインの必然性を物語っています。

白を採用した特別な理由がもうひとつあります。宇宙で使う完璧な時計を設計するNASAの極秘プロジェクトの一環として、オメガは1969年に「アラスカ I」のプロトタイプを製作しました。数ヶ月にわたる実験の結果、熱反射率が他の色に比べて特に優れているという理由から、「アラスカ I」にはホワイトダイアルが採用されました。新作のSpeedmasterの赤い文字は、この「アラスカ I」の赤い保護ケースにちなんだものでもあります。

OMEGA(オメガ) 2024新作 オメガ「スピードマスター ムーンウォッチ」から艶やかなラッカー仕上げのホワイトダイアルが登場

ホワイトダイアル以外のディテールにも語るべき点があります。ステンレススティール製の42mm径のタイムピースには、1列が5つのアーチ型リンクからなる装着感に優れたヴィンテージ風のステンレススティール製ブレスレットが合わせられています。細部はポリッシュ仕上げとサテン仕上げを使い分け、クラシックな外観となっています。ブレスレットの他にも2種類のストラップがラインナップされています。ひとつは、レッドとホワイトのステッチが入ったブラックのパンチングレザーストラップ。もうひとつは裏面に凹凸をつけて月面を表現し、着け心地の良さと美しさを高めた抗菌加工のラバーストラップです。

ブラック アルマイト処理が施されたアルミニウム製ベゼルには、ムーンウォッチファンの方にはお馴染みの「ドット オーバー 90」のタキメータースケールが施されています。ムーブメントは、コーアクシャル マスター クロノメーター キャリバー3861です。このキャリバーは、月面着陸の宇宙飛行士たちが信頼していた伝説のキャリバー321の最新バージョンです。

スーパーコピー 代引き
Speedmaster Moonwatch Professional
スピードマスター ムーンウォッチ プロフェッショナル
Ref:310.30.42.50.04.001
ケース径:42.00mm
ケース厚:13.18mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:5気圧(50m)
ストラップ:ステンレススティール、コンフォートセッティング付きフォールディングクラスプ
ムーブメント:手巻き、Cal.3861、コーアクシャル マスター クロノメーター、スイス連邦計量・認定局(METAS)認定、50時間パワーリザーブ、毎時21,600振動(3Hz)、26石
仕様:時・分・秒(スモールセコンド)表示、クロノグラフ、「スピードマスター」第4世代(月面で着用された最初の時計)にインスピレーションを得たデザイン、ホワイトダイアル、シースルーケースバック
価格:1,254,000円(税込)
オメガ コピー 代引き※レザーストラップとラバーストラップのモデルは各1,199,000円(税込)で2024年5月発売予定

【関連記事】:https://www.jpan007.com/brands-category-b-2.html

大洋と海への情熱に捧げられた、ボーム&メルシエ「リビエラ ボーマティック タイドグラフ」

リビエラ沿岸に朝の波が打ち寄せる時、パネライ スーパーコピータイドグラフ(潮位表示)搭載の時計が活動し始めます。2024年の新作として、ボーム&メルシエより「リビエラ ボーマティック タイドグラフ」の登場です。大洋をイメージしブルーのデザインは美しいコントラストを描き、潮位を表示できるこの時計は、この地域の航海の精神を彷彿させます。この時計を装着するのは、そのリビエラを腕に船を操縦し海への情熱を傾けている方でしょう。航海中は、時計製造のノウハウを駆使し、重要な情報や正確な測定を提供し導いてくれるでしょう。そして、波が夕日で深紅に染まる日の入りでも、この時計は時を刻み続け、休むことなく海が体現する感情と力強さを表現します。人間と自然のかけがえのない繋がりを示すことで、私たちを取り囲む地球を敬い大切にすることの重要さをそっと教えてくれます。

スーパーコピー 代引き

世界500本限定モデルの「リビエラ ボーマティック タイドグラフ」は、潮の満ち引きのリズムで動き、ポリッシュとサンレイ・サテン仕上げのステンレススティール製の12角形ケースの直径は43mm、厚みは12.3mmです。ポリッシュとサンレイ・サテン仕上げのステンレススティール製ベゼルは、サンドブラスト仕上げのADLCの4つのビスで固定されます。4本のビスで固定されたサファイアクリスタルの12角形ケースバックは、エングレービングでパーソナライズすることが可能です。《Special Edition One Out of 500》の特別な刻印が施されています。8角形のねじ込み式リューズには、φ(ファイ)マークのロゴがエンボス加工で施されており、ブラックのラインが入っています。4時位置のプッシュボタンで、潮位ディスクを調整することができます。

BAUME & MERCIER(ボーム&メルシエ) 2024新作 大洋と海への情熱に捧げられた、ボーム&メルシエ「リビエラ ボーマティック タイドグラフ」
 ブルーの色彩が美しいサンレイ・サテン仕上げのインナーベゼルを備え、ダイヤルは12時位置にローマ数字で際立ち、3時と9時位置にリベット留めされたロジウム加工のインデックスはホワイトのスーパールミノバ(ブルー発光)が塗布されています。ホワイトのプリント部分にも、ホワイトのスーパールミノバ(ブルー発光)が施されています。ロジウム加工のスケルトン仕上げの時分針も、ホワイトのスーパールミノバ(ブルー発光)が塗布されています。同様にロジウム加工され、先端にホワイトのスーパールミノバ(ブルー発光)が塗布された秒針は、φ(ファイ)マークのロゴを模ったカウンターウェイトを備えます。潮位の満干表示のブルーのディスクは、サンドブラスト仕上げとスネイル装飾が施されています。

 世界500本限定モデルの「リビエラ ボーマティック タイドグラフ」は、潮の満ち引きのリズムで動き、ポリッシュとサンレイ・サテン仕上げのステンレススティール製の12角形ケースの直径は43mm、厚みは12.3mmです。ポリッシュとサンレイ・サテン仕上げのステンレススティール製ベゼルは、サンドブラスト仕上げのADLCの4つのビスで固定されます。4本のビスで固定されたサファイアクリスタルの12角形ケースバックは、エングレービングでパーソナライズすることが可能です。《Special Edition One Out of 500》の特別な刻印が施されています。8角形のねじ込み式リューズには、φ(ファイ)マークのロゴがエンボス加工で施されており、ブラックのラインが入っています。4時位置のプッシュボタンで、潮位ディスクを調整することができます。

 ブルーの色彩が美しいサンレイ・サテン仕上げのインナーベゼルを備え、ダイヤルは12時位置にローマ数字で際立ち、3時と9時位置にリベット留めされたロジウム加工のインデックスはホワイトのスーパールミノバ(ブルー発光)が塗布されています。ホワイトのプリント部分にも、ホワイトのスーパールミノバ(ブルー発光)が施されています。ロジウム加工のスケルトン仕上げの時分針も、ホワイトのスーパールミノバ(ブルー発光)が塗布されています。同様にロジウム加工され、先端にホワイトのスーパールミノバ(ブルー発光)が塗布された秒針は、φ(ファイ)マークのロゴを模ったカウンターウェイトを備えます。潮位の満干表示のブルーのディスクは、サンドブラスト仕上げとスネイル装飾が施されています。

BAUME & MERCIER(ボーム&メルシエ) 2024新作 大洋と海への情熱に捧げられた、ボーム&メルシエ「リビエラ ボーマティック タイドグラフ」
 精度、耐久性、堅牢さの証である自動巻き自社ムーブメント「ボーマティック」は、このモデルの高い精度、5日間(120時間)のパワーリザーブ、日常における耐磁性を保証します。ボーム&メルシエの公式サイト(www.baume-et-mercier.com)で必要な情報を登録していただくと、標準の2年間の国際保証が、さらに6年間延長され、合計8年の国際保証となります。このウォッチの振動数は4Hz(毎時28,800振動)で、10気圧(約100m)の防水性能が備わっています。ペルラージュ仕上げのブリッジ、サンドブラストとスネイル装飾の地板、コート・ド・ジュネーブ装飾とスネイル装飾でオープンワークになったローター、さらにはボーム&メルシエ独自のエングレービングといった、高級時計ならではの仕上げが施されています。

 このタイムピースは、キャンバス型押しの装飾が付いた一体型のブルーラバーストラップが付属し、信頼性が高く堅牢なシステムにより、特別なツールを必要とせず簡単にご自身で交換していただけます。セーフティプッシュボタンと長さ微調整機能が付いた、ステンレススティール製のトリプル・フォールディング・バックルが装備されています。

 ボーム&メルシエは約200年にわたり、フォルムと機能を見事に組み合わせ、メゾンの大切な要素である高い創造性によるデザインと時計製造の専門技術を受け継いできました。レ・ブルネのマニュファクチュールで製作・組み立てされるタイムピースは、高い精度と品質を備え、控えめな美しさで際立ちます。だからこそボーム&メルシエは、自分自身へのご褒美として、また大切な方への贈り物に最適なスイス製機械式時計のトップブランドなのです。ボーム&メルシエの作品は、周りの世界と密接に繋がり、控えめなラグジュアリーと洗練されたカジュアルなライフスタイルを体現しています。

スーパーコピー 代引き
RIVIERA BAUMATIC TIDEOGRAPH
リビエラ ボーマティック タイドグラフ
Ref:M0A10761
ケース径:43.0mm
ケース厚:12.3mm
ケース素材:ステンレススティール(ポリッシュ・サテン仕上げ)
防水性:10気圧(100m)
ストラップ:ブルーのキャンバス型押しラバー、インターチェンジャブル、トリプルフォールディングクラスプ
パネライ コピームーブメント:自動巻き、Cal.Baumatic BM14-1975AC3(自社ムーブメント)、120時間パワーリザーブ、21石、毎時28,800振動(4Hz)
仕様:時・分・秒表示、満潮干潮のインジケーター、4時位置に潮位計測プッシュボタン、サンレイ・サテン仕上げのブルーダイヤル、ロジウム加工の細長インデックス、サファイアケースバック
限定:世界限定500本
価格:785,000円(税込)


【関連記事】:https://www.jpan007.com/brands-category-b-4.html

パネライが原点に立ち返り、ラジオミール プロトタイプの誕生日を祝福。パネライ「ラジオミール オフィチーネ」

パネライスーパーコピー 代引き家の遺産は、1世紀以上に渡ってイタリア海軍のために製造してきた精密機器と密接に関係があります。イタリア海軍の依頼に応えて高精度の計器を供給するために、グイド・パネライが1916年に特許を取得したラジオミール(暗闇での視認性を高めるために発光するラジウムベースの物質)がすべての始まりでした。

アーカイブの証書は、ラジオミールのプロトタイプが1935年に発表されたことを示しています。何年もの間、文字盤のサンドイッチ構造は徐々に調整され、現在は重ね合わせた2枚のプレートのみとなりました。その他の改良点としては、リュウズプロテクターデバイス、そして新しい発光物質のルミノールです。軍用に厳密に製造された時計を、軍は1970年代初頭まで使用し、その設計は軍事機密として保護されてきました。

スーパーコピー 代引き

オフィチーネ パネライは1992年に商用時計市場に参入し、3つのコレクション、44mmサイズのルミノールとルミノール マリーナ、42mmサイズのマーレノストゥルム クロノグラフを発表しました。各コレクションから10本のリファレンスが限定品としてラインナップされ、1993年9月10日にラ・スペツィア軍港で披露されました。この式典には、サー アイモーネ・ディ・サヴォイアの子息であり、当時のイタリア海軍潜水部隊の最高責任者、第5代アオスタ公アメデーオが出席しました。ヴァンドーム グループ(現在のリシュモン グループ)がパネライを買収した1997年に公開されたのはラジオミールだけでした。PAM21というモデルのプラチナケースバージョンが、初のヴァンドーム スペシャル エディションとして60本限定で発表されたのです。

 この買収により、パネライの歴史は現代へと発展しました。サン・ジョヴァンニ広場の歴史あるブティックを再開し、ヌーシャテルにパネライ マニュファクチュールを建設し、スイスの高級時計製造と革新的な技術がイタリアの魂に融合しました。100年以上もの間、様々な用途でパフォーマンスを発揮するために開発された革新的な機器は、進化する技術的ニーズ、パネライの研究による未来へのプロジェクト、戦略的パートナーシップ、サステナビリティに対応し、そして現代のヒーローに力を与えます。

 これらのイニシアチブには、IOC-UNESCOとのパートナーシップも含まれています。海洋リテラシーの推進によってパネライは、より多くの持続可能で公平な社会の実現が目指しています。

PANERAI(パネライ) 2023新作 パネライが原点に立ち返り、ラジオミール プロトタイプの誕生日を祝福。パネライ「ラジオミール オフィチーネ」
ルーツに忠実にリスタイルされた限定モデル

 2023年の新作としてパネライが、今まで以上にラジオミールのルーツや美しさを研究して再構築した限定モデル「ラジオミール オフィチーネ」を発表しました。ラジオミール オフィチーネ(PAM01385)は、ラジオミールのプロトタイプが誕生した1935年当時の象徴的な要素に敬意を表しています。そして現代の技術的専門知識を組み込んで、時計愛好家を魅了する普遍的な逸品を完成させました。

 伝統的かつ象徴的な円錐形のリュウズとワイヤーラグを備えたポリッシュ仕上げのスティール製45mmケースには、新しい要素であるマットブラウンのホローダイヤルがセットされています。アラビア数字とバーインデックスはベージュのスーパールミノバ®で、暗闇ではグリーンに光ります。時針は1930年代のモデルと同様に2つのブロックに分かれています。この無駄を削ぎ落したシンプルな文字盤には「RADIOMIR PANERAI」の刻印のみが施されています。マットブラウンのモノトーンを強調するために、レザーストラップはブラウンのスエードが採用されました。ラジオミール オフィチーネ(PAM01385)は、3日間のパワーリザーブを備えた手巻きキャリバーP.6000を搭載しています。防水機能は最大10気圧(水深約100m)です。

 ストラップは、別売りの豊富なカラーバリエーションのパネライ ストラップコレクションから交換が可能です。

 プロトタイプがイタリア海軍に納品された際の、1935年10月24日の日付入り受領書を、初代ラジオミール誕生を証明する文書としてパネライは保管しています。この受領書にインスパイアされたラジオミール オフィチーネは、メゾンのマイルストーンを記念して、2023年10月24日から限定300本がPanerai.comのオンラインブティックで発売中です。

Radiomir Officine
ラジオミール オフィチーネ
Ref:PAM01385
ケース径:42.0mm
ケース厚:10.7mm
ケース素材:AISI316Lポリッシュスティール
防水性:10気圧(100m)
ストラップ:ベージュステッチ入りダークブラウンのカーフスエード、ポリッシュスティールの台形ピンバックル
ムーブメント:手巻き、Cal.P.6000(パネライ自社製)、毎時21,600振動、3日間(72時間)パワーリザーブ、19石
パネライコピー 代引き仕様:時・分・秒(スモールセコンド)表示、ポリッシュスティール製ベゼル、スティールケースバック、コランダムサファイアクリスタル風防、ブラウンダイヤルに夜光アラビア数字とアワーマーカー
限定:オンラインブティック Panerai.com限定
価格:721,600円(税込)

エドックスが創業140周年を記念し「スポーツマン クロノグラフ」の復刻版を発売。

EDOX(エドックス)が、創業140周年を記念し、「クロノラリー スポーツマン クロノグラフ」を、7月18日(木)に全国の正規販売店およびエドックス オンラインストアで発売します。

■エドックスと「BMW M モータースポーツ」

エドックスは、世界ラリー選手権(2009年)、ダカール・ラリー(2012年)、FIA 世界ラリークロス選手権(2019年)といった最高峰の競技大会で公式計時を担当し、「ザウバーF1 チーム」のプレミアムパートナーに就任(2016年)するなど、モータースポーツとの関わりを大切にしてきました。2021年には、「BMW M モータースポーツ」とのスポンサーシップを締結し、発売した記念モデルが大きな話題を呼びました。この度、エドックスは創業140周年を記念し、「BMW M モータースポーツ」と共同で開発した新たな限定タイムピースを発表しました。

スーパーコピー 代引き

■特徴

◆ネオ・ヴィンテージウォッチ

1972年に発売された「スポーツマン クロノグラフ」(手巻き、直径37mm)に着想を得て開発。

1970年代に流行したレトロフューチャーデザインのトノー型ケースやドーム型風防、非円形のバイコンパックスはベースモデルを踏襲しつつ、約62時間のパワーリザーブを備える新型の自動巻きムーブメント(Cal.EDOX082)を、現代的な直径41mmのケースに収めています。ダイバーズウォッチの先駆者として培ってきた技術を発揮し、ベースモデルの4気圧/40m防水から30気圧/300m防水へスペックアップされました。

◆「BMW M モータースポーツ」の世界観

3時位置の30分積算計を、ロレックスコピー代金引換優良サイト「BMW M モータースポーツ」のシンボルカラーでデザイン。ブルーは「BMW」、レッドはモータースポーツ、そしてパープルはその融合を表しています。

モータースポーツのドライバーがレースシーンで着用することを想定し、視認性の高いダイアルにストップウォッチ機能であるクロノグラフ、フランジに平均時速を測定できるタキメーターが搭載されています。レースの激しさを意味するレッドのクロノグラフ秒針により、ひと目で経過時間を読み取ることが可能です。レーシンググローブを着用したままでも操作しやすいよう、プッシュボタンは大きめに設計されています。穴から熱を逃がし通気性を高めるパンチング仕様のブラウンレザーストラップも付属します。

EDOX(エドックス) 2024新作 「BMW M モータースポーツ」の世界観を投影したレーシング仕様のネオ・ヴィンテージウォッチ。エドックスが創業140周年を記念し「スポーツマン クロノグラフ」の復刻版を発売

◆316L ステンレススティール

医療用器具にも採用される、錆びにくく肌に優しい316Lステンレススティールをケースとメッシュブレス レットに使用。ケースの正面は放射状に筋目を入れたヘアライン、側面は鏡のような光沢が出るように磨き上げたポリッシュと、2種類の仕上げを使い分けることでより立体的な印象に。メッシュブレスレットは、通常のブレスレットよりも軽量かつ通気性に優れ、長さの微調整が容易なため、快適な装着感をもたらします。

◆カラーリング・限定仕様

ダイアルカラーは、サーキットの青空を思わせる鮮やかなレーシングブルーと、過ぎ去った時代への懐かしさを感じさせるヴィンテージグレーの2バリエーション。

裏蓋はムーブメントを鑑賞できるシースルー仕様で、ローターに創業140周年の記念ロゴが配されています。

スーパーコピー 代引き
CHRONORALLY SPORTSMAN CHRONOGRAPH
クロノラリー スポーツマン クロノグラフ
Ref:08202-3BU-BUIN
ケース径:41.0mm
ケース厚:16.8mm
ケース素材:316Lステンレススティール
防水性:30気圧(300m)
ストラップ:316Lステンレススティール製メッシュブレスレット、316Lステンレススティール製片開きDバックル、レーシング仕様のブラウンレザーストラップが付属
ムーブメント:自動巻き、Cal.EDOX82、約62時間パワーリザーブ、毎時28,800振動、27石
仕様:時・分・秒(スモールセコンド)表示、クロノグラフ、30分積算計、タキメーター、ねじ込み式リューズ、レーシングブルー文字盤、時針・分針・インデックスにスーパールミノバを塗布、シースルーバック
限定:世界限定600本
価格:715,000円(税込)

コルム「アドミラル 32 オートマティック」

2024年の新作として、CORUM(コルム)が「アドミラル 32 オートマティック」を、2024年7月3日(水)に発売しました。

スーパーコピー 代引き

■特徴

◆華やかなスポーティーモデル

薄型ケースと一体設計された5連ブレスレットは頑強なステンレススティール製で、ヘアラインとポリッシュの2種類の仕上げを使い分けることで生まれるコントラストが立体感を与えています。ヨットのナットを模した12角形のベゼルはエッジの効いた3面構造になっており、巧みな造形美を愉しむことができます。ベゼル上に、52石のダイヤモンドがセットされています。

CORUM(コルムコピー n級品が届く) 2024新作 ミニマルな2針ダイアルにダイヤモンドが花を添えるレディースモデル2型。コルム「アドミラル 32 オートマティック」
◆ダイアル

個体ごとに異なる模様を持つ天然素材のマザー・オブ・パールを採用したダイアルと、ヨットの帆をイメージしたコルム独自のエンボス加工を施した淡く優しいベビーブルーダイアルの2バリエーション。インデックスには、12時位置にブランドエンブレム、1~11時位置にダイヤモンドが配されています。

スーパーコピー 代引き
Admiral 32 Automatic
アドミラル 32 オートマティック
Ref:A400/04473
ケース径:32.0mm
ケース厚:8.9mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:5気圧(50m)
ストラップ:ステンレススティール、ステンレススティール製両開きDバックル
ムーブメント:自動巻き、Cal.CO 400、約40時間パワーリザーブ、毎時28,800振動、18石
仕様:時・分表示、マザー・オブ・パールダイアル、ステンレススティール製ベゼルに52石のダイヤモンド、インデックスにブランドエンブレム(12時位置)と11石のダイヤモンド(1~11時位置)、時針・分針にホワイトスーパールミノバを塗布、シースルーバック
価格:1,540,000円(税込)

スーパーコピー 代引き
Admiral 32 Automatic
アドミラル 32 オートマティック
Ref:A400/04474
ケース径:32.0mm
ケース厚:8.9mm
ケース素材:ステンレススティール
防水性:5気圧(50m)
ストラップ:ステンレススティール、ステンレススティール製両開きDバックル
ムーブメント:自動巻き、Cal.CO 400、約40時間パワーリザーブ、毎時28,800振動、18石
仕様:時・分表示、ベビーブルーダイアル、ステンレススティール製ベゼルに52石のダイヤモンド、インデックスにブランドエンブレム(12時位置)と11石のダイヤモンド(1~11時位置)、時針・分針にホワイトスーパールミノバを塗布、シースルーバック
価格:1,540,000円(税込)

グラスヒュッテ・オリジナルから「セレナーデ・ルナ」が華麗に登場~小径の32.5mmを異なる個性の 4バージョンで展開

セレナーデ・ルナが華々しく登場~現代の女性に捧げられる新しい時計、自社製機械式ムーブメント

グラスヒュッテ・オリジナルが贈る新たな輝き。グラスヒュッテ・オリジナルは、小型でありながら優れた性能と洗練されたデザインを併せ持つ、フェミニンなタイムピースの新しい製品ラインを生み出しました。この目的を実現するため、機械式時計であるセレナーデ・ルナでは、ムーンフェイズ表示を備えた自社製自動巻きムーブメントに特別な設計が施されています。洗練された現代的な開発の秘密を、グラスヒュッテ・オリジナルが密かにお伝えします。

スーパーコピー 代引き

新たな次元
ムーブメント セレナーデ・ルナの内部で時を刻むキャリバー 35は、直径 32.5 mm のスリムなケースに合わせて特別に開発された自動巻きムーブメントです。これにより、グラスヒュッテ・オリジナルは自身の芸術性の新たな次元を提示します。このムーブメントは、同ブランドが自社製キャリバーに求める精度と日常的な使いやすさに関する厳しい要件を満たす必要もありました。手作業で作られ、完璧な仕上げにより美しさがいっそう際立つムーブメントは、あらゆる側面、あらゆる観点からも賞賛に値します。グラスヒュッテ・オリジナルのエンジニア、デザイナー、時計職人は、小さいサイズながら実に見事な作品を作り上げました。

洗練されたムーンフェイズ ムーンフェイズは、時計製造技術において最も美しい複雑機構のひとつです。グラスヒュッテ・オリジナルは、長年にわたり芸術的な物作りに専心し、刺激的な新しいバージョンを発表し続けてきました。今回のセレナーデ・ルナでは、伝統的なムーンフェイズディスプレーに新鮮な表情がもたらされ、6 時位置の丸い文字盤のカットアウトに、華麗なマザーオブパールの月が主役として輝いています。ディスプレーは、文字盤と一体化した繊細な星空に縁取られ、輝きを放つスリムなリングによって強調されています。

ムーンフェイズディスプレーの構造もグラスヒュッテ・オリジナルではこれまで見られなかったもので、文字盤の表示窓の下で回転するフラットなディスクがキャリバーのほぼ全体を覆っています。エンジニアは、ムーブメントが厚くならないように、特にスペースを節約しながら部品を組み込むことに成功しました。ディスクはマザーオブパールの薄い層で覆われ、その上に 4 つのサークルが一定の間隔で配置され、夜空を表しています。

バリエーションに応じて、その輪郭は、暗色にきらめくタヒチ産マザーオブパールのインレイ、または下側にダークブルーのラッカーを慎重に塗布することによって作成されます。上部にプリントされた繊細な星々が天空を照らします。

精密な歯車装置により、セレナーデ・ルナのムーンフェイズは 122 年間にわずか 1 日分だけしか調整する必要がありません。調整はリューズを介して、きわめて簡単に行うことができます。

ボールベアリング フリーホイールが輪列からリューズへの動力の流れを切り離すことにより、時計が動作を続けている間にムーンフェイズの回転を一方向に調整する(トルクを一方向にのみ伝達する)ことが可能となっています。


妥協のない現代的なメカニズム
キャリバー 35 の開発においては日常的な使いやすさと操作性が最も重視されました。一体型ムーンフェイズを備えた自動巻きムーブメントの直径は 26 mm、厚さはわずか 3.8 mm です。


このような小さな機械式キャリバーの製造にはきわめて低い公差が要求されるため、エンジニアや時計職人にとっては新たな課題となりました。とはいえ、60 時間のパワーリザーブを実現するために、香箱にはかなりのスペースが割り当てられました。時計の振動システムは小型サイズ用に設計が見直され、テン輪に4本の調整ネジが取り付けられています。磁場や温度変化に強いシリコン製ヒゲゼンマイが採用されており、振動数は 4Hzです。最高の精度と信頼性を確保するために、ムーブメントは 5 つの姿勢で調整されています。


優美な芸術作品
透明なケースバックからは、ゴールドのローターがムーブメントの上を振幅する様子を堪能することができます。振動錘とロータープレートは、いずれもグラスヒュッテ・オリジナル初のソリッドゴールド製となっています。貴金属は密度が高いため、より大きな慣性が要求されるローターの素材に最適です。ローターの表面には貝殻模様の細かいギョーシェ装飾、振動錘の軌道には洗練されたペルラージュ仕上げが施されています。ローターの下側には、名高い 3/4 プレート、ストライプ仕上げの輪列受け、サンバースト仕上げの減速ギアなど、美しい仕上げを施したムーブメントのほか、グラスヒュッテならではの数々の芸術的な特徴が収められています。


あらゆる場面にふさわしい高級時計
多様性あふれる現代的な女性像を象徴するセレナーデ・ルナらしく、登場にあたっては 4 つの異なるバージョンが用意されました。すべてのモデルに採用されたのは、直径 32.5 mm のラウンド ケースとサファイアクリスタル製のケースバック。

輝くダイアモンドがアワーマーカーを強調し、秒針は無限の記号を象ったカウンターウェイトを備え、レディ・セレナーデ コレクションの様式的なエレメントを控えめに反映しています。文字盤中央の丸く縁どられ精妙にエングレーヴィング加工を施されたくぼみにより、多層構造が実現しています。

それぞれのバージョンは、カラーと個性の点で大きく異なります。2 種類のステンレススティール製モデルの文字盤はホワイト マザーオブパールで、ベゼルのダイアモンドセッティングの有無が選べます。

ブルーのルイジアナ産アリゲーターレザーストラップまたはフォールディングクラスプ付きメタルブレスとの組み合わせとなっています。

繊細なサンレイ仕上げを施したブルーの文字盤を備えたもうひとつのステンレススティール製モデルにも、同じストラップが用意されています。

レッドゴールド バージョンでは、光沢のあるサンレイ仕上げの緑がかったゴールドの文字盤と、48 個のダイアモンドが輝くベゼルが、他のバージョンとは一味違う独自の外観をもたらしています。

このバージョンには、文字盤と同色のルイジアナ産アリゲーターレザーストラップが組み合わされます。

いずれのレザーストラップにもクイックチェンジ機構が備わっています。セレナーデ・ルナのリューズは完全に設計が見直されており、ダイアモンドセッティング仕様のベゼルを備えたバージョンでは、その優雅な花のシェイプがローズカットのダイアモンドで装飾され、一方、スムースなベゼルを備えたバージョンでは、リューズの上部にカボションカットのムーンストーンが飾られています。

フェミニンな魅力を備えた新しい機械式時計の誕生
新しいセレナーデ・ルナは、現代的な女性像を称賛し、最も厳しい技術要件を反映しています。伝統的なザクセン州のマニュファクチュール、グラスヒュッテ・オリジナルは、このラインによって新しいフェミニンな一面を示しつつ、自身の持つ紛れもない特徴を大切にし続けています。

新しいセレナーデ・ルナは、2024年3月より、ロレックス スーパーコピー世界中のグラスヒュッテ・オリジナルのブティックおよび販売店で販売されます。

【仕様】
セレナーデ・ルナ

1-35-14-03-02-04(レザーストラップ)
税込価格:1.496.000円

1-35-14-03-02-14(ステンレススティールブレス)
税込価格:1.661.000円

ムーブメント: キャリバー 35-14、精巧に仕上げられた自動巻きムーブメント
機能: 時、分、秒、ムーンフェイズ
石数: 32
振動数: 28,800 振動/時(4 Hz)
作動時間: 60 時間
ヒゲゼンマイ: シリコン
耐衝撃性: 耐衝撃性を備えた振動システム
ケース: ステンレススティール、サファイアクリスタル製ケースバック
防水性: 3 気圧
リューズ: カボションカットのムーンストーン
サイズ: 直径:32.5 mm、厚さ:8.9 mm
文字盤: サンレイ仕上げを施した光沢のあるブルー
・計20個のブリリアントカットダイアモンドをセッティングしたホワイトゴールド製アップリケのインデックス
・ホワイトマザーオブパールのムーンフェイズ
針: 時/分:ホワイトゴールド、秒:ロジウムメッキ
ストラップ: ブルーのルイジアナ産アリゲーターレザーストラップまたはステンレススティールブレス
・ステンレススティール製フォールディングクラスプ付き

1-35-14-05-15-04(レザーストラップ)
税込価格:3.289.000円

ムーブメント: キャリバー 35-14、精巧に仕上げられた自動巻きムーブメント
機能: 時、分、秒、ムーンフェイズ
石数: 32
振動数: 28,800 振動/時(4 Hz)
作動時間: 60 時間
ヒゲゼンマイ: シリコン
耐衝撃性: 耐衝撃性を備えた振動システム
ケース: レッドゴールド
・合計 48 個のダイアモンドをセッティングしたベゼル サファイアクリスタル製ケースバック
防水性: 3 気圧
リューズ: ローズカットのダイアモンド
サイズ: 直径:32.5 mm、厚さ:8.9 mm
文字盤: サンレイ仕上げを施した緑がかったゴールドカラー
・計20個のブリリアントカットダイアモンドをセッティングしたレッドゴールド製アップリケのインデックス
・ホワイトマザーオブパールとタヒチ産マザーオブパールのムーンフェイズ
針: 時/分:レッドゴールド、秒:金メッキ
ストラップ: グリーンのルイジアナ産アリゲーターレザー
・レッドゴールド製フォールディングクラスプ付き


1-35-14-02-12-04(レザーストラップ)
税込価格:2.046.000円

1-35-14-02-12-14(ステンレススティールブレス)
税込価格:2.211.000円

ムーブメント: キャリバー 35-14、精巧に仕上げられた自動巻きムーブメント
機能: 時、分、秒、ムーンフェイズ
石数: 32
振動数: 28,800 振動/時(4 Hz)
作動時間: 60 時間
ヒゲゼンマイ: シリコン
耐衝撃性: 耐衝撃性を備えた振動システム
ケース: ステンレススティール
・計48個のダイアモンドをセッティングしたベゼル サファイアクリスタル製ケースバック
防水性: 3 気圧
リューズ: ローズカットのダイアモンド
サイズ: 直径:32.5 mm、厚さ:8.9 mm
文字盤: きらめくホワイトのマザーオブパール
・計20個のブリリアントカットダイアモンドをセッティングしたホワイトゴールド製アップリケのインデックス
・ホワイトマザーオブパールのムーンフェイズ
針: 時/分:ホワイトゴールド、秒:ロジウムメッキ
ストラップ: ブルーのルイジアナ産アリゲーターレザーストラップまたはステンレススティールブレス
・ステンレススティール製フォールディングクラスプ付き

1-35-14-02-02-04(レザーストラップ)
税込価格:1.573.000円

1-35-14-02-02-14(ステンレススティールブレス)
税込価格:1.738.000円

ムーブメント: キャリバー 35-14、精巧に仕上げられた自動巻きムーブメント
機能: 時、分、秒、ムーンフェイズ
石数: 32
振動数: 28,800 振動/時(4 Hz)
作動時間: 60 時間
ヒゲゼンマイ: シリコン
耐衝撃性: 耐衝撃性を備えた振動システム
ケース: ステンレススティール、サファイアクリスタル製ケースバック
防水性: 3 気圧
リューズ: カボションカットのムーンストーン
サイズ: 直径:32.5 mm、厚さ:8.9 mm
文字盤: きらめくホワイトのマザーオブパール
・計20個のブリリアントカットダイアモンドをセッティングしたホワイトゴールド製アップリケのインデックス
・ホワイトマザーオブパールのムーンフェイズ
針: 時/分:ホワイトゴールド、秒:ロジウムメッキ
ストラップ: ブルーのルイジアナ産アリゲーターレザーストラップまたはステンレススティールブレス
・ステンレススティール製フォールディングクラスプ付き


Proud to be the Original #PTBTO

【お問い合わせ】
スウォッチグループジャパン株式会社 グラスヒュッテ・オリジナル事業本部
Tel.:03-6254-7160(代表)


[グラスヒュッテ・オリジナル]
真のマニュファクトリーによる時計製作の価値を受け継ぐグラスヒュッテ・オリジナルの歴史は、1845 年から一度も途絶えることなく続いています。ドイツ ザクセン州の町、グラスヒュッテにあるグラスヒュッテ・オリジナルのマニュファクトリーでは、伝統的な職人の技能と革新的なテクノロジーを見事に融合させています。豊かな伝統を持つこのブランドは、ムーブメントの全部品の最大 95% と精巧な文字盤を自社で製造しており、最高水準のドイツの時計製造技術を誇ります。

カルティエ「タンク フランセーズ」~日本限定モデルが3月15日に発売

カルティエ、「タンク フランセーズ」の日本限定モデルを2024年3月15日(金)に発売。

「タンク フランセーズ」は、オリジナルモデルが誕生した1996年以来「タンク」が持つタイムレスな魅力とフレンチスタイルを受け継いできました。
そのアイコニックなコレクションが、昨年1月に大胆なリニューアルを遂げ、より現代的な力強さを備えて 新たな定番へと生まれ変わりました。そして、日本に最初のブティックを開いてから50年目の節目を迎える今年2024年、日本限定モデルを発表します。

スーパーコピー 代引き

まるで1枚のエンボス紙のように見えるミニマルでモノクロームなデザインが特徴的なダイアルは、 日本芸術の伝統の中にある“簡素を尊ぶ”文化から着想を得てデザインされました。
シルバーのインデックスは、ダイアルのフォルムに沿って溶け込むように配され、光の加減で表情を変えます。

またリューズにはムーンストーン、針にはロジウム加工されたシルバーカラー、そしてダイアルはオパラインカラーと、すべて柔らかなグレートーンで色味が統一され、時計全体がピュアで洗練されたデザインに仕上がっています。


【仕様】
タンク フランセーズ

サイズ:32×27mm
素材:ステンレススティール
ムーブメント:クォーツ
防水性:日常生活防水
[その他仕様]
リューズにムーンストーンカボション
日本限定

価格:¥726,000(税込)
発売予定:3月15日(金)

【お問い合わせ】
カルティエ カスタマー サービスセンター 
0120-1847-00


[カルティエ]
カルティエコピーは、世界有数のラグジュアリーメゾンとして、開かれた精神と好奇心を常に持ち、独創的なクリエイションを通じて、あらゆるものの中に潜む美を見出し続けてきました。ジュエリーやファインジュエリー、ウォッチメイキングからフレグランス、レザーグッズやアクセサリーに至るまで、多岐にわたるカルティエのクリエイションには、卓越した職人の技と時代を超越するシグネチャーが融合しています。リシュモングループの一員であるカルティエは、旗艦店をはじめとするブティックや正規代理店、オンラインブティックを国内外で展開しています。

オメガから各モデルに異なるユニークなストラップを採用した「ミニ トレゾア」が登場~恋する 全10モデル

2024年新作オメガ「ミニ トレゾア」待望の新作に恋をする

この度、オメガは、レディースコレクションの中でも高い人気を誇る「ミニ トレゾア」コレク ションから新作を発表します。魅力的なカラーと贅沢な素材の組み合わせでつくられた10モデルは、新しい「ミニ トレゾア」の印象を纏い、手元を演出します。

スーパーコピー 代引き

新作の最も注目すべき特徴は、各モデルに異なるユニークなストラップを採用していることです。それぞれの魅力を引き出すパターンやデザインが組み合わされ、オリジナリティあふれる雰囲気を放ちます。

“ミニ”の名の通り、26mmのコンパクトなサイズは、手首を華奢に演出し、ケースサイドに流れるようにセットされたダイヤモンドとスリムなローマ数字が、洗練された雰囲気を醸します。

すべてのモデルには、お馴染みであるミラー仕上げのケースバックにフラワーパターンがあしらわれ、3時位置のリュウズには赤いオメガ フラワーに1粒のダイヤモンドが煌めきます。

さらに、オメガのファインジュエリー ブレスレットとのコーディネートもお楽しみいただけます。

オメガ時計スーパーコピー 代引きの素材やカラー、デザインとマッチするフラワーデザインやスターモチーフのバングルは、 「ミニ トレゾア」の魅力を引き立てる究極のアイテムとして、美しい手元を完成させます。


【概要】
ミニトレゾア
スペック(共通)
ケース径:26mm
ムーブメント:Cal.4061(クォーツ)
防水性:30m防水


◆18Kムーンシャイン™ゴールド ケース製


428.57.26.60.99.001
ブラックサテン ストラップ
ムーンシャインゴールド
¥1,463,000


428.58.26.60.04.003
レッド ラッカー アリゲーター ダブルストラップ
ムーンシャインゴールド
¥1,375,000

428.57.26.60.04.004
ブラウン ノボナッパ レザーストラップ
ムーンシャインゴールド
¥1,353,000

428.57.26.60.04.005
ブラウン ノボナッパ レザー ダブルストラップ
ムーンシャインゴールド
¥1,375,000


シルク模様を施したムーンシャイン™ゴールド製ダイアルには、ブラックのサテンストラップを合わせ、エレガントでシックな印象を放ち、手元を一気に昇華させます。
オフホワイトのグラン・ フー エナメルにレッドのローマ数字がアクセントになったダイアルには、レッドラッカー仕上げのアリゲーター ダブルストラップがマッチし、ドラマティックな雰囲気を演出します。

同じく グラン・フー エナメル ダイアルに、ブラウンのノボナッパレザーを合わせたモデルは、シングルとダブルストラップのバリエーションが登場。

ムーンシャインゴールドと大胆なローマ数字、そして ブラウンの上品な組み合わせは、幅広いファッションスタイルにもマッチします。


◆ステンレススティール製ケース


いずれもオフホワイトのグラン・フーエナメル ダイアルを採用した、ステンレススティール製の中でも、 ひと際印象的なのが、ダイヤモンドパターンのキルティング模様を施したブラックラッカー仕上げのカーフの ダブルストラップ モデル。シックな光沢感はスタイリッシュで存在感を放ち、スタイリングのマストアイテムになること間違いありません。

また、上品なシマ―グレーのストラップと、洗練された印象のブラウンのノボ ナッパ レザーのモデルは、どちらもシングルとダブルストラップからお選びいただけます。

「オメガショップ プリベ石川 松山」が3月10日(日)に グランドオープン~愛媛県内で唯一のオメガ正規販売店

「オメガショップ プリベ石川 松山」3月10日 (日) グランドオープン

2024年3月10日(日)、愛媛県内で唯一のオメガ正規販売店である「オメガショップ プリベ石川 松山」がグランドオープンしました。

スーパーコピー 代引き

プリベ石川の新店舗1階に位置する同店は、最新のデザインコンセプトと最高級の素材を用いたモダンで華やかな空間に生まれ変わりました。エントランスには、大きなビジュアルとオメガを代表するアイコニックなタイムピースをディスプレイするシグニチャーウィンドウを両側に、ゴールドにきらめくスタイリッシュなシャンデリアをセンターに配し、訪れたお客様をラグジュアリーなオメガの世界に一気に引き込みます。

ホワイトとレッド、ナチュラルなゼブラウッドに彩られたゆったりした店内には、壁面にディスプレイされた時計に並んで、ブランドやコレクションを象徴する写真や小物を飾り、モニターに映し出された美しい動画とともに見る人の目を楽しませ、ブランドのヘリテージを語りかけます。さらに新たに着席型のショーケース2台を設置し、豊富な品揃えの中からゆっくりと時計を選んでいただけるようになりました。

【ショップデータ】
店名:オメガコピー 代引きショップ プリベ石川 松山

オープン日:2024年3月10日(日)
住所:〒790-0011 愛媛県松山市千舟町5-7-1
電話:089-932-8803
取扱商品:ウォッチ
営業時間:11:00~19:00
定休日:水曜日


【お問合わせ】
オメガ TEL:0570-000087

オーデマピゲが 37mmイエローゴールドの「ロイヤル オーク フロステッドゴールド」を発表

オーデマピゲが 37mmイエローゴールドの「ロイヤル オーク フロステッドゴールド」を発表

オーデマ ピゲは、「ロイヤル オーク フロステッドゴールド」の37mmの18Kイエローゴールドの新バージョンを発表します。フロステッドゴールドの鍛金仕上げのケースとブレスレットの上品な輝きが、サンバースト模様のスモーク イエローゴールドダイヤルをさらに引き立て、ウォッチにコントラストと深みを与えます。細めの手首に最適なこのタイムピースはキャリバー5900を搭載し、エレガントさと優れた性能を兼ね備えたモデルです。

スーパーコピー 代引き

この37mm「ロイヤル オーク フロステッドゴールド」の新モデルは、スモーク イエローダイヤルにサンバースト模様を施し、ケース&ブレスレットとのコントラストに深みを与えています。©オーデマピゲ提供

フロステッドゴールドを施したオールイエローゴールドのモデル
新しい37mm「ロイヤル オーク フロステッドゴールド」はケースとブレスレットがすべて18Kイエローゴールドのモデルで全体に施した“フロステッドゴールド”の鍛金仕上げが上品なきらめき効果を与えています。この“フロステッドゴールド”という装飾はフィレンツェに伝わる伝統的なジュエリーの技法です。
ジュエリーデザイナーのキャロリーナ・ブッチが再解釈したこの精緻な仕上げは、2016年からロイヤル オーク コレクションに採用されています。ゴールドの表面にダイヤモンドチップツールがついた治具でごく小さな無数の凹凸をつけることで、繊細なきらめきが生まれます。

この“フロステッドゴールド”の輝きとポリッシュの面取り、サテン仕上げを組み合わせたケースとブレスレットは光を捉え、イエローゴールドの煌めきをさらに高めます。時計愛好家に好まれるイエローゴールドは、1977年にロイヤルオークに初登場しました。

2000年代になってピンクゴールドの人気が次第に高まると共にイエローゴールドは少なくなりましたが、2018年に再登場して以降、改めて注目されている素材です。


多彩なコントラストの文字盤
オーデマピゲコピー 代引きイエローゴールドのケースに合わせたスモーク イエローゴールドカラーのダイヤルが、タイムピースの輝きをさらに引き立てます。ガルバニック加工したダイヤルは、暖かな色あいをサンバースト模様にすることでさらに深みを増しています。

ダイヤルのカラーリングの後、ブラックのスプレーで塗布したスモーク効果により、ケースのイエローゴールドと大胆なコントラストを生み出します。スプレーはペンに似たツールを使い手作業で行います。
正確で繊細な仕上がりを得るには熟練技術と器用さが必要す。スモークのグラデーションはダイヤルの周辺部から中央に向かってスプレーし、それからまた逆に戻ります。周辺部がダークで中央に向かい次第に淡くなり、全く境目がありません。

ファセットをつけたイエローゴールドのアワーマーカーとロイヤルオーク針には暗い場所でも読みやすいよう、蓄光処理が施され、スモークゴールドダイヤルにも表示がよく浮き上がります。秒目盛はダイヤルの外周部に、“Swiss Made”の表示は6時位置にホワイトで印刷され、スモークイエローダイヤルのダークな部分とのはっきりとしたコントラストとなっています。
3時位置のデイトはゴールドの背景にブラックで浮き上がり、ダイヤルの中で存在感を放ちます。さらに12時位置の24Kゴールド“Audemars Piguet”ロゴは、ガルバニック加工で生成し、ブラックロジウム メッキで仕上げています。

「太陽の光のような希少なイエローゴールドに鍛金仕上げの装飾を組み合わせることで、魅惑的なきらめきと光の演出が生まれます。このスモーキーなゴールドカラーダイヤルはサンバースト模様。さらに多くのニュアンスと深みがもたらされ豊かなコントラストが生まれます」
ソフィア・カンディアス(プロダクトディレクター)


洗練された高性能のムーブメント
「ロイヤル オーク フロステッドゴールド」にはキャリバー5900を搭載。キャリバー5900は、時・分・秒・デイトを表示するマニュファクチュール最新の自動巻きキャリバーで、2022年に「ロイヤルオーク」の37mmモデルに搭載されました。

このムーブメントは、薄さ3.9mm、4Hzの高振動数、約60時間のパワーリザーブを兼ね備えています。
サファイアケースバックからは、22Kピンクゴールド製ローターと、ポリッシュ仕上げのアングル、ヘアライン仕上げ、コート・ド・ジュネーブ仕上げ、サーキュラーグレイン、サンレイ仕上げ、面取りなどの洗練された装飾を鑑賞することができます。

“Seek Beyond.”
⟪時計の先へ。想像の先へ。⟫

サンバースト模様のダイヤルはフロステッドゴールドの鍛金仕上げのケースとブレスレットと調和し、光を捉えて美しく輝きます。

【仕様】
ロイヤル オーク フロステッドゴールド オートマティック
/37ミリ
15550BA.GG.1356BA.01

機能:時、分、センターセコンド、デイト
ケース:鍛金加工による18Kイエロゴールドケース
・ケース径:37ミリ
・反射防止加工のサファイアクリスタル
・サファイアケースバック
・5気圧防水
・ケース厚:9.1ミリ
ダイヤル:スモーク イエロゴールドカラーのサンバースト模様のダイヤル
・蓄光処理を施したイエローゴールドのアプライドアワーマーカーとロイヤル オーク針
ブレスレット:鍛金加工による18Kイエロゴールドブレスレット
・APフォールディングバックル。
ムーブメント:キャリバー5900(自動巻き)
・外径:26.2ミリ(11½ リーニュ)
厚さ:3.9ミリ
部品数:188
石数:29
パワーリザーブ:約60時間
振動数:4 Hz (28,800振動/時)

予価:¥8,800,000
発売時期:6月予定 


※オーデマ ピゲが発表した「2024上半期新作・第一弾」の全貌に関しては、コチラをご覧ください。
https://watch-media-online.com/blogs/8175/

【お問い合わせ】
オーデマ ピゲ ジャパン
03-6830-0000


[オーデマ ピゲ]
オーデマピゲは、今なお創業者一族(オーデマ家、ピゲ家)によって経営される最も歴史あるラグジュアリーウォッチブランドです。1875年以来ル・ブラッシュを拠点に、型破りなトレンドを生み出そうと新たなスキルや技術の開発、そして職人技の向上を続ける才能ある職人たちを、何世代にもわたり育んできました。スイス・ジュラ山脈に抱かれたジュウ渓谷で、マニュファクチュールが受け継いできた職人技と先進的なスピリットが込められた、デザインや技術の粋を極めた数々の厳選されたマスターピースが制作されています。実現可能な境界を押し進め、創造的な世界の間に橋を架けるオーデマピゲは常に新たな地平に向かって進み、その精神にインスパイアされたコミュニティを作り出してきました。Seek Beyond(時計の先へ。想像の先へ。)

スイス時計協会FHが 日本・スイス国交樹立160周年パネル展を開催~【「Imagine Switzerland」 - 時計がつなぐ日本とスイス】大阪・阪急うめだ本店にて3月13日より

日本・スイス国交樹立160周年【「Imagine Switzerland」 - 時計がつなぐ日本とスイス】パネル展開催~3月13-26日に大阪、阪急うめだ本店にて
スイス時計協会FH

スイス時計協会FH は、日本とスイス国交樹立160 周年を記念するパネル展、【「Imagine Switzerland」 - 時計がつなぐ日本とスイス】を、2024年3月13日(水)〜26 日(火)に大阪、阪急うめだ本店で開催いたします。

スーパーコピー 代引き

160年前に、日本とスイスの友好関係の基礎を築いたエメ・アンベール特命全権公使(当時のスイス時計製造業者連盟会長)とスイス使節団の足跡を辿るとともに、当時の日本の時計事情をパネルでご紹介します。また、パネル展に併せて、エメ・アンベールの功績のひとつである、“Le Japon Illustré”(邦題 『アンベール幕末日本図絵』 上・下巻、1870年出版)の原書が披露されます。さらに、パネルでご紹介している1800年代の商館時計を特別に展示いたします。


“Le Japon Illustré” 邦題『アンベール幕末日本図絵』上・下巻, フランス・パリ/アシェット出版社・1870年出版写真:©スイス時計協会FH


時計スーパーコピー 代引きファンのみならず歴史に興味のある方など、貴重なコレクションを見ることができるこの機会に「時計」を軸にして、160年前の日本とスイスの繋がりについて知るきっかけを持っていただきたいと思います。


【開催概要】
【「Imagine Switzerland」 - 時計がつなぐ日本とスイス】 パネル展
期間:2024年3月13 日(水)〜26 日(火)
時間:10時〜20時
会場:阪急うめだ本店 6階 ウォッチプロモーション
大阪府大阪市北区角田町8番7号
TEL:06-6361-1381(代表)
後援:在日スイス大使館/スイス政府観光局/スイス・ビジネス・ハブ貿易投資促進/在日スイス商工会議所/一般社団法人 日本時計輸入協会
協力:栄光ホールディングス株式会社 代表取締役会長 小谷年司氏(アンベール著書)、大川展功氏(商館時計)

【お問合せ】
スイス時計協会FH 東京センター
Tel:03-3221-9678
Fax:03-6272-9678
E-mail: info@fhs.jp
Website:www.watch.swiss

[スイス時計協会FH(Fédération de l'industrie horlogère suisse FH)]
スイス時計協会FH は、スイス時計業界の保護と発展を目的とした組織で、スイス・ビエンヌ(本部)、香港、東京に事業所を設置して運営しています。腕時計、置時計、時計部品の生産および販売に従事するスイス企業の9割以上、約500 社が加盟しており、会員の法的な利益を守るための活動を行っております。

『The CITIZEN』移ろいゆく自然の美しい一瞬を和紙文字板に閉じ込めた限定モデル「Iconic Nature Collection」を発表

『The CITIZEN』「Iconic Nature Collection」~移ろいゆく自然の美しい一瞬を和紙文字板に閉じ込めた限定モデル発売

シチズン時計株式会社は、時計の本質を追求し、卓越した精度を誇る高品質ウオッチ『The CITIZEN(以下、ザ・シチズン)』から、年差±5 秒の高精度光発電エコ・ドライブ[※1]ムーブメントを搭載し、移ろいゆく自然の景物の美しい一瞬を、土佐和紙を用いた文字板で表現した数量限定モデル「Iconic Nature Collection(アイコニック ネイチャー コレクション)」2モデル【希望小売価格 407,000 円、429,000 円(税抜価格370,000円、390,000 円)、世界限定各300 本】を2024 年4 月11 日に発売します。※価格、発売日は予定です。

スーパーコピー 代引き

『ザ・シチズン』 高精度年差±5 秒 エコ・ドライブ「Iconic Nature Collection」 世界限定各300 本
(左)AQ4100-22W 希望小売価格407,000 円(税抜価格370,000 円)
(右)AQ4106-00W 希望小売価格429,000 円(税抜価格390,000 円)

4 月発売の「Iconic Nature Collection」2モデルは、古くから詩歌や絵画のモチーフとなり、観賞の対象となってきた「花」と「鳥」をそれぞれにイメージしています。窓の向こう側にのぞく移ろいゆく自然の景物やその美しい一瞬を切り取りました。

どちらの文字板も光発電「エコ・ドライブ」ならではの、光を透過させながら自然の美しい世界を表現できる素材として、極薄で独特の風合いを持つ土佐の「典具帖紙」を採用。グラデーションや光が当たった際に繊細なパターンがさりげなく浮かび上がる仕様により、自然の景物が持つ繊細な姿を楽しむことができます。

AQ4100-22W は、仲夏(ちゅうか)の花が鮮やかに色づいていく瞬間を伝統の吉祥文様である「七宝繋ぎ(しっぽうつなぎ)」と「花七宝」をアレンジしたパターンで表現しています。

大人気のロレックス時計コピー Nランクまた、ケースに華やかなデュラテクト[※2] サクラピンクを施したAQ4106-00W は、『ザ・シチズン』のシンボルである鷲の中でも、ゴールデンイーグルと形容される「イヌワシ」が優雅に飛翔する様を描いています。

いずれのモデルも、年差±5 秒の高精度エコ・ドライブムーブメントを搭載し、ケースには軽量で耐傷性に優れたスーパーチタニウムTM[※3]、ストラップにはLWG(レザーワーキンググループ)[※4] 認証を受けたタンナー(製革業者)で生産されたワニ革を使用しています。

また、文字板、りゅうず、裏ぶたに配したイーグルマークは、「常に先を見据え、理想を追求する」「身に着ける方に永く寄り添う」という『ザ・シチズン』の2 つの意思を表しています。


≪特⻑≫
窓の向こう側にのぞく移ろいゆく美しい自然の景物を表現した土佐和紙文字板
古くから室内に光を取り込む障子などに用いられてきた和紙は、光発電エコ・ドライブの文字板に適した素材です。本モデルは、古くから詩歌や絵画のモチーフとなり、観賞の対象となってきた「花」と「鳥」を土佐和紙の「典具帖紙」を採用した繊細なテクスチャーとグラデーションで表現しています。AQ4100-22Wは、仲夏の花が鮮やかに色づいていく瞬間を伝統の吉祥文様である「七宝繋ぎ」と「花七宝」をアレンジしたパターンで表し、AQ4106-00W は、ゴールデンイーグルと形容される「イヌワシ」が優雅に飛翔する様をイメージしたパターンで描いています。

パーペチュアルカレンダー搭載の年差±5秒高精度ムーブメント
定期的な電池交換が不要の光発電エコ・ドライブで、年差±5 秒という高精度を誇るムーブメントを搭載しています。『ザ・シチズン』の日付つき年差精度のエコ・ドライブ時計は全て、2100 年2 月28 日までうるう年などの月末カレンダー修正が不要なパーぺチュアルカレンダーを搭載しているのが特⻑です。さらに、強い衝撃などによる針ズレから守るシチズン独自の衝撃検知機能や、たとえ針ズレが生じた場合でも自動修正する針自動補正機能、0 時ジャストカレンダー更新機能を備えています。

スーパーチタニウムTM のケース
シチズン独自のスーパーチタニウムTM は、「軽量(ステンレスより約40%軽い)」「硬い(ステンレスの約5倍の硬度)」「錆びにくい」「肌に優しい」という腕時計に最適な素材です。

LWG(レザーワーキンググループ)認証タンナー生産のワニ革
サステナブルな時計づくりの一環としてLWG(レザーワーキンググループ)認証を受けたタンナー(製革業者)で生産されたワニ革を使用しています。

『ザ・シチズン』のシンボル「イーグルマーク」
文字板やりゅうず、裏ぶたには『ザ・シチズン』のシンボルである「イーグルマーク」を配しています。1000m 先の獲物をも見つけられる卓越した視力を持つ鷲は、未来を見据えて行動する「先見性」の象徴であると同時に、古来、人とパートナーシップを築く生き物です。イーグルマークは、「常に先を見据え、理想を追求する」「身に着ける方に永く寄り添う」という『ザ・シチズン』の2 つの意思を表す証です。

きめ細やかなサービスを提供する「シチズン オーナーズクラブ」
『ザ・シチズン』では、ユーザーとのコミュニケーションを大切にしています。「シチズン オーナーズクラブ」に登録いただくことで、購入後のお客さまからのお問い合わせやご要望に対して、迅速かつ質の高いサービスを提供します。詳細は以下のURL をご覧ください。

・『ザ・シチズン』のホスピタリティ:
https://citizen.jp/the-citizen/special/philosophy/hospitality.html

・シチズンの会員制サービス:
https://citizen.jp/support-jp/afterservice/mycitizenowners.html

【仕様】
ザ・シチズン/高精度年差±5 秒 エコ・ドライブIconic Nature Collection
発売日 2024 年4 月11 日

AQ4100-22W
希望小売価格: 407,000 円(税抜価格370,000 円)

限定数量: 世界限定300 本
ケース/バンド:スーパーチタニウムTM(デュラテクトプラチナ)/ワニ革(LWG 認証)

AQ4106-00W
希望小売価格:429,000 円(税抜価格390,000 円)

限定数量: 世界限定300 本
ケース/バンド:スーパーチタニウムTM(デュラテクトサクラピンク)/ワニ革(LWG 認証)

[共通]
ガラス:デュアル球面サファイアガラス(クラリティ・コーティング※5)
文字板:土佐和紙文字板
ケース径/厚み: 径38.3mm/厚み12.2mm(設計値)

[主な機能]
Cal.A060 / 年差±5 秒 / 光発電エコ・ドライブ / フル充電時約1.5 年可動(パワーセーブ作動時)/ 日付早修正機能 / パーペチュアルカレンダー / 衝撃検知機能 / 針自動補正機能/ 0 時ジャストカレンダー更新機能 / 時差設定機能 / 充電量表示機能 / 充電警告機能 / 過充電防止機能
■10 気圧防水
■耐磁1 種
メーカー保証 1 年間メーカー保証(「シチズン オーナーズクラブ」登録により最⻑10 年間)


【お問い合わせ】
シチズンお客様時計相談室
フリーダイヤル 0120-78-4807
(受付時間 9:30〜17:30 祝日除く月〜⾦)

オーデマ ピゲが新素材サンドゴールドを初採用した「ロイヤル オーク フライング トゥールビヨン オープンワーク」を発表

オーデマ ピゲは初のサンドゴールドを採用したタイムピース 「ロイヤル オーク フライング トゥールビヨン オープンワーク」を発表

常に素材の研究を続けているスイスのオートオルロジュリーマニュファクチュール、オーデマ ピゲはサンドゴールド製の初のタイムピースを発表します。この新しい18Kゴールド(ホワイトゴールドとピンクゴールドの中間)の合金は光をデリケートに反射し、見るアングルや光線により、さまざまな表情が生まれる素材です。マニュファクチューはこの新しい貴金属を「ロイヤルオーク フライング トゥールビヨン オープンワーク」の41ミリのモデルに採用しました。ケースとブレスレットに合わせ、キャリバー2972のオープンワークブリッッジと地板もサンドゴールドカラーでまとめたほか、ウォッチの両面に多層構造が見事に展開されています。この新しいガルバニック色はムーブメントの内部のロジウムカラーの部品と繊細なコントラストを生み、独特の立体的な効果をもたらしています。こうして技術的な複雑性とコンテンポラリーデザインが見事に融合し、美しいハーモニーをもつモデル「ロイヤルオークフライングトゥールビヨンオープンワーク」が誕生しました。

スーパーコピー 代引き

この最新の「ロイヤルオーク フライング トゥールビヨン オープンワーク」はサンドゴールド製。光を捉えて繊細に輝やく新しい18Kゴールドの合金であるサンドゴールドとロジウムカラーのパーツを組み合わせた多層構造のオープンワーク ムーブメントを搭載しています。©オーデマ ピゲ提供


新しいゴールドの色調
オーデマピゲ時計コピー 代引きは41 mm径の「ロイヤルオークフライングトゥールビヨンオープンワーク」の素材として新しくサンドゴールドを採用しました。太陽に輝く砂丘にちなんでネーミングされたこの18Kゴールド合金は金と銅とパラディウムを加えて暖かな色味を出しています。サンドゴールドは、ホワイトゴールドとピンクゴールドの中間のような色あいで光によって微妙にニュアンスが変化し、経年による黄ばみなど変色に強い、持続性に優れたタイムレスな素材です。

サンドゴールドのケースとブレスレットは、マニュファクチュールのトレードマークであるサテンブラッシュとポリッシュ面取りで仕上げています。八角形のベゼルには幅広の鏡面仕上げを、さらに徐々に幅が細くなるしなやかなブレスレットのリンクとスタッドはサンドゴールドの素材を活かした面取りの仕上げを施すことで、より優雅さを高めています。

「ロイヤルオーク フライングトゥールビヨン オープンワーク」のケースとブレスレットに合わせ、ウォッチの両面から見ることができるキャリバー2972は、インナーベゼル、オープンワークブリッジと地板もガルバニック加工によるサンドゴールドカラーで仕上げました。オープンワークのムーブメントは垂直と水平方向ともにブラッシュとポリッシュの仕上げを施し、様々な角度からの光を反射させ奥行きを強調しています。

サンドゴールドカラーのブリッジと地板はグレーのタッチでコントラストをつけ、バレル、輪列と6時位置のフライングトゥールビヨンはロジウムカラーを、アワーマーカーと針はホワイトゴールドでその上に蓄光処理を施しています。ムーブメントのオープンワーク構造の見栄えを最大限に活かすため、“Audemars Piguet”のシグネチャー ロゴはサファイアクリスタルの12時位置に光沢のないブラックで印刷されています。
ケースバック側に見えるロジウムカラーの22Kピンクゴールドのローターも、オープンワークムーブメントのツートンカラーの美しさを引き立てています。


立体的構造のオープンワーク ムーブメント
2022年にロイヤルオーク50周年を記念して登場したキャリバー2972は、フライングトゥールビヨンを組み入れた自動巻きのムーブメントです。スタイリッシュで多層構造のオープンワークはシンメトリーデザインで、ウォッチに独特の立体的な深みを与えています。

キャリバー2972©オーデマピゲ提供

このムーブメントは、1930年代から腕時計のデザインとして可能な限りの進化をとげた伝統あるオープンワークの技術で仕上げられています。メインプレートとブリッジからできるだけ素材を削ぎ落とすことにより光が通過し、メカニズムの繊細な美しさを浮き出させます。

この作業はメカニズムの機能を損なわないよう細心の注意をもって行います。最新の製造テクノロジーを駆使し、メインプレートとブリッジはまずデジタル機械(CNC)で外形をカットし、次に放電機械(EDM)でディテールを整えます。この製造プロセスにより高い精度で素材を微妙に削りとり、理想的な形状を造り出しています。


キャリバー2972©オーデマピゲ提供

モダンなフォルムのオープンワークのブリッジと地板は、水平または垂直の手仕上げが深みを与え、光をさざめかせます。その他のムーブメント部品はサテン、サーキュラーブラッシュ、サンレイブラッシュ、スネイル、ポリッシュ面取りなどを始めとするオートオルロジュリー独特の装飾で仕上げられます。ウォッチの両面に見えるポリッシュ仕上げVアングルは、手作業によってのみ可能な最高レベルのクラフツマンシップの象徴とも言えます。


ゴールドウォッチのレガシー
貴金属の中でも卓越した存在であるゴールドは常に希少性、価値、審美性、技術特性などから常に好まれてきたプレシャスメタルです。酸化や変色を起こしにくいゴールドは生体適合性があり、他の金属に比べ加工しやすいというメリットがあります。柔らかく加工がしやすいため、ジュエリー、ウォッチその他の装飾オブジェによく使われます。ゴールドのクリエーションは豊かさと品格の象徴であり、エングレービングやエナメル、ジェムセットを始めとするクラフツマンシップの技で装飾されています。


ジュエリーと時計づくりでは純金(24K)を銅、銀、パラジウムなどの異なる金属と組み合わせることで、独自の色、硬度、技術特性を備えた強度と耐久性が高い合金となります。オーデマピゲを始めとする時計業界では通常、ウォッチの外装には主に18Kゴールドの合金を使っています。75%が金、25%が他金属で組成されており、18Kゴールド合金は純金より硬度と耐久性が高くなっています。ゴールドの含有量が多いため、低含有の合金よりも深く豊かなカラーとなります[※1]。

ただし1950年代以前には合金の定義がもっと自由に定義されていたので、組成と色には多くのバリエーションがあり18Kイエローゴールドウォッチと言っても必ずしも同じ色ではないこともありました。その後、時計業界全体で統一した定義が必要となり、「スイス時計規格」(NIHS)が組成の規格作成に着手しました。1966年に18Kゴールド合金[※2]の規格基準が確立されたことで合金の色が統一されました。

オーデマピゲでは創業以来、金の合金が重要な役割を果たしてきました。1882年から1969年までにケーシングされ出荷された567本のコンプリケーションウォッチのうち、432本は金製(248本がイエローゴールド、68本がホワイトゴールド、41本がピンクゴールド、32本がグリーンゴールド、43本がカラー表示なし)でした[※3]。

1970年代、まだイエローゴールドが世界のラグジュアリーウォッチの大半を占めていた頃、オーデマ ピゲはライフスタイルの変化に合わせ、ステンレススティールという現代的な素材を採用しました[※4]。
1972年発売の「ロイヤルオーク」(モデル5402)はオートオルロジュリーの転換点となり、手仕上げのステンレススティールケースのモデルを高級なゴールド並みの価格とし貴金属ウォッチと並ぶレベルに位置づけられました。ゴールドモデルはオリジナルのステンレススティールモデルの発売から4年後に追加され、ロイヤルオークコレクションの確立に貢献することとなりました。

ゴールドを採用した最初の「ロイヤルオーク」は1976年にステンレススティールで発売された「ロイヤルオークII」(モデル8638)でした。ジャクリーヌ・ディミエがデザインした29ミリのレディースモデルで、その翌年に、このタイムピースはイエローゴールドとステンレススティールのバイカラーデザインと、イエローゴールドのフルバージョンで登場。1978年には、ごく少数限定のホワイトゴールドバージョンが追加されました。
なお、1977年には、オーデマピゲは39ミリの5402「ロイヤルオーク」の初のイエローゴールド、ホワイトゴールド、バイカラー(YG×SS)と、中間サイズの35ミリのモデル4100「ロイヤルオーク」をステンレススティール、イエローゴールド、バイカラー(YG×SS)でラインナップしました。1979年以降、「ロイヤルオーク」の3分の4近くが一部または全体がゴールドを採用したモデルとなっています。今日まで金価格の上昇にもかかわらず、ゴールドはコレクションの中心的素材として採用されてきました[※5]。

それまであまりなかったピンクゴールドは1980年代半ばに「ロイヤルオーク」コレクションに登場しました。2000年代にはイエローゴールドウォッチの需要は下がり、代わりにピンクゴールドのデリケートで暖かみのあるカラーがトレンドとなりました。現在はピンク、ホワイト、イエローいずれのゴールドも時計業界で使われています。さらにその他の18K合金が登場、例えばエバーローズゴールド(ロレックス)、セドナゴールドとムーンシャイン™ゴールド(オメガ)、キングゴールドとマジックゴールド(ウブロ)、ハードゴールド(IWC)などがあります。

新しい「ロイヤルオークフライングトゥールビヨンオープンワーク」のサンドゴールドはこのようなゴールドウォッチの長い歴史の延長上にあり、オーデマピゲのたゆまぬ素材研究と多岐にわたる努力の中で誕生したと言えます。光を受けてきらめく多彩な合金の魅力と共に、コンテンポラリーデザインと時を超えたエレガンスを融合させた新たなデザインの可能性が広がります。

オーデマ ピゲ「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」にピンクゴールドの新モデル7種を発売~2024新作・第一弾

オーデマ ピゲが「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」 コレクション登場から5年を経て ピンクゴールドの新モデル7種を発売

オーデマピゲは、「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」の18Kピンクゴールドバージョンとして、ケース径38 mm(3針2モデル)と41mm(3針2モデル、クロノグラフ3モデル)のトータル7種を発表します。これらのモデルはどなたの手首にもフィットするよう工夫されており、2023年にステンレススティールモデルに導入された新たなデザイン進化とコレクションの特徴的なダイヤルデザインを採用しています。発売から5年を経た「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」コレクションは進化を続け、今日では多くのサイズ、素材、カラー、コンプリケーションを揃えた、全てがコンテンポラリーなデザインのラインナップとなっています。

スーパーコピー 代引き

オートマティック、クロノグラフのバージョンを揃えたこの新しい「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」の タイムピースは、18Kピンクゴールド製、ダイヤルはコレクション独自のモチーフを採用しています。©オーデマ ピゲ提供


7つのリファレンス、1つのデザイン
新しい「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」は、2023年にステンレススティールモデルに採用されたコレクションのデザイン進化を取り入れました。“シグネチャー”と呼ばれるエンボスダイヤルは「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」コレクションのため特別にデザインされたもので、従来の控えめなデザインにとって代わりました。オーデマピゲデザインチームとスイスのギヨシェ職人、ヤン・フォン・ケーネルが共同で開発したこの“シグネチャー”の装飾はダイヤルの表示が読みやすく、光を美しく反射します。

ダイヤルのベースには、水面に広がる波模様のような同心円のモチーフがハンドグレービングで施されています。”シグネチャー”の装飾は数百の微小な凹凸が光を捉えて輝きます。また、ダイヤルはPVD(蒸着:Physical Vapour Deposition)加工またはガルバニック加工によるメッキでカラーリングし、スタンピングでカットした周辺部を浮き出させます。この魅力的なダイヤルは、オーデマ ピゲの創業の地が継承する才能と職人技の証であり、数えきれないほどの繊細なディテールが凝縮されています。

快適さと高い視認性を考慮したこの新しい7モデルのアワーマーカーは細めで長く、フラットでファセットをつけたポリッシュ仕上げの18Kピンクゴールド製。暗い場所でも読みやすいよう蓄光処理が施されています。さらに秒目盛のフォルム、リューズの形状とシグネチャーのバックルを変更し、2023年に発表された進化したデザインを踏襲したモダンなスタイルとなっています。


細めの手首にフィットする2モデル
新モデルの中で、2つの38 mm「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」の3針オートマティックモデルが、2023年10月発売の2モデルに続き登場します。

18Kピンクゴールドケースのこの2種類は、ピンクゴールドケースにダイヤルにはブルーという対色を選んだエレガントなコントラストを演出したモデルです。1つ目のモデルはダイヤル、デイト窓、インナーベゼル、ストラップに明るいライトブルーを使い、タイムピース全体に調和するデザインでまとめています。

2つ目のモデルは、最初の「ロイヤルオーク」(モデル5402)に使われた有名な「ナイトブルー、クラウド50」のカラーをダイヤルに採用しており、このダークブルーにいくつかのピンクゴールドのディテールを組み合わせることで、タイムピースに深みを与えています。

「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲコピー 代引き」のコンテンポラリーなケースにもマニュファクチュールのキャリバーにもポリッシュとサテン仕上げを組み合わせ、多層構造を美しく浮かび上がらせる精緻な洗練された仕上げが施されています。どちらのモデルにもダイヤルカラーにマッチする大きな竹斑入りのアリゲーターストラップを組み合わせました。さらにライトブルーまたはダークブルーのテキスタイル調ラバー加工ストラップを選ぶこともできます。


41mmケース径のオートマティックとクロノグラフ
マニュファクチュールは41 mmに3針オートマティック2モデルと、クロノグラフ3モデルのトータル5種の新バリエーションを導入しました。

1つ目のモデルの「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」の3針オートマティックモデルは魅力的なグリーンのダイヤルを組み合わせています。ピンクゴールドのディテールのコントラスト、ダイヤルのモチーフにきらめく光とグリーンカラーの豊かな色あいが、インナーベゼルとストラップにも広がります。

なお、このカラーはクロノグラフモデルにも展開されています。9時位置と3時位置のカウンターも同じグリーンにゴールドの枠、6時位置のカウンターはオールグリーンとなっています。

ダイヤルカラーが「ナイトブルー、クラウド50」は2つの41 mmモデルに採用されています。3針の「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ オートマティック」はユニカラーダイヤルとマッチするストラップを組み合わせ、繊細なグレーのインナーベゼルとのコントラストを演出しています。

これと対になる「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ クロノグラフ」は、9時位置と3時位置にグレー枠のブルーカウンター、6時位置にはインナーベゼルのカラーを呼応させたオールグレーのカウンターを配置しています。この2モデルはダイヤルの深いカラーを引き立てるテキスタイル調のダークブルーラバー加工ストラップを組み合わせています。

5つ目のモデルは18Kピンクゴールドケースに、八角系のミドルケースとリューズにはブラックセラミックを組み合わせました。光と影の絶妙なデザインはブラックのダイヤルとも連携しており、針、アワーマーカー、カウンター枠、そしてオーデマ ピゲのシグネチャーロゴが18Kピンクゴールドカラーで輝きます。同ラインの他のモデルと同様に、6時位置のスモールセコンドはオールブラック、ストラップもブラックです。

「これらの新モデルは2023年からコレクションに導入された様々なデザインの進化を取り入れています。いくつかの41 mmモデルを飾る新しいシグネチャー装飾の他に、38 mmのモデルには新リファレンスと新色が加わりました。『CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ』はどのようなサイズの手首にもぴったりフィットする、モードでコンテンポラリーな感性に満ちたタイムピースです」
ソフィア・カンディアス(オーデマ ピゲ、プロダクトディレクター)


38 mm径の「 CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ オートマティック」のダイヤルはライトブルーまたはダークブルーの2モデルがあります。


最新世代のムーブメント
これらの新しいモデルは最新世代のムーブメントを搭載しています。精密な技術、信頼性、人間工学、洗練された仕上げを施したこれらのムーブメントは、コンテンポラリーなライフスタイルに合わせオーデマピゲのエンジニアと時計師たちが共にデザインしました。

38mmの3針自動巻の2モデルにはキャリバー5900を搭載。2022年に37 mmの「ロイヤルオーク」に導入されたこのムーブメントは、薄さ(3.9 mm)と振動数(4Hz)、約60時間のパワーリザーブを備えています。

41 mmの3針オートマティックには時、分、秒、デイトを表示するキャリバー4302を、クロノグラフには一体型クロノグラフでコラムホイールとフライバック機能を備えたキャリバー4401を搭載しています。

どちらのムーブメントも特許保持のメカニズムで、時計の機能調整時の優れた安定性と精度を備えています。径32 mmのゆったりした形状で、測定機能が向上しています。さらにキャリバー4401では垂直クラッチシステムによりクロノグラフのスタート、ストップ時に針が揺れません。特許取得のリセットメカニズムによりそれぞれのカウンターの針は瞬時に初期位置に戻ります。

サファイアクリスタルケースバックを通してコレクション特製の22Kピンクゴールドのローター、そしてこれら3つのムーブメント(キャリバー5900、4302、4401)に施されたオートオルロジュリー独特の装飾を見ることができます。ポリッシュ面取り、ヘアライン仕上げ、コート・ド・ジュネーブ、サーキュラーグレイン、面取りなどです。


この自動巻きクロノグラフは18Kピンクゴールドとブラックセラミックを組み合わせ、ビジュアルのコントラストが印象的なモデルです。


5年間の美学と技術の進化
2019年に発売した「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」コレクションは同時に13のリファレンスと3つの新キャリバーを揃えていました。コレクションは3針オートマティック、クロノグラフ、ミニッツリピータースーパーソヌリ、トゥールビヨン、パーペチュアルカレンダーを展開。発表当初から多様なモデルを揃え使いやすさを尊重したこのコレクションは、“クリエイティビティのキャンバス”と言われた優れたデザイン性と汎用性が注目されていました。ケースバックと非常に薄い円形ベゼルの間に差し込まれたオーデマ ピゲのDNAを彷彿とさせる八角形のミドルケースや、見る角度により異なったビジュアルを生むダブルカーブのサファイアクリスタル、さらにスタイリッシュなラグは上部がベゼルに溶接され下部はケースバックと完璧なシンメトリーで並んでいます。ダイヤルは洗練されたラッカーバージョンからアヴェンチュリンのタイプまで多彩で、アラビア数字、エレガントな針、ガルバニック加工により生成されたレリーフロゴなどで装飾されています。ホワイトゴールドまたはピンクゴールドの「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」のケースのデザインは、マニュファクチュールの最も複雑なケースの一つです。

当初のアイデアの時点からこのコレクションはコンプリケーションにフォーカスし、ケースの技術的な調和を目指しました。その後新たにグランドソヌリ カリヨン スーパーソヌリ(2020年)、フライングトゥールビヨン クロノグラフ(2021年)などのコンプリケーションが加わり、2022年12月には、マニュファクチュールにとっては最もアイコニックなモデルの一つである、スターホイールをコレクションに加えました。ブランドのカタログにワンダリング アワーズ コンプリケーションが復活した後、2023年2月には「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ ウルトラコンプリケーション ユニヴェルセル(RD#4)」を発表しました。このモデルはマニュファクチュールのこれまでの中で最も複雑なタイムピースです。キャリバー1000は40の機能を備え、そのうちコンプリケーションが23という優れた42 mmのキャリバーです。人間工学に基づき使いやすさという点で一つの限界を越したこのキャリバーは、オーデマ ピゲだけでなく時計業界すべてにとって、新たな道を開きました。

2020年、「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」はケースに初めてバイカラーデザインを採用。ホワイトゴールドケースにピンクゴールドのミドルケースを組み合わせ、複雑なケース構造を活かしてコンテンポラリーなスタイルを提案しました。「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ クロノグラフ」では、ミドルケースにブラックセラミックを使った初のモデルに挑戦。2022年に発表した「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ フライングトゥールビヨン オープンワーク」では、ホワイトゴールドケースにエレクトリックブルーセラミックのミドルケースを組み合わせています。このような流れの中で「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」はさらに進化し、セラミックの仕上げや様々なアングルと円形面を完璧に揃えるなど、非常に精緻なクラフフツマンシップを展開させました。2023年には、コレクション初となるステンレススティールの41 mmオートマティックとクロノグラフが登場。この新しいスポーティな素材は「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」に新たな可能性を開きました。

ケースの素材だけではなく、ダイヤルもアップグレードしています。2020年、新しい「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」のダイヤルには深みと神秘性をもたらすサンバースト模様とスモーク仕上げが加わり、賑やかなコレクションとなりました。創造性はさらに深みを増し、ユニークピース「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ グランドソヌリ カリヨン スーパーソヌリ」では、スイスのエナメルアーティスト、アニタ・ポルシェと提携してエナメルダイヤルを開発しました。2022年には、ダイヤル、ミドルケース、ラグにダイヤモンドをセットしたオートマティックモデルがコレクションに加わります。天然石のダイヤルも同じ年に登場し、「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ フライング トゥールビヨン」には希少なブラックオニキスダイヤルを採用。2023年には、初めてのグリーンエナメル アヴェンチュリンのモデルと、初のスモークサファイアをダイヤルに採用したモデルを発表し、ミニッツリピーター スーパーソヌリのムーブメントのメカニズムを鑑賞することができます。

2023年にコレクション初のステンレススティールモデルの発売と同時に、デザインの新たな進化が始まりました。この機会に登場したエンボス加工を施した新デザインのダイヤルでは、以前のアラビア数字に代わるアワーマーカー、新デザインのリューズが登場。年の後半では細めの手首のための新しい38 mmモデルが登場しました。これらのデザイン進化により「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」コレクションの人間工学を尊重した設計はどんな機会、どんなサイズにもフィットするレンジが揃いました。

今回7つの新しい38 mmと41 mmのピンクゴールドモデルが加わり、「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」コレクションはデザインと時計づくりのノウハウにおいて実用的で魅力的な存在感をさらに高めています。

パネライからGMT機能搭載の新作「ルミノール クアランタ ビテンポ」発売~コンパクトな40㎜サイズで登場

ルミノールの新作「ルミノール クアランタ ビテンポ」~GMT機能がコンパクトな40㎜サイズで登場

時代を超越した伝統と現代の革新性のバランスを小さなケースに閉じ込めた、ルミノール クアランタ コレクションは、ルミノールの独特の美学を表現しています。GMTを搭載した新作、ルミノール クアランタ ビテンポは、この物語を継続します。

スーパーコピー 代引き

40mmサイズのスティール ケースには、自動巻きムーブメントP.900/GMTがおさめられています。3日間のパワーリザーブを備えたこのキャリバーは、サファイアクリスタルのオープンバックを通して披露されます。スイスにあるパネライ マニュファクチュールの卓越した技術と熟練のノウハウを強調しています。

GMT機能の追加により、着用者は現地時間とホーム時間を同時に追跡できるようになります。GMT機能は、今日の国際的な旅行者にとって不可欠な機能です。暗闇ではGMT針の先端がブルーに、インデックスはグリーンに光り、視認性と美しさの魅力を高めます。
ダイヤルの3時位置には、従来より大きく目立つ日付表示が配置されています。9時位置のスモールセコンド、アラビア文字とバーの象徴的なインデックス、クッションシェイプのケース、リュウズプロテクターなど、2000年代のルミノール コレクションを特徴づける独特の要素により、このタイムピースにはパネライの豊かな歴史の継続性を維持するという取り組みが反映されています。

この新しいリファレンスは、ブラックとホワイトの2色が展開され、どちらの文字盤にもエレガントにマッチするブラックのアリゲーターストラップが組み合わされています。ストラップにはトーン・オン・トーンのステッチが施され、サテンスティールのバックルとリッシュスティールのベゼルがコントラストを描き、ミニマルでありながらダイナミックな外観を実現しています。様々なシーンで活用したい、あるいは個性を表現したい方にぴったりな、PAM クリック リリース システムが装備され、ストラップは簡単に交換できます。

PAM01365はマットブラックの文字盤、ホワイトのスーパールミノバ®との組み合わせで、スペアとしてブラックのラバーストラップが付属しています。PAM01367は、マットホワイトの文字盤にグレーのスーパールミノバ®、ブルーのラバーストラップです。
文字盤に刻まれた「デュアルタイム」を意味するBiTempoという名は、パネライのルーツを表現するためにイタリア語が採用されています。イタリアンデザインの伝統、信頼性の高いパフォーマンス、そして革新的。パネライの歴史の核となる要素で構成された作品です。

【仕様】
パネライ スーパーコピールミノール クアランタ ビテンポ
Luminor Quaranta BiTempo
税込価格:126万5000円(4月1日より128万7000円)

PAM01365

Movement:パネライ自社製P.900/GMT(自動巻きメカニカル)
・12½リーニュ
・厚さ4.2mm
・171部品
・23石
・振動数28,800回/時
・インカブロック®耐震装置
・1バレル
Functions: 時、分、スモールセコンド、日付、12時間表示GMT、ストップセコンドリセット
Power Reserve: 3日間
Case:AISI 316Lサテンスティール
・サイズ: 径40mm/厚さ13.45mm
・ポリッシュスティールベゼル
・シースルーサファイアクリスタル ケースバック
・サファイアクリスタル風防
Dial:マットブラック
・夜光アラビア数字とバーインデックス、
・9時位置にスモールセコンド、3時位置に日付
Strap: ブラックアリゲーター ストラップ、PAMクリックリリース システム
・サテンスティールの台形バックル
Water-resistance: 10気圧(~100m)


PAM01367

Movement:パネライ自社製P.900/GMT(自動巻きメカニカル)
・12½リーニュ
・厚さ4.2mm
・171部品
・23石
・振動数28,800回/時
・インカブロック®耐震装置
・1バレル
Functions: 時、分、スモールセコンド、日付、12時間表示GMT、ストップセコンドリセット
Power Reserve: 3日間
Case: AISI 316Lサテンスティール
・サイズ:径40mm/厚さ13.45mm
・ポリッシュスティールベゼル
・シースルーサファイアクリスタル ケースバック
・サファイアクリスタル風防
Dial:マットホワイト
・夜光アラビア数字とバーインデックス
・9時位置にスモールセコンド
・3時位置に日付
Strap: ブラックアリゲーター ストラップ、PAMクリックリリース システム
・サテンスティールの台形バックル
Water-resistance: 10気圧(~100m)


【お問合せ】
オフィチーネ パネライ
0120-18-7110


[PANERAI]
1860年にフィレンツェで時計店、時計工房、時計技師学校として創業し、長年イタリア海軍、主に特殊潜水部隊に精密機器を納入してきた歴史をもちます。ルミノールやラジオミールを含むパネライが開発した製品は、イタリア海軍の軍事機密として長く門外不出とされてきました。リシュモングループの傘下に入り、国際市場にデビューしたのは1997年のことです。
今日ではヌーシャテルに自社工場を構え、ムーブメントの開発から製品製造まで一貫して行うマニュファクチュールブランドへと成長しました。イタリアのデザインとスイスの卓越した時計製造技術を融合させたパネライの時計は、世界中の正規代理店と直営ブティックにて取り扱っています。

ブライトリングから、OOMIYA創業45周年を記念した限定モデルが登場

ブライトリングから、OOMIYA創業45周年を記念した限定モデルが登場

ブライトリングのモダンレトロなダイバーズウォッチ、スーパーオーシャン・シリーズから、ブライトリング正規販売店であるoomiya[※]の創業45周年を記念したモデルが登場します。スーパーオーシャン オートマチック 42 oomiyaリミテッドは、ケース素材に従来のラインアップになかった18Kレッドゴールドをはじめて採用。同シリーズ初のアンスラサイト文字盤に、ケースと同系色の針とインデックスを組み合わせることでスポーティシックな仕上がりに。本格ダイバーズと呼ぶに相応しい300m防水性能を誇り、贅沢なアイテムをアクティブにつけこなしたい方に最適なモデルです。製造本数はわずか20本。ブライトリング ブティック 大阪、ブライトリング ブティック 京都、スピリット・オブ・ブライトリング 和歌山でのみ販売となる、スペシャルピースです。

スーパーコピー 代引き

スーパーオーシャン コレクション
2022年にリニューアルを果たしたスーパーオーシャン。1960年から70年代にかけて発表されたブライトリングのスーパーオーシャン スローモーションをルーツとし、現代的な機能を加えモダンレトロなデザインに一新されました。初期のスーパーオーシャン スローモーションは、水中でのダイバーの救命に必要な機能以外はできるだけ排除した、シンプルなダイバーズウォッチでした。新しいスーパーオーシャンは、クリーンなライン、蓄光塗料を塗布した分厚いインデックス、四角い針、コントラストが際立つダイヤルリングといった、スローモーションのデザインコードを踏襲。そこに、セラミックを組み込んだベゼルや300mの高い防水性能など現代的な特徴を加味しています。幅広の針とインデックスには蓄光塗料スーパールミノバ®が塗布され、昼夜を問わない視認性も確保。新スーパーオーシャンは、伝統に対するノスタルジーと新鮮なスタイルを完璧に調和させています。


スーパーオーシャン オートマチック 42 oomiyaリミテッド
ブライトリングコピー 代引きの正規販売店の中でも、国内屈指の販売実績を誇るoomiya。その創業45周年を記念して限定20本で製作されるのが、スーパーオーシャン オートマチック 42 oomiya リミテッド。


18Kレッドゴールドケースには、傷のつきにくいブラックのセラミックを組み込んだベゼルと同色のストラップを採用。落ち着いたアンスラサイトの文字盤とゴールドの針・インデックスを組み合わせることで、迫力あるラグジュアリー・スポーツに品格を与えています。搭載される自動巻きのブライトリング キャリバー 17は、2年間の保証と約38時間のパワーリザーブを備えています。限定20本の希少な本作は、ブライトリング ブティック 大阪、ブティック 京都、スピリット・オブ・ブライトリング 和歌山のみの店舗限定で販売いたします。

[※]oomiya:株式会社オオミヤは、1978年に和歌山県湯浅町で創業し、和歌山本店、心斎橋店、京都店、仙台店、鹿児島店、湯浅店の6店舗を展開。また大阪・心斎橋ではブライトリング ブティック 大阪、京都ではブライトリング ブティック 京都を運営しています。創業時より、常に先を見据え、「進化し続ける」を企業理念に、多くの方に『時計の魅力』を知っていただき、時計が豊かな時間を与えてくれるアイテムとして身近な存在であることを伝えていきたい。そのために、ゆったりとした空間の中、各ブランドの世界観をご堪能いただき、じっくりと時計が選べる店舗運営を心掛けています。

【概要】
スーパーオーシャン オートマチック 42 oomiyaリミテッド
リファレンス:R173751A1G1S1

ムーブメント:ブライトリングキャリバー17
キャリバーサイズ :直径25.6mm/厚さ4.8mm
ワインダー: 機械式自動巻き、ボールベアリングによる両方向回転式
パワーリザーブ: 約38時間
振動数:28,800 回/時、4ヘルツ
ディスプレイ: 時間、分、秒
認定: COSC公認クロノメーター
ケース素材: レッドゴールド
ケースサイズ:直径42mm/高さ(ラグの上端から下端まで):12.56mm
防水: 300m
ケース: ドーム型サファイア、両面無反射コーティング
ケースバック: ねじ込み式、 18Kレッドゴールド製
リューズ: ねじ込みロック式、 2ガスケット
ベゼル: セラミックインレイ付き逆回転防止機能、ラチェット式
ダイヤル 針:アンスラサイト。スーパールミノバ 蓄光塗料を塗布したインデックスと時針・分針
ストラップ:ラバーストラップ、穴留め式バックル
価格:2,695,000円(税込)
限定: oomiya 限定20本
取扱い店舗:ブライトリング ブティック 大阪、ブライトリング ブティック 京都、スピリット・オブ・ブライトリング 和歌山

【お問い合わせ】
ブライトリング・ジャパン
0120-105-707
https://www.breitling.com/jp-ja/

[ブライトリング]
1884年に設立されたブライトリングは、スイスを代表する時計メーカー。近代のクロノグラフを発明し、ナビゲーションツールウォッチのパイオニアとなった革新的な企業です。現在もカジュアルで包括的かつサステナブルな高級ブランドとして、世界で150以上のインダストリアル・ロフトにインスパイアされた店舗を展開しながら、新境地を開拓しています。ブライトリングのコレクションは空、陸、海へのあこがれを追求し、ブランドの確立されたモダンレトロスタイルを貫いています。すべてのムーブメントが COSC認定クロノメーターであることは、その卓越した品質を証明しており、ブライトリングはマニュファクチュールキャリバーを製造する数少ない独立系時計メーカーの1つです。伝統的な時計製造と最新のイノベーションが共存しているブライトリングは、長い歴史を誇りながらも同時に時代の先端を行く企業です。

ブレゲが国際女性デーにふさわしい フレッシュなミントグリーンカラーの 「クイーン・オブ・ネイプルズ」を発表

クイーン・オブ・ネイプルズ 8918

ブレゲは、アイコニックなコレクションのニューモデルを発表し、 女性らしさにオマージュを捧げます。国際女性デーにふさわしい 洗練されたフレッシュなミントグリーンカラーの 「クイーン・オブ・ネイプルズ」です。

スーパーコピー 代引き

今回、ブレゲはアイコニックな「クイーン・オブ・ネイプルズ」のニューモデルを発表し、国際女性デーを祝します。このタイムピースは女性らしさへの真の賛歌であり、歴史に偉大なる功績を残した女性、トレンドセッター、そして未来に向かって働く女性たちにオマージュを捧げます。ナポレオン・ボナパルトの末妹カロリーヌ・ミュラは、聡明で、影響力を持つ人物の一人でした。彼女は優れた知性と文学的教養を持ち、芸術のパトロンでありコレクターでもありました。芸術だけでなく、国の経済や社会、教育の課題にも強い関心を持ち、少女たちのための学校建設や石炭工場の改革などのプロジェクトを指揮しました。


女性が発案して男性が完成させた世界初の腕時計
カロリーヌ・ミュラは、特にアブラアン-ルイ・ブレゲのタイムピースがお気に入りで、30点を越えるタイムピースの錚々たるコレクションを所有していました。女性が時計をソートワールネックレスとして着用していた時代に、彼女は手首に着用できるタイムピースという大胆かつ革新的な注文をアブラアン-ルイ・ブレゲに依頼しました。それは1810年のことであり、創業者ブレゲは唯一無二のタイムピース、つまり、世界初の腕時計の開発に取り組み始めました。
ブレゲの保存台帳には、1812年に納品され、1849年と1855年に修理した記録が残っており、この時計がたどった歴史と、今は現存しない時計の特徴を知ることができます。それは、細長いケースとギヨシェ彫りのシルバー仕上げダイヤルが備わる腕時計で、極めて精巧に作られ、複雑機構のリピーターやムーンフェイズに加え、温度計までもが組み込まれたものでした。そして、腕に装着するためのブレスレットは、髪とゴールドの糸を撚り合わせて作られていました。


豊富なディテール
「クイーン・オブ・ネイプルズ」コレクションは現在、淡いカラーのバリエーションが展開されています。ピンク、グレー、ホワイトのモデルに続き、希望の色であるミントグリーンのタイムピースがコレクションに加わります。様々なシーンで選べるカラーバリエーションです。
ブレゲスーパーコピー 代引き新作のホワイトマザーオブパールのダイヤルは、スノーセッティングが施された輝くチャプターリングが特徴です。控えめなブラックのミニッツトラックは、アブラアン-ルイ・ブレゲが開発した懐中時計からインスピレーションを得たシンボルで飾られています。先端に穴が開いたアイコニックなブレゲ針が時、分を表示し、6時位置のペアシェイプダイヤモンドの装飾がポエティックな雰囲気を加えます。

二色のグリーンを重ねたアラビア数字が立体的な印象を与え、真正性を示す時計の個別番号が11時と12時の間に配されています。この個別番号を付ける伝統はブレゲ初期の頃に始まりました。タイムピースが存在し続ける限り、一点一点を追跡することができます。フランジとベゼルには117個のダイヤモンドがあしらわれ、ダイヤルの輝きがさらに増します。偉大な女王の名にふさわしく、リュウズはブリオレットカットダイヤモンドで装飾されています。

そして、アリゲーターストラップには、28個のブリリアントカットダイヤモンドがあしらわれたフォールディングバックルが備わっています。


精巧で可憐なムーブメント
36.5×28.45mmのオーバル型ケースには、45時間のパワーリザーブと191個の部品で構成されるキャリバー537/3の自動巻ムーブメントが搭載されています。このムーブメントは、シリコン製のひげゼンマイおよびインライン・スイスレバー脱進機を備えます。シリコンはさまざまな特性を備えており、腐食耐性や摩耗耐性に優れ、磁場の影響を受けず、時計の精度を向上させます。キャリバーの部品はすべて、見える部品も見えない部品も、ブレゲの伝統に則って手作業で慎重に作られます。ホワイトゴールド製ケースのサファイア・ケースバックからは、プラチナ製ローターとコート・ド・ジュネーブ装飾、ポリッシュ仕上げのネジ、面取りされたムーブメントを眺めることができます。また、ケースの縁には、個別番号が刻まれています。

【仕様】
クイーン・オブ・ネイプルズ 8918 – ミントグリーンモデル
8918BB5D964D0

ケース:18Kホワイトゴールド
・ブリリアントカットダイヤモンド117個
・サファイア・ケースバック(透明裏蓋)
・リュウズにブリオレットカットダイヤモンド1個
サイズ:36.5mm x 28.45mm
厚さ: 10.1mm
ダイヤル:ナチュラルマザーオブパールと121個のダイヤモンドがセットされたゴールドのダイヤル
・オフセンターのチャプターリング
・ブレゲ数字
・ペアシェイプダイヤモンド1個
針:先端に穴が開いたブレゲ針
機能:時、分
脱進機:シリコン製ひらひげゼンマイおよびシリコン製インライン・スイスレバー脱進機
ムーブメント:自動巻
キャリバー:537/3
振動数:3.5 Hz
防水性:30m

パワーリザーブ:45時間
ストラップ:アリゲーターストラップ
・ブリリアントカットダイヤモンド28個がセットされた三つ折りのフォールディングバックル

税込価格7,502,000円(本体価格6,820,000円)


【お問い合わせ】
ブレゲ ブティック銀座
東京都中央区銀座7-9-18
ニコラス・G・ハイエックセンター 3階
TEL:03-6254-7211

カシオ“OCEANUS Manta”に初の3針モデルが誕生~高い質感と視認性

高い質感と視認性を備えた“OCEANUS Manta”初の3針モデル~さざ波が作り出す海面の模様をイメージしたダイアルデザイン

カシオ計算機は、アナログ電波ソーラーウオッチ“OCEANUS(オシアナス)”のプレミアムライン“OCEANUS Manta(オシアナス マンタ)”で初めて3針フェイスを採用した新製品『OCW-S400』(3モデル)を3月22日に発売します。

スーパーコピー 代引き

“OCEANUS”は「Elegance, Technology」をコンセプトに、高度な機能性と洗練されたデザインを併せ持つアナログ電波ソーラーウオッチです。なかでもプレミアムラインの“OCEANUS Manta”は、クロノグラフのスポーティ感と上質感を備えた薄型デザインが好評を博しています。

今回ご案内します『OCW-S400』は、“OCEANUS Manta”初となる3針フェイスに上質な仕上げを施し、美しさと視認性を実現した薄型メタルウオッチです。ミラー仕上げの文字板には、さざ波が作り出す水面の模様を表現したテクスチャーをあしらいシンプルながら“OCEANUS”の持つ海のイメージを演出しています。


スーパーコピー3針タイプの視認性が高い文字板

文字板は、クラシックなブラック、“OCEANUS”ならではのブルーに加えて、グリーンをラインアップ。ベゼル上部のサファイアガラスリングには、文字板と同じ色味の蒸着を施すことで統一しました。ケースからバンドにかけた流麗なフォルムなど“OCEANUS Manta”ならではの優雅さも備えています。


チタンの美しさを引き出す上質な仕上げ


aaaaaa機能面では、電波受信機能に加えて、Bluetooth®通信を使用したスマートフォンリンクによる時刻修正機能を搭載するなど、実用性も確保しました。


【概要】
OCEANUS Manta
OCW-S400-1A / OCW-S400-2A/ OCW-S400-3A


メーカー希望小売価格:165,000円(税込)
発売日:2024年3月22日


「OCW-S400-1A」製品サイト:
https://www.casio.com/jp/watches/oceanus/product.OCW-S400-1A/

「OCW-S400-2A」製品サイト:
https://www.casio.com/jp/watches/oceanus/product.OCW-S400-2A/

「OCW-S400-3A」製品サイト:
https://www.casio.com/jp/watches/oceanus/product.OCW-S400-3A/

※Bluetooth® ワードマークおよびロゴは、Bluetooth SIG, Inc.が所有する登録商標であり、カシオ計算機(株)はこれらのマークをライセンスに基づいて使用しています。


【お問い合わせ】
カシオ計算機 お客様相談室 
0120-088925(時計専用)

薔薇を咲かせるのは難しいのだけれど

「天上ウテナ」とは何者なのか、解き明かしてしまいましょう。
僕は、この問いに対して、番組放映の頃から、はっきりした答えを持っていました。ビデオで何度も見返したり、マンガ版を読んでみたり、関連書籍を読んだり、劇場版を見たりした現在においても、その答えは変わっていません。
ウテナは、「あなた」なのです。これは、別に丁寧で説得力のある論理を構築した上でたどり着いた結論ではありません。まあ、言うなれば直観です。
「少女革命ウテナ」という作品は、ストーリーや映像表現のみならず、その独特の音楽に関してもものすごい個性をもっているわけですが、その七枚ほど発売されている音楽集の三つ目である「体内時計都市オルロイ」の表紙、そこに、僕の直観の由来があります。
図案は、左右に大きく配置された鳳暁生と姫宮アンシー、そしてその両者に挟まれて頼りなげな表情を浮かべ、自分の体を抱いている天上ウテナです。LDの表紙やコレクションカード商品等、「ウテナ」関連の書き下ろしイラストには、こういった、他の登場人物達によって嬲られているウテナ、という図案が多く見られます。この「オルロイ」の表紙もその一つなわけですが、このCDケースは、その上から「UTENA」とロゴの書かれた透明なプラスティックケースに収められる作りになっていまして、それで、一つのパッケージとして完成します。
プラスティックケースにデザインされている、ひときわ大きな「UTENA」の「U」。CDケースが中に収まった時、ちょうどその「U」の中心に、先述の儚げなウテナのイラストが来るようにデザインされているのです。「U」は「you」。「ウテナはyouです」と、パッケージのデザインは訴えているように見えるのです。これだけでは、そんなのこじつけじゃないかトンデモじゃないかと言われそうですが、これで僕の頭の中のウテナのイメージが、はっきりと形になってしまったのだから仕方がありません。

送り手が「あなた」と言った時、その対象は不特定多数の受け手すべてのことになります。「ウテナ」を鑑賞する可能性のある、現代に生きるすべての人たちのことです。
天上ウテナは男装の似合う美少女で、スポーツ万能で、さっぱりとした人に好かれる性格をしていて、学園の人気者です。作品の主人公らしい、特別な人間であるという設定がされています。翻って「あなた」、つまり僕ら自分自身のことを考えてみますと、社会的には、決して特別な人間では無いかもしれませんが、間違いなく自分にとっては、自分は特別な人間です。ところで、設定上では特別な人間であるウテナですが、作中では至極普通の人間として描かれます。ひょっとしたら、登場人物の中で一番まともかもしれません。そして僕らもまた、日常の中では、自分が一番まともであるという価値観の中で生きています。
監督の幾原氏は「ウテナは自分がなりたい人なんだ」と発言していますが、それは、ウテナが気高さをもって生き抜いたことへの憧れの気持ちから出てきた言葉のように思えます。そして、まだ「普通の人間」である僕らは、ウテナを知ることによって、気高い思いを抱いて生きる人間に変わることができるわけです。そういう意味では、幾原氏も「あなた」のうちの一人なのでしょう。

ウテナは元々気高い思いをもっていました。物語の中で、彼女は多くの障害と戦いますが、最後までそれを失うことがなかったから、世界を革命することができました。僕らも、日ごろ意識しなくても、自分の中のどこかに気高い思いを持っているはずです。もし失っていたとしても、気高い思いは奇跡の力なのですから、何度でも、何も無いところからでも僕らの中に蘇ります。そうして気高い思いを持ち続けられる僕ら(=送り手にとっての「あなた」)には、世界を革命することが出来るはずだと、この作品は勇気づけてくれているわけです。これこそ、最終話放映後に画面に表示された、「この薔薇があなたに届きますように-スタッフ一同」というメッセージの中の「薔薇」にあたるもののように、僕には思えます。
ウテナの迷いは僕らの迷い、ウテナの喜びは僕らの喜びなんです。
身に憶えのない状況に翻弄され、正しいと思うことをやって傷つき、友に裏切られ、時に裏切り、それでも純真な善良さを胸に抱いて、伸びやかに生きようとする僕らの姿を、「少女革命ウテナ」は描いているのです。
だから僕は、この作品がいつまで経っても好きなんだと思います。

世界の果ての向こう

「少女革命ウテナ」とは、結局のところ革命がおこる話です。結果から言ってしまえば、「世界が革命された」物語でした。
では、その革命された「世界」とは何だったのか、ということを、TV版と劇場版それぞれについて考えてみたいと思います。


TV版で革命されたのは、姫宮アンシーの中にある世界でした。
決闘ゲームの賞品、薔薇の花嫁として決闘者の間をさ迷いながら、実はゲームの構造そのものを、ゲームの提供者である「世界の果て」と共に支配していた彼女。「私は、エンゲージしている方の思うがままですから」と微笑んで言い放ちつつ、実際には決闘の勝者には心を許さず、実の兄であり自分の王子様である「世界の果て」の為だけに働いていた彼女。作中何度も描かれる彼女の衝撃的な裏切り行為や、「好きな人のためだったら、自分の気持ちをだますなんて簡単なことです」などの過激なセリフに象徴された、今までのアニメキャラクターにはほとんどいなかった本物の魔女。
最終回の一つ前の話のラストシーン。アンシーの取った行動に驚かない方は、まずいないと思います。最後の決闘が終了し、「世界の果て」がその本当の目的を果たそうとしている時にも、アンシーはただ「世界の果て」のために生け贄になり続けて、「世界の果て」以外の者に心を開こうとはしませんでした。
過去に、自分に永遠を見せてくれた、王子様であり、実の兄である「世界の果て」。兄が「世界の果て」になってしまった原因は自分であり、その苦しみも理解しているからこそ、兄のために薔薇の花嫁であり続けるアンシー。しかし、その閉じてしまったアンシーの世界の扉を開けてくれたのが、ウテナでした。
彼女は、最後の決闘で「世界の果て」に敗れ、立ち上がることもままならない状態で這いずりながらも、「世界の果て」がウテナから奪った剣を使っても開けることの出来なかった、世界を革命する力が向こう側にあるという扉にたどり着き、手をかけます。彼女の手にすでに剣はなく、「世界の果て」は扉を開けることができる剣を持つものが現れるのを再び待つことにしてくつろいでしまっています。そして、ウテナが指先に渾身の力を込めた時、扉は少しづつ動きはじめたのです。
いつのまにかその扉は、薔薇の紋章の付いた大きな棺に変わっていました。その棺の中には、薔薇に包まれて眠るアンシーがいました。ウテナは、優しく声をかけます。「アンシー、やっと君に会えた」と。
自ら望んで世界を閉じていたアンシー。その元に訪れて、ついにアンシーの本心に出会えたウテナ。ウテナは叫びます。「姫宮、手を!」しかし、アンシーは、自分のためにではなく、自分の大切な兄、王子様の為にそこにいるのですから、出るわけにはいきません。「ウテナ様、違うんです」。そういっても、ウテナはやめません。ひょっとしたら、ウテナは「アンシーは誰かに捕らえられている」というような誤解をしたまま叫んでいたのかもしれません。すでに、息も絶え絶えになりながら、ひたむきに叫びます。「姫宮、手をー!」そのウテナの中のひたむきな心に打たれたのか、ついにアンシーは手を伸ばします。二人の指先が求め合い、頼りなく、しかし確かに絡まり合います。
しかし、そこまででした。
閉じた世界の扉を開いてしまったウテナに、世界を革命する時におこる歪みの象徴である、100万本の剣が襲いかかります。すでに決闘広場という気高いおもちゃも破壊され、ウテナを残してアンシーの棺も落下していきます。ウテナは、もう体を起こす力も残っておらず、倒れたまま、ついにアンシーを救えなかったことをか細い声で謝り続けます。その背に、100万本の剣が猛々しく襲いかかり、そしてウテナは、無残にこの作品世界から消滅しました。

ウテナのいなくなった鳳学園。しかし、生徒達はウテナのことを忘れ去っています。ウテナと何度も戦いあった生徒会メンバーすらも、身の回りのことに追われてウテナを思い出しません。どんなに素敵な王子様でも、人はそれをじきに忘れてしまうのです。
しかし、アンシーは制服を脱ぎ捨て、学園を出ました。いつまでも同じ事を繰り返す学園の生活を振り払い、学園の中の世界からいなくなってしまったウテナを探すために、外へ旅立ったのです。アンシーの世界に、外の存在が生まれたのです。ウテナは、自分の全てと引き換えに、アンシーの世界を革命することが出来たのです。「必ず探し出してみせるから、待っててね、ウテナ!」そう心に誓って、アンシーは希望に満ちた一歩を踏み出したのでした。


そして、劇場版のウテナは、再び巡り合ったアンシーと共に、外の世界を革命してしまいました。
TV版では、アンシーはずっと、ウテナの事を「ウテナ様」と呼んでいましたが、劇場版では、TV版のラストのように「ウテナ」と呼び捨てにしています。これは、外の世界へ飛び出してしまったウテナとアンシーが、ついに映画の世界において再び出会うことが出来た、と考えたくなります。劇場版の設定ではウテナが転校生ですが、薔薇の敷き詰められた決闘広場にたたずむウテナに後から来たアンシーが声をかけています。映画の構造や作品間の設定の違いなどを超越して、ウテナがアンシーを見つけたこの場面は一つの奇跡なのだと僕は考えます。もう一度出会えてよかったね、アンシー、ウテナ。
そして、TV版のラストで誓った通りに、二人は一緒に輝きだします。お互いの過去に秘められた王子様にまつわる恐ろしくも悲しい出来事が明かされ、お互いはお互いをもう一度見詰め合います。そして、世界から出るための、世界の果てを超えるための疾走がはじまるのです。
ウテナによって世界を革命する力を与えられたアンシーと、アンシーによって自分が手に入れた力を使いこなすことが出来るウテナ。二人は幾多の難関を乗り越え、ついに、最後の試練「お城カー」へ挑みかかります。
「お城カー」とは、その名の通り上にキラキラと輝く「お城」を乗せた、ものすごく巨大な車です。その下面には無数のタイヤが付いていて、下を通り抜けようとする者を踏み潰そうとします。上に乗っている「お城」というのは、言うなれば僕らの生活している「社会」です。その社会の仕組みに巻き込まれず、タイヤの一つにならず、自力で走って通り抜けようとすれば、それを排除しようとする力が働くのは当たり前です。それを、ウテナとアンシーは突破していきます。自力で走ること、それが世界を革命し得る力であり、その原動力は気高さなのです。気高さを諦めてしまえば、そのタイヤの一つになることも出来るだろうし、鳳学園の生活のように、キラキラと輝く「お城」に住み続けることも出来るでしょう。しかし、世界を革命する強い意志と気高さと、自分で走る力を持った者があるとき、世界は革命されるのです。現に、僕らの住む世界も、歴史上何度も革命されてきたではありませんか。
「お城カー」の下を潜り抜けたと思った瞬間、左右から巨大なキャタピラが、正面からは昔に王子様であったものが、不意に現れてウテナとアンシーを押え込みます。世界を革命するための最後の戦いです。「王子様だったもの」から発せられる恐ろしい言葉。左右からの、身を削るキャタピラの回転。しかし、幾多の戦いを乗り越えてすでにボロボロになっている彼女たちの輝きは、全く衰えてはいませんでした。TV版の時に、何度もウテナが叫んでいたこの作品を象徴する言葉を、ついにアンシーが叫びます。それは、気高き全ての者が求める力を、欲し、発現する祈りの言葉です。
戦いを突破し、世界は革命されました。「お城カー」は砕け散り、その中にあった安住の生活全てが、瓦礫になっていきます。ウテナとアンシーだけが進むその世界は、振り返ってみても美しい城の影は無く、先を見ても目指すべき城が消え、ただ瓦礫の続く世界になっていました。
描かれている「希望」は、ただ青く晴れ渡る空だけ。
「少女革命ウテナ」の描く、世界の果ての向こう側とは、あまりにさびしく、恐ろしい世界でした。しかし、ただウテナとアンシーは進みます。

「少女革命ウテナ」とは、こういったものが描かれている作品でした。これを見たら、ヘミングウェーはどう思うでしょう?マルクスは?漱石の手には余るでしょうか?
一通りの「ウテナ」論はこれまでに書き連ねましたが、あまりに不親切で、また僕は語らねばならぬもっと多くの言葉を置き去りにしてしまったように思います。まだまだこのコーナーは続いていきます。ご意見、ご感想等ありましたら、どうぞ会議室の方へ遠慮無くお書き込み下さい。

回り道

ウテナ四方山話~!

「少女革命ウテナ」に登場するキャラクターは、そのほとんどに植物に関連する名前がつけられています。
主人公の名前「ウテナ」は、「台」と変換すると分かり易いですが、花が咲くときにその回りを小さく覆って花びらをまもる「がく」のことです。ヒロインの「アンシー」は、どこかの国の言葉で「花が咲く」という意味の動詞なんだそうです。つまり、アンシーという花を咲かせるためにウテナはいるんだということは、最初から名前の中に秘められていたんですね。
生徒会メンバーもそれぞれ「冬芽」、「莢一」、「樹璃」、「幹」ですし、他のキャラクターたちも「七実」「根室」「茎子」「香苗」「枝織」「梢」など、何かしら植物に関係する名前ばかり。主要キャラクターで植物の名前が付いていないのは、「鳳暁生」と「チュチュ」だけです。これは、ウテナだけではなくこの二人を除いた全員が、結局、アンシーという花を咲かせるために行動していたということなのかもしれません。


物語の舞台になっている鳳学園は、実に多くの謎を持っています。
そもそも、漢字の名前を持ってはいるものの、日本にある学校なのかどうかも定かではありません。暴れカンガルーが偶にでたりするところを見ると、オーストラリアにあるのでは、という説もあります。でも、象がいたり暴れ馬や暴れ牛がでたりもするので、どうにも、厳密な限定はできません(笑)。そういえば、日本にしかいないはずの青大将も出てきましたっけ・・・。
また、ヨーロッパ風の統一された校舎や生徒寮のデザインは非常に美しく、小学校から大学まで一貫した全寮制の鳳学園に通う生徒達が羨ましく思えます。ただ、毎回の話の冒頭で画面に映る学園の敷地の丘には、少々の謎があります。まるで巨大な鍵穴のような形をした丘。それは、我々日本人には馴染みの深い、前方後円墳の形です。古墳とは、古代の豪族の作ったお墓です。墓の上に建っているように見える学園。この事から、鳳学園は僕らの住む生の世界と墓の下にある死後の世界の境界線上にあるのだ、という説があります。
考えてみれば、確かに「少女革命ウテナ」には何人かの死者も登場しました。具体的な名前はまだ見ていない人のために挙げませんか、TV版、劇場版ともに、数人の死者が、まるで生きているものと同じように学園内を動き回っていました。
「劇場版少女革命ウテナ・アドゥレセンス黙示録」では、学園全体の外観は明かされませんでしたが、冒頭から全編に響き渡る鐘の音や、TV版では「鳥かご」があった場所にあった王子様の墓標、そしてお姫様の為に死んだ多くの王子様の挿話から察するに、やっぱり学園全体が「王子様の墓標」なのでしょう。


生徒会メンバーも謎だらけです。
その中の、中等部1年にして大学のカリキュラムも受け、ピアノとフェンシングの腕は全国レベル、さらには生徒会メンバーでありながらウテナと共に「薔薇の花嫁争奪戦」に反対している薫幹(かおる・みき)、通称ミッキーは、作中、彼だけの不思議な行動をとります。
突然彼の手元がアップになり、いきなりストップウオッチを止めるのです。どうやら、その前のシーンの誰かのセリフやシーンそのものの長さを計っているらしいのですが、その意図は説明されません。
第一話から行われるこの謎の行動は、僕ら視聴者に「少女革命ウテナ」のヘンテコリンな世界を印象付けてくれましたが、作中人物達にとっても彼のこの行動はやっぱり謎だったらしく、物語の終盤になって桐生冬芽の妹、桐生七実(きりゅう・ななみ)がミッキーに対して「あなた、いつも何をしているの?」と至極当然な問いを発します。
しかし、結局ミッキーはそっぽを向いて知らん振りを決め込むだけ。一説には、彼の生真面目さの象徴的行為であるとも言われていますが、真相はミッキーの胸のうちです。ちなみに、彼が最後にストップウオッチを押したのはウテナと「世界の果て」による最後の決闘がはじまった時で、ストップウオッチの「計りはじめ」が描かれたのはこの時だけです。そして、このストップウオッチが止められるシーンはついに描かれませんでした。これは、あの最後の戦いが、「劇場版」が終了した今でも続いているということを表しているのかもしれません。

気高い思い出

夏休みも終わって、新学期のはじまったばかりのここ数日、TVのワイドショー番組等で特別大きくも無く、さりとて小さくでもなく取り上げられたある小学校教諭について語るために、今回この特別考察を設けました。
その時には、普通のニュース等でも取り上げられたために、お昼のワイドショーなんて見ないという方でも少しは記憶に留まっているのではないかと思うのですが、僕の住む愛知県春日井市のある小学校につとめる男性教諭が、女子高校生との買春行為を行ったという罪で、逮捕されたという事件がありました。
彼は何年か前までは僕の通っていた小学校に勤めており、そして僕が部長を勤めたオセロ将棋部の顧問でした。
僕は小学校4年、5年、6年の三年間、毎週火曜日に彼と将棋をさしていたのです。

僕が入部したころ、オセロ将棋部は人数不足で廃部寸前でした。学校のきまりで、部活動を行うためには10人の部員が必要だったのに、どんなに人に呼びかけても9人までしか人が集まらなくて、非常に焦ったのを憶えています。登録締め切り時間ぎりぎりになって、やっと一人入ってくれる子がやってきて、翌週からなんとか部活動を開始することが出来たのですが、いざ集まってみると9人しかいません。最後に来た子は、実は他の部と間違って入ってしまったのだそうで、部活動開始までに他の部に移籍してしまっていたのです。
ひょっとしたら、これで廃部になってしまうのか、と僕らが不安になった時、当時まだ20代後半だった彼は、「先生も入れて10人だ」と元気に言って、将棋盤を取り出しました。
どう彼がはからってくれたのか、それから学校側からは何も言って来ることはなく、つつがなく部活動が行われました。
僕らの部は人数が少なかったためか学年、先生の壁を越えて非常に仲が良く、アットホームな部活動をしました。先生と僕は、よく床に寝転がって頬杖をつきながら、将棋をさしました。将棋の駒をつかった「山崩し」という遊びがありまして、無造作に盤上に積み上げた駒を人差し指一本で音をたてないように盤の外まで持ってこられたらそれを獲得出来るという遊びなのですが、それをやってから獲得した駒を自陣に好きなように並べて、それから将棋をするといった変則ルールでの遊びもしました。もちろん、挟み将棋や回り将棋もしました。
翌年からは入部者数がどっと増えたので、独特のアットホームな雰囲気は薄れてしまい、床で将棋を打つことも変則ルールで遊ぶことも出来なくなってしまったので、やはり、最初の年の楽しかった思い出が、一番印象に残っています。

僕は女の子ではありませんが、今思えば、彼は王子様でした。彼は、僕ら将棋部員の前では、とても明るく、楽しく、カッコよく、優しい先生で、先生に毎週会うのがいつも僕は楽しみでした。
ワイドショーでは、彼がロリコンで、変質者であったということにしたいらしく、意図的にそういった放送内容を作っているようでしたが、現場の生徒さんや、学校長や、父兄さんのコメントの中には、それを裏付けるようなものはありませんでした。学校長は「真面目で仕事をコツコツやる先生だった」といい、生徒の女の子は「恐いけど、折り紙とかを教えてくれて、優しい先生だった」と言っていました。彼は色黒で、とても背が高かったので、小さな生徒さんには恐かったのでしょう。僕も、最初はその外見が恐かったのを憶えています。
彼が淫行をはたらき、逮捕された罪状はあくまで女子高校生の売春行為の相手だったということだそうですが、今日び、女子高校生を相手にしたからといって、即、ロリコンということは無いでしょう。僕が言いたいのは、彼は決して生徒をそういう目で見るような、変質者と呼ばれるような先生ではなかったはずだ、ということです。彼は、生徒や他の教諭や父兄がいる限りは、カッコ良くて朗らかな先生でいたはずなのです。

もちろん、彼の罪状は明らかです。1年以上の期間にわたって、30人以上もの女子高校生と買春行為をしていたというのですから、たまたま運命の相手がまだ女子高校生だったということでも、たぶん、無いでしょう。ただ、ワイドショーなどで公然と放送された「女子高校生との行為を撮影したビデオテープを業者に売った」というのは、彼は否認しているそうなので、僕は彼の発言を信じて、そういう事実は無かったものと考えます。
それでも、彼は未成年者との買春行為という違法行為を犯したのであり、犯罪者です。とくに、先生という聖職にある者がそんな事をしてしまったのですから、罪は重いと考えてもよいと思います。

「劇場版少女革命ウテナ・アドゥレセンス黙示録」に、こんなエピソードが挿入される場面があります。
たくさんの人から求められ、それに答え、人気者だった王子様には秘密がありました。彼は、お姫様がいたから、王子様だったのです。本当の彼の姿は、蝿の王だったのです。お姫様がいたから、彼は王子様でいられたのです。

僕は、決して彼を糾弾するためにこの文を書いているわけではありませんし、説教めいたことを言いたいわけでもありません。
昨日、このコーナーで書いたばかりの「永遠のもの」、気高い心を持ち続けるということがどれほど困難なことなのか、直接知る人間の犯罪行為によって身に染みて感じてしまったのです。
これは僕の考えですが、王子様が王子様で居続けるためには、自分の外に広がる「世界の果て」との戦いのほかに、自分の内に存在する「蝿の王」との戦いにも、たぶん勝たねばならないのです。蝿の王の誘惑は甘美で、しかも、大抵の場合はそれに答えてしまっても、他人にとっての王子様で居続けることが出来る・・・ような気がします。その時、自分の中の気高い思いが消えてしまうことだけが、大問題なのです。
だから、気高い思いを持ち続けていれば、蝿の王と共存することは出来るのかもしれません。なぜなら、同様に気高い思いを消し去ってしまう「世界の果て」とだって、気高い思いは共存していることがあるからです。

彼が、「世界の果て」になってしまったのかどうかは、わかりません。
彼は昔、僕に世界に対しての楽しさと憧れを与えてくれる、僕の王子様でした。彼の中に、気高い思いがまだ輝いているのか、もう消えてしまったのか、それとも最初から無かったのか、事実はわかりませんが、僕は彼の中にその昔、確かに先生として生徒を慈しみ、その責任を果たすための気高い思いがあったのだと信じています。そして、今回の逮捕の経緯聞いた限りでは、それをもう失ってしまっているのだとは、決定的には思えません。

彼が、適正に罪を償い、社会に戻って、再び誰かの王子様として輝けることを、切に願います。

彼と彼女らの欲するもの

あなたが一番欲しいものはなんですか?それがある場所がわかっていて、そこへ行く方法が示されていたら、あなたもそこへ行こうとするのでしょうか?

剣道部主将「西園寺莢一(さいおんじきょういち)」が欲しかったのは、少年時代にその存在を信じた、永遠の友情でした。
フェンシング部部長「有栖川樹璃(ありすがわじゅり)」が欲しかったのは、自分の中にある、奇跡を信じる魂を否定するための強い心と、それを可能にしてくれる「奇跡」の到来でした。
天才少年「薫幹(かおるみき)」は、幼いころに失った光さす庭を、そこに確かに存在していた輝くものを取り戻したいと願っていました。
そして、生徒会長「桐生冬芽(きりゅうとうが)」は、ただまっすぐに世界を革命する力を欲していました。

それらは全て、決闘広場の上空に浮かぶ、永遠があるという城に行けば手に入るといいます。そこに行くための方法はただ一つ。薔薇の花嫁「姫宮アンシー」とエンゲージすることです。だから、彼と彼女らはアンシーをめぐって決闘ゲームに明け暮れました。
しかし、彼らの挑戦を退けて最後に薔薇の花嫁とエンゲージしていたのは、自分が王子様になりたいと願う少女「天上ウテナ(てんじょううてな)」でした。ウテナは幼いころ、両親と死に別れて絶望の縁に立っている時に、ディオスという名の少年に永遠のものを見せられて、この世界に帰って来ることができました。その時にディオスに指輪を渡されながら言われた言葉「君がその気高さを失わないならば、いつかこの薔薇の刻印が君を僕の元へと導くだろう」この思い出を胸に、ウテナは王子様になる決意をして生きてきました。

ウテナが少女のころに見せられた「永遠のもの」。それは何だったのでしょうか。永遠であり、奇跡であり、輝くものであり、世界を革命する力であるというもの。
親友を信じることが出来ず、あってはならぬ恋に苦しみ、失われた幸福の時間の中に帰ろうとする彼と彼女たちが、最後に求めたそれがあるという天空に浮かぶ城。
ウテナ以外の、その城にたどり着けなかった彼と彼女らは、頭上に浮かぶその城が本当は幻だったということを知りません。さらには、彼と彼女らが立っているその場所が、すでにその永遠があるという城であったということに、気がつきません。

ウテナが昔見せられた、そして城だと思ってたどり着いてしまった「世界の果て」でウテナが僕らに見せてくれた「永遠のもの」。それをどう読み取るかというのは僕ら視聴者一人一人に与えられた権利なのですが、本論を分かり易く進めるために、僕なりに出した答えをここにはっきり出します。それは気高き思いです。
気高き思いは人から人に受け継がれ、また奇跡のように人の心の中に突如発生します。それを発揮することで、人は誰でも王子様になれます。しかし、気高き思いを持ち続けた人は、己の身を擦り減らし、お姫様を助けるために簡単に命を落とします。そして人々は王子様のことをじきに忘れてしまいます。
そのことに気がついて、気高き思いを持つことをやめた時、王子様は「世界の果て」、つまり、あきらめてしまった存在になってしまいます。「世界の果て」が幾重にも連なって、世界の殻が作られます。間違いなく、この世界は、はじめは王子様の気高き思いによって生まれたのです。しかし、「世界の果て」になってしまった王子達は、世界の中に生まれた気高き思いを飲み込んで、それらを自分達と同じ「世界の果て」に変えてしまうのです。自分達も昔王子様だったから、新しく生まれてくる王子様達の輝きがより妬ましく思えて、取り込んでしまうのです。
「世界の果て」に取り込まれず、気高き思いを持ち続けることが出来た王子様には、世界を革命することができます。たとえ自分は死んでしまったとしても。世界を革命するということは、世界を破壊するということです。そして破壊された世界の外にあるのは、恐ろしい自由です。そこにたどり着いた王子様とお姫様は、やはりいつかまた、その自由の恐ろしさに敗れ、「世界の果て」になっていくのかもしれません。しかし、その中からはまた気高き思いが生まれ、いつか再び世界の殻を破壊するのです。

僕らのまわりに普遍的に存在している、無限に円環する気高き思いと「世界の果て」との戦い。そのほんの一部の、ある世界が革命されるエピソード。それが「少女革命ウテナ」の描いていた物語なのです。
あなたは本当は、世界を革命する力を望んではいませんか?もし、すでにあなたが、気高き思いを見失ってしまっているのだとしても、あなたの魂が本当に諦めていないならば聞こえるはずです。世界の果てを駆け巡る、あの音が。あなたが一度諦めることと引き換えに手に入れた社会的な力。その躍動する音が。気高き思いは奇跡の力、いつ、どこにいても何度でも蘇ります。今のあなたには、あのころには備わっていなかった力があるはずです。さあ行きましょう、あなたの望む世界へ!


次回以降の更新では、「世界とは何か」「他人は存在するか」「ウテナ回り道」「チュチュの不思議な生態」などをやっていこうと思っています。ああ!今日は「ウテナ」で一番言いたかったことが書けたので、気持ちが良いです。

世界を革命する話

TVアニメ「少女革命ウテナ」の最終回は、12月24日でした。

さかのぼって時は10月。
友人にウテナを薦められ、たまたま放映時間に家にいた僕は、大した期待も無くTVスイッチを入れました。

「ゲンジ通信あげだま」の時も「姫ちゃんのリボン」の時も「赤ずきんチャチャ」の時もそうでした。僕が心奪われる作品というのは、いつも放送終了間際なのです。

その日のウテナは、全39話中、第30話あたりでした。登場したのは、婚約相手のある年上の男性に、いけないと思いながらも心ひかれていく、主人公のりりしい少女。
その気持ちを弄ぶように、その男性が少女に誘惑をかけると、その度に燭台に乗った3本のローソクが唐突に画面に現れ、その火が一つづつ消えていきます。
それは少女の心理描写。いけない恋に心が揺れるさま。作中、少女は何度も「いけない、ボクが好きなのは、記憶の中の王子様なんだ」と自分につぶやきますが、ローソクの炎は揺らぎ続けます。
でも、頬をそめたり、言い寄られて唇を奪われたり、その男性の婚約相手が現れたり、その度ごとの少女の仕種は彼女の揺れる心を十分に表現していました。ここに疑問が。丁寧なその表現は十分過ぎるほど揺れる心を伝えて来るのに、これ以上、何故ローソクの表現が必要なのでしょう?

少女がその男性の止っている車の中で押し倒され、ゆっくりと唇を奪われるシーン。ローソクの火が、一つ消えます。その車の向こうの夕日に包まれた校舎の陰に、燭台を持った眼鏡の少女が立っていて、じっと二人を見ています。眼鏡の少女はその男性の妹で、主人公の少女とベッドを並べて同じ寮の部屋に眠る親友。そしてローソクの表現は、主人公の揺れる心を見つめている「観察者」の存在を現していたのです。
その少女は、自分が観察者であることを当然のように隠しながら主人公に接していて、純真な主人公はそんな彼女を疑おうともしません。

当事者の主人公ではなく、見ているものだけが感じる緊張感。視聴者と、観察者である親友の少女の視点が一体化します。そして突然画面が変り、夕日の作る影が校舎に映る、別の二人の少女による影絵劇が始まるのです。
能天気な語り口とは裏腹に、劇の内容ははなはだ暗示的で、ストーリーの裏に流れる製作者の「このアニメから一瞬足りとも目を離すな」という挑戦の意志が伝わってきます。
誰が、誰をだましているのか。作り手は視聴者の心理をどこまで計算しているのか。どうしてこんなに、見ていて切ないのか。

最後に一つ残ったローソクの火が、一際大きく揺らめいて「あ、消える!」と思った瞬間、この日の放送分は終わりました。もちろん、僕はこのアニメのトリコになっていました。

そしてクリスマス。最終回のエンディングを見終わった僕は、しばらくそのまま余韻に浸っていました。ラスト10回分しか見られなかったので、どこまで理解出来ていたのかは解らなかったんですが、それでも、ラストの希望に満ちたシーンは、僕に深い感動を与えてくれました。
TVはいくつかおもちゃのCMを流し、そしていつもの「少女革命ウテナ/おわり」と出る5秒ほどの静止画が---そこに表示されたのは、「この薔薇が、あなたに届きますように。スタッフ一同」という、飾られた文字でした。
「薔薇」とは、この作品の含んでいたテーマか、それとも作中語られた「気高き思い」か?このメッセージは、僕みたいにぼんやりしていた人か、次の番組(「トランスフォーマー・ビーストウォーズ」)を続けて見ようと思っていた人じゃなければ見ることは出来なかったはず。
やはりこの作品は、作り手が意図的に何かを仕組んだ作品だったのです。ちょうどクリスマス・イヴに、僕らに「薔薇」をプレゼントしてくれたのです。

次回以降の更新では、僕なりに考えたその「薔薇」について論じていきたいと思っています。


考察1・少女と薔薇 (8月20日)

考察2・永遠、奇跡、輝くもの、世界を革命する力 (9月1日)

特別考察・ある小学校教諭について (9月2日)

考察3・ウテナまわり道 (9月4日)

考察4・革命された世界 (9月5日)

考察5・オープニング解析 (9月16日)

考察6・天上ウテナ (1月12日)

薔薇物語

「少女革命ウテナ」という作品を論じるに当たって最大の焦点となるのは、その難解な表現の解釈です。
この作品を見ていて、美少年や美少女たちの躍動するアクションアニメとして楽しみながらも、一見物語と関係なさそうに画面に現れるいくつもの意味不明の記号に首をかしげ、次第に製作者の意図を読み取ることを放棄していったという方は、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
主要登場人物が現れる度に画面の四隅で回る「薔薇の紋章」や、学校の噂や世間話という形をとりながら物語の主題を鋭く隠喩する「影絵少女」、学校の裏庭にそびえたつ白亜の塔とその最上部に作られた決闘広場、決闘広場のさらに上空に浮かぶ蜃気楼の城、意味のある場所にも無意味な場所にもシグナル音とともに現れる「ゆびさし記号」、そして物語の結末に近づいた頃に現れた世界の果ての乗り物「赤いオープンカー」などなど。
「少女革命ウテナ」の魅力の一つはこれらの奇抜な演出にあるわけですが、他のアニメでは見かけることのなかったこれらの演出を、ただ「なんか面白い」と思うだけでは、あまりにも勿体無いというものです。それぞれの演出が、それぞれの使われているシーンで、いったいどんな意味を持っているのか、なぜそんな表現が使われているのか。それがわかるようになってくると、うわべの面白さに包み隠されたこの作品の深いところにある別の面白味やメッセージ性が楽しめるようになります。
ただ、これらの奇妙な表現群を理解するためには、最低限認識していなければならない事があります。
それは、「作品を鑑賞することは、製作者との対話である」ということです。作品を見ながら、作り手の意図を感じようとする意志です。優れた送り手は作品からどんどん自分の匂いを消してしまいますが、それを見極め嗅ぎ当てるような受け手の技能、才能、そのための努力。よりその作品を楽しもうという気持ちから生まれる、自然な受け手と送り手のやりとりが、この作品が隠し持つ「薔薇」をあなたに届けてくれるのです。

例えば、ぐるぐる回る「薔薇の紋章」は、はじめのうちは繊細なデザインの登場キャラクターたちを飾るように、画面の隅に表示されていました。ところが、話が進むにつれて、「薔薇の紋章」は華やかなキャラクターの引き立て役ではなく、彼女らの行動を隠す役割を持つようになります。
二話に一度程の割合でクライマックスに登場する決闘シーン。お互いに胸に挿した薔薇の花びらを先に散らされた方が負けというルールで、主人公「天上ウテナ」は、所有する「薔薇の花嫁」こと「姫宮アンシー」という少女を賭けて、選ばれたデュエリスト達と戦います。相手は剣道部主将やフェンシング部のホープなど、剣を扱うことにかけてはウテナより一枚も二枚も上手な強敵です。しかし劣勢に立たされたウテナが、勇気を振り絞って最後の一撃を繰り出す時に、決闘広場の上空に浮かぶ「ディオスの城」から王子様の姿をしたディオスと呼ばれる少年が舞い下り、ウテナに力を与えます。その時、ディオスがウテナに重なった瞬間、突如画面には回転する「薔薇の紋章」が現れ、視聴者から二人の姿を隠してしまいます。次の瞬間に、ディオスの力を全身に宿したウテナが鋭い姿勢で飛び出し、決闘相手の胸の薔薇を散らしているのです。
薔薇で隠されていた一瞬の間に、ウテナとディオスの間には何があったのでしょう?おそらくは、ディオスの意志がウテナに宿ったという表現として、ディオスがウテナに乗り移るという「絵」がそこには描かれていたのでしょう。はっきり描いてしまえば、他愛の無いアニメにありがちな表現です。しかし、ウテナの演出家はそれを隠したのです。薔薇の花の紋章で。隠さなければ、「人の精神が他人に乗り移る」なんてデタラメを平気で使うようなただのお子様向けアニメです。しかし隠すことで、そこには「少年と少女が薔薇の花びらの向こうで一体化する」という、なんとも淫靡な香りの漂う表現になってしまうのです。
このシーンは、30分のアニメの中にほんの一秒ほど挿入されているに過ぎませんが、送り手が「このアニメは、ここまでやるんだ」と僕らに伝えるには十分な効果になっています。

この「薔薇の紋章」は、アニメの登場人物達には知覚されていません。作中の構図等に関係なく、画面の一番手前に現れます。
普通、アニメの製作者は、アニメのキャラクターや物語を通して僕ら視聴者に何かを訴えかけようとしますが、「薔薇の紋章」という演出は、製作者が僕らに直接何かを伝えようとする効果を持っています。ウテナとディオスが一体化するシーンを隠したのは、作中人物の意図ではなく、製作者の意図なのです。
こんなにも分かり易く、製作者が僕らの前に姿を現してくれるのですから、その意図を読み込まないのは失礼とさえいえると、僕は考えます。
薔薇の花によって華やかに飾られ、同時に薔薇の花によって隠される少女、ウテナ。

彼女は、幼い頃、両親を同時に失い深い悲しみに沈んでいる時に、白馬の王子様と出会ったという記憶を持っています。王子様は幼いウテナを薔薇の香りで包み込むと、そっと涙をぬぐってキスをしてくれました。「たった一人で悲しみに耐える君・・・・・・。その強さ、気高さを決していつまでも忘れないで」そしていつの日か再会することを約束して、薔薇の紋章の入った指輪をくれたのです。
ところがそれ以来、ウテナは王子様に憧れるあまり、自分も王子様になる決意をしてしまいました。
ウテナの気高い精神は、この幼い日の王子様との約束を守り続けることで作られました。その気高さの象徴として彼女とともに薔薇がある限り、自分がお姫様になることが出来ないということに、その悲劇性に、ウテナは気が付いていません。王子様と再会出来るのは「お姫様」であって、王子様が二人出会ってしまったら、戦わなければならないということにも。

一見、不思議な(というより奇妙な)少女・姫宮アンシーとの共同生活の始まりや、普通の学園生活が描かれているだけで表立っては出てきませんが、ここに挙げたようなこの作品が内包している悲劇性は、第二話までの時点で、既に読みとることがで来ます。
そして、それを意識してみることで、なぜかウテナ本人ではなく、今度は姫宮アンシーという少女の持つ謎への、回答が示されて来るのです。
彼女の正体はなんなのか。アンシーは、自分を「薔薇の花嫁」であるとして、決闘の勝者に絶対服従をします。ウテナのことを「ウテナ様」と呼び、掃除洗濯をかいがいしく行い、決闘広場に立つりりしいウテナに寄り添って剣を差し出します。アンシーは、お姫様なのです。そしてウテナはアンシーの元に現れた王子様。
アンシーといることで、ウテナは王子様になります。王子様に憧れるのではなく、守るべきお姫様を持つことで、ウテナは過去の束縛から解かれ、王子様でいられるわけです。この辺が、ただ男装の麗人がカッコ良く飛び回るだけのアニメではありません。
すると、第三話で学園の生徒会長「桐生冬芽」が現れ、ウテナは彼に昔見た王子様の面影を見てしまい、今度はお姫様としてのウテナの物語が進んでしまいます。でも、ウテナがお姫様になってしまっては、今度はアンシーの立場がおかしな事になってしまいます。「お姫様」では「お姫様」を守ることは出来ないはずです。
上辺では、何の問題も無く物語が進んでいるのに、一歩踏み込んだ見方をしていると、この作品は常に「物語」という枠組みが崩壊してしまうラインのスレスレで展開していることがわかるのです。

さらにこの先、ウテナとアンシーは、物語の構造としての「乗っ取り」の意味を持つ「別の王子様とお姫様」のカップルとも戦うことになっていきます。そしてその戦いを通して、「王子様とお姫様」の関係には様々なバリエーションがある事を僕らは見ていきます。その中で、「王子様とお姫様」の間で揺れるウテナと「絶対のお姫様」であるアンシーという、「予定調和の物語の構図」としては絶対にありえないはずの二人のカップルが、ついに新しい物語の世界を紡ぎ出せたということ、薔薇の花に隠されることで守られていたウテナという少女が、その結果物語としての歪みを一身に受け、最後には作品世界からはじき出されて消えてしまってまでも僕らに伝えてくれた、新しい物語の希望。
ただぼんやりと眺めていたのでは掴みづらい最終回間際の展開は、第一話からしっかりと送り手のメッセージを受け取りながら見ていくことで、はっきりとその奇跡の意味を伝えてくれるのです。

次回以降の更新でも、「少女革命ウテナ」の読み取り方の考察や、もっと気楽な楽しみ方の話を続けていきたいと思っています。僕なんかより「ウテナ」の理解の深い方にはただの雑文に過ぎなかったと思いますが、まずは多くの皆さんがご自分の言葉で難解な物語である「ウテナ」を理解出来る手助けをしたいと思い、この項を書きました。
この薔薇が、あなたに届きますように。

何気ない人の営みをこんなにいとおしく思えるなんて

WOWOWで深夜に放映していたのを、つい見てしまいました。
劇場公開当時は、名古屋駅近くの街頭ビジョンで隕石の地上激突シーンがよく流されていたので、「ああ、そういう映画か」などと独り言をつぶやきながら、ついに見に行くことは無かったのですが、とても気にかかっている映画ではありました。
ストーリーは、大体予想できていました。
地球に、大きな隕石が降ってくるわけです。人類は、アメリカ大統領を中心に人類生き残り計画を立て、まずは隕石に有人ロケットを飛ばし、核爆弾でそれを粉々にしようとします。でも、些細な不幸でそれは失敗します。人数制限のあるシェルターに入ろうとする人のひしめき合う映像。助かろうとする者、譲る者、拒む者、受け入れる者。ついに地上に到達した隕石が引き起こす特大の津波。飲み込まれる街。少しでも逃げようとする者、無抵抗な者。
予想範囲を越えないストーリー。つまり、期待通りの映画だったわけです。
街頭ビジョンでその映像を見た1年前に予想した通り、この映画を見ながら、僕は何度も零れる涙をぬぐいました。それを見ていた約2時間のうち、後半1時間はずっと泣いていました。
人々の営みが、これで終わってしまうのです。しかし混乱の様子や醜い争いのシーンは、TVニュースの向こうの映像として少量が流されるのみで、映画が映し出すのは、その過酷な状況に強く、あるいは弱々しく立ち向かい、生き、死ぬ人々です。父と子、家族、若い恋人。監督が女性だからというわけでもないのでしょうが、優しく柔らかなドラマがいくつも描かれます。

どうなんでしょう?この映画は、それほど高い評価を得たという話は聞きません。しかし、僕はこの映画を見て、古来より語られてきた「物語の力」という素晴らしいものに触れた実感を得ました。
清き決断をする人間の姿を見たい方は、どうぞこの映画をご覧になって下さい。

冒頭のシーンが「ガメラ2・レギオン襲来」とやたら似ているのは、ちょっと笑えますけど。

走るサムライ

レンタルビデオ店なんかで、知らないタイトルの映画を無造作に借りてきたとします。
「なんでこんな映画作ったんだ?」って思えるような作品に当たってしまう事もしばしばですが、時折、大当たりとも言えるような作品を見つけたりして、小躍りしてしまう事があります。「SFサムライフィクション」は、ちょうどそんな映画です。

SFというのは、サイエンスフィクションのことではなく、そのまま「サムライフィクション」の略称です。真面目な剣戟映画です。
はじめ、最近の若い監督さんが撮った剣戟映画だというあおりを見て、過去の日本映画へのオマージュ的な作品である事を想像したんですが、それは勘違いでした。問答無用に面白く、どこか懐かしく、そしてなんとも新しい映画でした。丁寧に作られた、過去の名作にイメージを頼ったりしない、独立した剣戟映画です。
主人公は生真面目で、その生真面目さゆえに可笑し味のある青年サムライです。藩の宝である将軍家から賜った刀を盗み、藩の役人を殺して逃げた剣客を追ってひたすら走ります。幼馴染の青年サムライ二人も一緒に走ります。じきに、ただ走る主人公を止めてくれる中年サムライと、その娘が現れます。それでも主人公は走ろうとします。宿敵の剣客も、生き急いで苛立ち、走ります。藩お抱えの忍者も走ります。馬も走ります。任侠も走ります。終いには、中年サムライも走ります。最後に、主人公は泳ぎます。

ストーリーを言わないようにこの映画を紹介すると、そんな感じです。
監督は、色々なミュージシャンのミュージッククリップを作っている人で、専門ともいえる音楽と映像との融合はもちろん、殺陣の見せ方や人物のちょっとした描写などに、非凡な才能を見せてくれます。
こういう当たりを引くことがあるから、知らない映画を適当に見るのはやめられません(ただ単に映画を知らないだけだという話もあります)。

とにかく、一度観たら、知り合いに教えてまわりたくなる映画です。というわけで、まだ観ていないのでしたら是非どうぞ。

限界?

あまり面白くない映画でした。
ものすごく丁寧に作られた脚本を見ても、1シーン1シーンの考えられた絵作りを見ても、おそらくそれほど多くはなかったであろう予算の中できちんとした作品に仕上げた執念みたいなものが感じられますから、決して、平凡な映画ではありませんでした。きっと、この映画を好きだと言える人も、見た方の中にはいらっしゃることと思います。
原作のマンガを読んでも解るとおり、この作品には、あまり多くの個性的な人物は登場しません。マンガ版は、警察官の日常が、飛びぬけて個性的な二人の主人公を引き立てるために用意され、延々と繰り返されるという作品です。しかし、この劇場版では、主人公二人の活躍もさる事ながら、サブキャラクターたちも精いっぱいの個性を主張して頑張ります。テロVS一般警察という非日常の状況に直面して、恐れ、そして奮い立つサブキャラクターたちは、みんな魅力的でした。
さらに、物語の端々で登場する小技の効いた演出や、マンガ版から受け継がれた特殊設定の数々も、ここでそうくるか!と思わず膝を叩いて唸らされるような使われ方をされていました。全体の流れを見ても、一つの事件と、そこに渦巻く人間ドラマ、そして状況に立ち向かう主人公達をよどみなく描いており、非常に完成度の高い映画になっていると思います。

しかし、まずなによりこの映画に言えることは、作品全体が小さいということです。描かれている人物のすべてが薄っぺらで、語られる能書きは説得力に欠けるものばかりでした。状況設定は正しいのです。日本の警察署は、本格的なテロリストの攻撃に対して驚くほど無力であり、警察がそれに対抗するためのマニュアルを作っていたという設定に無理はなく、それを作り上げた知的犯罪の専門家が謎の疾走を遂げたというプロローグも大変興味を掻き立てられます。
それなのに、それに関わるすべての登場人物が、その状況を理解しているとは到底思えない思い付きの行動を取り、しかしそれで事件は解決してしまいます。
また最大の問題点は、こういった犯罪を描いた物語においてある意味で主役以上に重要な役柄であるはずの犯人が、全く魅力的な人物でなかったことです。見事な手腕で手持ちが少ない戦力であるにも関わらず東京を混乱に陥れ、一つの警察署を完全に制圧してみせ、体制を手玉にとってみせた男が、行動の心理をやすやすと指摘され、自殺に失敗し、組み付されながら主人公たちと談笑するとは何事か!この映画全体の小ささは、この犯人の器の小ささに他なりません。犯人の魅力が皆無であるからこそ、彼との友情の板挟みにあいながら、終始謎の行動を取り続けた主人公たちの上司の魅力も、まったく引き出されなかったのです。

ラストシーンは、主人公たちの小さなパーティです。少々大掛かりな舞台装置を使った小さな物語は、後に何も残さないであっさりと終わります。筋も面白いし、派手なシーンも多いのに、ここまであっさりした印象を受けてしまうのは、まったく人間が描かれていないからです。作り手が最初から大きな話を作ろうとしていたのではないことは、そのラストシーンからも容易に想像できますが、それならば状況設定や舞台設定に凝った、こんな背伸びはやめるべきでした。人間が描かれていない物語ほど、見苦しいものはありません。優れた脚本家は、劇中の登場人物のほんの一言からでさえ、人間の持つ深い苦悩や喜びを、受け手に感じさせることが出来ます。それが出来ない、もしくは、それを行おうという努力をしない者は、表現者の道をあきらめるべきです。この映画の登場人物に、僕は一人足りとも惚れることが出来ませんでした。

大まかなストーリーの相似や、「○○ THE MOVIE」というタイトルから感じていたほど、この映画は「パトレイバー THE MOVIE」に似た映画ではありませんでした。東京や警察といったキーワードを重ねていくと自然に使わざる得ない、例えば河川と船による移動といった部分的にそっくりなシーンはあっても、これだけ異なる作品になっていたという点は評価できると思います。

理知

当HPからもリンクさせていただいている「FatMan's FLYING CIRCUS」さんで、モンティパイソンが大変にプッシュされており、名前は聞いたことがあったものの作品を見たことが無かったので、レンタルビデオ屋さんに探しに行きましたところ、劇場版モンティパイソンというやつがポツンとありまして、それで借りてきて見たという次第です。

簡単に言ってしまえば古いコメディなわけですが、その破壊力はすさまじいものがありました。笑い、というのは冷静に語るのが難しいものですので解説は差し控えますが、今日僕らがよく目にする多くのギャグの中に、モンティパイソンによって作られたパターンがどれほど多く含まれているのか、見当もつかないということは言えます。
はじめに見た時は、そのネタは少々古く感じました。それは、モンティパイソンをオリジナルとするギャグに、現代日本人は日常的に触れているからだと思います。なんとなく、ドリフや、吉本新喜劇、松本人志なんかが、見ていると頭の中に浮かんできます。しかし、もう一度見返してみた時、今度は心から、素直に爆笑している自分に気が付きました。ギャグの王道の中に、「パターンのギャグ」というのがありますが、まさしくモンティパイソンはそのオリジナルなわけで、今まで幼い頃から散々笑ってきたギャグの元ネタに触れているわけですから、笑えないはずがありません。

今までちゃんと見たことなかったんですけど、他にもたくさんある有名な「笑いのオリジナル」の作品に、触れたくなりました。
まずはもういくつかモンティパイソンのビデオを探して、その次はチャップリンを見てみたいです。

どかーん

黒のジャケット、黒のズボン、黒の革靴、黒の帽子と黒いサングラスに身を固めた二人組み。
残念ながら彼らは「ブルースブラザース」ではありません。
いつの間にやら地球上に忍び込んでいた宇宙人達を管理し、宇宙人の事を知ってしまった善良なアメリカ国民の記憶からその部分を消し去っていく、アメリカ合衆国の国家公務員です。
彼らに名前はなく、ただその特徴的な黒づくめの姿からメン・イン・ブラックと呼ばれています。
「MIB」は、その組織に抜擢された青年警官を主人公とする、ドタバタコメディ映画です。

この映画について、特に語る事はありません。
分かり易い筋立て、特撮を多用した種類豊かな宇宙人の描写、テンポの良いギャグ、派手なCGアクション、お色気少々、そしてハッピーエンド。強いて注目点を挙げるとすれば、二種類のMIB登用テストに対して主人公がとった行動のアイデアと、対宇宙人用武器の破壊力の描写でしょうか。

上映時間は約二時間。その間は、他事を考えることも無く、ただのんびりとドタバタ映画を楽しむ事が出来ました。
つまりは、これは上質な現代のハリウッド映画って事です。二時間の暇つぶしに、よかったらどうぞ。

ファイナルウーマンは、マザーにはなれないのか。

「エイリアン1」は、小学生の時にTVで放映していたのですが、恐くてまともに見られませんでした。すぐにTVの無い部屋に逃げてしまいました。
「2」は、当時の少年漫画誌なんかでも大きく扱われたので、大まかな物語の流れや大仰なパワードスーツの存在は知っていますが、映画そのものは、これも後にTVでやっていたものをちらっと見た程度でした。
そして「3」は、映画好きの知人に、カメラワークがスゴイよとだけ聞いたことがあるだけで、全く見たことがありません。
ついでに、「VSプレデター」はゲーム化されたものを少しやったことがあるだけで、ストーリーもろくに知りません。
僕にとって、今回の「4」は、映画としての「エイリアン」の初体験でした。

なんとも、SF映画でした。「3」までの時代から、さらに200年が経過。エイリアンの子を宿したまま死んだシリーズの主人公リプリー(当然シガニー・ウィーバー)が、冥王星軌道に浮かぶ軍事用宇宙ステーションで、クローン技術によって甦ります。
シガニーは、当初もうエイリアンシリーズに出演するつもりは無かったらしいのですが、目を通した「4」のシナリオがあまりに面白かったので、出演を承知したんだそうです。
科学者達は、クローンリプリーの体からエイリアンの胎児を摘出し、育て、軍事兵器や化学産業に役立てようと目論んでいました。その科学者達に、冷たく「あなたたちはみんな殺されるわ」と言い放つ、クローンリプリー。「3」までで、何度もエイリアンと戦い、最後は自爆までした彼女の重いセリフも、200年後の科学者達には実感を持って届きません。

クローン、コールドスリープ、宇宙ステーション、遺伝子の混合による新種の誕生などなど、SF的なギミックは随所に使われていますが、それらに埋没することなく、過去の優れたSF作品と同じように、この映画では人間ドラマの方にこそ物語の比重が重く置かれています。
SFが文学の一ジャンルたり得ている理由は、それが人間というものをリアルに描くことが出来るからです。この映画はそこを忘れずに、極限状態での人間の選択や、ふとした気の迷い、心の醜さ、そしてその悲しみを描き切ります。残酷な映像の多いこの映画の中で、ウィノア・ライダー演じる正義感の強い美少女が時折見せる、人間的で温かい言葉や行動に、僕は何度も気分を和ませたのですが、彼女の正体が終盤で明かされると、それはリプリーが自分がクローンであるという悲しみを強く受けるあるシーンとともに、僕に大きなショックを与えました。

最後に現れる特別なエイリアンは、物語上の扱い次第ではこの映画のテーマをひっくり返してしまうような、強力な意味を持った存在でした。今、ハリウッドでは、「エイリアン5」の制作の話が持ち上がっているそうですが、このエイリアン以上に存在に意味のあるエイリアンは、そう簡単には作れないでしょう。また、そのデザインも、「人類の敵エイリアン」としては、究極のものだったと思えます。

ホラー映画として紹介されることの多いシリーズ作品だと思うのですが、見た後の感想は、とにかく良質のSF映画をみたなあというものでした。

ところで、僕は、この映画の最後に使われているあるシュチュエーションにとても弱いのです。これが出て来ると、映画だろうと小説だろうとマンガだろうと涙が出てきちゃうんです。セーラームーンR劇場版でも、笹本裕一の小説「星のパイロット」でも泣いちゃいました。きっと、幼児期になにかトラウマでもあるんでしょうね。

もう一度教えて欲しい

「怪獣映画なんて子供の観るもの、着ぐるみがドタバタやってるだけでしょうもない」とあなたが思っているのだとしたら、あなたが平成ガメラシリーズを観ていないのは間違い有りません。
僕はもともと特撮モノは好きですが、着ぐるみがカッコ悪いというのはしょうがないことなんだと思っていました。好きになればなるほど、どうしたって、中の人が汗をカキカキ、一生懸命動かしているのが脳裏に浮かんでしまいます。だからこそ、希に存在していた、「着ぐるみの怪獣がとびきり格好よく見える瞬間」というものをありがたがっていました。
しかし、あえて言い切りますが、平成ガメラシリーズの怪獣達は、ほとんどが着ぐるみに見えません。どのシーンも、怪獣達はとびきりカッコイイです。知識として、スクリーンに映る怪獣達が着ぐるみだったりCGだったりするというのは頭に入っているのですが、視覚から入って来る、「巨大なモノが街を破壊している」という情報と、脳内で重なろうとしないのです。
現場レベルでは、今までの怪獣映画にはなかった、様々な工夫がされていたそうです。撮影のほとんどを野外セットで行い、自然光によって画面全体の「作り物っぽさ」を取り去ったこと。基本的に画面を人間の視点の高さで構成して、怪獣の巨大さや存在感、その圧迫感を存分に引き出したこと。僕らが日常レベルで見ている町並みや野山の風景に、造型の簡略化等による嘘を使わないこと。
その結果が、このように近年希な、本気で見られる怪獣映画の完成に結びついたのです。

「G1・大怪獣空中決戦」「G2・レギオン襲来」に引き続き、今回の「G3・邪神覚醒」も、不安無く劇場に足を運びましたが、そのデキの素晴らしさにやっぱり感動いたしました。それまで怪獣映画の最高傑作だと思っていた「G2」が、もう物足りなくなってしまったくらいです。
平成ガメラシリーズは、今回の「G3」で終わってしまったそうですが、出来ることならばまた、このクオリティの怪獣映画を観たいものです。このジャンルの大スターで高名なゴジラさんは、去年まで海外に武者修業に行っていた割には、いまだに着ぐるみっぽさが抜けきれておらず、今度公開される新作も、また「構えて」みないといけないみたいですから・・・。
(そうそう、この「G3」にゴジラとキングギドラが写っていた場面がある、と僕は主張しているのですが、誰も認めてくれません。あなたは、見つけましたよね?壁画ですけど・・・)

踊る!

簡単なことです。ビデオデッキにこのテープを入れて下さい。
ヒンディー語というのは、なんとも音楽的な旋律を持つ美しい言葉です。今風ではないところがかえって好ましいダンスミュージックをバックに、そのヒンディー語の歌を唄いながら、ムトゥは馬車に乗ってあなたの前に現れます。
老若男女からモテモテの、あるマハラジャに仕える中年男性使用人、ムトゥが、あなたをマサラムービーの世界に引き込みます。
踊り、唄い、恋をし、事件を解決します。特に踊ります。
最初は「何なのだ!」と思うかもしれませんが、ムトゥの力強い歌声と、ヒロインであるミーナの驚くほど甘い歌声、そしてへなへなのアクションシーンを観ているうちに、細かいことはどうでもよくなってきます。

勧善懲悪のメインストーリーに、お昼のメロドラマのようなラブロマンス、そして忠君の人情ものに加えて貴種流離譚と、分かり易い物語のエッセンスが存分に詰め込まれ、観ていて頭を使うことはまずありません。
上映時間2時間半と、気楽に観るにはちょっと長い映画かもしれませんが、のんびりした休日の午前中にでもご覧になれば、その後の半日がなんだかやたらハッピーに過せること、うけあいです。

卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく。

同じ映画を2回紹介するのも反則かなとは思ったのですが、二日連続で映画館に足を運んでしまうほどハマってしまったので、どうかご容赦ください。

今回は、TV版を多少なりともご存知の方に、いくつかの「みどころ」についてご紹介したいと思います。
まずは、大きくデザインの変化した鳳学園。TV版ではまるで前方後円墳のような形をした巨大な丘の上に建つ学校でしたが、物語の冒頭から画面に登場する今回の学園の校舎を見たら、その強烈に打ち出された新しいイメージに皆さん驚かれることでしょう。幾原監督は雑誌のインタビュー等で「皆さんにいままで誰も体験したことのない映像をお見せします」と発言していますが、その象徴たるものこそ、この校舎だと思います。ただし、冒頭のシーンだけで十分に衝撃的なのですが、ここであまり驚きすぎてしまうと、後に続く無数の未体験映像美の群れに圧倒されてしまいますから、どうかほどほどに「構えて」ご鑑賞下さい。

「黒薔薇会編」を皆さんは憶えていらっしゃいますか?あの時の施設も登場します。並べられた椅子の上の交通標識。そして面会室。今回あの面会室に入るのは、なんとウテナ本人です。本来面会室に入るべき「黒薔薇の生徒」との対極に位置するはずのウテナが、あの面会室に入った時、どのような結果が訪れるのか。ずっと抱いていた一つのイフが解かれます。

生徒会メンバーそれぞれの動きも見逃せません。特に生徒会長桐生冬芽はTV版であまり描かれなかったバックグラウンドが初めて描かれ、彼に対する印象が大きく変わること請け合いです。西園寺莢一はいつも通りの一直線野郎で、薫幹はTV版以上に薫梢に翻弄され、有栖川樹璃はTV版以上に悲しく描かれます。ナナミは・・・ナナミでした。そしてもちろん、全編にわたって描かれているのはウテナとアンシーの物語。ある場面ではTV版と同様に、またある場面では予想外の行動を取って観客を仰け反らせてくれます。

真っ赤なボディとスポーティなフォルムが魅力の「アキオカー」も、もちろん登場します。TV版とは少し違った役回りでですが。しかしながら心配は御無用!誰も想像出来ないような登場の仕方をする「ウテナカー」を筆頭に、何台もの自動車が終盤のスクリーンを飾り、激しく疾走します。それらが何を目指しているのか?それがおそらくこの映画のテーマです。


「劇場版少女革命ウテナ・アドゥレセンス黙示録」は、全国東映洋画系で放映中です。意外にお客さんは入っていますがおそらく長くても9月中旬には打ち切られてしまうと思うので、見ようと思われた方はお早めに!

お面貸して下さい

スタンリー・キューブリック最後の作品となってしまった「アイズ・ワイド・シャット」を、たまたま見る機会がありました。
キューブリックの訃報が世界中を駆け巡った際に、ニュース等で最後の映画としてこの作品の映像が流れていたので、やたら顔の良い男女が絡み合っているシーンなんかを見た記憶がある、なんて方も多いのではないでしょうか。
なんだかどのニュースでもHなシーンばかりが使われているなあなんて思っていたら、答えは簡単。この映画にはそおゆうシーンしか無かったんです。さすが15才未満鑑賞禁止。

ストーリーには、大きな起伏はありません。まるで僕らの日常のように、安定した毎日と、ちょっとした身の回りの不安が繰り返されるだけです。
それゆえに、映画の中盤で、無意味にやたら顔の良い主人公の医者が、ある奇妙な不思議パーティーに偶然忍び込む場面が、異常な恐怖を生み出します。それまでただのひねくれたホームドラマだったものが、唐突にゴシック・ミステリーに変化します。
際限の無い恐怖が観ている僕らをも包み込みます。喩えるなら、「子供時代、ちょっとしたイタズラが大変な事件に発展してしまって、その犯人探しを大人達がしている場面に立合っている緊張感」とでも言いましょうか。白状してしまえば簡単に済むのかも、という考えと、自分の想像もつかないような大問題になっているんじゃないかという不安感のせめぎ合いです。
そしてこの恐怖は、はっきりとした解決を迎えず、「なんとかやり過ごした」というような形で終結し、映画は淡々と終わります。中盤の、水面に落とされた墨のような恐怖がシンプルに映画を飾っているだけで、あとは本当に起伏の無い映画です。
大変気に入ってしまいました。

同行者も気に入っていたようでしたし、お客さんも随分入っているみたいなので、良い映画なのかもしれませんが、気がかりなのは、僕と一緒に映画館を出たほとんどの人が首をひねっていたことです。
ハリウッド型の分かり易い映画を見なれた人には、楽しみかたが難しい映画かもしれません。でも、よかったら、どうぞ。

世界を革命する力を!

いずれ、このHPの「世界を革命する話」にてこの映画のことは大きく取り扱うことになるので、今回は紹介がてら、ある1シーンに関する考察程度にとどめようと思います。

おそらく美術の授業中と推測出来るシーンです。二人一組で、お互いのスケッチをすることになり、天上ウテナのところに姫宮アンシーがにっこり微笑んでやってきます。天気が良くって校内のどこでやってもいいということになったので、アンシーは広大な鳳学園の校舎の中をウテナを連れてスイスイ進み、他に誰もやって来る者のいない、塔の最上階にある理事長室に連れ込みます。
さっそく、まずはアンシーがモデルになってウテナがスケッチをはじめます。ウテナは一生懸命鉛筆を走らせながら、昨晩あったことを謝ったり、「薔薇の花嫁」について聞いたり、いろいろとアンシーに語り掛けます。
画面には、モデルの姿勢で固まっているアンシーだけが映っています。やがてウテナは、お互い隠すところ無く本当の姿を見せ合おう、本当の友達になろうと明るく話し出すのですが、じきにアンシーはそっぽを向いてしまい、足を組み替え、姿勢もだんだん崩れてきます。
この間、ウテナの鉛筆の音は響き続けています。普通モデルが動いたら、スケッチをしている者は注意の声を上げるはずです。それが無いということは、ウテナは目の前のアンシーを見ないでスケッチをしていることになります。つまり、目の前にいる相手ではなく、自分の中のアンシーを見ながら、「お互いを見せ合おう」なんて言っているのです。僕が昔スケッチのやり方を習いはじめたころ、とにかく「相手を見て描け」と言われました。相手を見ないと、自分の中にあるイメージだけを見つめることになるからです。ウテナはこのシーンで、ただ自分の内側にいるアンシーしか見ていなかったのです。
アンシーが自分の話を聞いていないとは夢にも思わぬウテナが、より発言に熱を込めようとした時、それを遮るようにアンシーは立ち上がり、モデルの交代をうながします。
次のシーン、アンシーがどうすすめたのか、ウテナはなんとオールヌードでモデルをやらされています。初めは大きなスケッチブックでなんとか体を隠していましたが、アンシーはさっき隠すところ無く付き合おうと言ったではないかと追求し、ついにウテナはスケッチブックを床に落としてそのままモデルになります。
モデルになり、羞恥に身を震わすウテナ。やがて耐えられなくなって自分だけ何故に脱がねばならないのかと声まで震わせますが、それに対してアンシーがとった行動は、自分も制服を脱ぐというものでした。ここで、TV版では明かされなかった「薔薇の花嫁」姫宮アンシーの恐ろしい秘密が一つ明かされることになり、ウテナのアンシーを思う気持ちが一層強くなるのですが・・・。

ほんの数分のシーンですが、「少女革命ウテナ」のメインテーマともいうべき「他人の存在」に関するエピソードが凝縮されています。僕はこの「ウテナ」という作品の最大のテーマを「他人は存在するか」というものだと捉えていたのですが、この劇場版でもその問いは色濃く出ていると感じました。

映画全体の流れは、TV版と同じ意味を持つエピソードをTV版とまったく異なるシュチュエーションで描きつつ、TV版の最終回以後の物語まで見せてくれるというものでした。
そして冒頭から、幾原監督が宣言していた通りに「今まで誰も見た事が無いような映像美」が惜しげも無く溢れかえり、見る者を圧倒します。さらには、TV版の人気キャラクターである、チュチュ、アフリカ象、ナナミ牛に新キャラクター「ケロポン」までちらりちらりと登場し、僕のお気に入りの影絵少女も絶好調!もちろん、ここらのサービスはあくまでおまけ、本編の重厚な作りは初めての人も僕のようなウテナマニアも同様に煙に巻く、「らしさ」爆発!
この夏一番のオススメです。劇場に足を運ぶことがあったら、全国東映洋画系にて放映中ですので、是非どうぞ。

YOU!YOU,YOU!

黒のジャケット、黒のズボン、黒の革靴、黒の帽子と黒いサングラスに身を固めたのっぽとデブの白人男性二人組。それがブルースブラザース。

このKoolな二人の行くところ、必ず破壊と混乱、そしてブルースのリズムが巻き起こります。
兄のジェイク・ブルースは、太った体をものともせず、得意の連続BACK転やタップダンスで暴れまくり、大挙して追って来る警官隊やナチズム党の集団を臨機応変(無計画とも言う)な行動で煙に巻きます。仲間のバンドメンバーすらも口先三寸で言いくるめ、他人のステージを奪ってライブを敢行!ソウルフルな彼のヴォイスが劇中、止むことはありません。
弟のエルウッド・ブルースは、一歩下がってジェイクをサポートするカーマニア。歌を唄えば低音コーラスにハーモニカ演奏、独自のダンスでステージを盛り上げ、迫り来る追手は警察払い下げのダッヂ、通称「新・ブルースモービル」を縦横無尽に操って殲滅します。キレた彼は、ジェイクより過激です。

シカゴを中心に暴れまくる彼らと彼らの「ブルースブラザース・バンド」は、行く先々でブルースの達人と出会い、セッションを繰り広げます。ジェームス・ブラウン、アネッサ・フランクリン、レイ・チャールズ、キャブ・キャラウエイ、僕は知らない人ばかりでしたが(無知)、本物のブルースのスター達です。「ブルース」を知らなかった僕にも、この人達が本物だってことはすぐに解りました。
映画を見ていて、音楽に合わせていつのまにか体が動き出します。映画の流れは

ブルース→カーアクション→ブルース→カーアクション→ブルース・・・・・・

と、ひたすら山場が繰り返されますが、疲れるどころか見ている間はひたすら熱狂、終わってからもリズムの余韻が体に残り続けて、何回見ても僕は、いつまでも一人で踊ってしまいます。
明日こそ、街に黒服一式を探しに行こうっと。

映画の話

映画の面白さって、どのあたりにあると思いますか?
ここはてなしもの映画日記のコーナーです。


・「CUBE」 (8月10日)

・「ブルースブラザース」 (8月14日)

・「アイズ・ワイド・シャット」 (8月29日)

・「劇場版少女革命ウテナ・アドゥレセンス黙示録」 (8月30日)
・続「劇場版少女革命ウテナ・アドゥレセンス黙示録」 (8月31日)

・「ガメラ3邪神覚醒」 (9月8日)

・「ムトゥ踊るマハラジャ」 (9月13日)

・「エイリアン4」 (10月24日)

・「MIB」 (11月7日)

・「SFサムライフィクション」 (11月10日)

・「逮捕しちゃうぞ THE MOVIE」 (1月6日)

・「モンティパイソン・アンド・ナウ」 (1月13日)

・「ディープインパクト」 (2月19日)


以下、いろいろ続く予定。

CUBE

前から噂を聞いていた「CUBE」をやっと観ました。
謎だらけの四角い部屋に放り込まれた数人の男女が、わけも分からぬまま脱出を試みるという映画です。
警官、医者、数学専攻の大学生、サラリーマン、老人、という面々が、悩みながら進んでいきます。部屋は正立方体で前後左右上下の六ヶ所にマンホールのような扉がついており、その向こうには同じ形をした部屋があるのですが、ほとんどの部屋には罠が仕掛けられていて、うかつに踏み込むと簡単に命を落とします。
罠のある部屋と無い部屋の法則性や脱出のためのアイデア。登場人物たちは何故に自分がこんな目に会っているのか、そしてこの建物は何なのかということに、苦悩します。

全般にパズルのような作りで、仕掛けや心理描写、ストーリー展開に至るまで拍手をしたくなるような良い映画でしたが、冒頭から最終シーンまで「脱出もの」独特の緊張感がものすごく、終わってからの余韻も独特のため、見ていてとにかく疲れる映画でした。
ただ、老人が脱獄のプロであると解った途端に最新式の罠にかかって無残に死んでしまう等、緊張するシーンと弛緩するシーンの転換が早すぎて、演出としての観客への「脅し」がキツ過ぎるような気もするのですが、しかしそれがこの映画の持つ強烈な印象にもつながっているため、悪いところとも言い切れません。

面白さは保証します。結末や、映画のテーマをどうとらえたかというのは、こういう映画ではキモにあたるところですから、今回は書きませんね。

前進

「金閣寺」 (三島由紀夫著、1956)

ある人が優れた文学に出会った時、その作品に対する感想をその読後に求めるのは、あまりいいことでは無いような気がします。
優れた文学は、読み終わった直後から読者の血肉となってすでにその存在の一部に混ざり合っており、それについて意見を求められても、すでに自分と見分けのつかなくなっているそれについて語ることは、大して意味を持たないと思うからです。
これは、読者の年齢や、作品のジャンルに関わらない、普遍の原理ではないかと思います。

特に隠していたわけでもありませんが、僕は「とんび」というハンドルネームで、よくこのHPからもリンクを張らせていただいているすえさんのHPにお邪魔しており、よく、少々Hな小説を投稿させていただいています。
「Hな」といっても、別に高度な芸術性のある文章というわけではなく、普通の、ありていに言えば僕の妄想を文章化したものです。その上、主な題材として扱っているのは、このHPでも一つコーナーを設けているほど僕が「好きだ」と公言して憚らない某アニメーション作品のキャラクター達で、ここ「こどものくに」では真面目にそれについての作品論をぶちながら、一方では同じキャラクターに、いかに色っぽい格好をさせるかということに、心を砕いています。

そうして、自分のキャラクターとして動かしてみることで、色々と解って来ることがありました。
他人の創造した借り物のキャラクターだからこそ、僕の手の中に囲い込んでしまっても、僕の想像を超えて自由に動き回ります。そのキャラクター達に付き合っているうちに、彼女らと共に過す時間がこの上なく楽しいものになってきて、まるで連載小説のように続編が次々と書かれて、本来ならば9月中にも書き上げられるはずだった僕のオリジナル小説は、一向に物語が進行しません。そちらの登場人物達は、いつまで経ってもてなしもの精神世界から出られないことに苛立ち、H小説のキャラクター達を恨みはじめてすらいるかもしれません。
借りたキャラクター達は、とにかく快活に、僕の妄想を具現化して、のびのびと動き回ってくれるのです。僕の知らなかった彼女らの魅力を、僕に知らせてくれるのです。

僕は中学生の一時期、「本を読むために本を書く」という考えを持っていたことがあります。文章を書いた分だけ、本が読めるのだと自分に言い聞かせていたのです。普通は逆なんでしょうが、そうして入れ替わりが起こってしまうくらい、僕にとって文章の消費と生産というのは、密接な関わりを持つものでした。
今回、読書週間という企画を行ってみて、一番利益があったのは、僕の精神に、また幾ばくかの栄養を注入出来たことです。
借りたキャラクター達も、出番を待つオリジナルキャラクター達も、こうして精神土壌に新たな滋養が加わったことで、瑞々しい艶を持って改めて文章上に現れることができるでしょう。
問題があるとすれば、今回の企画で、僕が改めて読書という快楽を認識してしまったことで、読書に取られる時間が、又僕のオリジナル作品の創造の時間を狭めることになるかもしれないということでしょうか。まあ、それはそれで彼らには、ひたすら待ってもらうしか無いんですけどね。

というわけで、今回の秋の読書週間企画は今日でおしまいです。
きっといつか、HPのネタが無くなった時や僕の心が乾いた時なんかに、再び突発的に行うかもしれませんが、その時は又、この駄文にお付き会い下さいませ。
・・・・・・あ、「金閣寺」の感想がまだでしたね。
僕の好きな禅の「公案」の話がいくつか出てきて、その部分が特に興味深く読まれました。あとは、おいおい僕のH小説の中などで、この小説を読んだ成果みたいなものを吐露していくことと思います。一編の小説に、読む前と読んだ後でこれほど自身の変化を認識させられたのは、京極夏彦氏の「姑獲鳥の夏」を読んで以来でした。

すっきりさっぱり

「海が聞こえる」「海が聞こえる2アイがあるから」(共に文庫版) (氷室冴子著、株式会社徳間書店、1999)

読む前は、もっと心が疲れるようなどろどろした青春小説なんじゃないかと身構えていたんですが、取り越し苦労というやつでした。
思えば、こういった「青春小説」みたいなものに、僕は読む前から構えてしまう癖があって、それが僕の過去のいかなる読書体験(もしくは実体験)に基づくトラウマなのかということを、ちょっと時間をかけていつか真面目に考えてみたいものです。

まあ、そんな話はいいとして、物語は、大学進学で東京に出てきた主人公の、高校時代の回想シーンと、下巻にあたる「アイがあるから」に入っての、東京での主人公の生活を中心として語られていきます。
主人公は、男の僕でも好きになれるような、ちょっと善人で、適度に要領がよく、そのくせ曲がったことは夢にもしようと思わないような、イイ奴です。あと、結構田舎者です。

主人公が、すんなり感情移入できて、いつのまにか自分と重ねて感じられるような奴なので、作品自体を素直に読むことができたと思います。
活字が大きく挿し絵も多い文庫版ですが、それなりにボリュームもあったのに、あれよあれよという間に二冊とも読み切ってしまいました。最初から最後まで、はらはらドキドキではなく、遠くから気持ちいい景色を眺めているような気持ちでいられる小説でした。
大学進学といえば、ちょうど、岩井俊二監督の映画「四月物語」を最近見たところだったのですが、描かれている舞台や扱っているテーマがとても近いわりに、これを読んでいる間は少しも「四月物語」のことを思い出しませんでした。それは、僕の中では、ジャンルの違いを超えて、作品としてのグレードが「海が聞こえる」の方が勝ちってことなんだと思います。

実は「名作」では無いのかもしれません。名作というのは、いつの時代の、どこに住んでいる人が読んでも面白いと思えるものであるという定義がありますが、この小説は、地方の都市化が進む現代日本の、今の空気を肌で感じている僕らが読むからこそ、楽しめて、意味が見出せる小説なんだと思いました。


ところで、昨日や一昨日のこのコーナーの文章を見返していて思い出したことがあります。僕は昔から「読書感想文」というのが苦手だったんです。
僕としては、これを機にノルマとして本を読めているので、かえって読書に集中できて、また選択を冒険していないお陰か良書に出会えていることもあり、なかなか充実した企画であるなあと思っているのですが、かくもつまらない読書後の独り言みたいなものをずっと読まされていては、いつも見に来て下さっている皆さんも離れていってしまうのではないかと思いつつ、かといって、では何を書けば皆さんに面白がってもらえるかといえば、別に何をしても確たる自信もないわけで、よく考えてみるとそもそもこのHPの最初のページに、このHPは「寝言のようなもの」と明記してあるわけですから、そんな事に気を煩わす必要も無かったかと、一人合点する秋の一日なのでありました。

かわるわよ

「変身」 (カフカ著、1912)

とても有名な小説だけに、冒頭の「ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目を醒ますと・・・・・・」のところや、全体の大きな話の流れについては、知っているつもりでした。

すみません。ブンガクは、人に感想を聞くものではなく、自分で読まねばならぬものでした。

この読後の、後味の悪さと爽快感のない交ぜになった不思議な精神状態は何なのでしょう?途中から読者の感情移入を拒みはじめるグレゴールの虫っぽい行動と、そんなグレゴールをもはや家族と思えなくなっている両親と妹の醜いけれども理解出来る精神状態は、グレゴールの死によって解き放たれ、残された家族は前向きに活動をはじめてしまいます。
しかし、飢え死に直前のグレゴールが、最後にとった行動は、その妹のことを思ってのものではなかったのか。そんな風に、グレゴールが最後の瞬間まで人間らしい意志と感情を持っていたということを知るのが、乱暴な老家政婦だけであるというのは、悲劇ではないのか。これだけの悲劇のはずなのに、読後、僕の心に沸き上がる爽快感はなんなのでしょう?

僕は、最初、ある日突然毒虫になり、家族の厄介ものになってしまったグレゴール・ザムザが、他人のようには思えず、強い感情移入をして読んでいました。
仕事を辞めて、実家に戻ってしまった自分が、重なって感ぜられたからです。ただし、グレゴールが毒虫になってしまったというのは、現代に生きる僕が解釈しやすいような比喩表現ではなく、そのままの、SFのような出来事であるという認識ははっきり持っていましたから、無意識のうちに、どこかで感情移入に制限をかけてはいたと思います。
しかし、僕がそんな面倒な精神の働きをしなくても、僕はじきに感情移入を解いてしまったことでしょう。グレゴールの行動は、しだいに人間らしさが薄れ、だんだんと虫の意志になっていってしまうのです。このあたり、多くのホラー映画や小説なんかに引用されている描写だと思います。みんなきっと、そういうシーンでは「変身」がやりたかったんでしょう。
こういった、作品の内包する高度なブンガク性とは別の部分で他のものに影響を与えているというのは、なかなか興味深いことです。

これぐらいスムーズに心の中に入ってこられると、ずっと潜在意識の中に残っていて、あるとき何かの拍子に心の表層に飛び出してきて、僕に思いもかけない行動を取らせたり、突飛な発言をさせたりしそうな、そんな力を秘めた小説であると思いました。
まことに、名作ブンガク、おそるべしです。

しゃき、しゃき

「巷説百物語」より、「小豆洗い」 (京極夏彦著、株式会社角川書店、1999)

このHPでのこういった話の役割を考えますと、本来は「妖怪の話」で扱うべき本かもしれません。

「小豆洗い」は、ミステリー小説の形式をとり、妖怪と、それにとり憑かれた人々を描くことで、人間の真の姿を小説中に描き切ろうとする異色の作家、京極夏彦氏の、江戸時代を舞台にした時代妖怪小説シリーズの一作です。
しかしながら、僕は小説としての感想を今回は述べません。ある種の妖怪研究の参考文献として、ここでは扱います。
妖怪「小豆洗い」とは、主に日本の山中で、川の上流からしゃき、しゃき、というような、まるで小豆を洗っているような音が聞こえて来るという事象の妖怪名です。山深く踏み込む旅人や近隣の住民が、どこからとも無く聞こえて来るその音を不思議がったという話が、日本中にあるといいます。
さあ、この妖怪の正体は何なのでしょう。

作中語られるいくつもの小豆洗いの話の中に、まことに鋭いものがあります。「小豆を洗う音というのは、人間が立てるものである。しかし、山中異界には、本来人間はいないはずである」というものです。
現在のように登山道が整備されているならばいざ知らず、本来山々というのは人間の侵入など寄せ付けぬ異界です。例えば人界、街中で人が死んでいれば、すわ大事と人が集まり、街にそれなりの騒ぎが起こるわけですが、山中異界において人がぽつんと死んでいても、山はいつもと変わらずにそこにあり続けます。「異界」とは、そういう事です。
その、異界に、人の存在を現す音がしゃき、しゃき、と鳴り響く。
妖怪は、人が恐れを抱くところに現れるもの。この場合、人が恐れているのは、「山」ではなく、いるはずのない「人」です。人は、やはり人が一番恐いのです。

この小説「小豆洗い」も、山中で雨宿りをすることになった人々が、百物語をするうちに、「人に対する恐れ」から、一人の人間が命を落とすという話です。それはまさに、「小豆洗い」に惑わされた、としか言いようの無い命の落としかたでした。

いつもながらの恐るべき筆の冴えで、読者を妖怪世界に引きずり込んでくれる京極夏彦氏。
今回、同書「巷説百物語」に綴じられているのは七つの妖怪話です。
後六つ。
無意識にページをめくる指が、気がつくと震えています。

溜息が出るほどの叙情

「伊豆の踊り子」 (川端康成著、1926)

恥ずかしながら僕は、今回が川端康成初体験です。
伊豆をまわる旅をしていた主人公の学生は、旅芸人のグループと行動を共にする事になり、打ち解け、笑い合い、そして別れます。
踊り子の少女にほのかな恋心を持ち、踊り子は主人公になつきます。ほんの数日の出来事ですが、それは主人公の心に温かい感情を膨らませ、別れて乗った船の中で、主人公は涙に暮れます。
生生しさや、惨めさが極力排された、後味の良い、美しい小説です。そういったものに包まれて、これだけ素直に箱根の自然美が描かれているのですから、五度も映画化されたというのもわかります。

また、この作品のヒロインである踊り子は、とても強い少女の殻を被っていますから、銀幕のヒロインに処女のイメージを持たせる意味でも、この作品の映像化は有効だったのでしょう。
映画といえば、日本でロードムービーが発達しなかったのは、おそらくこの小説のように、一山越えると海に出てしまうというような日本の狭さや、もしくは、それぞれの土地に縛られてしまう日本人の性質に原因があるのかもしれない、などと頭に浮かんできました。

それにしても、当然のことですが、この小説は面白かったです。読みながら、自分の心がいいように揺れるのがわかって面白かったです。
文芸春秋社の現代日本文学館のものを手に取ったので、これには一冊の中に十三もの作品が納められており、他にも短編を二、三読んでみたのですが、わりと僕好みの珍妙な話が多く、楽しめました。
まだ目を通していない有名な作品もありますから、近いうちに集中して読んでみようと思います。

小説の話

小さな街の書店の、自分の背丈を越える書架に居並ぶ書物の群れを眺めてみます。
そこにある、文庫、雑誌、マンガ、新書、エッセイ、絵本、その総ての中のおそらく1%も自分は読んでいません。
情報は、手に届くところにいくらでもあり、こちらが消費する以上のスピードで供給されます。
新聞、TV、インターネット等から伝わって来るそれらは、無意識下で自分を構成する要素になりながら、そのほとんどは初見以降、再び意識に上ることなく破棄され続けます。

必要なのは、情報を分別し、整理し、実際に行使する能力です。
読書体験は、それらの能力を鍛えてくれます。
本の外の世界が定めるだけで、本自体には、良も悪もありません。読んだ自分自身がその価値を定めるのです。
それを繰り返すことで、自分の心の形が定まっていくのです。
この成長は、死ぬまで続きます。

「小説の話」というコーナーではありますが、取り扱うのは世に溢れる文字コンテンツ全般のつもりです。
ブンガクに偏るつもりも毛頭ありません。
このコーナーが、「こどものくに」設立当初から予定されていた企画の、最後の一つです。

これから先、自分が何をしていくのか、不安で一杯です。


紹介タイトル

「シェルブリット」 (幾原邦彦・永野護共著、株式会社角川書店、1999)(10月2日)

「伊豆の踊り子」 (川端康成著、1926)(10月3日)

「巷説百物語」より、「小豆洗い」 (京極夏彦著、株式会社角川書店、1999)(10月4日)

「変身」 (カフカ著、1912)(10月5日)

「海が聞こえる」「海が聞こえる2アイがあるから」(共に文庫版) (氷室冴子著、株式会社徳間書店、1999)(10月6日)

「金閣寺」 (三島由紀夫著、1956)(10月7日)

人は、どこまで行けるのか

「シェルブリット」 (幾原邦彦・永野護共著、株式会社角川書店、1999)

遠い未来の話です。
人類は、ジーンライナー、ジーンメジャー、ジーンマイナーの3つに分化しています。ジーンマイナーは僕らとほぼ同じ人類。ジーンメジャーは遺伝子的に進化した特権的階級。そしてジーンライナーは、自分の体を宇宙船に変化させた、もっとも進化した人類。
巨大な富を生む宇宙交易は、宇宙で最も速い移動物体であるジーンライナーたちに独占され、星々の地表や政治権力はジーンメジャーが支配している世界。
主人公は「最速のジーンライナー」ローヌ・バルトの新しい乗組員となった、ジーンメジャーのオルス・ブレイク19歳。彼は、とある理由で、最も危険な船外活動任務「シェルブリット」の要員になります。
彼は、苛立っています。世界のあらゆる事に。僕らと同様に。
物語の骨格は、戦闘ロボット・シェルブリットを通しての、オルスの成長物語といえるでしょう。彼のまわりには、明るく話し掛けて来る同僚の女の子、厳しい上役、操作の難しいロボット等、正統派ロボットSFとしての実にスタンダードな配置がなされています。
しかしながら、作品の根底に流れる、ある種の狂気じみた主張が、この作品の印象を今までに見たことのある全ての創作物から逸脱させます。
似た主張を掲げた作品があったとするならば、それはやはり幾原監督と、その制作グループ「ビーパパス」によって作られた「少女革命ウテナ」だけでしょう。
シェルブリット同士の超高速の宇宙戦闘、抽象的に人間の行動をパターン化するライフゲーム・プログラム、ありとあらゆる小道具にいたるまで機能的に計算し尽くされた宇宙船等、胸踊るようなSF的シュチュエーションの向こうに、殻から出られない人類の苦悩と、「父親」になろうとする者の疾走と、一切に構わず、無情に流れる現実が横たわります。


それにしても、この二者の名前が月刊ニュータイプ誌に並んで載っていた時には、その手があったかと、思わず手を打ち鳴らしました。共に最上級に尊敬するクリエーターでありながら、その二人が共同で作品を作ることがあるなんて、その瞬間までまったく想像していませんでした。
この作品は、永野氏による設定画が章ごとに挟まれた幾原氏の手による小説、という、これまた想像もしなかったフォーマットで発表されたわけですが、どうやら、今後は何らかのメディアミックスも予定されているようです。アニメや、ゲームになるという噂が僕のところには聞こえてきていますが、実際のところはよく分かりません。
とりあえずは、今冬に発売される「シェルブリット2 ABRAXAS」を胸を躍らせて待つとしましょう。二人が、待っているファンを裏切らないタイプのクリエーターであるということは、それぞれの代表作、「劇場版ウテナ」と「F.S.S.」で証明されているわけですから。

「キャンディ・キャンディ」を読んだことがありますか。

優れた作品にであった時、僕はとても謙虚な気持ちになります。その作品世界に己のすべてを投げ出して、自分の価値観のすべてをその作品内に投影し、そして自分の心をその世界に住まわせるようになります。
僕が「キャンディ・キャンディ」の文庫版(全六巻、中公文庫コミック版刊)を手にしたのは、わずか8時間前です。友人に借りたものの、時間が無くてすぐにページを開くことはできず、きちんと読みはじめたのが2時間前です。読み終わって、すぐにこの更新を行っています。

心が震えてしまってどうしようも無くなるようなシーンに触れた時、僕はページをめくる手を止め、うつむいて目を閉じ、自分の中で溢れているものに体を支配させます。体のあちこちが小さく震えて、それから大抵は、手近にある紙に手を伸ばしてその時の自分の気持ちを書き残そうとします。上手な文章を工夫している余裕なんてありませんから、短い言葉を、特徴的な書体で書き連ねます。変に頭を使った文章を残すより、そうやって勢いで書いた形跡のある物の方が、後で見返した時、その文字の崩れ具合のお陰で、その時の心ののびのびしたカタチが再現できることが多いからです。

キャンディを読んでいて、二回ほど僕は自分の心の震えにそうやって身を任せることがありました。
僕は言葉で生きている人間ですから、その時の気持ちを言葉で表すべく、いくつもの言葉や文章が頭に浮かんできました。見当はずれな物やよく聞くような言い回しも、沢山浮かんできました。それでもめげずに言葉を吹き出し続けていると、ひょいとキラキラ輝くような素晴らしい言葉が飛び出してきたりします。それを捕まえておいて、僕は次の自分の創作にその言葉を使うのです。僕にとって、優れた作品を鑑賞することは、優れた創造を目指すことと直接に繋がっているのです。
僕の場合、感動を紡ぐ作業にはことのほか時間がかかるので、その時間が経つうちに、輝きが薄れてしまう言葉もあります。そしてもちろん、いつまでも輝き続けてくれる言葉もあります。輝いている言葉は、その言葉が輝くために必要な要素までも引き連れていてくれますから、自然に、その周りの文章も輝かせてくれます。本当に優れた輝きを持つ言葉は、そのたった一言で作品全体を輝かせてくれたりもします。とにかく、僕の場合そういった輝く言葉のほとんどは、誰かの創作物を鑑賞することで引き出されるのです。

ごく希に、僕は「作品に愛された」という印象を持つことがあります。キャンディは残念ながらそこまで僕に微笑んではくれませんでしたが、ほんとうにいくつかの希な作品から、心震える言葉をいくらでも取り出せるという幸運に出会えることがあったりします。それは、その作者よりも、自分はその作品を理解した、と思える時です。

きっと、キャンディは多くの人を愛したマンガなんだと思います。あなたは、キャンディに愛されたことがある人でしょうか。まだ出会っていないというのなら、古い少女マンガである、なんて偏見を抱かないで、まずは本屋さんに出かけた折にでもながめて見てください。あなたを愛してくれるマンガが、そこにあるかもしれません。
創作を愛す人は、また創作に愛されやすい人であるはずですから。

「最狂超(スーパー)プロレスファン列伝」は人に奨められない。

このマンガ、ご存知の方にはもはや説明の必要はございませんでしょう。世紀末の日本のマンガ文化が生んだ奇跡の名著です。
このマンガを売るために、大袈裟なプロモーションは必要とされません。プロレス魂を持つ人間ならば、何かのきっかけで引き寄せられ、必ず手に取る一冊です。
以前に単行本化された際に、一度すべて読んでいたのですが、今回出版社が変わって復刻され、それをまた知人に借りたので、再び熱中して読みました。

プロレスに熱を上げる男達の狂態を、その熱さもおかしみも悲哀もひっくるめて詰込んで、その純度たるや富士山の地下水ほどに高まっているこのマンガが、プロレスファン以外に理解されないのは当然です。ゆえに、このマンガは、人に奨めるべきでないと言い切ります。プロレスの面白さを説明するマンガではないので、プロレスファンでない人が読んでも楽しめはしないでしょうし、これを楽しめる人は、自然に自分からこの作品にたどり着いているはずです。それだけの重力がこの作品にはあります。

長くは語りません。
優れた作品の前に、謙虚に沈黙できる幸福を、僕は満喫しようと思います。

「キン肉マン」の中には、語られるべき熱い戦いが確かに存在する。

週間少年ジャンプに連載された「キン肉マン」の最後の戦いは、キン肉星の王位をかけた、キン肉マン対キン肉マンスーパーフェニックスの激闘でした。
では、その一つ前の、今日僕がここで語ろうとしているある戦いが、誰と、誰による、どんな戦いだったか、憶えてみえる方がいらっしゃいますか?

と、気張って始めてみましたが、じつは今手元にキン肉マンのコミックスが無いので、記憶に間違いがあるかもしれないことを、先に謝っておきます。(ひょっとしたら、最後のいっこ前の戦いってネプチューンマンVSオメガマンだったような気がしてきまして・・・)
ご容赦をいただいた上で、ここに高らかに宣言いたします。てなしもが考える、ベストバウト・オブ・「キン肉マン」は、連載中ラスト2に描かれた戦い、マンモスマンVSロビンマスクです。

では、順を追って説明いたしましょう。
僕の印象としまして、マンモスマンは、作品中最強の敵超人として描かれていたように思います。
キン肉マンの多くのライバルの中でも、強さ、という点では象徴的存在であったバッファローマンを、正面から戦って破っることができたのは、ほんの数人です。キン肉マン、悪魔将軍、ネプチューンマン・・・・・・しかしその中でも、マンモスマンほど圧倒的な力の差を見せて勝った超人はいませんでした。
パワーにおいてバッファローマンを上回り、残忍さにおいて悪魔超人顔負けの技を使いこなし、ずるい知恵においてもかなりの策士でした。それを念頭において、改めて、「キン肉マン」をまとめて読み返して見てください。マンモスマンが登場する王位争奪戦開始までのエピソードは、まるですべてマンモスマンの強さを表現するためにあったかのような印象を受けるはずです。王位争奪戦に登場した敵超人たちの強さのインフレも、すべてマンモスマンが基点になっています。

そんなマンモスマンに、キン肉マン軍最後の刺客として送り込まれたのが、ロビンマスクでした。初登場は三巻。キン肉マンの親友であり、終生のライバルテリーマンの次に登場した、エリート貴族という設定の強力な超人でした。一時は、放浪の身にまでなってキン肉マンを付狙う復讐鬼となっていたこともありましたが、悪魔超人と戦いはじめたころには、キン肉マン軍団の参謀役として、最も頼れる仲間の一人になっていました。
それまでのライバルであるテリーマンと、ロビンマスクが決定的に違っていたところは、いくつもあります。私生活や私情をなかなか見せないクールなプロフェッショナルであったこと、「前回の超人オリンピックチャンピオン」という”権威”を持っていたこと、格好良い鎧を着ていたこと、そして、「タワーブリッジ」という明確な必殺技を持っていたことなどです。
後にキン肉バスターやキン肉ドライバー、パロスペシャル、改良阿修羅バスターなど多くのすさまじい必殺技が乱れ飛ぶようになるこの作品の中で、まともに登場した最初の必殺技です。そして、作中最後まで、だれもこの技を破ることはできませんでした。マンモスマンでさえも。それはまさにパーフェクトホールドでした。
しかし、その割にロビンマスクは、強さという点ではあまり印象の良くない超人ではないでしょうか。なにせ、最初の悪魔超人編ではアトランティスに敗れ、悪魔騎士編ではジャンクマンに辛勝、続くタッグトーナメントでは準優勝チーム・ヘルミッショネルズに当たって一回戦負け。どれも実のある戦いでしたが、結果はイマイチでした。そんなロビンが燃え上がるのは、王位継承編の一回戦、キン肉マンチームの大将に座っての、敵方の大将キン肉マンマリポーサとの一騎打ちです。技巧派同士の繰り出す多彩な技の好勝負でしたが、アロアノの杖という凶器をマリポーサから奪い、逆に利用してロビンが勝利を収めました。古いプロレス風に言うなら、「凶器による反則勝ち」といったところでしょうか。冗談は置いておきまして、数々の名勝負が生まれた王位継承編の中でも、王位継承候補が王位継承候補以外の超人に敗れた戦いは、なんとこの一戦だけです。
続く二回戦では、キン肉マンと組んで、キン肉マンゼブラ・パルテノン組とのタッグマッチをします。ここでも、ロビンは敵大将に絡み、見事キン肉マン軍勝利のアシストをしてみせます。
ジャンクマン戦のころから高齢超人などと呼ばれていたロビンマスクの才能は、連載終盤に至ってついに、大物喰いという形で発現したのです。
そして彼は、ついに最後の大物、マンモスマンとの戦いに挑むことになります。

ちょっと話が脇にそれますが、こうして考えてみると、テリーマンは不甲斐ないですよねえ。彼の最後の戦いってなんでしたっけ?キング・ザ・100トンとのシーソーマッチの後って、何かありましたっけ。度忘れしてしまって思い出せないです。あ、そういえば、後でラーメンマンに秒殺された充電超人のモーターマンに、ボコボコにされていたような・・・。出来ることなら最終戦の前の露払い、やはり終生のライバルに締めてほしかったように思います。結局、彼はキン肉マンの最高のタッグパートナーとしてしか描かれませんでした。あとは、「そういえば聞いたことがある」「知っているのかテリーマン」というやり取りで御馴染みの、敵の設定の解説役と、くつひもが切れて仲間の敗北を予知することくらい・・・。まったく不甲斐ない。

話を戻します。
王位争奪編最後の決戦、キン肉マン軍対スーパーフェニックス軍の戦いは、「超人予言書」という恐ろしい本の影響下で行われたものでした。
その書物には、すべての時代のありとあらゆる超人のことが記されていて、もし、あるページが失われた場合、そのページに記されていた超人本人も、その存在が消滅するという、とんでもない能力を持った本です。そして、最後の戦いの参加者は、その予言書の中の自分のページを戦いに賭けなければならなかったのです。
最後の戦いの中でも、この書物のページの扱いに関しては、どの超人もとても気を使いました。いつでも火にほうり込めるようになっている予言書が風に煽られ、炎にあぶられる度に、体には激痛が走り、ページの一部が失われると、体の一部が失われたのですから。
しかし、ロビンは違いました。
徹底的な心理戦に勝ち、千載一遇のチャンスをつかんだ彼は、マンモスマンを空中で完全なタワーブリッジの体制に捕らえます。このまま地上に降り立てばタワーブリッジは完成です。ロンドンの跳ね橋のごとく、マンモスマンの背骨は真っ二つになることでしょう。しかし、なんとロビンの足下には、自分の予言書のページを炎の上で支えているたった一本の紐があったのです。このまま落下すれば、それを切断してしまう。周りから、必死でそれをロビンに知らせる声が飛びます。常に理知的で、クールで、やさしかった、その時の、ロビンの言葉です。

「男の勝負に、そんなものが関係あるかぁー!!」

気合もろとも、彼とマンモスマンの体はいともたやすくその紐を引き千切り、予言書を火にくべられ、地獄の苦痛に苦しみながら、彼は人生最後のタワーブリッジでマンモスマンを仕留めたのです。
この一瞬、このシーンを描くために、キン肉マンというマンガがあったのだと、僕は思っています。
その後の、キン肉マン対スーパーフェニックスは、すばらしい戦いではありましたが、決してこの戦いほどのものではありませんでした。


「キン肉マン」というのは、僕くらいの年齢の男子にとって、特別なマンガです。小学校時分に、とにかく、夢中になって読みふけりました。このマンガは、不思議なことに、今読み返してみると、粗ばかりが目立ってしまって、しかもその作品全体の粗さみたいなものを指摘するだけでも、相当面白い内容になってしまいます。
そういう方向としましては、やまぐちじゅんさんという同人作家さんが書かれた「キン肉ボン」という傑作同人誌がありますので、興味のある方は探してみください。商業誌にも企画をそのままコピーされたほど、構成、センスともに抜群の、僕らの世代ならば大笑いできること間違い無しの名著です。ちなみに、商業誌版はあきらかにデッドコピーで、やまぐちさんの著書の半分も面白くありませんでした。
同じ方向を目指していたのでは、あの名著に勝てるとは思えなかったので、思い切って、キン肉マンを賛美する方向でこの文章を書いてみました。商業ベースで、キン肉マン賛美の本もいくつか出ていますが、どれも、心底納得させてくれるものではなく、まったく、子供だましのような内容でした。
今回の内容が、キン肉マンの”良さ”をどこまで表現できているのが、ちょっと自信が無いんですが、もし反響があれば、ラーメンマンの話なんかをまた書いてみたいと思います。掲示板などへの感想、お待ちしております。

「赤ずきんチャチャ」の完全なる世界。

「赤ずきんチャチャ」の世界は、極論すればすべての登場人物がチャチャの事を愛しているところから始まっています。どんなに訳の分からないバケモノが暴れまわっても、チャチャを「邪魔物!」と罵る恋のライバルが現れても、作品全体からあふれ出る愛はいささかの陰りも見せません。
それは登場人物達のお互いの呼び方の気安さを見るだけでも分かるというものです。
チャチャの登場人物達は、それぞれお互いを様々な名前で呼びあいます。
主要三キャラだけを見ても、主人公のチャチャは、愛犬のリーヤとセラビー師匠とマリンからは「チャチャ」、しいねちゃんとお鈴ちゃんからは「チャチャさん」、ドロシーからは「チャー子」と呼ばれ、つづいてリーヤはお鈴ちゃんからは「リーヤさん」、マリンからは「リーヤ君」、他の全ての人からは「リーヤ」と呼び捨てにされ、その中でもドロシーからは「犬」と、ひどい呼び方をされます。
そしてしいねちゃんは、セラビー師匠やうらら学園の校長先生、はては魔王に至るまで、全ての人から「しいねちゃん」と呼ばれます。自己紹介からして、「僕のことはしいねちゃんと呼んで下さい」と、自分の師匠の敵であるはずのチャチャに笑顔で言ってのけるほんわかぶりです。

僕が初めて「赤ずきんチャチャ」を知ったのも、この「呼び方」がきっかけでした。マンガより先にTV版です。ある時、TVの番組覧を何となく眺めていると、アニメ「赤ずきんチャチャ」の短い内容説明の中にあった、「ドロシーちゃん」という文字が目に入ってきました。まあ、童話チックな女の子の名前だなあと思ったわけですが、どうにもその後ろに「ちゃん」が付いているのが気にかかります。
その時の文面を見る限り、どうもそのドロシーというのは敵らしい。敵なのに、「ちゃん付け」で呼ばれている。なんとなく、チャチャ特有のほんわかした空気を、そこで感じたのでした。たまたまその日は時間があったので、そのアニメを見てみました。
それはとても丁寧に作られた、ほんわか、ギャグアニメでした。全般に、登場人物達はただ私欲のためだけに行動しますし、他人の迷惑も顧みません。その殺伐とした空気と、ほんわかが同居するという、類希なるアニメでした。しかも、物語の筋自体が面白い。あっという間の30分でした。途中のCMでその原作コミックの存在を知り、番組終了後すぐに、僕は本屋に自転車を飛ばしました。

アニメは1年ほどの放映期間を終えて打ち切られましたが、原作のマンガは99年12月現在、連載が続いています。
アニメがやっていたころに比べて、登場人物がさらに増えました。超能力者で不幸の塊、現時点で実質上の主役になってしまっている、ほっぺのなるとが素敵なポピー君、しいねちゃんを溺愛するしいねちゃんの両親、姉上激ラブのお鈴ちゃんの弟、ポピー君に一目ぼれのマリンの妹、依頼心が異様に強いやっこちゃんの弟、初登場からいきなりセラビー以上の危険人物に成り上がったチャチャの妹、セラビーの師匠でもあるチャチャの母、ポピー君に異常な執着を見せるロボットの市松君、登場人物中もっとも大人な精神構造をしていると思われるものの、一番の遊び人でもある魔王の平八、そしてセラビーの”父”にして痴呆症をわずらっている謎の美少女リザードさん。
増えたメンバーのほとんどは、誰かの家族です。全ての登場人物は、誰かを溺愛しており、それは輪のように繋がって、チャチャという一点に集約します。その輪を壊そうとする存在には、登場人物達の全力の排除行動が待っています。

何者も、このあまりに盤石な、完全なる愛の世界を乱すことは出来ません。その居心地の良さを楽しむために、僕は少々の恥ずかしさをものともせずに、ピンク色の表紙の少女向け、リボンコミックスを買い続けるのです。

LOCK THE SUPERMAN

緑の髪の永遠の少年ロックの物語は、名のある出版社から刊行されているコミックス以外にも、ビデオアニメやLPレコード、そして同人誌版と呼ばれるものまで多くの媒体によって語られています。
その中でも比較的手に入れやすいのは、普通の書店で手に入るビブロス社版の現在も連載中の内容をまとめたコミックスや、以前少年画報社から出版されていたものを再編集した文庫版、後はスコラ社から刊行されている愛蔵版などでしょうか。

雑誌での連載という形式をとっているにも関わらず、超人ロックの物語はちょうどコミックス1冊、ないし前後編のような形式での2~3冊で一つのエピソードが完結するように出来ています。また、「超人ロックとは何者か」や「この世界の設定は」といったことが丁寧に語られる独立したエピソードはどこにもありません。さらに、超人ロックには設定上の「始まり」は存在しないので、ぶっちゃけた話どこから読みはじめても間違いではありません。
慣れるまで、超人ロックというのは読みにくいマンガです。登場人物は自分の知っていることしか喋りませんし、また、自分の立場でしかものを見ず、独断的な間違った判断などもどんどんしてしまいますので、読者は混乱します。読者の視点のキャラクターというものがほとんど登場しないのです。
しかし、ひとたび物語の骨格がつかめてくると、そういった登場人物たちの姿が、大きな歴史の流れの一部に繋がっていることが解ってきて、かえってその生き生きとした言動に引き込まれるようになります。
綿密にくみ上げられた骨太のストーリーがバックにあるため、超人ロックは何度も繰り返して読むことが出来、その度に新たな発見があったりして、いつまでも楽しむことが出来ます。
そういった楽しみを逃さないように、僕が超人ロックを読む時に心がけているいくつかのコツを、最近(00年2月現在)ビブロス社から刊行されたばかりの「メヌエット」を例にとりながらここにあげます。

まず、冒頭の数ページを読みながら、その物語が年表上のいつ頃の話なのかを把握します。
大まかに、初期の連邦なのか、連邦末期なのか、帝国初期なのか、帝国中期なのか、帝国末期なのか、新連邦初期なのか、新連邦中期(つまり最新の設定)なのか、ということくらいをチェックします。
まあ、新刊の場合だと大抵は最新の時代設定の話ですし、文庫版なんかの場合は、年表順に刊行されているので混乱する事はないのですが、たまに、とんでもない時代の設定である場合があるので、注意しましょう。例えば「メヌエット」は、いきなり帝国初期の時代設定の話で僕は驚かされました。
このようにすでに描かれている時代が舞台の場合は、以前にその時代が描かれた時に登場したキャラクターが再び登場することがあります。「メヌエット」には、帝国の第3代皇帝として実質的に帝国の基礎を築いた名君、女帝トレスが冒頭から登場します。少年画報社版の16巻あたりで登場した時には花も恥じらう美少女でしたが、今回はすっかり老女になってしまっており、そろそろ退位を考えています。しかし父ナガト帝譲りのその頭の切れは相変わらずで、10年ほど前から彼女の存在を知っている僕は、ちょうど懐かしい友人に再会したような気分になります。

時代、そして舞台になる場所を大体把握したら、次は主人公のロックが今回はどんな姿に化けているのかをチェックします。
超人ロックの世界では、高度な力を持ったエスパーは他人の外見を「マトリクス」というデータに置き換えることによって、自分に写し取ることが出来ます。ロックは大抵の場合、物語の序盤ではその姿を見せません。しかし、誰かのマトリクスを使ってすでに物語に登場していたりするのです。
この、「誰がロックか」というのは、話によってはそれ自体がそのエピソードの主題になっている事があり、なかなか判明しないことが多いです。ロック自身のマトリクスも長い物語の間には何度か奪われているため、ロックの姿をしているからといって本当にその人物がロックであるとは限りません。
「メヌエット」の場合は、はじめからロックが登場します。ストーリー自体が、帝国初期の跡継ぎ問題に付随する血縁や権力争いといったかなり複雑なテーマのため、ロックには物語上での複雑な役割は与えられなかったのでしょう。

そしてストーリーを楽しみます。
物語の主人公はロックではない場合が多いです。ロックは銀河最強のエスパーである上に、有数の高度な技術を持ったコンピューターハッカーであり、他に類を見ないほどの苦難を乗り越えてきた冒険家であり、一流のレーザー銃の使い手であり、専門家顔負けの破壊工作員であり、自分の体を生かしきった戦いの出来る格闘家であり、銀河トップレベルの企業を切り盛りできる商才を持ち、クーデター指導者の経験もある上、ついでに5つの星系を統治する大公であったこともあるくらいで、こんな有能な彼が中心にいると物語があっという間に終わってしまうのです。
そんな彼が、どんな事件と出会い、多くの登場人物たちとどんな関係を持って、最後にその力をどのような判断で使ったのかという、ドラマを楽しみます。

「メヌエット」では、帝国初期の名君トレス帝の退位に関わるドラマと、後の帝国の崩壊の時代にも名を残すオーリック家とマイノック家、そして帝国中期あたりには当たり前に使われるようになる「若返りの技術」の誕生についての物語が語られます。
初代皇帝ナガトの娘トレスが帝位につくまでの事件や、若返りの技術が最初はある一人のエスパーの特殊能力でナガト帝にのみ使われていたこと、そして今回のラストに登場するカール・ダーム帝が後に不思議な存在になっていくという、帝国の初期から末期までの数百年間に点在していたいくつかもの重要なエピソードを、「メヌエット」は繋ぎあわせる役目を持った物語でした。
謎の多かった銀河帝国史の一部に、やっと光が当たったのです。銀河帝国の成立のエピソードが描かれたのはおそらく15年ほども前になりますから、まさに現代に残る数少ない「大河マンガ」と呼ぶべき作品と言えるでしょう。

十年以上前からの謎がやっと解かれるこの快感のような体験を、もっと多くの方に味わってもらいたいと思うのです。これからもこのHPでは超人ロックの紹介を続けていきたいと思います。

連邦と帝国

作品内には、人類統一政府が2つ登場します。正確には3つですが、名前は2つです。
まず、人類が地球にしか住んでいなかったころの国家連合体の延長線上にあると思われる「銀河連邦」が存在しました。
次に、宇宙船技術の発達と、1発で惑星を破壊する力を持ったジオイド弾の発明によって引き起こされた「汎銀河戦争」の中から、ナガト帝とスーパーコンピュータ「ライガー1」によって打ち立てられた「銀河帝国」が現れます。
そして、長く続いた帝国の支配の腐敗の中から芽吹いた活動団体「SOE」を前身とし、「ライガー1」と惑星コンピュータ「ドラム」との壮絶な相打ちによって秩序が失われてしまった宇宙に新しい秩序をもたらすための機関としての「銀河連邦」が生まれました。

もちろんどの組織も、実際には完全なる人類統一政府ではなく、友好関係があるにしろ同時代に傘下ではない自治体が存在していたりもしました。超人ロックの世界でも、人類はそう簡単には統一政府を作ることが出来なかったようです。
しかしながら、この作品を大河歴史マンガと捉えるのならば、その根底としての仮想人類史としてこの「連邦→帝国→連邦」という流れは押さえておくのが妥当であると思われます。
この大きな流れを認識すればこそ、ロックという一個人がどれほど大きく歴史に干渉したのかという視点が生まれ、そしてそのダイナミズムを僕らは楽しむことが出来るのです。
ロックは、どうやらノンポリらしく、「連邦を守るため」とか「帝国を守るため」というような戦いはしませんでした。彼の行動の多くは、連邦に勤める友人の依頼によってのものであったり、多くの人間の命を救うためのものであったり、目の前で一人の人間が殺されたことによる怒りによってのものだったりしました。
しかし、結果として彼は第一次銀河連邦の崩壊を見届け、銀河帝国の設立に結果的に手を貸し、帝国の崩壊の時にも、その現場にいました。そういった彼自身がかかわってしまった歴史的事件も沢山ありましたし、彼がかかわった人物の子孫が、後に大きな歴史的活動を行ったという事象もあります。
基本的にこの作品はコミックス1冊分で一つの物語が完結するように作られていますが、その背後には1000年以上におよぶ年表が横たわり、一つの人類史を描いているのです。

時にスーパーヒーローであり、時に狂言回しであり、時に脇役であるロック・ザ・スーパーマンは、この作品の主人公でありながら、作品の描いている人類史の観察者であるという側面を持っています。
いつか彼の旅に終わりが来るのでしょうか。そして、ロックとは、何者なのでしょうか。
その答えを探すのが、超人ロック研究の真の目的です。しかし、失礼かもしれませんが、それは作者である聖悠樹でもわからないことなのではないかと、僕には思えてなりません。

銀河を駆けろ!

超人ロックって、まだどこかで連載されたりしているんでしょうか?
最初から随分と弱気ですが、これは僕はマンガになっている超人ロックをすべて読んでいるわけではないという自信の無さに起因しています。基本的には少年画報社から出ていた38巻までのコミックスと、その後に発売されたいくつかのコミックス、それと、少年画報社版より前のコミックスが2冊ほど手元にあるだけです。
それぞれが、どんな雑誌に連載されていたのかもよく知りませんし、少年画報社版は37巻の「神童」が抜けています。しかも、その欠けたところを今現在精力的に探しているわけでもありません。こんな腑抜けた僕の書くコーナーですから、いたるところに、記載のミスや事実の誤認、無知ゆえの誤った考えなどが現れると思いますが、そういうものに気が付かれたら、どうか寛大な心で会議室やメールなどでご指摘いただけますよう、よろしくお願いします。

僕が「超人ロック」に出会ったのは小学校時分です。夏休みに、避暑に訪れた山荘で、たまたま少年画報社版がずらっと揃って置いて有るのに遭遇し、雨天が重なったこともあって山登りにも行かず、二日ほどかかけて一気に20巻代後半まで読みました。小学生の僕はほとんど初めて触れた本格的SF世界に興奮し、滞在が終わってその山荘を出る直前までむさぼり読んでいました。
街に戻ってから、本屋にたまたまあった38巻を買い、それだけを何度も繰り返し読みました。1年ほど後に、また本屋で7巻と8巻を偶然見つけ、1度だけ読んだ記憶を手繰りながら、この2冊で語られている惑星ラフノールの物語をこれまた何度も読み返しました。

春になって、新しく出来た中学の友人が、なんと15巻まであっさりと譲ってくれました。前に読んだ記憶がほとんど薄れ掛けていた僕は、この時にあらためて、ロードレオンやヤマキ長官を魅力的なキャラクターとして認識し、惑星ロンウォールの独立指導者リビングストン将軍に感動し、サイバー達の運命に涙しました。
それ以降は書店や古本屋を巡り、ひたすら自分の持っていない巻を集めることに没頭したのですが、こういったコミックスの流れにとらわれない読み方をしたお陰か、僕は超人ロックを一つの大河歴史読み物として認識して、コミックスを買う行為は、まるで年表に空いた謎の空白を解明するための歴史学者の研究行為であるかのようになっていったのです。

そして、超人ロック歴史研究家てなしもの研究者としての自意識を決定付けるイベントがおこりました。
あれは中学3年の夏だったでしょうか。長野県長野市にある、全国的に有名なお寺「善光寺」。その表通りにあった古びた本屋に僕はふらりと立ち寄りました。いつもの癖で、超人ロックのコミックスがありそうな棚を覗いていると、何とそこには、古本ではない新品の、まだ僕の持っていない超人ロックが、なんと8冊も並んでいたのです。涎の出そうな宝の山でした。しかし、その時僕の財布には4冊分を買うお金しか無く、「まあ、こんなにここにあるんだから、またどこかで見つかるだろう」と高をくくって若い方の巻を4冊だけ手にとり、レジへ向かったのです。(ああ、今思い返してもなんとも惜しいです。)
次に長野を訪れたのは1年後でした。その本屋をやっと見つけだし、本棚を覗いていましたが、もちろん買い逃した4冊は残っていませんでした。あの後も、あちこちの本屋を回りましたが、結局新しい巻は全然手に入っていなかったので、1年前にここに8冊もあった事を不思議に思い、店主にそのことをたずねてみました。すると、驚くような答えが返ってきました。
なんとこの本屋さんは、超人ロックを新刊で仕入れた最後の店だったのです。お客さんから「全巻欲しい」という注文を受け、全巻2セットを版元に問い合わせたところ、もう既に原盤が残っていなくて在庫も無いと言われてしまったものの、なんとその版元が全国の取り引きのある本屋さんに問い合わせて、各地の店頭に並んでいたものまですべて引き上げ、全巻セットを2つそろえてこの店に送ってくれたのだというのです。つまり、僕が1年前にこの店で見た8冊は、少年画報社版超人ロック新品の、最後の8冊だったわけです。
いうなれば、あの時の僕は少年画報社版コミックスの、介錯の立会人だったわけです。

ある歴史の瞬間に立ち会ってしまった人間が、その生き証人として生きることに宿命を感じてしまうことがありますが、僕もまさにその心境でした。
結局、ロックはしぶとくもいまだ出版社間をテレポートしながら新しい神話を紡ぎ続けているようですが、僕は一度彼の死を看取ったものとして、未熟の身なれど、これからも彼の後を追いかけて行こうと誓っているのです。

血の召還

 年齢を重ねて参りますと、月日の流れというのは早く感じるようになるものです。
 いやー、あっという間でしたね、この四ヶ月ほども。このくらい早いと、その間にいちいち何があったかなども思い出せなくなってしまいます、はい。
 あ、ワンフェスは行きました。事前に「読み解け」でもお伝えしていた通り、FSS関係のでっかい展示がありまして、お目当てだった超絶技巧のガレージキット群や、無数のFSSキャラに扮したキレイなコスプレのお兄さん、お姉さん達に見蕩れてしまいました。ちなみに、FSSの展示の入り口にあったでっかい「DANCE(コミックス一巻の表紙絵)」の前で、午後の間中ずうっと飛翔するラキシスと梵天のようなナイトオブゴールドをぼんやり見上げていたアホっぽいメガネ君がてなしもでした。入り口近くで通行の邪魔になっていたので、会場に行かれたあなたにもひょっとしたら御迷惑をおかけしていたかもしれません。ゴメンナサイ。
 さて、えー……。
 先月号では、剣聖カイエンとムグミカ王女がボスやんの手にかかって殺され、流れ出た二人の血液が交じり合ったところで突如「血の召還」が行われて、ほむらの女皇帝・ナインが現われたんでしたね。
 あー……。
 そう、何かが引っかかると思っていたんですが、やっと思い当たりました。僕、先月号の「読み解け」やってませんね。いかんいかん。
 あれ……?
 その前の月も、やってないです? そ、その前も?
 お、おかしい、この四ヶ月の記憶が、記憶が。僕はどうしてしまったんだ。
 (でも永野先生と一月中旬にご一緒させていただいたPSOでの冒険はるんるんと思い出せたりする)

 とか言いながら、例によりまして見開き単位で、まるで何事も無かったかのように今月分の読み解きに参ります。


表紙

 いつも通り彩色されたイラストで、深緑のプラスティックスタイルスーツに身を包んだファティマ・霧姫の立ち姿です。
 その隣には霧姫のマスターであるビオレート・トライトン属するフィルモア帝国の、主力MHと主な騎士の名が簡単に説明されています。
 え、ファントムって三騎あるの?
 しかも、「次期主力MHと噂され」ているそうです。サイレンR型というダミーの型番まで用意されており、しかもその型番が本来割り振られているのはやっぱり新開発の最新型サイレンなんだそうです。従来のサイレンとは異なって、非常にスマートな装甲形状をしており、それを駆る新設の皇帝警護騎士団・白グループの団長はフィルモアの誇る天位騎士(にして未だ本編未登場)のジャンシー・ガラー。ガラーのファティマ・シンドラはDrダイアモンドの作なんですって。いやーもう、ノイエシルチスの黒グループ筆頭はペテルギウス・ズーワットでパートナーはファティマ・ナロン、その使用MHはサイレンFGとか、例によりまして聞いた事無い名前が出まくってます。

 こうやって、FSSでは表紙だけで猛烈な勢いの設定を公開することがちょくちょくあります。
 その内容は大抵、近い回の連載の中でも消化されて特に別記する必要が無くなってしまうので、コミックスに収録されないことがほとんどです。

 さらには、遊星傭兵騎士団の紅騎士としてハスハ奪回作戦のシーンに登場した「ミス・マドラ」の名と、「お笑い組の剣聖」という、間違い無く慧茄のことを指していると思われる人物のことまでも記載されています。同誌のワンフェスレポート記事の中で作者本人の「WFに寄せて」という寄稿がありまして、その中で何気なく「カイエンってどうなるんですか~??」「あ、死んだ死んだ」というえげつない質疑応答が載ってたりするので、やはり、先月号のあっけないと言ってしまっていいだろうあのやりとりで、我らがダークナイト、シルバーナイト、南京虫にして最強の伊達男は亡くなられてしまったようです。となると、その時代の最強の騎士を示す称号である「剣聖」というのは別の誰かに渡るわけで、それがどのような手続きによるものかはわかりませんが、先代の剣聖である慧茄の元へ三度戻ったということなのでしょう。


 ととと。
 まだ始まったばかりですが、ここまで書いてきて、もう時間がなくなってしまいました。えっへん。(威張ることでは無い)
 今月号の本編は、大暴れの「あの方」に関する考察をメインに、ハスハ陥落というリアルな事態と、神話と人類史の融合という幻想的な物語の同時進行という状況を通して、またも「FSSとは何か」みたいなことを読み解いていきたいと思います。
 また、ニ、三日中にお会いしましょう。

二つ!

 今や数あるWEB上FSS連載レポートでも最も更新が遅いと評判のこのコーナー、今月は初期コンセプト通りのお届けです。
 来年二月に開催される次回の「ワンダーフェスティバル」におきまして、我らがFSS関係の展示が主要ガレージキットメーカー数社の協力の元、大々的に行われるということは先月分の更新で書きましたが(書いてない)、模型雑誌は毎月欠かさず手にとってFSS関係の造形物の写真だけチェックしてまた本棚に戻す、という程度の造形ファンとしましても、イベントそのもののシンボルキャラクターに我らがファティマ・アウクソーが使用されるというほどの盛り上げが行われるとなれば、是非会場に行って色々見て歩きたいと思っております。
 ガレージキットというのは、一言で言うと高級な模型のことです。腕に自信のある製作者が自宅の車庫(ガレージ)なんかでほんの数体の作品を制作し、大人でも躊躇うような値段の付いたそれを、よいと思った人が買う。その売り手と買い手がわんさと集う国内最大級のイベントが「ワンダーフェスティバル」なのだそうです、たぶん。行ったこと無いのであやふやでスミマセン。
 精密に造られた立体のMHキットは、FSSの作中で言われているようにまさしく芸術品のような美しさです。同じMHが題材でも造り手さんが違うとまたあちこちに違いが感じられたり、一つ一つのパーツの形は同じなのに組みあがり品からそれぞれに異なる印象を受けたりする体験は、実際にMHを目にした時にもこういう感覚を受けたりするのかもと思わせてくれます。
 ガレージキットメーカーのショールームでやたら姿勢を低くして、まるでお姉さんの下着を覗きこんでいるかのような仕草でMHキットのショーケースを陶然と眺めている男がいたら、それは低視点からのMH観を満喫しているてなしもかもしれません。以前から名古屋の大須と東京の秋葉原のVOLKSショールームによく出没してます。

 さて、今月分の内容ですが、これも先月分の更新で書きましたように先月は連載がありませんでしたので(書いてないってば)、先々月分の続き、開戦直前のフィルモア側の描写から始まります。
 今回の内容は、二つ、です。FSSファンだけの至福の二つです。


表紙

 手前に立つファティマ・アトラスと、奥にシルエットで描かれた細身のMHです。
 細身のMHは、手首のあたりなんかカフスボタンみたいに見える形状になってまして、後頭部から何本も伸びるおそらくカウンターウエイトのシルエットがちょうど長髪のようですから、なんとなくお洒落さんな印象です。
 その手の上には、女性のファティマっぽいシルエットが立っています。
 えーっと……。
 どなたかこちらの方々のことを御存知でしたら教えてください。その、毎度毎度のことではあるんですけど、いったい作者はまだどれだけのデザインを隠し持っているのでしょうか。
 両肩の形状だけ見ると、アクティブバインダーを外したオージェ・アスルキュルにも似てるような気もします。


最初の見開き

 今月は「見開き」ばっかりなのでやはり見開き単位で見て参ります。
 フィルモア軍の後方に展開する空中要塞。そこから数騎のMHベルゲ・サイレンが投下されます。欄外に説明がありまして、戦場で動けなくなったMHの回収や騎士の救助を専門に行うのだそうです。
 FSSの一巻の一番最初のエピソードで、黒騎士を討ち取ったミラージュ騎士カーレル・クリサリスが帰還用に要請していたベルゲ・ミラージュというのがありましたが、やはりMHも騎士も国家の有限の財産ですから、大きな国でもこういう専門部隊を使ってリサイクルするわけです。「ベルゲ・マグロウ」とか「ベルゲ・アマロン」とかもあるのかなあ。
 しかしこれも装甲形状が他のサイレンとは全く異なるデザインです。関節部は大きく開いていて動きが良さそうですし、背中にはでっかい背負子、手にはアイスホッケーのスティックのような引っ掛け棒。一騎で破損サイレンの二三騎は運んでいけそうです。

 左のページに入りまして、アルカナサイレン・はぁとのブルーノ・カンツィアンが、クリスティンにまずは自軍の中翼に入るように直言します。最初の正面突入は、重装甲のアルカナサイレンが適任というのは、道理と思われます。
 この時ブルーノは「先鋒は私と トライトンが はねます!」という、少々変わった言い回しを使いました。最初に読んだ時は気が付かなかったのですが、後の展開を読むとなるほど納得です。突入の戦法はこの時点で決定されていたわけです。
 それをクリスティンは、微笑みすら口元に湛えて拒否します。

「我が命はこの時のために 生かされてきたのでは ありませぬか?」

 戦場に立つ者の一人一人には、その時そこに居る理由というものがそれぞれにあります。
 クリスティンはフィルモアの前に立ちはだかる敵を倒す、ただそれだけの為にこれまで生かされてきた少女です。作者の言葉ですが、「一人殺したら犯罪者、一万人殺せば英雄」と言われるように、クリスティンは幼い頃に一人の人間を殺してしまったがために、将来、つまり戦場に立っている今、敵を無数に殺さねばならぬ十字架を背負っています。
 そこにはまた、こんな恐ろしい宿命であるとはいえ、自分の生きてきた意味、自分という存在の理由、答え、そういったものにめぐり合えた人間の、高揚感すら漂っています。
 そしてこのシーンのクリスティンの耳には、くっきりと描かれた、まさしく「十字架」のイヤリングが下がっているのです。


二つ目の見開き

 あの日、泣いていた少女と、同じものが描かれています。
 今もあの日と同じ罪と悲しみを胸に、少女は、自分が最前線で戦う理由を配下に告げます。クリスティンはこれほどに美しく成長しました。ファティマの人工的な美しさとは異なる、生命感に満ちたその姿。豪奢に広がるブロンド。手にはフィルモアの紋の入った、娘への恩赦を請い自刃して果てた父の刀。右肩に時の剣聖から受けた天位の証の傷痕。自ら望んで殺戮マシーンとなった、いや、これからそれになろうとしている、あまりにも人間的な美しさです。
 トライトンはその意を受け、指示を託します。作中時間で三十二年前(僕らの感覚だと八~十年前くらいと推測)のあの日、クリスティンを守るために動いた騎士の一人であり、トライトンはこの少女がこの十字架を背負うことを宣言したその場に立ち会っていました。
 ブルーノも口を瞑ります。こちらだってクリスティンの父、バーバリーズの介錯を務めた男です。
 そしてクリスティンは、宿命を受け取った証として、いや、宿命を遂行するために与えられたフィルモア皇帝専用MHV・サイレンのコクピットに身を沈めながら、パートナーのファティマ、町の名を呼びます。
 町は自分のマスターの意を総て汲んでいます。
 初陣ならばファティマの戦況判断に騎士は従い、ファティマが退けと言ったらどんなに有利と思っても下がらなければならないのが当たり前のところを、町は決して下がらない、プログラム補正が不可能なところまで破損しても、片腕を失っても戦いつづけるとクリスティンに宣言します。

「おまかせあれ…… この日を 待っておりました! マスター……」

 ファティマが高揚感を表情に現す場面というのは、今までのFSSの中でもちょっと憶えがありません。主の本懐を遂げさせんとする歴戦のファティマの、なんとも言えない表情です。
 ああ、だめだ。皆さん、コミックス十巻の最初のエピソードをお読み返し下さい。ここでどんなに文章を工夫しても、今の僕にはこの騎士とファティマの内面を書ききれません。
 この冷たく燃える微笑に、クリスティンは答えて騎士団への指示を叫びます。


三つ目の見開き

 舞うような姿のV・サイレンを手前、クリスティンの「前進!!」と共に、フィルモア軍のサイレンが一斉に踏み出す見開きです。
 無数の重装甲MHの動き出した音が一つにまとまって、「ズゴン」という巨大な書き文字に表現されています。


四つ目の見開き

 迎え撃つメヨーヨ軍が、クラーケンベール大帝騎乗のMH姫沁金剛の指揮の元、こちらも一斉に全MH前進です!
 先陣を切るのはパイドル卿の駆るスペシャルチューンのMHアシュラテンプル。両肩が巨大に膨れ上がっています。


五つ目の見開き

 さらにフィルモア側の見開き!
 進攻するサイレン軍団の先頭から、クリスティンのV・サイレンが「突撃!!」の指示を叫びながら、地面に大爆発を起こしたような砂煙を立てて超加速で前方に、ブルーノが先に言っていた通りに、はねます!


六つ目の見開き

 今度は見開きで上下二段!

「音速突撃!! ハイランダーに 続け!!」

 総てのサイレンが、クリスティンに続いて超加速で飛び出します!
 さあそれを受けて、メヨーヨ軍も突撃、真正面から迎え撃つ!


最後の見開き

 両軍超高速の激突!
 大地と大気を一つに融かす衝撃波に、あたりの地面が捲り上がっていく様子が遠景から描かれて、これにて今回も次号に続くと相成りました。


まとめ

 「音速突撃」ですよ。
 たたみかけるような見開きのラッシュで描かれたこの戦闘法、つまり、MHの機動力にものを言わせて衝撃波を発生させながら敵陣に飛び込み、粉砕するという攻撃です。
 これ、素人考えですけど、多分、FSSという作品の中のMH戦、それも大規模な集団戦でないとありえない戦い方です。
 たとえば、歩兵や戦車は音速では動けません。艦船もしかり。戦闘機は相手の攻撃を受け止めるという意味での陣を組みません。SFの世界を想定しても、宇宙空間でこんな格闘戦を前提とした戦法は成立しません。
 MHという兵器の性能があるからこそ成立する、これはリアルにシュミレートされたその運用法です。
 つまり、FSSの読者だけがこの痺れるような格好よさを楽しめるのです。

 「数年越しで語られてきた悲劇を背負った剣の達人のブロンド美少女が戦場で己の宿命に向かい合って立つエピソード」と、「音速突撃」の二つ。
 どちらもFSS以外ではちょっとやそっとのことでは読めないでしょう。
 これだけのものを僕らに見せつけて、なおFSSは続いていきます。

 ああまったく、なんて面白いマンガなんだ!

 あ、そうだ。
 永野護先生、奥様、結婚十周年おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

晴れ上がった青空の下で

 もう午前3時ですよ。
 あと6時間もすると、本屋さんが開いて月刊ニュータイプ11月号が購入できてしまいます。あかん、急ごう。
 と、急いでいるからというわけではないのですが、今回は見開きページごとの読み解きでは無く、描かれている各要素ごとについて、いろいろ考えてみるという書き方をしてみます。そのほうが今月は解り易そうです。


表紙

 フィルモアとメヨーヨの紋章が白地の誌面からはみ出す大きさで描かれています。これから両軍が大戦闘です。


両軍の紹介ページ

 見開きで、右ページにフィルモア軍、左ページにメヨーヨ軍の紹介がなされています。
 フィルモア側は大将の皇帝代理騎士(ハイランダー)クリスティン・ビィと、彼女御付の皇帝警護騎士であるビオレート・トライトン、ブルーノ・カンツァインという三名の騎士、そして三種のMHサイレンが紹介されています。
 対するメヨーヨは大帝クラーケンベールと彼のファティマ・アンドロメーダ、そしてこちらも三種のMHアシュラ・テンプル……いや、クラーケンベールのMH姫沁金剛の解説文を読むと、

「主力MHであるアシュラ・テンプルをチューンアップしたものと思われがちだが、その設計は根幹から異なり、アシュラ・テンプルよりも若干小柄である。その性能は不明」

とのこと。
 その上、メヨーヨ軍が揃って搭乗しているMHアシュラ・テンプルDDは、今回が初登場の量産型。以前にイラー・ザ・ビショップが駆っていたものと同型の騎体をアグファ・パイドルが使っていますが、ドラゴントゥースが取り外され、これもすでに別物。となれば、これから大暴れする中に、僕らの知っているアシュラ・テンプルは居ないという事ですね。
 両陣営のMHのカラーリングは、フィルモアが青系メヨーヨが赤系でその対称性が美しいです。


まずメヨーヨ

 クラーケンベールが超ニッコニコです。
 前回でこそ、星団最強の軍隊の最精鋭部隊といきなり鉢合わせてビックリ、参謀のアグファと顔を引きつらせて冷や汗なんかかいていた大帝ですが、前回のセリフにあった通りこれぞ「願ってもない」相手と、ゴキゲンで広報部隊に前線への展開を指示します。さらには戦闘会話以外を受信可能なオープンに、とまで大決定。星団中のTV観戦者に大サービスです。
 それから、星団中の注目するこのハスハ動乱の、このタイミングでここにやってきたフィルモアの判断を敵であるにもかかわらず褒めちぎります。
 まず前回のクリスティンの名乗りを受けて、あらためて彼女を名指ししてこちらも名乗りました。これでTVを見ている人達に、今回戦う両軍の「顔」が伝えられます。次に、「うまいっ!」とか「見事なタイミング」とか「他の国家がいまごろじだんだを踏んでるぞ」などと、解りやすく持ち上げます。
 こうやって誉めておけば、この後それに勝ったメヨーヨの株も跳ねあがるというわけです。
 元からフィルモアの騎士団といえば星団で最も強いとされているわけで、それに勝つだけでも十分に高評価が得られるわけですが、今回は指揮官がハイランダーであるとはいえこれまで全く無名だった新人の少女騎士クリスティンですから、クラーケンベールはまずそこに「素晴らしく有能である」と最初のレッテルを貼ることで、わざわざフィルモアの威信を保ちつづけます。
 口でいくら言ったところで、実際に相手が強くなるわけではありませんから、これは言えば言っただけ得です。
 そして、勝てば「あのフィルモアに」ということになりますし、よしんば不覚を取っても「あのフィルモアが相手だったなら」と、傷つく名誉は最小限で済みます。
 戦上手です。
 往年のプロレスラー・アントニオ猪木が大勝負の前になると必ず「今日は体調が絶不調だ」「スランプだ」などととインタビューに答えていたのが思い出されます。

 そしてもちろん、クラーケンベールは負けるつもりなんてさらさらありません。


受けてフィルモア

 こっちはメヨーヨ軍の絶賛アピールに対応する余裕すら無い状態です。
 騎士達は皆、緊張しまくった表情でトライトンの言葉を聞いています。まず彼等は、フィルモア帝国の最強騎士団員であるというプレッシャーと戦っているかのように思えます。過去の栄光は、そのまま、負けてはいけないという重圧です。額に揃って巻かれたフィルモア紋のハチマキが、気合を入れているという効果以上に、それを象徴しているかのようです。まさに決死。
 それぞれに小規模な内戦派兵などでの戦闘経験はあるものの、これほどの規模の集団戦闘を経験しているのは構成員の中でブルーノたった一人。なにより、大将のクリスティンは初陣なのです。
 戦の勝敗というのは戦場で決するものですが、戦前には必ず勝てるように準備をするものですし、戦が終わったら、勝ったら勝ったなりの、負けたら負けたその理由を追求します。この度の戦、もしフィルモアが負けてしまったならば……戦場での実情はどうあれ、敗因は、間違い無く初陣の大将であると星団中から思われることでしょう。そのためのクラーケンベールのアピールであります。

 そういう空気を解っているトライトンが、これから起こる戦の中で最も重要な事を、あらためて全軍に告げます。


そしてファティマ

「この戦… 貴公ら騎士が最も頼るべきは……」

「ファティマたちだ!」

 MHを操縦するためだけに産まれ、戦の中でのみ死んでいく生体コンピューター。殺戮の妖精・ファティマ。
 MHのファティマルームにそれぞれ鎮座する、五体のファティマが描かれています。全て異なるデザインのプラスティック・スタイル・スーツに身を包んでいます。緊張している騎士達とは性質の異なる張り詰めた空気。
 凛凛しさと、美しさです。
 彼女たちはこれから起こることを、恐れてはいません。いや、戦うのは嫌だ、恐い、なんて声や表情に出して言えるファティマは星団史上でもクローソーくらいではあるんですが……。
 ひょっとしたら、彼女たちの中には、これから起こる戦争が嫌で嫌でしょうがないと思っている者があるかもしれません。しかしその感情は、彼女たちがファティマとして産まれた以上は、無いものとして処理されてしまいます。

 このシーンに限ったことではなく、FSSという作品の描く数多いテーマの内でも最大のものの一つは、ファティマという存在の悲劇とその救済です。悲しみの糸は、これから約1000年後のAKDフロートテンプル内で、まさしくクローソーが断つその時まで、紡がれていきます。

 しかしまた、このシーンの彼女たちの美しさは、その悲劇性だけが要因ではありません。
 彼女たちは、騎士から頼られています。彼女たちのMH操作補助、情報処理、戦況判断、指示、そういったものの頑張り次第で、愛する自分の騎士は命を永らえ、戦功を上げられるのです。これは集団戦ですから、自分の頑張り次第ではまわりで戦っている親しい仲間たちも助けることが出来ます。戦に不慣れな騎士たちにとって、経験を積んだファティマたちの判断こそが、最も信頼すべき次の一手になります。
 コミックス7巻に収録されているエピソードで、ボロボロの中古MHアパッチを駆る騎士アーレン・ブラフォードを、大好きなソープのMHと戦うというジレンマに激しく嘔吐させられながら、それでも懸命にサポートしつつ、ファティマ・京は心で叫びました。

「主に星を取らさず何がファティマか!」

 戦う彼女たちの誇りと気高さを、何者も否定することは出来ません。気高さとは、自らを省みず人の為に尽くす者を賞して贈られる言葉です。
 かのクローソーが、過去に自分の意思でただ一度MHを操縦して敵を打ち倒したのも、コーラスを守るためだったのです。

まとめ

 いつ、いかなる場面でも、仲間を救おうとする行為を「正義」と呼びます。(これの対概念は「不義」といって、人の道から外れた行為という意味です。「悪」の対概念は「善」です)
 正義という言葉は、特に政治の舞台などでは胡散臭い使われ方をされることが往々にしてありますが、僕は上記の意味以外で使われるこの言葉に出会った時はそうとう用心することにしています。あ、英語の「justice」は「公平」が適当な訳だと、英語は不得意ながらも僕は思います。justiceだけど不義なことというのは、ちょくちょく世の中にあるのではないでしょうか。
 今回のFSSを改めて読み返しながら、また現在この世界で起こっている痛ましい事態を思い、こんなことを考えていました。

 FSSという作品と出会って12年。他の多くの作品や、出来事、人物との出会いと同じように、この作品からも、僕は様々な影響を受けています。

 FSSの世界において、魔法は超帝国の遺伝子技術の果てに産まれたものであり、巨大ロボットは超高出力のエンジンを積んでいるという設定の元に、僕らの了解する物理的にもウソ無く稼動します。遺伝子技術も、ハイパワーエンジンも、僕らの知っている科学の先に想定できるものであって、限りなく飛躍に近い発想ではあっても、僕らの常識と地続きで繋がっているものです。
 魔法=不思議な力、巨大ロボット=超エネルギー動力という説明だけで、書き手が満足してしまうこともできるのに、それをしていないFSSという作品の凄さ、作者のこだわりの価値、そういうものに気がつけたのは、つい最近のことです。
 これは、目的のある作品世界を構築するためには、とても重要なことなんだと思うのです。
 「FSSはSFではない」と作者も明言していますが、あえて有名なSFの常套句にこの作品をあてはめてみます。

「SFで、使って良いウソはたった一つである」

 これはSFというジャンルに限らず、ある作品の完成度を計る上で一つの目安になるものだろうと僕は思っています。(もちろん、これに当てはまらず、かつ、完成度が高い作品は無数にありますよ!)
 FSSは唯一つ、「遥か未来の出来事である」という以外のウソは、原則として使われていません。「神様」役の登場人物以外の仕掛けは、すべてこの一つのウソに集約されて、作者の想像力の産物として説明がつきます。さらに言うなら、そうやってきちんと構築されている世界があるからこそ、その許容範囲を超える能力を持った存在が「神様」役をこなせるわけです。世界の構築が確り出来ていない物語では、登場する神様役もそれなりなものになりがちです。
 だからこの作品では、人の悲しみは、悲しみとして正しく描けるし、喜びも描かれるし、怒りも、楽しみも存分にそこに描くことが出来るのでしょうし、またさらに、それを超越する神様も描けます。効果がループして、積層し、僕らにより深く訴えてきます。

 はじめは、「わぁロボットかっこいい!」でした。次に「お話面白い!」で、それから「コンコード可愛い」「ソープ様美人~(?)」という具合に、僕はFSSという作品を楽しむようになりました。
 それから何年かおきに、生活の中で何かを学び、あらためてFSSを読むと、それはすでにそこに描かれていた、それがやっとわかった、そういう体験を何度もしています。

 この一ヶ月、やはり、FSSというのは優れたエンタテインメントで、楽しむために読むものですから、アメリカのテロ事件でショックを受けた僕はページを開く気になれず、全く触ることが無かったのですが、こうして開いてみると、そこにはすでに「人(ファティマももちろん含む)の悲しみ」が、これでもか、これでもかと描かれていたのでした。
 お話の展開として、この先はしばらく悲しみの要素を含んだ場面が続くように予想されます。FSSが優れた作品だからこそ、それを読むことを辛いと感じてしまう気持ちが、心に現れるかもしれません。
 これはもちろん、FSSや、他の戦争的場面を描く全ての作品のせいではありません!
 しかし、それを受け取る側に、楽しめない人がいるという現実は、やはりそこにあるでしょう。


 FSSに描かれているドラマの中でも、最も美しい場面の一つが思い起こされます。
 コミックスの9巻、星団初めてのファティマシリーズ・4ファッティスの一人、インタシティがハルペルとして老衰死を賜る場面です。
 彼女を慕う多くの人々に囲まれ、彼女の悲劇と栄光を共に駆け抜けたMHエンプレスとMHビブロスに見守られ、彼女は息を引き取ります。
 これは戦いによらず天に召された唯一のファティマの記録ではないでしょうか。
 人なればこそ、このような最期も訪れて然るべき。

 それでは数時間後に、「読み解け今月のFSS11月号」でお会いしましょう。
 ただいま、朝の8時です。

読み解け今月のFSS9月号 (01年8月21日)

 九月号発売から約二週間、ようやっと今月の「読み解け」に辿りつきました。
 FSSという作品の最大の属性はやはり「ロボットマンガ」であるということを教えてくれた今回の内容、さっそく見ていきましょう。


表紙

 少年のような面差しの女性のモノクロイラストです。
 直感ですが、先月号で手首だけ登場した女性騎士ナイアス・ブリュンヒルダかと思います。違うとしても、ぱっと見ジャコーやユーゾッタ、クリスティン、ダイ・グ、ズームらと同じ100歳(地球年齢で二十歳)前後のキャラクターのようですから、これから彼と彼女らの紡ぐメインストーリーに絡む人物なのではないかと推測されます。
 それにしても、これくらい足首の美しい女性が、現実のどこかに居ないものでしょうか。


最初のシーン:ワックストラックス店内にて

 今回は、一ページ、一コマごとに丁寧に見ていくのではなく、物語の流れに即したシーンごとの読み解きで行きたいと思います。これだけ遅くなっちゃったんですから、いつものように、スピード+細かさを売りにする必要はないですよね。

 戦争の中継を見て盛り上がる血気盛んな騎士達を、アイシャとジョルジュが横目で眺めています。
 騎士達は、重楷や斧で武装したAトールを実剣で次々と捌く黒騎士のデコースに感嘆の声を上げていますが、アイシャやジョルジュから見れば、スピードに勝る実剣の方が的確に敵MHの急所を大きな貫通力で攻撃できるのですから、デコースのやっていることのほうが当然なわけです。
 二人の後ろにはジャコーと三条香が無言で控えています。元々、ワックストラックスのマスター、ジョルジュ・スパンタウゼンはジャコーが現団長を務めるイオタ宇宙騎士団の騎士なのですから、この繋がりも当然です。
 ジョルジュが店を閉めてまでついてくるかは解りませんが、この後、アイシャとジャコー達が行動をともにする可能性は高いと思われます。ジャコーもアイシャもミラージュ騎士で、ミラージュの所属するAKDは表向きこのハスハ動乱を静観することになっていますが、実際にはこのように個人レベルで多くのミラージュがハスハ入りするようです。

 ところで、六コマ目のアイシャの背景で基本的なマンガの表現技法であるところの「カケアミ」が使われております。中学時代にひたすらこれをやった経験のあるてなしもは、なんだか懐かしかったです。
 こういった技法で表現される、終盤の、晴れ渡った大空の元で軍事国家同士の主力軍団があいまみえるシーンと、この暗い地下の酒場のシーンの明度の対比が面白いです。


二つ目のシーン:アララギ・ハイトの脱走

 顔はカイエンに似ているものの、騎士としての能力はてんで低く、おまけに性格も悪そうな騎士警察アララギ・ハイトが、ハスハで起こっている大乱戦のニュースを聞いて、戦に乗じて一旗上げてやろうと職務を放棄して脱走します。
 単騎で大国の騎士団を相手に大暴れするデコースのニュースは、こんなふうに星団中のあちこちで、野心ある若者達に火をつけてしまっているのです。
 このハイト、このあと意外な活躍をするらしいので要注意です。


三つ目のシーン:バキン・ラカン帝国の参戦

 ところを夜のバキン・ラカン帝国に移して、展開されているのはハスハの危機を救うべく騎士団を派遣したいと申し出る騎士団長ママドア・ユーゾッタと中立を守ろうとする若き聖帝ラ・シーラの押し問答です。
 何かにつけてまだ未熟であるとまわりの人から評価されてしまうラ・シーラは、今回も母親の前聖帝ミマスの助言を丸のみする形でユーゾッタの出陣を許してしまいます。なんだか頼りないぞ聖帝。
 騎士の登録と任命を司る、ある意味で星団でも最も権威のあるお人なのですから、おそらくはこの後、成長を重ねていって立派な人物になるのだとは思いますが、現時点では立場に振りまわされる子供そのもののように感じられます。がんばれラ・シーラ。


今回の最終シーン:大平原に展開するメヨーヨ朝廷軍と、フィルモア精鋭軍の対峙

 さて、今回の目玉シーンです。
 まず紙面に登場したのは、なんだか凄いことになっちゃってるクラーケンベール・メヨーヨ大帝です。コミックス六巻でファティマ専用の超高級売春宿の迷惑客などをしていた彼ですが、美少年顔はそのままに、髪は当時以上に半刈り、戦の興奮がおさまらないのか目蓋から額にかけてのイレズミはまだくっきりと浮かび上がっていて、オマケに鼻の下には細い二本のドジョウひげです。
 狂気を孕んだ武人の性とこのカブキっぷり、日本の戦国時代の雄である織田信長を連想させます。
 その戦闘力はさすがに確かなもので、ナカカラ王国国境の防衛騎士団を苦も無く粉砕した様子です。MHから降りてこれからの戦略を、指南役と思われるパイドル卿と相談しています。このパイドル卿というのは、やはり初代黒騎士ツーリ・パイドルの血筋の者なのでしょう。二人の背後には、メヨーヨ朝廷が正式採用したというドラゴントゥース抜きのMH新型アシュラテンプルと、そのスペシャル版にしてクラーケンベールの専用機、ブランベルジュテンプルことMH姫沁金剛。
 なんだかものすごくあてずっぽうな作戦を立てて、クラーケンベールは進軍を指示します。これが許されるだけの実力をこのメヨーヨ朝廷軍が持ち、また、そういう指示がゆるされるくらいにクラーケンベールは兵達から支持されているということがわかります。
 と、そこの前方に「超ド級エネルギーフィールド」が発生します。
 大軍団のテレポート・アウトです。
 発せられるエネルギー波を集めて、敵の割り出しを行うクラーケンベールのファティマ・アンドロメーダが、あることに気が付いて絶句します。敵は、わざわざテレポートの母船から星団識別信号を発信してきたのです。
 思わずクラーケンベールが「相当でかいぞ!!」と声を荒げます。「来た! どこだ!!」
 アンドロメーダが叫びます。
「フィルモア帝国ですっ!!」
 テレポート・アウトの光の中に、細く、昆虫めいた、殺傷力のカタマリのようなシルエットが浮かび上がります。

 右肩に、その歌声で船乗り達に死を呼ぶ海の魔物サイレンの図案が大きく描かれ、全身の各部には、レーダー王家の紋章であるウォータークラウンが刻印されています。
 轟音と共に右足を前に踏み出し、姿勢は低く、右手の黒い長剣は横に伸ばされ、左手の盾と一体化した短剣は、これも前に向かって斜め下に突き出されています。
 正視することもままならぬ光の中から歩み出してきた、これがフィルモア帝国最強MH、Vサイレン103・ネプチューンです。

 その後ろには、長大なポールに大きくフィルモアの紋の刻まれた旗をなびかせる、重MHアルカナサイレンのハートとダイヤが従い、そのさらに後方には、ざっと数えても40騎近い、重装甲のサイレンD型が長大なランスを天に向けて陣形を築いています。

 この大迫力の軍勢に、さしものクラーケンベールも「フィルモア帝国とは……」と冷や汗を垂らします。続けて「これは願ってもない……」と来るところが、さすが大帝と申せましょうか。
 パイドル卿も、まさか皇帝騎Vサイレンがいきなり前線に投入されるとは思っていなかったようで、かなり慌てています。
 皇帝騎Vサイレンは、103ネプチューンと104プロミネンスの二騎があり、そのどちらかにフィルモア皇帝が、そしてもう一方には皇帝と同権力をを持つ皇帝代理騎士ハイランダーが騎乗しています。

 美しいブロンドを獅子のたてがみのように広げた美女、クリスティン・Vが、クラーケンベール・メヨーヨ大帝に対して、ハイランダーとして宣戦を布告します。
「引かぬ場合はフィルモア騎士団がお相手いたす!」
 この時点で、フィルモアがこのハスハ動乱においてどこまで自国の野心を満たそうとしているかは解りませんが、とりあえずこの場面では、フィルモアはハスハの味方となりました。
 サイレンのコクピットから立ち上がり、見栄を切る下着姿のクリスティンの勇ましさよ。
 このまま行くなら、クリスティンとユーゾッタも同じ陣営に所属することになりますから、二人のファンとしてはほっと一安心です。

まとめ

 今回の内容は、もう「ネプチューンの登場シーンの格好良さ」これに尽きるでしょう。
 ロボットはやはり、止め絵で見栄を切ってナンボです。今月号を見てしまうと、ぐっと構えて相手を睨みつける姿勢で心を震わせてくれないようなロボットには、お金を払う気にはなりません!

 手短ですが今月はこれにて。
 すぐに十月号の読み解けでお会いしましょう。

祝・剣聖スキーンズ再登場(一コマのみ)

 今更繰り返すのもなんですが、本当にFSSというマンガは面白いと思います。
 今月もそれを再確認させてくれた内容の読み解きに、さっそく参りましょう。
 ちなみに、本来ならばこの「読み解け」はWeb上で最速のFSS感想文を目指すというコンセプトなのですが、今月号に関しましては、あるやむを得ない事情があってこうして数日遅れになってしまったことを、ご報告申し上げます。
 近所でバーチャファイター最新作のロケーションテストが始まってしまったんですもん。
 所持金がすっからかんになっていなかったら、今日もこの更新してなかったと思います。


表紙

 今や本編以上の大人気と言われる「がんばれESTちゃん」第三回が堂々の掲載です。いつのまにか専用のロゴも出来ております。
 エスト、アイシャ、そして作者のPSOのキャラクターであるS.I.Lの三人で、どつき漫才をしながら作者の近況を報告してますが、今回の内容は、やはりここで告知されている「FSSロビー」に積極的に参加させていただいている僕としては楽しいことこの上ないものです。
 この場を借りて僕からも、どうぞ興味のある方は、04シップ-08ブロック-08ロビー、通称「FSSロビー」に気楽に遊びに来てくださいと、宣伝させていただきます。
 特に、「はじめてDCを買いました」「はじめてオンラインに繋ぎました」という方には最適のロビーだと思いますよ。

 と、PSOの話題は止まらなくなってしまうのでここまでにしまして、中身の方へ移ります。しかし、右下のコマの永野先生の描いた「キャス子」は貴重だなあ。


最初の見開き

 ページを開いて最初に目に飛び込んできたのは、左側のページの大ゴマで美しい女性の肩を抱く美丈夫でした。僕は思わず万歳三唱。
 すみません、またまたPSOの話題になってしまうんですが、このゲームで僕がメインで使っているキャラクターの名前は、こちらの超帝国の剣聖からいただいておりまして、「SKINS=Tena」と名乗っています。以前から「スキーンズが連載に再登場しないものかなあ」と祈っていたものですから、念願かなって嬉しさのあまり小躍りしたのでした。

 さてさて、もういい加減脱線は止めにしまして、この見開きを読んでいきます。
 ここで語られているのは、カイエンは子供を作ることが事実上不可能だったという事についてです。
 カイエンの両親はどちらも超帝国の純血の騎士であり、父はその中でも最強の騎士アサラム・スキーンズで、母も黒騎士団団長にしてドラゴン達と超帝国との歴史的和解の橋渡し役をしてのけた伝説のヤーン・バッシュ王女です。そんなあまりに強力な両親の染色体を受け継いだものですから、カイエンの染色体もまた非常に強力であり、普通の卵子ではカイエンの精子を受精した段階で破壊されてしまうか、母体が拒絶反応を起こして体外に排出されてしまいます。
 ところが、マグダルとデプレは無事に誕生しています。二人は、無事にこの世に産まれ出るため、その力を抑えて普通の胎児として成長したのでした。二人は母の胎内にいるうちから、お互いを励ましあって、支えあって生きてきたわけです。
 そうして、普通の双子として誕生するはずだった二人が、しかし、生まれた瞬間に超帝国の血が解放された、強力な騎士とダイバーの素質を持つ双子になったのだと、コンコードの残したヤーボの体の記録を調べたミースが語ります。

 この部分、ちょっと考えてみます。
 普通の子供として産まれるはずだったマグダルとデプレが、ミースにもわからない理由で、そんじょそこらの騎士やダイバーどころではなく、超帝国の血に目覚めた特別な人間になってしまいました。
 ミースの医師としての能力は、Drバランシェの後を継げるほどの超絶的なものであることはすでに語られています。そのミースにすら判らないのですから、これはすでに、人知を超えた何らかの力の干渉の行われた出来事と考えるのが自然です。
 おそらくは、後に星団中へ災厄の種を蒔くボスヤスフォートと戦い、これを制するために二人の力は解放されたのでしょう。ボスヤスフォートの覇道を、抑えたい立場の人物といえば、はたして誰であるか。で、考えてみますと、二人の両親であるヤーボとカイエンの出会いの遠まわしの原因に、コミックス三巻ラストでのムグミカ王女の言動があります。ここで暇を出されたヤーボがカステポーへ行き、顔なじみだったらしいカイエンと再会して、深い中になっちゃうわけです。
 ということは、あの時ヤーボにカステポー行きを薦めたムグミカの言動は、すべてアトールの神女としての計算に則ってのものだった……
 いえいえ、この考えは少々無粋に過ぎるというものです。
 確かに、アトールの神女たるムグミカ王女の進言が無ければ、ヤーボはハスハで謹慎を受けたままそれからしばらくを過ごし、今回の動乱にも一騎士(もしくは騎士団長)として参加、そしてただ討ち死に、なんてことになっていたかもしれません。
 しかしながら、ムグミカからヤーボに与えられた使命は、一生を塔の中で、籠の鳥のように過す王女に代わって、その目となり、その心を持って世界を検分し、見たもの、出会った人々のことを王女に伝えるというものでした。
 同じ女として、世界を見てきて欲しい。これは、アトールの神女ではなく、ムグミカ・ラオ・コレットという女性の、心からの願いだったのだと思います。だからこそ、その言葉に心を打たれたカイエンは、珍しく自分からヤーボに身の上話をすることになり、その話の中に登場するミースとヤーボの間にも縁が生まれ、それはやがてミースがハスハに協力するようになったのとも無関係とは言えないでしょう。そしてそれは、カイエン自身のハスハ入りの時の言葉である「ヤーボのかわりに腕となり目となろう…」に繋がっていきます。
 これほど多くの登場人物の、こんな細かな心情の機微まで、遥か太古の皇帝なんぞの計算づくであってたまるものですか。これは逆に、いかなる形であれ、この時代に、ボスヤスフォートと戦うことのできる能力を持った何者かが必要とされることだけが予想されていて、たまたま、カイエンとヤーボの間の子供にその白羽の矢が立ったと考えたほうが良いのではないかと思います。
 ものすごい潜在能力を持った二人が、たまたま双子だったおかげでお互いを支えあうことが出来て、たまたま無事に産まれることが出来た。そこに、両親の遺伝とは別の要素で、とてつもない力を発現させられた。マグダルとデプレに秘められた力の秘密とは、こういうことなのではないかと、僕はここで推論しておきます。
 マグダルとデプレを中心に据えた話というのは、本格的に語られるのはまだ少し先になりそうですから、この推論が良い所を突いているのか、全くの見当はずれなのか、定かになるまでしばらく楽しみに待ちたいと思います。

 さて、引き続きカイエン自身の話です。
 ここで、もう一つの純血の騎士の血統であるスバースの事が出来てます。スバースの血族というのはたくさん居て、慧茄、ディモス・ハイアラキ、ピックング・ハリス(スパーク)、マロリー・マイスナーなどなど、強力な騎士が名を連ねます。
 このようにスバースが星団に血を残せたのは、リチウム・バランス博士と、その時代のアトールの神子によって、血の力を弱められたからだそうです。しかし、カイエンは血の力も弱められていない上に、そもそもその血は超帝国でも最も強力な血統のものだったりしたわけですから、自然に子供ができないのは当然、といえるほどだったわけです。試しに調べてみましたが、この「スバースの血の力を弱めたアトールの神子」が誰なのかは特定できませんでした。名前がわかっている範囲では、五代前のアトールの神子であるエダクダか、年代的にはさらにその前の人物あたりがそうであるように思えます。
(ところで、これは全く本筋から離れる話ですが、僕がこの文中で使っている「神子」という言葉は、コミックスでの表記に準拠しています。今月号での表記は「巫女」になっています。)

 う。まだ右側の一ページ目だったんですね。やっと左のページに突入します。
 背景にうっすらと、おそらくジェットドラゴンと思われる巨大な存在のシルエットが浮かぶ大ゴマで、我が子を見守る母のような優しい眼差しのヤーン・バッシュ王女と、その王女を見詰めて肩に手を置いている剣聖アサラム・スキーンズです。
 ここで、カイエンの本当の名前が明らかにされています。一万年以上も昔に、炎の女皇帝が「カイエン・バッシュ・カステポー」の名を、ヤーン王女とスキーンズの子供に贈っていたのでした。
 ここで一つ定かになったのは、「カイエン」の名の由来です。現時点ではハスハのアルルが所有し、のちにマキシの手に渡って別次元にてその威力が発揮される謎の大太刀「懐園剣」のそもそもの持ち主はスキーンズであったといいますから、おそらく、その大太刀の伝承者という意味で、子供にカイエンという名前が与えられたのでしょう。AD世紀から伝わる大太刀の名前と現代の剣聖の名前が一致する謎が、これで解けました。スキーンズはどうやってこれを手に入れたのかという謎がまだありますけど。
 また、カイエンに「バッシュ」の名前が与えられていたというのは、ちょうど今、カイエンの居るハスハ王宮へデコースの駆るMHバッシュが襲いかかっているということで、歴史の皮肉を感じます。

 さて、ここでまた少し、わき道に反れます。これまた余計な思考実験です。
 剣聖スキーンズは身の丈2.5mだそうです。人間の骨格と、それを構成する主な物質であるカルシウムの性質を考えると、人間型の生き物は身長3mになった時点で腰からポキリと折れてしまうそうです。2.5mでも、ちょっとあぶないかも?
 そして、騎士といえども、当然、普通の体をした人間の親から産まれる者がほとんどなわけですから、その肉体を構成する物質も僕らと大差あるはずはありません。多少大食いだとしても、騎士は僕らと同じ物を食べてるわけですし。
 しかしながら、現在地球上で行われている主なスポーツの中でも最も運動量が激しいと言われるバスケットボールの、その最高峰NBAの一流選手の中には、均整の取れた2.3mほどの巨体をブンブン振りまわして信じられないほどの高さに飛びあがったり、フェイントをかけながらコートを走り回ったりしている人達が、何人もいます。
 この2.5mという数字は、MHの関節部分の構造一つにも嘘を吐かない作者の、リアリストな部分の現れのように思います。
 遺伝子改造や薬品の投与等の処置が取られるわけですから、僕らの知っている常識に当てはめる必要は本来は無いわけですが、そういう処置が行われた上での、2.5mという身長は、大きくて強くて動きの速い人間の、極限の数字として直感的に正しいなあと、僕は思いました。
 何度も、何度も繰り返し述べられているように、騎士も人間です。その超人的な肉体も、極限の部分では、人間という檻に閉じ込められているのではないかと僕は受け止めています。
 身体性の限界も、人間らしい心も、彼らは備えていて、だからこそ、まだ受精卵の状態でしかない我が子に、尊敬する皇帝から名前をいただき、それを地上に残して旅立たねばならなかったとき、王女は涙しています。コミックス9巻の185pです。

 戦争は国家の一大事ですが、出生の秘密もまた個人の一大事です。戦の轟音と石礫の飛び交う中、二人の会話は続きます。


二つ目の見開き

 最初の見開きの最後のコマから話題を引き継ぎますが、カイエンの体の秘密に関する驚くべきミースの発言です。
 抗体、超帝国のDNA、ループしたDNA、胸腺と、人間の生命活動の根底にかかわる部分からの、カイエンの特徴があかされます。しかし、これらの難しい用語を一つ一つ考察していく必要はありません。ミースがわかりやすくまとめてくれます。

「それはファティマの能力!」

 ジョーカーの人々の寿命は300年程度であるはずなのに、カイエンはすでにそれを遥かに越える年数を生きています。カイエンの強力な受精卵を宿し、いわゆる「代理母」として健康にカイエンを産み落としたファティマ・クーンから、カイエンは様々な老化現象を抑えるファティマの特質を受け継いでいたのでした。
 コミックスの6巻、星団歴2992年の時点で、カイエンはラキシスに、自分の母親はクーンで、そして「ついにボクの父はわからずだったヨ」と告げています。確証はありませんが、ひょっとしてカイエンは今この時、はじめて自分の父と母の名を知ったのではないでしょうか。さしものカイエンも、ぽつぽつとしか返事を返せません。一方ミースは、カイエンに、カイエンがどうやってこの世に生を受けたのかを説明し終えてから、自分も、カイエンの子を産むために、同じ方法を取ったと言い、それから涙を零し、声を荒げます。
 好きだから、あなたのことしか考えていないから、誰よりもよく、あなたのことを知っていたかった。
 カイエンの精子を受け止めるために、まずミースは自分の卵巣に「MAXIMUM」のプログラムが埋め込まれた卵を産むための特別な処置を施しました。そして、アウクソーの体にその卵巣を移植して、冷凍保存されていたカイエンの精子を受精させます。
 真っ黒なシルエットに、虚ろな瞳だけが浮かぶ、そら恐ろしげなミースがこう呟きます。

「その状態で 卵は10年間も 寝かされていたのよ……」
「なぜって? 私の体がね… なじむために…」


三つ目の見開き

「そうよ…… 私の子宮はファティマ型のものに取り替えてあるの でないと この子が成長できないから」

 ミースがハスハ入りしたのは20年前の星団暦3010年です。はじめの10年は、おそらくカイエンという騎士の解析に費やされ、そして10年目にアウクソーへの細工によってカイエンの受精卵を入手し、それから自分の体内にファティマの子宮を移植して、それが体になじむまでさらに10年間。
 そこに受精卵を移植して、今、ミースの胎内にはカイエンの子がいます。
 自らの体と下腹部を抱くミースの後ろには、若き日のDrバランシェが影の様に立ち、己の狂気の後継者を頼もしげに見下ろしています。Drバランシェの最後の狂気、46体目の作品「MAXIMUM」はここに息づいているのです。

「星団史で初めて産まれる シバレースが 今、ここにいるわ……」

 この発言を読んでやっと気が付いたんですが、「シバレース」という言葉は騎士の尊称として使われる言葉なんですね。ジョーカー星団では、ファティマのみならず、騎士もまた尊敬されるだけでなく、差別の対象になることが多いようです。そんな中で、クリスティンやミラージュの騎士達のように、大きな運命までを背負ってなお騎士として戦う人々に、敬意を込めて「シバレース」という呼びかけが使われるのだと思います。って、これに気がついてなかったのは僕だけでしょうか。今まで、いろいろなところで、いろいろな人が、騎士のことをシバレースと呼ぶのを見て、なんだろうなあと気にかかってはいたんですが、あんまりよく考えたことがありませんでした。

 さて、そんなミースを見て、うつむいたままにカイエンは、ミースの狂気を言葉で指摘しつづけます。ミースは「いいの!」と逆上し、命を救った者は、救われた者に対してその後の人生に責任が発生するという内容の言葉を、ぽろぽろ涙を零しながら叫びます。あの日、レジスタンスの村で撃たれて死んでいたはずの少女を、助けたのはあなたなのだから、と。
 その発言を受けて、カイエンが光剣を抜きます。
 光剣であるにもかかわらず、片刃で、反身が付いているように見える、これはコミックス4巻の口絵の、カイエンがFSSにイラストとして初登場したときに下げていたあの黒い光剣ではありませんか。
 ミースはとっくに覚悟を決めているようです。瞳を開ききったまま、もう、最後まで言葉を紡いでしまいます。
 自分は心からカイエンのことを愛しているつもりだった。だから、その子供を欲しいと思った。しかし……


四つ目の見開き

 本当は、研究者として、超生命体を生み出す研究を完成させたくてこんなことをしてしまったのかも知れない。
 そのうち、それがわからなくなってしまった。
 もうミースは、何も隠していません。今までこれほどに叫んできたカイエンへの思いさえも、己の研究を正当化するための自分への偽りだったのかもしれない、という告白です。人の命を弄んでいるのは、自分かもしれないと、まさしく自分が殺されることさえも肯定した呟きのように思えます。

 そこへ、王宮の目の前のMH戦で弾かれた、敵MHの壁のように巨大な手斧がうなりをあげて飛んできました。
 それを片手の光剣一振りで真っ二つにし、ミースを守るカイエン!
 抜かれた光剣は、やはりミースを守るためのものだったのです。
 そんなふうに、事も無げにカイエンが見せた超剣技に、ミースの胎内のマキシが微かに反応しています。のちの剣聖マキシがはじめて知覚した外部情報は、この父親の剣技だったのかもしれません。
 カイエンは、どこまでもカイエンで、あの時レジスタンスの村でミースやアトロポスを救ったように、今回も変わらず、美しい婦人のために戦います。

 ミースに、カイエンの黒い光剣が託されます。このように騎士が誰かに剣を託す場面は、今までこの作品の中で何度も描かれてきました。
 コーラス三世、ファティマ・ウリクル、シャーリィ・ランダース。いずれも、その騎士が命を失うことを覚悟した場面です。
 泣いてすがるミースの首筋に優しく手を当てて気絶させ、剣聖は戦場に赴きます。
 コミックス4巻に収録されている、カイエンの初登場エピソードは、星団最強の剣聖であるはずのカイエンが、不意打ちにやられて最愛のパートナーを失ってしまうという内容のものでした。戦場では、剣聖にすら、一つの命が守れないことがあります。それは、剣聖自身の命に関しても、同じ事が言えるはずです。


五つ目の見開き

 場面が変わりまして、デコース&エストの駆るMHバッシュ・ザ・ブラックナイトの最前戦です。
 前回に引き続き、エストからこまめに情報を受けながら指揮官として的確に指示を出しています。
 ハスハ側も、お馴染みのマイケル・ジョーイ・ギラがハスハ名物の戦闘用の薬物の使用による血管の浮き出た仲間と共に、状況分析と今後の戦況の予想を行っています。
 そのハスハの騎士達も唸らされるほどに、デコースの黒騎士は驚異的な強さを発揮しています。


六つ目の見開き

 またもや場面が変わりまして、今度はハスハの遥か上空、大気圏の外で実況を続けている放送局の音声による、ハスハ各地の戦況レポートです。戦争がエンタテインメント化されています。
 ハスハ中部のナカカラ王国国境沿いに軍を展開していたクラーケンベール大帝のメヨーヨ朝廷王宮騎士団が進軍を開始し、また、ハスハ・ギーレル王国にはジャスタカーク公国のMHシャクターの一群がエア・ドーリーから投下されています。
 ジャスタカークの騎士団は、騎士の中の騎士と呼ばれる天位騎士アイオ・レーンが騎士団長を務めており、そのMHグルーンもハスハの地に豪快に着地しております。おお、まさしくこの二本角はグルーンです。ここから放電して来るのです(それは『エルガイム』だ)。
 『ナイトフラグス』によると、ジャスタカーク公国は過去、ハスハの一部を領土としていたことがあり、その後奪い返されたものを、今回また奪い返そうということのようです。
 ハスハというのは星団中でも有数の大国ですから、他国とのしがらみもまた膨大で、一度戦乱が起こるとこのように様々な目的を持って他国が動くわけですね。
 最後のコマでは、また別の騎士団が数騎のMH青騎士を降下させようとしています。


最期の見開き

 初登場の女性騎士が、こちらも初登場のMHを起動させています。起動スイッチの横に「-SIREN-R 3021」とあります。
 3021年と言えば、三ヶ月ほど前に発売されたこの作品の連載15周年を記念した増刊本「FSS ISSUE」に載っていた、ピープルカレンダー・ジョーカー3021年4月版が思い起こされます。(このピープルズカレンダーで一回読み解きをやっておこうと思っていたのですが、もう遅くなってしまったようです。うーむ)
 ありました。どうやら、この女性騎士こそ、5月号の読み解けでスパークの別名かも? と無責任に扱った三ツ星傭兵騎士団のナイアス・ブリュンヒルダです。あきらかにあのスパーク(ミス・マドラ?)とは別人ですね。パートナーは、ここに名前の出ているジゼル。あ、ジゼルってバランシェファティマだったような気が。
 いつぞやのアルルのように、傭兵の強さを大国の騎士団に見せ付けてやろう、というような内容の発言をして、その初陣のMHを発進させます。
 ひどく細身の、どこと無く禍禍しいシルエットに、大きな鎌と二本の角。これは、連載再開の五月号の表紙を飾った、あのMHではあるまいか。これまた、シルエットだけなのにため息が出るほど美しい騎体です。設定資料集の『ナイトフラグス』でサイレンR型というのを確認してみますと、……載ってません。ぐうう。
 しかしこのMHは、「重帝騎ファントム」だろうということに今までの「読み解け」ではしてきてありますので、今回もファントムということで行きます。
 で、こちらのMHファントムですが、ISSUEによれば三ツ星傭兵団のオーナーなる人物からの届け物だそうです。それが誰なのかと考えてみたとき、どこかで聞いた「ファントムは二騎あるらしい」という情報が思い出されました。もう一人、ファントムに乗ってやってくることが公開されている人物、それは元剣聖・恐るべきおばあちゃまの慧茄です。大きな傭兵団というのは大国がバックにいていろいろと援助していることが多いそうですから、この三ツ星傭兵団というのはフィルモアか、もしくは元剣聖にして元フィルモア皇帝であるところの慧茄の莫大(と思われる)な資産から援助を受けているのではないかと、推測します。
 あと、よくは知らないんですが、このナイアスのしている腕時計、ものすごい高級品ではないでしょうか。アクセサリー一つ見ても、AKD入団前のブラフォードの貧乏生活とは大違いです。同じフリーでも、バックがあるか、無いかの差かと思われます。

 左側の最後のページに入りまして、まずは戦況を知らせるTVを見詰めるアマテラス、ラキシス、そして……これは、パナール・エックスですね。
 ブラックスリーの襲撃にあって胴体をまるごと吹き飛ばされてしまったリィ・エックスは、やはりあのまま亡くなられてしまったようです。
 三人とも、非常に楽そうな服装でリラックスしていますが、やはりTVの向こうから伝えられる戦乱の様子に表情を曇らせています。ただの視聴者と違って、仮にも星団トップレベルの大国の国家元首なわけですから、何かしら戦を止める手段があるのではないかとラキシスは問い掛けるのですが、アマテラスはやや冷たい表情で、それを”歴史”と人は言うのだと答えます。
 ちなみにこの場面でアマテラスが着ているTシャツのプリントは、僕のマウスパッドとお揃いです。

 同じ頃、遠く離れたカステポーのバー、ワックストラックスでは、ルーマー国の女王位を戴冠して身軽に動けなくなったはずのアイシャが、どうやら相変わらずお忍びでこの地を訪れ、バーのマスターであるジョルジュ・スパンタウゼンとハスハの戦況中継を見ているのでした。

「こんなものを一日中放送されちゃあ 星団中の騎士は我慢できないよね」

 アイシャが更なる戦況の拡大を予想したところで、次号に続く、となりました。

まとめ

 今月号も非常に見所の多かったのですが、その中でも特に注目したのは、カイエンがミースを守って、飛来する巨大なMHの手斧を真っ二つにするシーンです。
 ひさびさに、カイエンが剣聖の凄さを見せつけたこのシーンは、僕らのような以前からのファンにカイエンの格好良さを再認識させてくれると共に、まだこの作品のファンになって日の浅い方や、今月号ではじめて触れたという方にも、そうとう印象に残る場面になり得ているのではないでしょうか。
 以前にも書きましたが、この作品の素晴らしい部分の第一は、現時点で連載がまだ続いていることです。三国志も源氏物語もガリア戦記もこの点においてはFSSに劣ります。連載が続いている以上は、常に新しい読者の視線に晒される機会があるわけで、この作品は常にそういう機会に新しい読者を獲得しつづけるだけのポテンシャルの高い魅力的なシーンを提供しつづけてくれていると思います。
 これだけ長く続けば、ずっと読んでくれている常連向けに特化した内輪受けだけの話にしてしまいたいという誘惑も普通はあるはずなんです。しかし、この作者は逆に、まるでそんな常連を切り離すかのような態度を時折見せ、僕らはそこに必死でしがみ付かざるを得ませんから、結局、常に新しい読者のような気持ちで作品と向き合うことになります。これこそが、僕らがこの作品に魅了されて止まない理由なのかもしれません。

 来月号もそんな、新鮮な感動が与えられることと思います。
 作者は、必ずしも僕らの見たいものを描いてくれるわけではなく、僕らの想像を超えたところにある魅力的なものを、僕らの想像の外からぽん、と視界に放り込んでくれるのです。
 これも一つの、送り手と受け手の理想的な関係だと思います。

わっくわく

 一日遅れました。ごめんなさいまし。


三つ目の見開きの続き

 黒騎士とエスト、そしてヨーンに思いを馳せたところまででした。
 考えてみれば、黒騎士というのはFSSという作品の冒頭をLEDの相手役として飾り、しかも、それがFSSという作品の「エンド・エピソード」でもあるとされているわけですから、ある意味ではLEDと同等にFSSを象徴するキャラクターなわけです。
 この第六話でも、ヨーンとエストにまつわる話は魔導大戦と並んで物語の中心に据えられるそうです。すでに短くは語られたエピソードですが、はるか未来のジュノーにも、モンド・ホータスという黒騎士が登場します。
 そもそも「黒騎士」という言葉だけで相当に格好良い印象がありますが、それをここまで具現化している作品には、ほかにお目にかかったことはありません。

 さて、バルンガ隊長(このころにはもう”隊長”ではないでしょうけど)が、「ミス・マドラ」に声をかけます。敬語です。
 誌面から読み取れる少ない情報から考えてみますと、バッハトマの侵攻によって一度崩壊したハスハ王宮の人々が、ミラージュやクバルカンの力を借りて今まさに王都ハスハントを取り戻さんとしている場面なわけですが、そういった立場上、手伝ってくれているミラージュ騎士には敬語になるのも道理、といったところでしょうか。
 マドラがバルンガに請われてマキシを抑えにかかります。
「皇子の言うことを聞けば、この私から剣聖の称号を渡そう! 欲しかったんでしょう?」
 マドラはほぼ間違い無くスパークなわけですが、どうやらこの時代、剣聖の称号はこのスパークが持っているか、もしくは預かっている、そういう立場なようです。
 コミックス十巻でデコースがスパークのことを「慧茄の出来損ない」と罵るシーンがありました。慧茄自身がスパークのことを「すごい騎士になっている」と評したこともあります。超帝国直系のカイエンや、その上をいく(と思われる)マキシをのぞけば、スパークが慧茄から剣聖を継いでいるというのも納得できるところです。
 そして恐るべきは、騎士として強い盛りであろう年齢と思われるスパークをして、まだかなり幼いにもかかわらず、剣聖を譲ってもよいと思わせてしまうマキシの戦闘能力です。それはまだ誌面には描かれていませんが、次のコマからのスパークのセリフは、マキシの能力と性格を想像させ、読者を震え上がらせるに足るものでした。

「これはゲームだ そなたの母上を殺さずに城を制圧する!」
 ハスハの復権がかかった一戦も、マキシにはゲームと理解させるほうが都合がよいのです。つまり、それくらいに、まだマキシは物事がわかっていない。
「そうしたら君の好きなようにするといい」
 敵の城に飛び込んで、動くものすべてを殺し尽くすということです。
「ただし!!」
「ミースは殺しても 犯してもいけない! 我慢しなさいっ!!」
 なんという過激な言葉でしょう。特別に、繰り返しこう告げておかねば、マキシはそれをしてしまう恐れがあるというのです。
 これまでの部分で、マキシは一応、ミースのことを丁寧に母様と呼んでいました。しかしそれは、デプレのような母を慕う心から出たものではなく、おそらくは、まわりからそう呼ぶように教えられたからそう呼んでいるにすぎないわけです。

 連載に登場する前から、ファンの間では極めて人気の高かったマキシですが、果たして今回の初登場に際しての、恐るべきこの言動、どのように皆さんは受け取られましたでしょうか。
 設定上、かなりの”壊れた”キャラクターだろうとは想像していた僕も、衝撃を禁じえませんでした。ここ最近のキャラクターのなかでも過激さという意味では頭ひとつ飛びぬけていたスパークでさえも、声を張り上げて静止しようとしています。


四つ目の見開き

 たっぷりの毛髪を束ねるおおきなリボンが可愛らしいマキシが、「うー 剣聖・・・・・・」と、幼児の自制心を発揮している場面に、もくもくと雲のようなものがかかる演出とともに、舞台は天上世界に戻ります。
 U・R・Iやシルヴィスもいます。冒頭に出ていたシルヴィスはやっぱり本物だったかな?
 さて、この見開きの内容も強烈です。神々の会話は、いままでのFSSには登場しなかった新たな視点からのものになっています。
 天上世界のマキシは、ハスハの出来事に干渉し、心残りを清算したいようです。そして、アマテラスオオミカミはそれを制限付きで許可します。
 これはちょうど、僕らがコミックスや年表を読む感覚と同じなのではないかと思います。僕らは作品に干渉することはできませんが、そこは、一読者と神の違いです。
 この後、舞台は魔導大戦の始まる3030年へと一度時間が戻ります。そこから、今回の前半のシーンまでの四十五年間というのが、この第六話の主な内容になるようです。
 その時代を生きるキャラクターたち、それを俯瞰している神たちに、読者の視点も巻き込んで、さらにはアマテラスオオミカミは読者をも超えた視点に立っている気配をみせており、そういった何重にも入り組んだ入れ子状の構成で、いよいよ魔導大戦は幕をあけるわけです。

 マキシは「心残り」があるといい、それを「四十四分間の奇蹟」で償うといいます。
 その奇蹟の内容、いや、そもそも、その「心残り」の内容こそ、大変に気になるところなわけで、今回の話はその重要性を示唆しているわけですが、ここで僕が注目したいのは、そのマキシの干渉によって生まれる二つの歴史です。
 順当に考えて、マキシが心残りを作ってしまった歴史Aと、今回の干渉の結果それが解決される歴史Bという、二つの物語がこれから語られる可能性をもっているわけです。
 僕の知っている限りでは、ジョーカー星団でのマキシは、デプレたちと協力してハスハを開放した後に、スタント遊星にまつわる忌まわしい出来事によって死亡し、そしてタイカ宇宙へ送られていくはずです。さて、この流れは、歴史のAとB、どちらの後に連なる物語なのでしょうか?
 神が歴史に干渉をします。FSSの年表に記されている出来事は、干渉前のものなのか、干渉後のものなのか。僕の好きなタイムパラドクスものSFのようなわくわく感があります。
 まあ、おそらくは、その四十四分間の奇蹟というのは歴史の大きな流れに変化を与えるようなものではないのでしょう。アマテラスオオミカミに曰く「その程度・・・塵以下の影響もあたえますまい」だそうですから。
 「この物語が神話であることを示すため・・・」とのお言葉もあります。神話はSFではありません。科学や複雑な物語の構造といったものを通り越して、神の力を示す物語です。
 そして、アマテラスオオミカミはそれを「”ニュータイプ”の読者の方々」にも向けたメッセージとしても発しています。おお、全次元万能神は僕らのことまで視界にいれていらっしゃる。「お解りい頂けよう・・・ふふ・・・」僕らに何をわかれというのでしょうか。文法どおりなら、FSSが神話であることを、となりますが、後についた笑いが、なにかそれ以上の意味を感じさせます。
 タイムパラドクスなどという、物語をわかりにくくする構造はさすがに使われないと思いますが、僕は何か、今回の第六話では、いままでにFSSでは見られなかった物語の語られ方が使われるのではないかと、直感的に思うのです。そしてそれが登場するのが、「四十四分間の奇蹟」なのではないかと。

 それにしても、この天上世界の展開には独特の間と妙があって、実に味わい深く、読み返すたびに気づかされることがあります。
 今もふと、この見開きの最後の、目を伏せたマキシの表情に、どこか暁姫の面影を感じました。マキシが神になっていく、次元を超えた道のりの中で、いつしかその愛騎暁姫ともシンクロするのでしょうか?


五つ目の見開き

 不気味に黒い影を落とすエートールの群れを後方の斜め上から見下ろすショットに、やっと「FSS」のタイトルコールと、「#6 MAJESTIC STAND」「PART:1」「BOTH:3030」「=ハスハ崩壊=」という、時と場所、シーンタイトルが登場です。
 ならんでいるエートールのうち、先頭のものだけ装甲の形状が違います。
 肩の装甲が動かなそうなので、ひょっとしたら、ソープからカイエンがひったくってきたというエートールの装甲をつけたシュペルターかもしれません。あたまにS字のマークでも付いててくれれば確証がもてるんですが。コミックスの九巻187ページにAP騎士団のそれぞれの支隊の紋章が見られるのですが、どれがどの隊の紋章だかわからないのでどうにも絞り込めません。・・・・・・まてよ。どこかにAPの紋章と支隊名が並べてある表があったような。うう、みつからない。


六つ目の見開き

 ハスハ共和国の首都、静まり返った夜のハスハントです。一国の首都だというのに、街に光り無く人もいません。
 ハスハの騎士として僕ら読者にも馴染みの深いギラが、虚ろに夜空を見上げています。独特の心臓の鼓動ような音をたてて、臨戦態勢のエートールが佇んでいます。
「ヤーボが見たらびっくりするぜ・・・」
 ともにハスハのエースとして名を馳せた今は亡き友の名を呼ぶギラにかぶって、ラジオ(?)の中継の音声がはいります。
 二十三時間前にバッハトマのボスヤスフォートがハスハに対して宣戦を布告したのでした。
 その音声は、喋る者一人いないハスハの王宮内にも響き渡ります。
 うつむくラオ・コレット王。何かを待つように目を閉じているムグミカ。周りの様子をうかがうようなヘアード。両手で自分の体を抱くミース。サングラスに隠れて表情の見えないバルンガ。りりしい騎士に成長しているアード・ゼニヤソタ。アルルとマギー・コーターは同じ方向に視線を投げています。おそらくは、このどうしようもない雰囲気の中で、ただひとつけたたましく状況を伝えるラジオを何とはなしに見つめているのでしょう。
 大規模災害の被災者達が、無力感に打ちひしがれながらひとつところに集まっている。ちょうどそんな雰囲気です。
 宣戦布告したバハットマは、夜明けとともに衛星軌道上からMHを降下させ、王都を制圧すると宣言していると、ラジオが告げます。ハスハ側は民間人の避難を終え、王宮外苑にそれらを迎え撃つためのエートールを布陣しているわけですが、その表情は一様に暗いものです。


最後の見開き

 つま先をそろえて座っているマグダルと、その脇に立つデプレ。
 二人はまだ幼さがあるものの、りりしく成長しています。ジョーカーの年齢では、二人はこのとき三十三歳で、地球人でいうならちょうど十歳くらい。感覚的には、非常に聡明な小学生といった趣です。デプレは、日本史の古い時代、飛鳥時代の風俗を思わせるゆったりとした服装と瑞々しい髪が印象的で、ただ黙って座っているマグダルは、アトールの巫女のものなのかアトール聖導王朝の紋の入った大きな帽子とローブを身にまとい、感情の読み取れない能面のような表情を浮かべています。
 こちらも年頃の女性に成長しているヒン・モンダッタに、離宮に下がるように言われますが、それを遮るようにデプレは怒気を発します。
「何でボクたちが先に討って出られないの! このハスハが!!」
 場の空気を無視した発言をバルンガがいさめようとしますが、コレット王がそれを許可します。この場面では、まだ子供で状況のわからないデプレが読者に代わって質問をしていってくれます。
 その内容に移る前に、デプレに対するまわりの呼びかけ方に注目してみます。
 まずヒンの科白。「マグダル様 デプレ そろそろアルル様と離宮へお下りに」と、デプレにだけ「様」がついていません。これは別にヒンがデプレを見下しているのではなく、二人の信頼関係の現れだと思います。マグダルはムグミカの次にアトールの皇帝になるという、この国でもっとも高貴な身ですし、その佇まいには回りのものを寄せ付けないような、冷たさ、みたいなものがあります。それに対して、デプレはその元気のよさから推し量れるように、実に普通の、明るい少年に育っているように思います。年齢の近いヒンやアードとデプレ達が引き合わされたのが十年前ですから、それ以来、皇族と警護の騎士として以上に、非常に親しい友人や、兄弟のような関係で共に王宮生活を過ごしてきたのではないでしょうか。これはヒンからの呼びかけですが、デプレの屈託の無い性格が読み取れる部分です。
 そしてバルンガは、デプレのことを「皇子」と呼びます。以前からそう呼ばれていましたが、改めて確認すると、ハスハのエースとはいえ一介の騎士であったヤーボと、もともとはハスハに縁のないカイエン、その二人の子供ではありますが、マグダルが次期アトール皇帝にとムグミカに見出された時点で、デプレも同様の待遇を受けることになったのでしょう。デプレは、ハスハで国の皇子として扱われているわけです。

 ハスハが討って出られない理由が、コレット王の口から語られます。
 小国のバッハトマに食いつかれたからといって、先に敵の帝都を灰にしたとしても彼らは何も失わないのだと。このあたりには、大国としてのメンツなども見え隠れします。また、バッハトマの皇帝ボスヤスフォートの中枢はカステポーにあるので、バッハトマを叩いても効果がないのだと。このあたりは、さすが魔導大国ハスハ、ボスヤスフォートの正体を見抜いているといったところでしょうか。カステポーは独立自治区ですから、いくらなんでもまとめて灰にしてしまったりできるわけはありません。
 なおもデプレは食い下がります。二百騎を超えるエートール、そして二千騎の共和国騎士団のMHはどうしたのかと。今現在、王宮にはたった百三十騎のMHしかいないのです。ちなみにこのときも、デプレはコレット王を「おじいさま」と呼んでいます。ヤーボを失ってから、コレットの娘であるムグミカがデプレとマグダルの母代わりを勤めてきたという側面もあるでしょうし、また、「アトール聖導王朝」という、ハスハの地にすむ人々の「血」の中にだけ存在する国が、この国家の人々をまるでひとつの家族のようにまとめているという精神性の現れではないでしょうか。
 騎士団を王宮に集結できない理由は、敵もまた、複数の国家を動員する規模で広大なハスハの大地の全体に対しての侵攻を準備しており、それらに各連邦国家が無抵抗で蹂躙されるわけにもいかないからです。
 この状況は、すでに完全な負け戦なわけで、それがわかっているからこその、このシーン、一同の沈黙なのでした。
 ヘアードから戦況が確認されます。
 いくつものバッハトマ側の国家軍や傭兵団にまじって、クラーケンベール新大帝のメヨーヨ朝廷の軍の名も出ています。
 それらの報告を、だらしの無い姿勢で座ったままカイエンが聞いています。表情は見えず、その隣にはプラスティックスタイルのボンネットを外したアウクソー。テーブルの上には小さなグラス。場末の酒場でつぶれているロッカーといった様子です。
 そんな、暗い雰囲気のまま、次号へと続くのでした。

 蛇足。最後のページの柱に「次号、超バトル!!」とあるんですが、少年ジャンプのマンガみたいな煽りで、これはなんか違うなあと思いました。

まとめ

 前回の更新分で書きました、ハスハ開放戦の場に、名前の出ていない騎士達についてです。
 カイエンとアイシャ。この二人は、ずばりこの大戦中に命を落とすのではないかと思います。特にカイエンは、3030年の最初のバッハトマの侵攻に際して行方不明になってしまうのではないでしょうか。どうにも、このところのカイエンには死の影がちらついてしかたありません。
 古い西洋画の文法に、寝そべっている人物が、手をだらりと下げていたら、それは死者という意味である、というのがあると聞きます。今回のラストのコマの沈黙するカイエンは、ちょうどそんな風にみえるのです。
 3030年の現時点で、カイエンはハスハの騎士団長であります。もし生きているならば、四十五年後の開放戦でも先頭に立つはずでしょう。そして開放戦に名を連ねる人々は、ギラやバルンガなど、開戦時に王宮にいたはずの人物が多く、おそらく熾烈を極める戦いになるはずのハスハ王宮撤退戦では、誰かが、彼らの撤退のために時間を作ったのではないかと考えます。
 『ナイトフラグス』のカイエンの項に短くこうあります。
「『ただ生き続けること』~神々に最も難しいことを要求された男。」
 ファティマと同じく、いつ尽きるとも知れぬ寿命を持つ彼が、わが子を守るという場面に「死に甲斐」を求めたとしたら・・・・・・。わが子、というなら、ひょっとしたらマキシもこの時点ですでに生命として息づいている可能性があります。ミースの様子には変わったところは見られませんが、『ナイトフラグス』によればミースはカイエンのすべてを解析するのだそうですし、ミースとカイエンがハスハ入りして十年の月日がたっているわけですから、その解析がすでに終わっているのだとしたら、バランシェを上回る狂気の科学者といわれるミースの研究が次の段階に進んでいるという可能性も、考えられるのではないでしょうか。

 最強の騎士、剣聖であるカイエンが、戦の場で死ぬはずはないではないかと、思いがちです。
 しかし、今回の特集記事のほうで、作者は語っています。いざ戦争となれば、生き残るのは運がいいヤツだけで、星団最強などと言われている騎士でも、鉄砲の一発も当たれば終わりなのだと。リアルな物語作りに必要なまっとうな見識だと思います。それと同時に、「これから、誰かが死ぬよ」という冷酷な宣言であると僕は受け取りました。
 というところから、あまり根拠無く、重要人物としてもう一人、アイシャの死も僕は予言します。第一巻の冒頭のエピソードで語られているとおりに、アマテラスの星団制圧までには、アイシャも死ぬのです。女史はこれから、ヨーンとの関係がクローズアップされていくようですが、ヨーンはこの第六話のもう一方の主役であるわけで、アイシャは(おそらく不本意でしょうが)ヨーンのエピソードの脇役として、非常に重要な役割を果たすのではないでしょうか。
 ああ物騒だ。やれ物騒だ。


 まだ気になる部分はいくつもありますが、今号の読み解きはここまでにしたいと思います。
 冒頭で書きましたように、作者の永野先生とはファンタシースターオンラインで何度かごいっしょさせていただき、その気さくなお人柄と圧倒的なユーモアセンスに親しみを覚えさせていただくことしきりなのではありますが、今回の「いきなりマキシ登場」や「いきなり暁姫登場」といった読者への心臓よ止まれといわんばかりの攻撃、正体不明の重要人物群、消息不明の人気キャラクター達、といった演出をうけて、僕はまた身を引き締めてかからねばならないと、決意を新たにいたしました。
 この作者、やっぱり僕らを騙したり苦しめたりしては喜ぶ悪人です。決して気を許してはならないのです。
 負けるもんか。次号もどんと来いです。

読み解け今月のFSS7月号 (01年6月8日)

 物事には順序というものがあります。
 たとえば、五月の次に七月がきてしまうというようなことは、ありえないはずなんです。
 ……そんな不思議なことが起こってしまったこのコーナー、別に大した理由があるわけではないんですが、公開順が先月のものよりこの七月号分が先ということになってしまいました。
 一回飛ばしてしまったような六月号分ですが、すぐに更新しますので、どうぞご了承下さい。

 それにしても今月号も、また大変な話であります。今回は、いつものような見開きごとの読み解きで黒騎士団とハスハ騎士団の戦いの様子を見ていき、その後で、同時に語られているミースの衝撃の物語を追ってみたいと思います。


表紙

 デコース仕様のMHバッシュ・ザ・ブラックナイトです。
 二刀流で仁王様のように迫力のある佇まいです。以前に「読み解け今月(&先月)のFSS10月号の続きの続き」で扱った事のあるイラストのモノクロ版再録です。ナイトフラグスにも同じ図柄が載っています。
 ふと思ったんですが、このバッシュ、膝部分が逆関節っぽく曲がってませんか? いやもちろん、MHの可動性を考えれば、膝がある程度逆に曲がるくらいは当然ですけど。


最初の見開き

 まず上段五分の四ほどを見開きのコマです。
 前回のラストで、野生の獣のようなしなやかな姿勢でハスハの地に降り立ったMHバッシュの後ろに、バッハトマ黒騎士団のMHが無数に立っています。
 名前は出てきていませんが、コミックス九巻のパワーバランス表を参照しますと、こいつらはおそらくMHアウェイケンでしょう。右手に片刃のハンドアクス、左には星型の紋の入った盾が装備されています。
 率いるMHバッシュは、左に象徴ともいえる三つ巴の紋の入った円形の大型盾、そして右手に下げるのは少しだけ反りのついた実剣です。これも片刃に見えるので、太刀という表現が正しいかもしれません。

 下段は迎え撃つハスハのMHA・トール。すばやく指示が飛んでいます。


二つ目の見開き

 目もとの落ち窪んだ虚ろな表情を感じさせるフェイスマスクのMHバッシュのアップに、バッハトマ黒騎士団団長であるデコースの名乗りと、「今より王都を制圧する!」という宣言が重なります。
 そして、連載中ではついに初公開になるプラスティック・スタイルのスーツ姿のエストに、意外にも、といったら失礼かもしれませんが、デコースがまともな言葉をかけます。
 これ以降も何度か同様の描写が出てきますが、集団戦を束ねる戦闘指揮官として部下のMHを心配し、左のページに入って重装甲のA・トールを今から相手にするということで、注意点を説明したりしています。
 このシーンで、デコースは初陣という言葉を使っているのですが、「黒騎士」デコースの初陣であると共に、この黒騎士団の初陣であるのかもしれません。
 たとえば、僕らが鉄のパイプでも手に持って、厚いコンクリートの壁を思いっきり殴ったとすると、ひどく手が痺れます。そういうような注意をデコースはしています。感覚的に分かり易いです。
 やはりこの男、器のでかさは前から言われていましたが、将としての能力も多分に備えているようです。

 ところで、星団一美しいといわれるエストの足首までしっかり見えるあたりに作者のあざとさをうかがい知ることの出来るファティマルームのイラストをよく見てみますと、これがなかなかに興味深いデザインになっています。
 以前、コミックス九巻で「仮でじゃいん」ということでMHクルマルス・ビブロスをコントロールするメガエラのファティマルームが描かれたことがありましたが、ファティマの存在理由であるところのMHのコントロールと、プラスティックスタイルのスーツデザインは、かならずしも相性がよいとは言えないのではないかとすら思えてしまう、思考錯誤のあとが読み取れます。
 メガエラのときはボンネットの外にヘッドクリスタルが出ているという形で、そこから電波のようなものが飛び交ってMHの情報をコントロールしていたようですが、今回のエストは、ボンネットにMHからの情報ケーブルのようなものが無数に結合していて、エストの特徴でもあるヘアバンド形のヘッドクリスタルは側面あたりから情報の出し入れを行っているようです。
 そして、「未来的なデザイン」という言葉で表現できそうな、ボタンもスイッチも見うけられない透き通ったパネルに指を乗せ、エストはMHをコントロールしています。
 これらの意匠はおそらく、プラスティックスタイルが表すところの「未来感」のようなものを受けて作られたものだと思うのですが、これはどうにも、感覚的に「大きなロボットを操縦している」という表現としてはいささか力感にかけるような印象を受けます。
 以前の、ぱちぱちぱちっとキーボードを押しながら腕全体を動かすような表現のほうが、まあ、僕が好みだったというだけなんですけどね。
 むしろ、「死の妖精のおわすところ」としてはこの表現のほうが適切なのかも。

 にらみ合う両騎士団にそれぞれ前進が指示されて、次のページへ。


三つ目の見開き

 戦場から離れつつある戦艦で、おそらくデプレと思われる「始まったよ!」の叫びに、バルンガが答えます。
 MH戦だけならば、五分、五分とのこと。
 はて、ジョーカー星団では、MHの戦いというのが戦争の最終局面であるはずです。そこで同等というのなら、必ずしも負ける戦ということでもないでしょう。しかし、ハスハには明らかな敗北ムードが、戦闘の開始前から漂っていました。ならばバルンガやアルルはいかなる要素を考えて、今回の絶望感を抱くに至ったのでしょうか。
 はっきりとは判りません。現時点で判っている両者の戦力を比較するなら、数では恐らくバッハトマが勝っています。そして地の利でも、相手の王都まで戦場にしているという時点でバッハトマの優勢は動きません。でも、騎士団の質では、これは間違い無くハスハが上でしょう。メインの使用MHも星団三大MHに数えられるA・トールですからハスハが劣っているとは考えられませんし、それぞれの指揮官を比べても、デコースがいくら無尽蔵の強さを見せるとはいえ、現剣聖であるカイエンを上と見ていいはず。

 となると、戦力差は騎士の世界ではなく、もう一種の超人、ダイバーの世界がかかわっているのでは、と推論を立ててみます。
 一対一ではボスやん以外決して騎士には勝てない彼らですが、ちょっと頭を使えばダイバーパワーで騎士に勝てるということはコミックス四巻でティンが証明しています。
 いや、そういった武力ではなく、もっと総合的な、たとえば情報戦での優劣というのが関係しているかも知れません。なんせ、バッハトマはボスやんの魔道力をバックに急成長を遂げた魔法国家で、アマテラスのダイバーギルドに対抗しうる勢力であるといいます。もちろん、ハスハも魔道に関してはムグミカ王女というダントツの能力者を中心に歴史ある大国であるはずですが、ダイバーズギルドほどの力はないはず。そして、近代戦以降の戦争では、情報戦こそが勝敗を決する最大の要素であります。

 などと考えてはみたんですが、どうにも弱いような。まだ要素が足りない気がします。
 兵力だけなら互角というのは、非常に緊張感のある状況です。これからどのような要素で戦の行方が変わるのか、じっくりと見ていきたいと思います。


最後の見開き

 アウェイケンの頭部がA・トールのメイスで破壊され、また、A・トールがバッシュになで斬りにされます。
 乱戦の中、デコースは陣形を乱さぬようにと指示を叫びます。集団戦闘では、陣形の崩れから敵に付け入るスキを与えることになり、兵力の均衡が保てなくなって戦況に方向をつけます。そしてやがては以前から作者が言っているとおりの、最強騎士だろうと乱戦になれば死ぬ、という状況が訪れるわけです。
 こういった集団先頭であればこそ、兵隊は錬度の差が出るもので、そういう点ではハスハ騎士団は有数なはずですから、なおさら指揮をとって互角にわたりあっているデコースの非凡さが感じられます。戦闘の騒音で鼓膜が破れることを防ぐために、ヘルメットを装着するよう要請したエストに対して、デコースは「指揮官が視界を悪くしてどーするヨ ボケェ!」といった返事を返すほどです。

 しかし、ハスハ側はカイエンがまだ戦場に出ていないものの、お互いの戦力はまだ拮抗しているようです。この戦いの続きは、また来月ということにあいなりました。今月はちょっぴり短いです。作者曰く「今月はここまでじゃああ…すまん」。作者の大好きなゲームの待望の続編が、つい昨日発売されたばかりです。さて、来月の原稿量は、はたして。
 ちなみに今朝方も永野先生とそのオンラインゲームでしばしご一緒してしまいました。

ミースの逆襲

 では、今月号のもうひとつの重要な物語を見てみましょう。
 カイエンに安全な場所に下がっているように言われても食い下がるミースが、こんな発言をしました。

「聞いて!」
「私 自分の卵巣を アウクソーの体に 入れたの!」

 うひゃあ。
 思わず声に出して、うわーと叫んでしまいました。過去にもFSSを読んで思わず叫んだことが何度かありますが、現役のマンガで声を出すほどびびらせられるのは、僕はこの作品くらいなものです。
 最近の若い子は進んでるわネエ、くらいでは到底片付かない発言です。いくらなんでも、これは予想の範疇を越えてました。
 カイエンは一瞬の無言ののち、ミースを「てめえ」と呼びながらゆっくりと聞き返します。

「そうよ! アウクソーに お願いしたの! あなたの子供が 欲しいって!!」

 ああ、呪われし少女よ。
 その生々しい内容とは裏腹に、ミースの表情は、その姿は、願いは、あまりにも幼げです。僕らのよく知る、鉱山の村でアトロポスに教えを受けていたころの、バランシェの養子になったころの、モラードの庇護下にあったころの、あの聡明で健気なミースの面影を背負ったままです。
 ミースはカイエンが好き。年齢的に、結婚ができるようにもなっているでしょう。しかし、ミースの仕掛けたこの逆襲は、その思いは、あまりにも少女的ではあるまいか。
 両手両足をぐいっと突っ張って、涙ながらに叫びます。人間である自分は、ファティマに、ましてやカイエンのためだけに作られたアウクソーには、敵うはずがないのだと。

 あの日、Drバランシェから受け継いだ四十六例目の「作品」、超人間を生み出すプログラム。少女がそれを手にしたとき、はたしてその小さな胸の内には、すでに目の前の剣聖への思いが秘められていたのでしょうか。人より遥かに知的水準の高い彼女が、まるで年端も行かぬ少女が己の気持ちを全身全霊を込めて憧れの人への手紙にしたためる様に、その全ての能力を愛しい人の子を得るために傾けてしまったように思えます。
 最後のコマで、MH戦の轟音響く中ミースは告げます。純潔の騎士であるカイエンの精子は、卵子を破壊してしまうから、普通は血を残せないのだと。
 ならば、バランシェの伝えたプログラムを施した卵子で、それを受け止められるかもしれないと、少女は気づいてしまったのでしょう。

 やがて産まれるのは狂える最強の剣聖、マキシ。
 これは推測ですが、少女はそんな超人間が作りたかったのではない。ただ、愛しいあの人と自分の子供を残す方法が、それしか無かったから。そして、星団でただ一人、少女にはそれを可能にする能力と、立場があったから。

 先走りすぎてはいけませんね。これはまだ語られている途中のエピソードです。
 連載四月号にて僕ら読者を震えあがらせたマキシの狂気。それは、超人間を超えた超生命とでも言うべき存在であるということのほかに、この「母」の、紛れのない遺伝なのかもしれません。
 まさしく、目を離せない展開は、来月号に続きます。
 いつものとおり、ひたすら待ちましょう。


 あ、ちなみに、オンラインゲームで永野先生とお近づきになれたてなしもですが、FSSの話はほとんどしておりません。伺うのはマナー違反だと心得ています。
 はじめのころに思わず質問してしまったこともありましたが、その内容は「ウピゾナの髪の毛の色ってどんなですか?」「FSS以外の作品は描かれないんですか?」「ISSUEって、今までの五年に一度の別冊のシリーズと考えていいんですか?」くらいのものです。
 それぞれ、「軽い茶色かな。緑色とかヘンな色の人間はFSSにはいません。アイシャとかはカツラ」「忘れた」「そうです」とのお答えでした。

今年もやられっぱなし

 新世紀一発目の更新は、FSSの話ということにあいなりました。
 おそらく、今世紀中にも完結しない作品でしょうから、いち早く作者である永野護氏には延命のためのサイボーグ化手術を受けていただきたいものです。多分、最終的には23世紀くらいまで持つ体が必要になるのではないでしょうか。

 さて、空前絶後のボリュームと価格を誇った副読本『ナイトフラグス』の発売直後より、ファンの間からは一刻も早い連載再開を望む声が悲痛なまでに叫ばれ、喉から血を流したファンの屍が累々と積み上げられている昨今ですが、まだ生贄の数が足りないようで、一向にそういった希望の見える情報は伝えられておりません。いやになっちゃう。

 そんななか今月号、FSSの連載の載っていない月刊ニュータイプ誌をパラパラながめながら、「一ページ独占状態の榊さんに比べて、この大阪の扱いはなんだ!」とか「次のライダーってなんとなくガンダムっぽい」とか「野田宇宙元帥万歳」とか呟きつつ、のらりくらりと気だるい午後を過ごしておりましたら、一枚の広告ページでぴたりと僕の手と心臓が止まりました。

 ……心臓はそのままだとヤバいので慌てて動かしました。
 トイズプレスの広告のページに、「A HAPPY NEW CENTURY」というメッセージを添えて、モノトーンで印刷された、今までに全く見たことの無いMHが公開されていたのです。
 上半身だけの公開です。
 とにかく目を引くそのフェイスマスク。髑髏です。そして左右から長いツノが伸び、途中で死神の鎌のように鋭く折れ曲がっています。
 じっと見ていて思い出したんですが、これとそっくりなデザインのメカが、『マジンガーZ』にいたような気がします。
 それゆえに、こーゆーのがFSSの中でも許されるのか! というショックを受けたのでありました。
 ボディのデザインは、全体に華奢な感じで、MHというよりは永野氏が他の仕事で描いているシェル似です。「じつはこれFSSじゃなくてシェルブリッドなんじゃあ」という妄想もよぎったんですが、このロボットの肩には、ナイトオブゴールドやシュペルターのものと同じ、ナイトマスターの称号が燦然と輝いております。
 ということは、これはもちろんFSSに登場するデザインで、この騎体を駆るヘッドライナーはかなり名のある、つまり僕ら読者が知っているような騎士であるはずです。

 ここにきて、そのMHの横に、帽子を被った女騎士が、カラー付きで印刷されていることにやっと気がつきます。
 ぱっと見て名前が出てきません。しかし、どこかで見たことがあります。手に持った長ドスを肩に担いで、鮮やかなブルーのアイシャドウを塗った瞳は悠然と余所見をし、薄紫のエナメル質感のボディコン服の上から藍色のコートを羽織り、首にはチョーカーふくらはぎはロングブーツ、太腿が剥き出し。
 記憶の隅で引っ掛かったイラストを確認するため、月刊ニュータイプ誌の先月号を引っ張り出します。
 運良く、毎年恒例の豪華イラストレーター陣の描き下ろしカレンダー付録は、そこに挟まったままになっていました。
 このカレンダー、毎年最後の一枚は必ず永野氏が手がけ、しかも大抵の場合は僕らがびっくりするような仕掛けが施されているのです。数年前にプラスティックスタイルのスーツに身を包んだキャラクターがはじめて公開されたのもここでした。
 その今年の一枚、2002年上半期の日付が半年分記されているその上に、やはりこの女騎士のイラストは既出でした。並んで、スタンダードなプラスティックスタイルスーツに身を包んだファティマも一人。
 ここでまたびっくりです。そのファティマの腕には、真紅のダガー、AKDの紋章が刻まれております。このファティマのパートナーはこの女騎士でしょうから、ということはミラージュの騎士でもあるということになります。

 誰だ?誰だ誰だ誰だ?
 ミラージュで、こんな突飛なデザインのMHを駆るような、ナイトマスタークラスの、魔導大戦の時代に活躍する騎士って……。
 あ。
 きっとスパークです。
 イラストの女騎士はぱりっとしたロングヘアーで、スパークが過去に連載に登場したときは壮絶なモヒカンヘアーを長々と垂らしておりましたがそこらへんはウイッグか何かを使っているんでしょう。
 まあ違っているかもしれませんが、間違った予想を立てるのはこのコーナーの習慣のようなものでもありますから、かまわずいってしまいます。

 それにしても、なんという禍禍しいデザインのMHでありましょう。
 名前とかぜんぜん予想できません。AKDの未出MHなら、ひょっとしたら「フレーム・ハカランダ」かなとも思いますが、あれはアイシャが駆るはずですし。


 たった一ページ、一枚のイラストでも、僕らは右往左往させられます。角川書店もイイ商売です。
 ああ、はやくはやく連載を再開してください。

臨戦

 さあ、連載の再開です。
 結局、丸一年のお休みでしたが、その間にコミックスの第十巻や巨大設定デザイン集『ナイトフラグス』の発売、そして、これは個人的なことになりますが、ドリームキャストのオンラインゲーム『ファンタシースターオンライン』で実際に作者の永野護先生と一緒に遊ばせていただく機会に恵まれたりといったイベントがあったせいか、それほど長い休載であったという印象はありませんでした。
 ・・・・・・いえ、正直に申しますと、今回の再開があまりに楽しみなあまり、心の中に満ち溢れるその期待を認識してしまったら、待ちきれなくて発狂してしまうのではないかという恐れのため、「FSSの再開」というイベントの存在を意識して忘れていたというのが本当のところです。
 だからこその、シャッターを上げたばかりの書店に駆け込み、アニメ雑誌のあるコーナーにたどり着いて、待望の月刊ニュータイプ誌五月号の表紙を目にした瞬間の全身が蕩けてしまいそうな甘美な衝撃。

 それでは参りましょう。
 例によりまして、読み解きは基本的に見開き単位にて行ってまいります。


ニュータイプ誌の表紙

「あ、あんただれ?」
 思わず声に出してそう呟いてしまいました。その佇まいそのものが殺気を発しているようなダークブラウンのMH。そして、その胸元部分に立っているおっそろしく細身な女性騎士。
 二月号でちらりと姿を見せた、重帝騎ファントムとスパーク? とかちらりと思ったんですが、見比べてみるとぜんぜん違う。しかし、この髑髏を思わせるフェイスガードは、ルミラン・クロスビン設計のMHの特徴が色濃く出ていて、なんらかの関係をうかがわせてくれます。

 これです。
 読者にいきなり叩き付けられる無慈悲な新デザイン。
 最近にFSSの読者になった方は面食らってらっしゃると思いますが、ファン暦十二年の僕も同様に面食らっております。
 突き放しにかかる作者とそれにすがりつくファンという、『金色夜叉』の有名な場面のような経験をえんえんと繰り返す、それが永野先生とファンの関係なのです。
 その突き放し方に圧倒的な魅力があるからこそ、僕らはこうやってFSSをじりじりと取り囲み、何度蹴り倒されようとも、その魅力を一片たりとも見逃すまいと、目を凝らしているわけです。
 ああ、名前もわからぬ騎士とMHよ。なぜにソナタはそれほど格好良いのか。なぜにソナタはそれほどに美しいのか。
 せめてこの者達の正体を知らねば死んでも死にきれぬわい、とばかりに、中を開きます。
 すでに、この一年間蓄積していた僕の中の「FSSへの期待」というものが、たった一枚の表紙絵の謎に覆されてしまっております。


特集ページ1・クロスミラージュ(雄型)

 バケツ頭の便利屋さん、といえばおなじみのクロスミラージュ、その初公開デザイン「雄型」です。
 コミックス二巻にはディッパ博士の駆る「カルバリィC」が、そしてアイシャがアシュラテンプルと戦った「雌型」は五巻で登場していますが、ずっとその存在を予告され続けてきた雄型もついに登場です。
 半透明も、板バネも無い装甲形状は、改めて見るととてもシンプルで、ちょっと物足りなくすらあります。すでにそういった新デザインに目がなれてしまったようです。
 それでもこのシンプルな印象のMHの気になる部分を挙げるとするなら、脚部のかかとやつま先の形状でしょうか。
 ミラージュのMHといえば、LEDに代表されるその巨大なつま先からかかとにかけての、安定感のある大きなデザインが僕の印象としては強いのですが、こいつは妙にそれが小さくなっています。恐らくは、このMHの「完全な戦闘用でありながら、偵察、後方撹乱の任務もこなし得る」という特殊な用法をかなえるための、こまわりの利く設計なのでしょう。

 このページと、次のページに、大きく「嚆矢koushi」という言葉が貼り付けられています。
 手持ちの小学館の辞書で調べてみましたら、「かぶら矢」とありました。戦の開始を告げる、甲高い音をたてて飛ぶ特殊な矢のことです。まさしく、これより戦の開始です。
 ちなみに、手持ちの角川の辞書には載ってませんでした。あはは。


特集ページ2・アイシャ

 ルーマー王国の王位を継いだため「アイシャ・ルーマー女王」となったアイシャです。
 すみれ色のドレス。うーん、相変わらず、きれい、かわいい、さりげなく豪華。
 テキスト部にいろいろ面白いことが書いてあるんですが、はやく本編の読み解きに移りたいので割愛します。にげ。

表紙

 いよいよ本編です。
 表紙は非常にあっさりと、黒地に「THE MAJESTIC STAND」のロゴ、それだけです。


最初の見開き

 開けてびっくり。
 ついに本編初登場(例のシルエットクイズは除く)、FSS作品史上最強の個人、マキシです。
 いきなりそこは天上世界。絶対神アマテラスオオミカミに「ファーンドームの星王」と呼ばれながらの、対話のシーンから始まります。
 この部分、今回の物語の構成において非常に重要な場面なのですが、会話からそれを読み取るのは少々難しい演出になっております。
 神の主観時間、などという矛盾した言葉を使わないようにするならば、すべてが起こった後の話、とでも表現しましょうか。それもまったく正確な表現ではなく、なぜならその物語は作品内ではこれから語られるものだからです。
 とにかく、ファーンドームの星王は言います。ジョーカー星団にいたころの心残りを、今、思い出しているのですと。
 ページ左上に結ばれている笑顔のシルビスの像は、天上世界では思いと現象の間にはなんの差も無いというような、幻想的な表現になっているように思います。


二つ目の見開き

 これまたびっくり。
 場面は変わって・・・・・・一番手前に大きく「暁姫」、一段下がって「エンプレス」、その向こうに今回表紙にあった謎のMH、そしてさらにその向こうには三騎のエートールが、それぞれ待機状態で佇んでいます。
「いつまでこうやってるの? 城に突入するよっデプレ兄さん!!」
 ひときわ大きく響く、暁姫の騎士の声に、デプレが答えます。
 「だめだ!! マキシ! わかってるのか?」
 暁姫の騎士はやはりマキシでありました。城にはマキシの母であるミースと、彼らの父であるカイエンのパートナーだったファティマ・アウクソーが囚われているというのです。
 そう、これは、マジャスティックスタンドも終盤の、ハスハ奪回作戦の直前描写であります。
 大きな流れをつかむには、次の見開きまで読む必要がありますが、とりあえずはまずここで紙面のほとんどを占領している三騎のMHを順に見ていくことにしましょう。

 まず、暁姫です。
 別名を、LEDミラージュB4デストニアス。ああ、かっこいい名前。
 ミラージュのダガーが刻まれた半透明装甲が美しく、その内側の精密なフレームは露骨にメカメカしていて、フリークス的な色気すら感じてしまいます。肩部装甲にはきっちりとナイトマスターの紋章。
 頭部から後方に二つ、長く伸びたカウンターウェイトは、恐らくその左手に持たれた恐ろしく肉厚な実剣を前に持って構えたときに、全身のバランスがとられるように作られているのでしょう。この部分を見ただけでも、思いっきりピーキーな操縦感覚を必要とするMHであることが見て取れます。
 先日、ガレージキットメーカーであるボークスの秋葉原のショールームで、暁姫のキットを見てきました。去年の十一月に上野の博物館で見た中国国宝展に展示されていた至宝の仏像たちとも比肩しうるように思えるほどの、すばらしい作りこみが施されたキットで、眺めていてもよだれが出てきてしまうほどに精巧に作られていました。
 しかし、今回の、このついに連載中に登場した暁姫は、当然、今までに公開されていた設定画よりも細部が細かく、また、横からの描写なのでこれまでに見えなかった部分もはっきりとわかるので、ひょっとして、あの素晴らしいガレージキットにも、また今後改修が必要になってしまうのではないかなどと、いらぬ心配をしてしまっております。
 こうしてみると、扁平な頭部の形状がまた特殊だなあと思います。

 次にエンプレスです。
 騎乗するはデプレ。ページ左下に顔のアップがありますが、好青年に育っております。いや、まだ少年と呼んで差し支えないような幼さがあります。
 ナイトフラグスに曰く、彼は成長が遅く、弟のマキシに成長を追い抜かれてしまうとのことなので、この位の外見のまま、まだしばらくの時を過ごすのでしょう。
 エンプレスは、肩を覆ういつもの白い装甲を外した状態で立っています。というか、肩の装甲はいわゆる可動ベイルなのでしょう。エンプレスは二百年前に大活躍したMHですし、これを参考に、エートールの特徴的なアクティブバインダは作られたのかもしれません。腕の部分の浮遊式ベイルも、とりあえず見受けられません。
 ひょっとしたら、このハスハ開放戦に臨むまでの戦闘で失われてしまったりしているのでしょうか。

 さあて、件の謎のMHです。
 まず、シールドにでっかくミラージュマークとギリシャ数字の十です。ミラージュの十番といえば、表がハインド、裏がスパークです。ということは、まあ、スパークですね。ナイトマスターの紋章も付いてるし。
 と、騎士に目星がついたところで、依然としてこのMHについてはさっぱりわからない。装甲はともかく、断片的な情報を汲み取っていくと、フレームは例の「ファントム」に非常によく似ているように思うのですが、角の形状はまるで違います。これは多分、現時点では名称の判明していないMHと思ってしまってよいのではないでしょうか。
 一応、クロスビンの設計によるものの中で今までに名前が出ていて姿が公開されていないMHとして「グルーン・エルダグライン」の可能性も挙げておきます。でも、グルーンはジャスタカークのMHだしなぁ・・・・・・。
 こうして、未知のデザインに苦しめられること、これがFSSファンであることの最大の快感のひとつであります。マゾです、ええ。

 ちなみにここまでは、本屋さんで立ち読みでした。このページを見て、いきなりのマキシの登場に唇を噛んで驚き、これはやはり家で熟読せねばとレジに向かったのでした。


三つ目の見開き

 どげ~んと出ました、飛び出しそうなほどおっきな目ん玉のかわいこチャン。さらりとエグイことを言ってのけながら、その幼い純真さと、内に備わった狂暴さが口調に出ています。
 これがマキシです。うわさに違わぬ美少女っぷりです。男の子ですけど。
 さて、「母」であるはずのミースの命が危ないというのに、「戦闘区域に人がいたって戦う」という一般的な理論に基づいて平気で突入を進言するマキシを、「バカッ! マキシのバカッ!! わからずや!」とデプレが怒鳴りつけます。
 実の母ではなくとも、父カイエンとの間にマキシをもうけた、「この世でたった一人の本物の母様」であるミースを慕って、デプレは怒鳴ります。
 この場面は、人間的な感覚の欠落しているマキシを、仲間がどうやって押さえるか四苦八苦するというシーンです。このころ、マキシというのは、仲間でさえ扱いに手を焼くほどの問題人物であったわけです。
 マキシは、そもそもバランシェの作り出した四十六体目の作品であり、その特殊な遺伝子操作を行われた(おそらくはミースの)卵子に、超帝国の最強騎士、剣聖スキーンズとヤーン・バッシュ王女が、二人の受精卵をドラゴンに託し、それをこれまたバランシェが受け取ってファティマ・クーンの体に宿らせて誕生したカイエン、その遺伝子を組み込んで生まれたという、超人類なわけであります。
 実も蓋も無い言い方になりますが、これはもう、よくぞ人間の形で生まれたものだなあ、というのが、まっとうな評価なのではないでしょうか。
 そんな彼がやがて人間らしい心を持ち、タイカ宇宙へ渡り、ついには神になっていくという物語が、FSSのエピソードのひとつとしてこれからかなりの時間をかけて語られていくわけです。

 ここで、ビルトが戦況を報告してくれます。この時点でのマスターは、ワンダン・ハレーであるようです。コマの向こうにはバルンガ隊長も健在です。
 ハスハント市の西壁には斑鳩王子とタイトネイブの率いるミラージュ騎士団が布陣完了。
 南壁には、アルル、セイレイ、マイスナーの暴風三王女とディスターヴ隊。
 東壁はハスハの精鋭として名高いスキーン隊になんと、すでにクバルカンの法王となっているミューズのバング隊が加勢。
 そして中央北壁には「ナイアス様の”ファントム”」と聖導王朝騎士団。
 ほとんど、FSSオールスターズといった布陣になっています。(この場面で名前の出ていない人物に付いては、大変気にかかるところです。また後で記述します。)
 コミックス十巻の最後の書き足し漫画を読んで以来、斑鳩とタイトネイブの関係が気になっていたのですが、ひょっとしたらこのお二人、ちょっといい仲になってるんだったりして、とか邪推。三王女の揃い踏みも、きっとここにいたるまでに相当な紆余曲折があったのではと想像されます。そしてミューズ率いるバング隊の参戦。『ナイトフラグス』にはマジャスティクスタンドの終盤にクバルカンの参戦の気配ありと記述されていましたから、まさしくこれは魔導大戦の終盤なわけです。そして、「ナイアス様の”ファントム”」ですが、今回登場している「ミス・マドラ」と呼ばれる謎の女性がそのナイアス様なのだとしたら、これはもう素直に、さっきから僕を苦しめている件のMHをファントムとして認識してしまってよい、ということになりそうです。ちなみに、ミス・マドラがスパークなのは間違い無いと思われます。ミラージュの十番付けてますから。推測ですが、二月号で公開されたファントムは、大戦初期の装甲形状で、今月号の憎いヤツは大戦末期のスパーク用チューン版、ということなのではないかなあ。
 実はこの場面、キャラクターの配置に関して解釈に困っております。今この場に描かれているデプレやマキシたちは、上記のどれかに属しているのか、それともこのハスハント包囲網とは別に、バッハトマの城の前にいるのか、書かれている情報からは判断しきれないのです。バッハトマの王城というのがハスハントの中にあるのでしたらスッキリするんですが。

 ビルトの報告を聞く、スパリチューダとコンコード。報告の最後に、「今”エスト姉様”が到着した」とギラから連絡があった旨が付け加えられます。
 左のページに入って、折り目正しいフレアスカートに大きなヘアバンド、なのにどこかアブノーマルな雰囲気の漂うミス・マドラが語り始めます。
 四十五年前にバッハトマの黒騎士のファティマとしてハスハントを壊滅させたエストが、今度はハスハント開放のためにバッハトマと戦うというのです。
 黒騎士、エストといえば、われらがヨーン・バインツェル君。
 エストがこちらの陣営についたということは、少なくともバッハトマの黒騎士デコースは倒れたということです。ヨーンが本懐を遂げて、ひょっとしたら四代目の黒騎士になったのか、それとも・・・・・・。

 と、ここまで書いたところで、時間がきてしまいました。
 書きはじめからすでに五時間が経過しようとしておりますが、まだ全体の半分、といったところでしょうか。
 この続きは、翌十日付けの更新にて。

キャラクターズ+-

 天災(2000年9月11日の大雨)によって引き伸ばされてしまった、今回の「読み解け」の完結編です。
 大雨と大風で荒れてしまったベランダの後片付けも一段落したので、先ほど「ナイトフラグス」を買いに行きました。ところが、当然といえば当然なんですけど、入荷予定だった模型屋さんには、やっぱり大雨のためにまだ品物が入っていませんでした。
 しかし明日には入るということで、改めて予約を確認して返ってまいりました。
 というわけで、僕はまだ「ナイトフラグス」に目を通しておりません。


エンゲージ・オクターバーSR3
ファティマ・シクローン

 SR3は我らがセイレイ様のMHで、エンゲージシリーズの三機目にあたる騎体です。そのデザイン、およびカラーリングは、セイレイの父コーラス三世の乗っていた初期型ジュノーンSR2(ウリクル・ジュノーンというらしいです)とまったく同じなんだとか。コーラスではセイレイ・ジュノーン、イズモアストロシティではジェイド・テンプルと呼ばれているそうです。
 そのファティマはシクローン。ヘッドライナーであるセイレイではなく、こちらがSR3の主であると記述されています。クラトーマとV・サイレンのような、いわゆる専用ファティマというものなんでしょう。なんだか、ジュノーンとクローソーの関係も思い起こされます。
 それにしても、いつのまにやら初期型ジュノーンに「SR2」という型番がついています。
 試みに、これを鵜呑みにして勝手に系統立ててみます。まず最初に作られたのが剣聖ハリコンの乗機であり、そして現在はアルルが持ち出しているエンゲージ・オクターバーSR1。そして次に作られたのはマロリーのMK2。「MK2」ってくらいですからかなりの設計変更が行われたのではないでしょうか。その次が、多分、SR1の再設計版としての、コーラス三世のジュノーン(SR2)。それで、きっとほぼ同時進行で、次の代のコーラスの王子用にSR3も作っていて、それをセイレイが使っているといったところでしょうか。確か、このへんの時間的繋がりをはっきりさせる資料がどこかにあったような・・・
 あ、しまった。
 昨年の12月号の表紙の、コーラスの家系図に、今回の一連の「読み解け」の中でわからないとしてきたことがいろいろ明記されているではないですか。
 ありゃりゃ、シクローン、タイフォーン、モンスーン、ユリケンヌは四人合わせて「風の4ファティマ」といって、すべてアルセニック・アイツ・フェイツ・バランス10というマイトが作ったんだそうです。バランス10ということは、Dr.バランシェのお母さん?あと、四人という数字は4ファッティスと同じでこれまた気にかかります。
 かくもあっさりと、この家系図の読み解きを面倒がって後回しにきてきたツケがまわってきてしまいました。
 なになに、マロリーは「マイスナー」の名前を恋人からもらったって?アルルとナトリウム・シング・桜子(謎の少女A)は異母姉妹?マヨール・レーベンハイトはバランカ家の王子様?ぐわ、インプットしなおさなくてはいけない情報が多すぎます。なんだか、うれしい悲鳴と本心からの悲鳴の境目がぎりぎりになってます。

 逃げるように、次へ行きます。


ファティマ・ユリケンヌ

 アルルのパートナーで、そのコスチュームはカイエンのアウクソーと色違いの同デザインです。
 SR1と並んでハスハの旗騎となるシュペルター(A-TOLLバージョン)のファティマと御揃い、ということで彼女達はまさにハスハ軍のシンボルなのでしょう。ここから僕の予想的側面が強くなりますが、本来ハスハのシンボルとなるべきMHエンプレスは、魔導大戦開始の時点で、乗り手であるデプレがまだあまりにも幼いために不参加なわけです。そして、長く続く魔導大戦のうちにデプレは成人し、カイエンが倒れ(倒され?)、ハスハ軍の騎士団長の地位も継ぐことになるのでは。もちろん、そこにはやがてマキシの姿も見られるようになるはずです。つまり、魔導大戦というのは、主に暴風の三王女やこれまでのキャラクター達が活躍する前半と、その三王女やジャコー達もベテランになって、主役がデプレ達さらに下の世代に移る後半に分かれると考えると、すっきりするように思います。果たして、アイシャやクリサリスは天寿をまっとうできるのでしょうか?
 ところで、ユリケンヌに関して、不確かな妄想ながら気になる点を一つ。
 最近、オージェやらジュノーンやらの「元版」ががんがん登場してきたことで、どうやらコミックスの一巻以前の時代にも激しい戦争やドラマが繰り返されていたらしいということが、僕らに実感として伝わってきたように思います。
 そういった状況を端的に表す言葉があるとすれば、「歴史は繰り返す」といったところでしょうか。たとえば、魔導大戦終結後に発生するというハスハの十年戦争というのがあるそうですが、それも過去に剣聖デューク・ビザンチンがハスハを守って戦った歴史を繰り返しているという捕らえ方も出来ると思います。
 さて、一つ上のファティマ・シクローンのところでちらっと述べましたが、僕は「風の4ファティマ」と「4ファッティス」の関係がなんだかとても気になるのです。Dr.バランシェの先祖が作り出した星団最初の四人のファティマ達と、バランシェの母と思われる人物の作り出したこれまた四人のファティマ達。こじつけと言われたらそれまでですが、風のファティマの一人シクローンは、ハスハの地で、4ファッティスの一人フォーカスライトがその正体であるアウクソーと、同じデザインのファティマスーツを着てともに戦うというのです。なんというか、そこに「何か」があるような気がしませんか。
 ただ、さすがにこの二人が同一のファティマだとかいうのはありえない話ですし、実際にどのような関係があって、どんな物語が展開されるのかはまったく予想できないです。


おまけ・心配性のおぼっちゃま

 心配性だとは存じ上げませんでした、フィルモアの新皇帝ダイ・グ・フィルモアの少年時代のイラストです。
 スカートはいてるんで間違いありません。カイエンに大怪我させられる直前、といったところでしょうか。


バッシュ・ザ・ブラックナイト

 あまりにも重厚で、凶悪なたたずまいのバッシュです。
 ベイルを地面に置いて、手には二刀流。間違い無く、狂乱の貴公子デコーズ・ワイズメルの駆る騎体です。
 記述によりますと、魔導大戦の開始直後、まっさきにハスハ王宮に乗り込んでくるとのこと。迎え撃つのは、A-TOLL、スクリティ、エンゲージらのもようですが、騎士の質ではミラージュに一歩遅れを取ると思われるハスハの陣営で、果たして先日のミラージュ王宮での惨劇の再現なるか、見所が多い戦いになると思われます。
 もちろん、カイエンならば間違い無くデコースに勝てるでしょうけれど、カイエンがハスハの騎士団長になったことは星団中に発表されています。それをわかっているはずのデコースがわざわざカイエンの居る所に策も無く乗りこむとも思えません。


ファティマ・ミナコ3D(著者近影)

 あの、なんていいますか、その・・・。
 自分の作品上でさんざん「妖精」とか「魔性」とか描いておいて、著者自らがファティマを名乗るコスプレをするということが許されるのかどうか、ということは置いておきまして、男なのになんでこんなに脚がキレイなのか、ひょっとしたら奥さんより細いんじゃなかろうか、ということも置いておきまして、同誌上で友人の幾原監督も同様のコスプレをしているけれど、同様に脚が矢鱈にキレイなのはなぜだ、なんてことも一先ず置いておきまして、その・・・
 どうして永野先生、セーラーヴィーナスのコスプレしてらっしゃるんですか?


まとめ

 ミナコ3Dをはじめて見た時のショックがよみがえってきて、なにも言えません。
 はやくナイトフラグスをこの手にしたい&コミックス十巻が欲しい、それだけです。
 ミナコ3Dは、これからも時々登場するかもしれないとのことで、ひょっとして、さらにセーラー戦士を増やそうとか、そういう恐ろしいことを考えさせないためにも、永野先生にはどんどん仕事をして欲しいと思います。
 でも、悪いことに今回のドラクエはシナリオがとてつもなく長いらしいので、連載再開がいつになるのか見当がつきません。
 待つ身は辛いですが、結局これもいつものことと割り切らねば。
 希望が訪れる日を、ともに待ちましょう。忍ぶ愛です。

思わず嗚咽を

ごめんなさい。なんで今月分の更新がここまで遅くなったのかと申しますと、久々に連載休止に突入してしまった本編とのしばしの別れを惜しむあまりに、もし「読み解け」を書き上げてしまったらば本当にFSSとの暫時の別れを認識せねばならないのではないかという不安から、思わずてなしもは一人遠くに旅立ってしまって・・・
どなたも信じませんよね。もちろん冗談です。といっても心情的にはそれに近いんですけど、実際の理由は、表紙、内容ともにあまりに大変なものだったので逃げ回っていたということにつきます。弱虫です。逃げちゃ駄目だとつぶやく少年の姿が脳裏をよぎります。
しかし、いざ書くからにはやりますよ。ええ、やりますとも。


最初の見開き

内容から始めます。今号の表紙は、これから出版される副読本の内容紹介なんですから、後に回した方が納まりが良いだろうという判断です。

実はとってもデンジャラスなデザインの、ハスハのお城の塔の一室のテラスから、まだ少女と呼べるような佇まいの天才マイト、ミース・バランシェが空を見上げているカットから始まります。
アウクソーとミースの再会。それはおそらく、カイエンの手によってミースがDr.バランシェの養子にされた時以来のものなのでしょう。コミックスで言うと、4巻のエピソードですね。4巻のその内容がニュータイプ誌に掲載されたのは、確か1991年の初め頃です。・・・連載年数で言っても、ちょうど9年ぶりの再会ですよ、こりゃ。ジャンプでやってる「こち亀」の日暮サン(4年に一度、オリンピックイヤーにだけ現れるキャラ)より凄いかもしれません。ちなみに、作品内時間だと21年ぶりの再会ということになりますが、ジョーカー星団と僕らの世界とでは時間の流れ方が少々異なるそうなので、この年数通りの懐かしさだとは受け取らない方がよいでしょう。寿命も違うし。
・・・まてよ。ちょっと検証してみましょう。ジョーカーの人たちの限界寿命は、約300歳という話です。僕らで言うと100歳くらいでしょうか。約3倍です。で、21を3で割ると7。ものすごい単純計算ですが、感覚的には、命の恩人との7年くらいぶりの再会という感じかもしれません。ジョーカー人にとっての思春期というのがどれほどの長さなのかは解りませんが、もっとも多感な年頃にあこがれた人たちとの7年ぶりの再会ともなれば、そわそわするミースの、そして逃げ惑うカイエンの気持ちというのも、推して知るべし、でしょうか。いや、カイエンが逃げているのは、単純に「純粋に自分を想っている女性」に会うのが恥ずかしいからだと思いますが。
話題を本編に戻します。
アウクソーとの会話はこのシーンではわずか10あまりです。しかし、そこからいくつかの情報が読み取れます。
「バランシェ様」と呼ばれたミースは、「その名前は大きすぎる・・・」とつぶやいて、自分を以前のようにミースと呼んでくれと告げます。バランシェがマイトとしてあまりに巨大な存在であるということを、ミースは当然知っているわけです。すでに五本線のついたマイト服を身に纏える、立派なフルマイトになっているわけですが、そうなってみるとなお、バランシェという名前の巨大さが解るのでしょう。すでにミースは4巻の時のような物知らぬ少女ではないのでした。
照れながらカイエンの様子を聞くミース。自分の前に姿を見せてくれないカイエンが、気になってしょうがないのでしょう。それとなく聞いている風を装って、恥じらいながらよそ見までしています。いじらしや。
答えてアウクソーは「マスターはミース様がまぶしいみたいです」。しかしミースは、カイエンに避けられているように思えてなりません。ああ、恋するものは、えてして相手の言動を悪い方に考えてしまうものです。思い悩むミースは、自分がカイエンのお陰でここまで来られたのだというエピソードを語りはじめます。
カイエンに救われ、バランシェの養子になって間も無い頃と思われる少女時代。ミースは王立学校でのテストのカンニングの容疑をかけられ、それが濡れ衣であると涙乍らに訴えています。バランシェの傍らには、この頃里帰りをしていたファティマ・時が寄り添っています。ジャスタカークでMHグルーンを駆る天位騎士、アイオ・レーンのファティマです。といっても、この時代には何処に嫁いでいたのかは定かではないのですが。このファティマ・時は、この後バランシェの最期を見取るファティマでもあります。
代数の問題用紙があります。問題の数式の直後に、いきなり答えが書いてあります。バランシェはミースに詫びます。いきなりこんなレベルの高い学校に入れてしまってすまなかったと。カンニングせねばならないほど辛い状況に追い込んでしまったのかと謝ったわけです。
しかしミースは、泣きながら、そんなのは見たらすぐ答えがわかるのに、どうして複雑な式なんて使わなければならないのかと、バランシェに訴えるのです。バランシェは、その発言に違和感を感じて、ミースに問いかけを発します。「988年前の星団暦2001年、1月21日は何曜日だったかな?」、ミース一瞬で答えて「日曜日に決まってます・・・!」。まだ泣きじゃくるミースの前で、バランシェと時は自分たちが勘違いをしていたことに気がつくのです。僕は初めに読んだ時、ミースのこの能力は彼女が幼い頃に勉強を習っていたA-T先生、つまりファティマ・アトロポスの教育によるものなのかと思いました。バランシェはミースがアトロポスの教え子であるということは知らないはずですし。しかし真実は、僕なんかの予想をはるかに越えていきます。
この回想シーン中、バランシェはシルエットでしか登場していません。死の直前のその体は、すでにぼろぼろなのです。醜くなってしまったその姿をあえて見せる必要は無いのでしょう。バランシェは、死が訪れるその時までクールに描かれるのです。
それにしても、時のファティマスーツはまるで社長秘書のようで、フェティッシュな魅力がむんむんです。まさにインビンシブル・エロティシズム。デカダンスタイルまっしぐらです。


二つ目の見開き

バランシェはミースを試すことにします。なにやら得体の知れん100列からなる記号の配列を読み解き、101列目に来ると予想される記号列を述べよと言うのです。
超絶的な高性能生体コンピューターであるファティマの時ですら、それは全くわからないと言います。「4塩基配列」なんて言ってますから、遺伝子の話のようですが、僕らが知っているような知識はもちろん、なにやら高度な方法を用いたとしても先を予想するようなことは出来ないんだそうです。
ミースは一途に頑張ります。サンドイッチや紅茶にもほとんど手をつけず、おそらく数時間も集中し続けてこの問いに取り組んでいます。その傍らに「NEXT G4」と書かれたポリタンクのような箱があります。「富士の水」とも書いてあるのでほんとにポリタンクかと思ったのですが、これはきっとタワー型のコンピューターなのではないでしょうか。G4といえば、アップル社御用達のCPUの名前ですし。ミースの目の前のディスプレイにもコードが繋がってるようですし。富士の水というのは、水流式の冷却システムのことかなあなんて思ったりして。
さて、ミースが答えを出します。汗だくです。時はびっくりしています。そりゃそうでしょう、不可能事だと思っていたんですから。
バランシェはその答えを正解と認め、ミースを「マイト」であると断定します。複雑な数式から一瞬で答えを導き出し、閏年があるにも拘らず未来や過去の年月日の曜日を即答できる人間が、希にいるという話になります。暗算なんてしなくても、ぱっと頭に答えが浮かぶのだとか。それは、ジョーカーの世界では、”ルシェミ”というダイバーパワーの遺伝ということになっています。ちなみに、作中に書いてあるように、僕らの住む世界にもこういう「天才」というのはおりまして、アルバート・アインシュタインなんかも、答えが先に浮かんでから式を考える、なんて能力があったそうです。(これはついでの話ですが、以前てなしもはふと「天才」というものに興味を持ちまして、百科事典でその言葉を引いてみたんです。そしたら、そこにはこう書いてありました。「IQ160以上の人をそう呼ぶ。以前は140以上の人をそう呼んでいたが、最近は全体にIQが上がってきているので、160以上ということになった」それは古い百科事典でしたから、現在ではもっと数字が高くなってるかもしれません。・・・しかし、なんとも安易ですね(^^;。FSSの語る「天才」の神秘性のかけらもありゃしないと思います。)
閑話休題。”ルシェミ”というのは、非常に希なダイバーパワーであり、フルマイトになるための必須の能力のようです。そりゃ、生命を作りだそうというんですから、科学なんてものを超越した能力の持ち主でなければならないんでしょうね。努力と希有な才能がかみ合って、なおかつ優れた学習機関(ミースの場合はバランシェ)と出会わなければ、なれない職業。魅力的です。「マイト小説」なんて文学ジャンルが創れそうです。
それにしてもバランシェ、最初に「難しくはない」「ゲームだ」と言っておいて、次のページでは「このジョーカーでも私にしか解けぬ生体コードを解くか」と来たもんです。人を乗せるのがほんとに上手いお方。


三つ目の見開き

死を間近に覚悟しているバランシェは、自分にはもうこれくらいしかしてやれないと、ミースにディスクのようなものを渡します。それは、まさに恐るべき遺産でした。
バランシェが最後に取り組んでいた、”最強の女神”クローソーに続く、46体目の人造人間に関するデータです。それはすでにファティマではありませんでした。人の卵子に組み込まれ、受精をするとプログラムの展開が始まって人間のゲノムに食い込んでいくという、「超人間」を創るという技術の理論です。44体目にしてラキシスという「神」を創り出してしまった天才科学者が、さらにそこから進んだものを創りだそうとしているのです。
それを受け取った時のミースの表情は、まだ田舎育ちの無垢な少女のものです。しかし、その隣に描かれている、現在のミースの表情は違います。
何かを思いつめる女性が漂わせる、強烈な色香。名だけを継いだはずのバランシェから、その狂気も受け継いだのでしょうか。マッドサイエンティストが見つめる、その虚空には何が浮かんでみえるのか。
バランシェは告げました。それは「人の卵子」に埋め込むのだと。それは超帝国の純潔の騎士をも超える力を持つ存在になるだろうと。それは、バランシェの最後の作品であり、ミースの最初の”作品”であると・・・。
そのプログラムだけで、純潔の騎士すら上回る力を”作品”に与えることができるのならば、その素材の一旦である男性側の要因が、その超帝国の純潔の騎士に限りなく近い存在だったら、はたして何がおこるのか。何処まで行けてしまうのか。狂気の天才Dr.バランシェすら予想しなかったその領域の存在に気がついてしまった時、それがどんなバケモノを生み出してしまうのかも恐れずに、踏み出してしまうおぞましいまでの探求心を、持っている女性がいるとしたら。
自らの卵子にすでにその情報を埋め込み、その機会をうかがう狂気の科学者が、ひょっとしてここには描かれているのでしょうか。
そしてそうなるとミースは、はたして純粋な恋心だけでカイエンを求めているのでしょうか?
僕には、そのミースの横顔が、母の顔ですらあるように思えるのでした。・・・生まれ出た人の子供を取って喰うという、鬼子母神のような母の顔に。
ここで、FSSという作品上、最強の騎士と設定されている、「マキシ」の名前が、ついに連載中に登場いたしました。

さて、左のページに移りますと、わりと陽気なハスハ勢のお話になります。
まだ幼いながらも、後の凛々しさを想像させるデプレの表情にまずは引き込まれます。クリスティ隊の隊長(今もそうなのかは知りませんが)バルンガが、デプレにお土産の実剣を渡しています。こういった、実剣や光剣が人に譲られたり、受け継がれたりする話は、これからますます重要度を帯びて来るようです。
今回も、「人を殺した剣」と「殺していない剣」や「黒い光剣」などといった言葉が沢山出てきます。しかも、それを語るのはマグダルです。作中での超絶的なダイバーというのは、つまりある意味ではストレートに作品世界を語ってしまえる存在であるということだと思いますので、魔導帝国の女王たるマグダルの発言は、殊更大きな意味を持っていそうです。
今の所は、「YO!YOー!」なんて、クラブ乗りの挨拶がまことに可愛らしいのですが。


四つ目の見開き

まだ幼いこの双子にとっては、ひょっとしたらお互いは同一の存在であるのかもしれません。幼児にはよくあることですが、自分と相手の区別がまだはっきりとついていない状態なのかもしれません。そう思えてしまうほど、この二人は仲が良く、事ある毎に体を密着させているような気がします。のちにこの二人は引き裂かれ、安寿と厨子王のような辛く悲しい話になるといいますから、その分、今は幸せな時代として描かれているのでしょう。
しかし、いくらまだ幼いとはいえ、「新星団最強のくらっしゃーず」の名を襲名したこの二人を侮ってはいけません。会話の内容はすごいです。
まず、カイエンの尻を叩いてきたと。普通なら、利発でかわいい娘が渋る父親を後押しするなんていうのは和やかなホームドラマの一場面ですが、この場合はその結果、超人間であるマキシが生まれることになっていくわけで、上辺ほど生易しい問題では無いのです。多分。
そして次に、アマテラスが「いらしてたの」と言います。アマテラスは遠く離れたフロートテンプルで、やっとエイリアスを生み出すための眠りに入ったばかりであるにもかかわらず、マグダルが語っているのは過去形です。これはいったいどういう事なのでしょう?とりあえず確かなのは、「マグダルにとっては、それは過去の事になっている」ということなのですが、やはり意味がわかりません。先月に登場していたマギー・コーターにソープが会いに来るというエピソードがあるはずなので、これから(つまり連載再開後)そのハスハでのシーンが登場するのかと思っていたのですが・・・。マグダルがカイエンの後押しをするシーンも含めまして、この辺はコミックス化した時に書き足されるのかもしれませんね。多分、次の次である11巻の話になってしまうと思いますが。
それにしても、普通にみたら微笑ましい以外に印象の持ちようが無いはずのこの二人のじゃれあいを、矢鱈と真剣なまなざしで見つめるバルンガが不気味です。この男、一見ただの不気味さんですが、バランシェファティマのスパリチューダを娶るほどの騎士ですし、アルル・フォルテシモをスカウトして来るほどの腕も持っていますから、初登場の時は「ただのいい人」でしたが、この先侮れないです。
で、アルル様のご登場です。お美しや。
先日はDr.ダイヤモンドの元にいましたが、ここでハスハ入りを果たします。連載再開後のマジャステッィク・スタンド本戦にまで参戦するのかどうかは解りませんが、デプレの剣術の師匠にはなって行くようです。ということは、デプレの戦闘術は、黒騎士やコーラスと同じロンド系(この言い方で正しいのか解りませんが)ということになりそうですね。これでファティマがDr.モラードのものなら完全にコーラス系ですが、どうやら母親のパートナーだったコンコード(マイトはDr.スティル・クープ)を継ぐらしいので、系としてのなんとなくハスハオリジナルな匂いは残っていくみたいです。
さて、マグダルはアルルに告げます。「大きな黒い剣の持ち主を探しているのね」。
これはもちろん、彼女が持っている懐園剣のことでしょう。もとは超帝国の純潔の騎士ナッカンドラ・ビュー・スバースの物で、ハスハの剣聖デューク・ビザンチンに受け継がれ、今は何故かアルルが持っている大太刀です。ビザンチンが持っていたというならば、今回のことでハスハにそれが戻ったというのも、なんとなく肯けるような気がします。その剣の導きで、アルルがハスハ入りしたと考えればよいわけです。
彼女が探しているという、「懐園剣の持ち主」とは、すなわちこれから生まれて来るマキシの事に他ならないのですから。
しかし、マグダルの言の中にある「黒い光剣はこっち。黒い大きな剣はあっちでないと、さやから抜けないわよ」とはどういう意味なんでしょう。黒い光剣というのはもちろんカイエンが持っているもののことだと思います。ひょっとすると、懐園剣が一度、敵勢力、つまりボスヤスフォートの側の手に渡るということでしょうか?・・・そういえば、デコースが一時期それを持つなんて話を、どこかで聞いたことがあるような?むむむ?混乱混乱。
混乱しつつ次のページへ。


五つ目の見開き

マグダルの言葉が、抽象的ながらも核心を言い当てているようで、アルルは冷や汗のようなものを流しながらこの幼い少女を見つめています。「あなたの”白い剣”が、”黒い剣”から私たちを守ってくれるから・・・・・・」マグダルはそう言います。
「白い剣」とは紛れも無く、アルルの所有しているMHエンゲイジ・オクターバーでしょう。ならば「黒い剣」とは、MHバッシュのことでしょうか。
MHエンゲイジは、すなわちMHジュノーンの元になった機体であり、ある意味でMHとしての魂みたいなものを共有していると考えます。ならば、はるか未来のジュノーにおいて、すみれの騎士バナロッテを守った「白い剣」にまで連綿と繋がる、そういう「何か」であると考えます。それと対になるのが黒騎士モンドの「黒い剣」であることもまた道理。はるか未来では共に戦う二本の剣も、この時代では敵、味方に別れて戦うことになってしまっているのでしょうね。
そして明かされる、太天位騎士ジャコーも一撃で沈んだ恐怖の必殺技「かーちゃんキック」の秘密。ポイントは、先にスカートを捲って見せることでした。一瞬そちらに気を引かれた隙に、しこたま股間を蹴り上げるという、身の毛もよだつような残虐な技です。アルル様なんかにこれを出された日には、まず男なら食らってしまいます。でも、これを男であるデプレに教えてもしょうがないような気もしますが・・・。(余談ですが、この技の仕組みって、「セクシーコマンドー」なのではないでしょうか。「すごいよ!マサルさん」をご存知ない方には意味不明だと思いますが、そう思ったもので・・・忘れて下さい。)
そして、ハスハに風が吹きます。
思えば、最初のエピソードではハスハは王様がお披露目に姿を見せたのみ。コーラスXハグーダ戦では参戦予定はあったもののラルゴ・ケンタウリのしくじりでタイミングを逸し、それ以降も所々に人物は出て来るものの、なかなか国自体が表舞台に出て来ることはありませんでした。しかし、マジャスティック・スタンド、そして後に続くと思われる「ハスハ動乱」ディフェンス・スタンドは、ハスハの物語です。
まさしく、この国に風が吹き始めたのでした。
風が吹き、その空が繋がって、AKD、フロートテンプルへと舞台は移ります。
美しいラキシスの膝を借りて眠る(ように見えている)年相応のボケじじい・・・もとい、能天気なアマテラスを、不敬な言葉で見下ろしながら呼び捨てにする謎の存在が現れます。


六つ目の見開き

今まで見たことのない四つ星のエンブレムを付けた、奇抜なデザインの戦艦がフロートテンプルに降り立ちました。謎の存在が、AKDの現状を語ります。
リィが死んでMHレッド・ミラージュの追い込みがストップ。これはミラージュですから当然アマテラスの私費で行われていた事業だったとは思いますが、AKDの国策でもあったはずです。いきなり、国としてのつまずきです。
総司令官のログナーは、一度死んでしまったので、十分に戦闘指揮の可能な状態にまで成長するのに30年はかかるとのこと。これは読者視点ですが、現在が3010年でマジャスティック・スタンド開始が3030年ですから、ログナーが表舞台に立つには10年足りません。
変わりに大兄になったサリオンはまだまだ力不足。これも、ボスやんに手玉に取られたという事実がありますので、しょうがないこと。実際、こう言われても、まだ今の彼にはふくれていることくらいしか出来ません。
アイシャはルーマー王国(AKDの属国の一つでしょうか)の女王陛下になったとかで、もう忙しくて動けないとか。これはまた、なんとも残念な話です。数年前には、まだキュキィを連れてボォスをうろついたりしていましたが、いよいよ、出番が減ってしまうのでしょうか。しかし、まだまだ彼女には、これから物語の中核になっていくはずのヨーン・バインツェルとの絡みがふんだんにあるはずなので、ここは期待して待ちましょう。コーダンテ家は、ワスチャという人物が継いだそうです。設定に見える、アイシャの妹でしょうね。その娘がおそらく、後にミラージュ入りするというルート・コーダンテなのでしょう。
さて、ここで問題です。”ファンタグリナス”とはなんでしょう。
・・・うう、なんじゃそりゃあと思わず泣きそうになりました。これはひょっとして、二重王朝とでも言うべきものなのでしょうか。アマテラス家にそんなシステムがあるなんて、聞いてないぞ、予想すらしていなかったぞ。
昔から日本では、特別格の高い神宮などに、天皇に近い血筋の者を斎宮として使えさせるという風習がありました。元は神だとかそういう日本の皇族の話は置いておきまして、このシステムは、大雑把な言い方ですがなにか中央で非常事態があった時に、そういった宗教組織に派遣されている皇族が中央のバックアアップとして活動できるという、便利なものになったりします。今回出てきたこの聖院サマは、AKDに対してそういった役割を持つ方なのではないでしょうか。
一緒に連れてきているファティマ・ダイオード。そのスタイルは表紙によれば「マンティック・モード」なんだそうですが・・・そんなの、知らないよ~(涙)。どうにも、他のファティマと比べて(バクスチュアルよりも!)機械的な印象がありますし。手を広げて走ったりとか、こういう仕種は個人的には好きなんですが。
話を聖院サマに戻しますが、ただ、このお兄さん、政治的などうのこうのよりも、どうやら他のキャラと同じく自分中心、唯我独尊でぶっとんでるキャラクターらしいので、こういうところは初めて見たキャラクターとは思えません(笑)そしてよくよく観察すると、襟元に、戦艦にも付いていた四つ星の紋章が、その意匠をより明確に僕らに見せてくれています。中にアルファベットが描いてあります。
A、U、G・・・E・・・まさか!


最後の見開き

華奢なボディ。広がった腰のスカート。特徴的なアームガード。そして、大きくせり出した両肩の、間違いなくアクティブバインダーな重装甲。その全てが黄金色に輝いていれば、言わずもがな。これは、オージェです。しかも、エルガイムに出てきた風の。
顔面部には、女性の顔をかたどったようなフェイスガードが張り付いています。聖院サマは「この世で一番美しいMHは、こいつだ!」なんて叫んでらっしゃいますが、なんとも悪趣味だともっぱらの評判です。僕もそう思います。装甲の下の積層金属構造とか、爪先の立ち具合とか、ふくらはぎの構造とか、細部のデザインにはちょっとビックリする所があったんですけど、この顔はいただけません。足元で変なポーズを取っているダイオードは、なんとも良いのですが。
しかあし。その来歴を読んで、僕らの度肝が抜かれます。マシンメサイア(MM)の時代から伝わっている、MHだって!?
それはつまり、MHエンプレスにMMエンシーのエンジンが積まれているというように、何か超帝国時代の、おそらくはオージェという名前のMMから、脈々とエンジンが受け継がれているということなのでしょうか。いや、そもそも、アマテラスのグリース王家はそんな超帝国時代から存続しているような、歴史のある王家でしたっけ?それはハスハやフィルモアの特権だったのでは・・・?
とりあえずそれは置いておきまして、最後のコマの話です。聖院サマは言います。「帝にお会いするのは、250年ぶりだというのに、かわらないなー」。250年前といえば、まだアマテラスがミラージュ騎士団を組織する前です。ならば、彼が「ミラージュに協力する気はない」と言うのもわかる気がします。そんな新造の騎士団がどうしたというんだ、という気持ちが無いわけはないでしょう。
あ、彼について一個思い付きました。日本の斎宮は、男系継承が基本である為か皇族の未婚の女子が派遣されるんですけど、AKDでは、アマテラスは例外的に男王ですけど、基本的に王位は女系継承でしたから、男子が斎宮になっているのかもしれません。まあ、これで彼の何かの謎が解けるというわけでもないのですが。
そんな謎な聖院様が、「いったい帝は何者なんだろうか、ホント・・・」とさらにアマテラスを不思議がるところで、ついに連載休止になりました。次期再開は、早ければ三ヶ月後、遅ければ半年以上も先のことになるでしょう。柱に書いてあるとおり、早い連載再開をお祈りしつつ・・・。

まとめ

見所ありすぎです。こんな状態でお休みに入っちゃっていいのでしょうか。
え~、今回の更新を書き始めた時点では、表紙に関する話も一気にやってしまおうと思っていたのですが、内容があまりに面白く、頭が混乱してきてしまったので、ちょっと間を空けることにします。すみません。

それにしても、果てしなく増えていく、人間、ファティマ、MH達。それらは、使い捨てにされることなく、時間の経過とともに複雑に絡まりあいます。3人キャラクターがいれば、それだけで十分に複雑な関係は構築できるでしょうに、これほどまでに増やされてしまっては、頭の中を全てFSSにしてしまってもまだ追いつかないくらいです。
そういう時に、このコーナーのような文章化され、一応整理されたテキストがあることは、少しは助かるのだなあと、以前の分を読み返していて思いました。少しでも人の助けになるのならば、不本意ながらに社会不適合者をやっている者としては、尽力せねばならんなあと、深く反省する所存です。

なんでも、今年の7月あたりにはファイナルファンタジーの最新作が登場するそうですが、ちょうど作者がそれにはまって、連載再開が一ヶ月は遅れそうなのが痛いです。さらに、夏のうちにはドラゴンクエストの最新作もでてしまうとか。ああ、合わせて二ヶ月は待たされるでしょうね。
FSSファンとは、つまるところ作者のドレイです。共にただ、耐えて待ちましょう。合掌。

キャラクターズ

 このHP唯一の連載企画といわれていたコーナーが半年ぶりに戻ってまいりました。
 とは言っても、我らがFSSの本誌連載が再開したというわけではありません。今月号、および先月号の月刊ニュータイプ誌上におけるFSSのページの内容が、それぞれ4ページづつという少分量でありながらあんまりにも濃いために、「こりゃ読み解いておかねば、あとあと整理がつかなくなって大変なことになるわい」と思い立ったというわけです。
 ところで、どうやら無事発売されたらしい待望の本格副読本「ナイトフラグス」(9月9日時点でまだ未入手)と、突然発表された9月末発売のコミックス第10巻。皆さんお買い逃し無きよう。
 この二ヶ月の誌上でのFSSページは、ようするにその「ナイトフラグス」の内容を少しだけ公開して購買意欲を煽ろうという企画なんだと思いますが、その「ナイトフラグス」自体が第一版が予約だけですでに売り切れ、二版は10月まで待ってね・・・とはどういうことだトイズプレス!(FSS関連本の出版元。)
 まあ、怒っていてもしょうがないので、とっとといつもの読み解きに移ります。公開順とは逆になりますが、今月号から参りましょう。
 ちなみに今回は、いつものように「ページごと」ではなく、紹介されているキャラクターとその紹介文ごとに読み解きを行います。
 あと、僕のPCの辞書ソフト変更に伴って、この更新から本文の文頭が一文字下がるようになりました。読みやすいですね。(自画自賛)

エンゲージ・オクターバーSR1

 「オリジナルジュノーン」なんて勝手な呼び名で呼んでは返って混乱を招くかもしれませんが、とにかく、FSSという作品に登場するすべてのロボットの中でももっとも人気の高いMHのひとつであるジュノーンや、他のエンゲージシリーズの元になっている、最初のエンゲージです。
 ご使用中のブラウザやモニターの性質によっても変わってしまうと思いますが、このページの背景の色の塗装をされた、ここ最近発表されたMHの中ではシンプルなデザインラインを持った騎体です。(誌上でMHに対して「騎体」という言葉が使われているので、ここでもその言葉を使います。)
 乗り手はアルル・メロディ・フォルテシモ4。魔導大戦ではハスハの旗騎として活躍してしまうのだそうです。
 連載の休止間際に、ハスハのMHが本格的な戦争に向けて重武装化していることが読み取れる記述がありましたが、それらの中に立つこの華麗な騎体はひときわ冴えることだろう、と記述されています。
 ジュノーンのシリーズはみんなそうですけど、二の腕が美しすぎます。


アルル・メロディ・フォルテシモ4

 上記のエンゲージSR1のヘッドライナーです。
 それぞれほんとに見目麗しいコーラスの暴風三王女のお一人で、パートナーは・・・誰だっけ?
 特別に新しい衣装というわけでもなく、連載に登場したときのペルシャの王女様のようなひらひらのいでたちです。
 この方、まさかコーラスの敵になると知っていてハスハに入ったわけではないんでしょうが、結果的には自分の出身国の軍勢と戦うことになります。まともな神経なら出撃拒否も辞さないんじゃないかと思うんですが、確か、彼女の行動原理は、コーラスの存在するロンド大陸の剣技の強さをを世に知らしめるコトだったはずですから、自分が勝てばそれでよし、負けたら負けたでコーラス軍の強さが証明されるんだからそれでよし、といったところでしょーか(まったく間違っているような気がしますが)。


セイレイ・コーラス王女

 コミックス三巻にもちらりと登場していたコーラスの王女様です。現コーラス国王であるコーラス4世の実の姉にあたるわけですが、見事なヤンキー家出娘に育っております。
 それにしても、なんと可愛い方でしょう。僕、彼女に完全にまいっております。降参です。
 騎乗するMHは先月に公開されているエンゲージ・オクターバーSR3です。
 魔導大戦の中では、どうやら彼女はどこかの軍勢に属するのではなく、目に付いた強そうなヤツに喧嘩を吹っかけたり、戦争の最中に突然現れてど真ん中に飛び込んで来たりするというとんでもなく無茶な役回りのようです。ああ、ヤンキーの心意気。
 ところで、何度でも言いますけど、彼女は可愛いです。衣装も大変にすばらしい。
 淡い緑色の生地が体に密着した上半身部分のデザインと、フレアスカートのように広がる下半身部分。白いロンググローブに、やっぱり白い膝までのハイヒールブーツ。腰までの短いマントを背にまとい、額に紋章のついたティアラを巻いて・・・あっ!
 このデザイン、「セーラームーン」ですがな。
 くしくも、セーラームーンの育ての親と言われる幾原監督と永野氏は最近異様に仲がよろしいわけで、なんだかそこらへんからデザイン原案を持ってきたのでは、などと考えてしまいます。
 しかし、セーラー服のイメージはすっかり払拭されているあたりが流石です。あえて挙げるなら、パレードのバトントワラーのようにも思えます。
 まあ、衣装の元デザインに予想がついたからといって、バトンならぬ細身の日本刀を手に持って、何者かを睨み付ける彼女のりりしいイラストの前に僕がへろへろになっているということには、何ら変わりはありません。


マロリー・ビュラード・ハイアラキ

 今回はじめて御三方並んで登場された暴風三王女のトリをつとめられますのは、これまた物騒な名前をお持ちのマロリー様です。初めて家系図に名前が出てきたときにはマロリー・マイスナーだった方ですね。
 この方、紹介文に目ん玉飛び出るような記述が満載です。
 まず、ボード・ビュラードの実の妹であり、名前を見ればわかるとおり剣聖「ハイアラキ」の名を継いでいて、ルース家の長女で、コーラス・マイスナー家のMH(エンゲイジMK2)とファティマ(モンスーン)を持ち出していて、魔導大戦ではアイシャと合流してアイシャの「フレーム・ハカランダ」と自分のMR2並べて大暴れするんだとか。な、なんだそりゃ。
 三王女の中では唯一の黒髪で、服装も派手な先の二人に比べてシックな忍者ルック、おまけに履いている靴も二人のようなハイヒールではありません。三人は手に持った剣もそれぞれで、アルルは光剣、セイレイ様は空色の鞘の日本刀、マロリーは朱色の鞘の二本差です。
 それにしても気になるのはこの三人の人間関係です。三人が三人ともそれぞれ異なる立場で魔導大戦に参加するみたいですし、今は「三王女」なんてセットで扱われてますけど、連載に登場したら意外とお互いに憎みあっているような剣呑な関係だったりして。


ファティマ・モンスーン

 コーラスの”デカダンスタイル”のファティマスーツに身を包んだ紫色の髪のかわいこちゃんです。
 マイスターは不明。最近わさわさと登場した新しいファティマ達と同じく、詳しいことはとにかくわかりませんが、元々はマイスナー家のファティマだったそうですから、間違い無く立派な銘があることと思います。ダイオードとか、このあたりのファティマの設定のために、過去のファティマ・マイトにもそろそろ焦点があたるのかもしれません。
 MK2の専属ファティマでもあるようです。


エンゲージ・オクターバーMK2

 ものすごくシンプルなデザインが返って力強さを感じさせる白灰色のMHです。エンゲージシリーズに限らず、今まで公開されているすべてのMHを見比べても、このMK2が一番シンプルな装甲形状をしているように思います。
 SR1と比べてみると、脚部、特にふくらはぎの形状の違いが目に付きます。建造された時点で、運用目的が違ったのかもしれません。(MHは原則として全天候・全地形対応の兵器ですけど。)
 もちろんヘッドライナーはマロリーです。

 ふぅ。やっと見開きひとつ分終わりました。ああ、東の空が白んでいます。
 今日中に完成しますように。


ファティマ・チャンダナ
ダイ・グ・フィルモア新皇帝
V・サイレン・プロミネンス

 このページの三キャラクターは騎士とファティマとMHが揃いになっているので、まとめていきます。
 登場以来、ずっとスカートファッションを続けているダイ・グ新皇帝君、以前に同誌面で線画で公開されていためちゃめちゃワイルドなファッションで登場です。
 その服の色と、チャンダナのプラスティックスタイル・スーツの色は、MHプロミネンスと同じ鮮やかなオレンジです。ドリームキャストカラーです。多分関係ないですけど。
 それにしても、クリスティンのネプチューンがカブトムシで、このプロミネンスがクワガタということなんでしょうが、なんとも勇壮な前立てをつけたMHです。
 紹介文の記述によりますと、その二騎の皇帝騎を、四騎のアルカナ・サイレンに率いられた六十騎以上のサイレンB・C・D型でガードするんだとか。さらに、元剣聖の慧茄とクラトーマ(レーダー王からもらったのかな)が、最新型MH「重帝騎ファントム」を駆って参戦するとのこと。「この布陣を崩すことなど絶対に不可能であろう。」はい、そりゃ不可能です。
 それにしても慧茄さん、少し前まで騎乗するMHが決まってなかったようでしたが、まさかフィルモアの新型に乗って現れるとは。しかも、人間なのにプラスティックスタイルの服を着て登場なさるとか。元気なおばあさんです。
 他にも、チャンダナの戦闘能力に関する記述とかいろいろ気になるところがあるんですが、見逃せないのは、ダイ・グのところにある「魔導大戦では若い騎士が一堂に会するため、接触も多く起こる。このフィルモア皇帝が前ページのヤンキー娘を食事に誘ってもおかしくはありません。」なるトコロ。むきー、セイレイ様に近づくなー!と早くも嫉妬モードに入っておりますお見苦しくてすみません。
 とにかく、魔導大戦はフィルモアがハスハに大侵攻を仕掛けるところがいきなりの見せ場なわけですから、この新皇帝の言動はストーリーの重要な要素に鳴っていくことは、間違いが無いのであります。


ファティマ・アンドロメーダ
MH・姫沁金剛

 IME98って便利ですねぇ。読みのわからない漢字をマウスで書いて検索できるなんて。「沁」の話ですけど。
 このMHの名前はきしんこんごうと読みます。ファティマはアンドロメーダ。ヘッドライナーは言わずと知れたクラーケンベール・メヨーヨ大帝です。
 別名はフランベルジュ・テンプル。テンプルと付くくらいですから設計はDr.ダイアモンドです。わ、名前に金剛って入ってる。こりゃよっぽどの自信作ですね。デザインは釣鐘と観音像だそうで、アンドロメーダのサリーのようなプラスティックスタイルとあいまって、全体的にインド風に仕上がっています。インドには釣鐘は無いでしょうけど。
 MHの装備は、左手にまんま釣鐘の形のシールド、右手には幅広のだんびらを下げております。今回紹介されているMHは、すべてこの「左手に盾、右手に剣」の装備です。きっと、ほとんどの騎体は連載に登場してもこのまんまの装備でしょう。そのヘッドライナー達は皆、実用性より見た目を重視して、なお苛烈な戦場で生き残れる騎士ばかりですから。


最近の美奈子さん

 ページの左上の方に活字と写真で構成された囲みがありまして、その中で先月号のFSSページにて彗星のように現れたファティマ美奈子・3D”氏”の近況報告が、どうやらご本人によって語られております。
 某有名ネットRPG2にはまりまくり、外見上の問題でレザーアーマーより上の鎧をまとわないソーサレスを操って、ディアブロやメフィストを瞬殺して遊んでいるそうです。
 バトルネットをやっていると「美奈子」さんにお会いすることもあるみたいで・・・やろうかな、PCも新しくしたことだし・・・。
 は。
 FSSの話題に戻ります。

ページ最後の小さな囲み&まとめ

 「ケサギ達のガスト・テンプル」
 「ユーゾッタのヴァイ・オ・ラ・エンプス」
 「錫華のハープーン・テンプル」
 「フェードラC(ツェー)」
 「ウラッツエンの兄、ダッグナートが駆るラインシャル・ヒューメトリー」
 ページの最後になって、いきなりこれだけの数の、いままで見たことの無い、ほとんど聞いたことの無いMHの名前がぽんぽん出てまいりました。そして、僕はひとつの不安に襲われたのです。
 ページを戻して確認してみると、他にも
「アイシャのフレーム・ハカランダ」

「慧茄の重帝騎ファントム」
なんて未知の名前も出てきています。
 僕にとりついた不安それは・・・「ひょっとして、それらの新しいMHは、『ナイトフラグス』にも載ってないんじゃないだろうか」というものです。
 「ナイトフラグス」が発売になったのは、予定通りならばつい数日前のこと。それを手に入れ、まるでもう、自分は魔導大戦におけるすべてを知ってしまったのだという満足感に微笑むファン達を、地獄の闇へ突き落とす、「まだあんたらに見せてないデザインはごまんとあるんだよ~」という作者のふんぞり返った笑い声が、なんだか誌面の向こうから聞こえてくるような・・・。冒頭に書いたとおり、僕はまだそれを手に入れていませんから、これらのことは憶測に過ぎません。しかしながら、もし、僕が予定通りに先にそれを手に入れており、そのデザイン郡の圧倒的なボリュームにもみくちゃにされ、自虐的な快感を味わいながら「へっへっへ、これでマジャスティックスタンドもどーんと来いじゃ~」とうすら笑っていた矢先に、そんな「未知の名前の群れ」を目撃してしまったとしたら・・・
 ど、どうなんでしょう。どなたか、もう「ナイトフラグス」を入手された方はいらっしゃいませんか?教えてください、どうか。ハープーン・テンプルはそこにいますか?フェードラCは何色のMHなんですか?

 恐れおののきつつ。
 いきなりですが、本日の更新はここまでにしとうございます。
 ここまでさんざオチにむけてのネタ振りをしてまいりましたが、体力、および時間的に限界が来てしまいました。
 「読み解け先月のFSS」は、9月10日分の更新にてお楽しみください。


 中途半端で切ってしまったので、なんだか、月に代わってお仕置きされそうです。

キャラクターズ+

 昨日から今日の間にかけて判明した重大な事実があります。なんと、「ナイトフラグス」の発売日が9月9日にずれ込んでいたのです。
 すぐさま懇意にしている模型店に入荷したかどうか問い合わせましたところ、月曜日に問屋からの便があるので、それに入っているかもしれないとのこと。
 つまり昨日、原稿を書いている時点(早朝)では、まだ日本中の誰も、ナイトフラグスを手に入れていなかったのです。焦ることありませんでした。
 模型屋さんの手違いが無い限りは、僕も明日の昼過ぎ頃には入手できますから、一日はゆっくり内容を確認するとして、明々後日以降の更新にてその内容を反映させたものが書けることと思います。

 そうそう、改めて読み返してみましたら、昨日の更新のあちこちに間違いがあることに気がつきました。とりわけ、セイレイ様の所属陣営について「とくに無いらしい」なんて書いた部分は大きな誤りで、月刊ニュータイプ9月号のFSSページの記述によれば、彼女はコーラス軍のエリート騎士団トリオに混じって魔導大戦に参加するとのことです。
 資料の読みを軽視するとこういうことになるのだという戒めになりました。今日はそんなことが無いように注意いたします。

 では、昨日の続きにまいりたいと思います。
 先月号、つまり、月刊ニュータイプ9月号の中ほどに載っていたFSS関連記事4ページ、その中で紹介されたキャラクター達の、僕の主観的な整理、読み解きです。
 AKD陣営の四キャラクターと、ハスハやらバハットマやらフィルモアやらの五キャラクター、そして分類不能な存在・約一名が紹介されています。


ファティマ・イカロス

 ついに出ました、男性型ファティマのプラスティックスタイル。
 女性型と同じく、全身くまなくエナメル系素材で覆われたデザインです。ひょっとしたら男性型には男性型の異なるデザインラインがあるのでは、とも思っていたのですが、基本的に同じモノであるようです。
 最近、MTVなどで見かけるミュージッククリップなどに、まんまプラスティックスタイルなコスチュームの人がいたりしますけど、さすがに男性にこれを着せているのは見たことがありませんでした。やっぱり永野氏は突きぬけてます。(特に、少し前にカセットテープのCMか何かで、歌手のMisiaさんがまるでコンコードのプラスティックスタイルのような衣装で歌い踊ってるものを見たときは驚きました。ボンネットまでつけてました。時代ですね。)
 男性型ファティマだと、どうしても股間が気になってしまいますが、それも意図的なデザインの一部なんだと僕は考えます。女性型ファティマのものも、股間部は少々露骨に食い込みが描かれていますし、こういう、全身をくまなく覆い尽くす未来的なイメージのデザインだからこそ、そういった根源的な要素も強調する必要がある、ということではないでしょうか。
 って、そんな目で見ちゃいけないのかもしれませんけど。


ファティマ・弁天(ヴィンティン)

 ニームとも呼ばれ、三つの名を持つファティマとして、設定だけはかなり古い資料にも載っているファティマです。
 脇の記述にも「良い出来だ!!ようやく登場。」とありますように、昔から作者のお気に入りのファティマであったようです。昔から設定があったということは、間違い無くデカダンスタイルのデザインもあるのでしょう。見たいなあ。
 褐色の肌、赤いアイシャドウ、ピンクのルージュと派手お化粧のわりに大人しげな印象を受けるのは、アーリア人系の穏やかな輪郭と優しげな表情のせいでしょうか。
 手元の資料によりますと、クリアランスはVVS1、パワーゲージはB-A-A-2A-Aで、バランシェファティマの№6。パワーゲージの読み方は、順に戦闘能力、MHコントロール能力、演算能力、耐久性、精神安定性です。戦闘能力がBである以外はすべてA以上で、特に耐久性においては2Aときわめて優秀です。
 マスターは、強天位騎士のジャコー。操るMHは、多分シルバー・シュペルター・ハイドラです。

 さて、この「マンガの話」の中のFSSに関する更新で、以前僕は 「4ファッティスについて」 というのを書いておりますが、その時に、このファティマ・ニームについてある予想をたてました。
「4ファッティスの一人『ニーヴ』とバランシェファティマの『ニーム』は、『ハルペルとインタシティ』『アウクソーとフォーカスライト』のように、同一ファティマなのではないか」
というものです。
 根拠としては、「名前が似ていること」あとは「ちょっとボケ子ちゃんファティマであること」程度しか挙げておりませんが、もしこれが当たっていれば、ボケ子ちゃん繋がりで残る最後の4ファッティス「SSL」の正体はチャンダナということになって、4ファッティスの現在の姿が全員確定することになります。
 この「ボケ子ちゃん繋がり」というのは、つまり、「寿命が来つつあるファティマ」ということです。同世代のインタシティはすでに寿命で亡くなっているわけで、ひょっとしたらこの二人も老衰寸前のファティマなのではないかと。フォーカスライトは、アウクソーは複数の情報体を持っている、という話が以前にちゃんとありましたから、そのおかげで二倍長生きできたりするのでまだ寿命ではない、みたいな設定になっているのではないでしょうか。
 それにしても、この予想が当たってしまうとすれば、ニームとチャンダナに関しては魔導大戦中にインタシティのような悲しい話が描かれることになりそうで、少々切ない気分です。


セイント・グリース

 出ました、グリーン・ネイパー、聖院サマ。連載休止の最後の回にいきなり登場されて、僕らを混乱のどん底に叩き込んでくださった、その地位、セリフ、お供から背景にいたるまで、謎だらけのお方です。
 僕は、FSSというのはつまるところ「人類が神を産む物語」であると考えているのですが、その「神」にもっとも近いところまで近づいたお方の一人がこの方なのではないでしょうか。
 太陽星団内では無いと思われる謎の場所「走馬灯と蜃気楼の空間・ファンタズマゴリア」から250年ぶりに帰還中ということで、きっと彼には、星団の外での重要なお仕事があるのでしょう。遥か昔の時代にスタント遊星に向かい肉体を捨てた「炎の女皇帝」や、モナークセイクレッドのかなたへ旅立ったといわれる「オプチカル・タイフォーン」のような存在なのでしょう。もちろん、彼と彼女らが何を目的に、どこで、何をしているのかは僕には全然わかりませんが、ただ一つ言えることは、このFSSの物語の中でその彼らよりもっとすごいことを、アマテラスはのちにやり遂げるのだろうということです。
 彼らはかなりの超越的存在ではあるようですが、まだ「人」ではあるようです。しかし、アマテラスは「全次元全能神」になる存在なのですから(いや、もちろんすでに神なんですけど)。
 あ、そういえば、どうしてアマテラスって産まれつき「神」なんでしょう?さしもの聖院サマもアマテラスの正体についてだけは首をかしげていらっしゃいましたっけ。アマテラスの出生の秘密、それはつまり過去のAKDの王家の秘密であるはずです。ということは、古くから王家を知る存在であるはずの聖院サマが、これから何かそういった話を展開してくれるかもしれません。
 ただ、魔導大戦においては、どうやら国家間の思惑といったような常識的な理由で無い部分で思いっきり武力介入をしてしまう役ドコロの模様・・・。エンゲージ・オクターバーSR1のアルル様と戦うことになるようです。


レッド・ミラージュ

 記述部分にいきなり「このロボットは星団最強のMHなどではない。」と宣言されています。
 以下、まんま引用します。

 「史上最強のロボットである。もはやモーターヘッドとは呼ばれず、モーターメシア、モーターカイザーと呼ばれるにふさわしい。破壊と殺戮の本能しか持ち合わせず、騎士とファティマが搭乗することによって何とかその本能を抑えられているにすぎない。唯一、黄金のMHのみに服従する。
  この最強のロボットはバングもシュペルターも、ヤクトミラージュさえも数秒で破壊する。事実、物語が終焉する7777年まで、このレッド・ミラージュを倒せたMHは一騎たりとて存在しない。」

 ついに行われた最強宣言。ガンダムよりも、ジャイアントロボよりも、マジンガーZよりも、マッハバロンよりも、ゴジュラスよりも、ユニクロンよりも、マクロスよりも、ガオガイガーよりも、ガンバスターよりも、イデオンよりも、ゴーグよりも、隠大将軍よりも、テムジンよりも、ロボット刑事よりも、ついでにドラえもんよりも、レッドミラージュは強いんです。
 はい、納得です。それを納得させるだけのたたずまいが、このイラストにはあります。
 ところで、このレッド・ミラージュ、もちろん形式番号の類はついてないんですけど、ただファティマルームに「オレンジの三つ巴」が。
 まさかヤーン・バッシュ王女ご自身ではないでしょうから、乗っているファティマはエストです。ううむ、いったい何時、誰が駆る騎体なのでしょう。ログナーか、アマテラスか・・・。

 と、ここまで来たところで、ふと時計を見るとすでに9月10日もあと30分を切っております。
 すみません、二日連続の時間切れです。
 最後の見開き1ページ分はまた明日、9月11日の更新にて行うことにいたします。


 9月号のFSSページを最後まで見た方だけがご存知のあの「恐怖」が、もう間近に迫っております。

意味深

朝、ニュータイプ誌を買いに行き、帰ってきて読んだらすぐ書くこのコーナー。今月も張りきってまいりましょ~。

表紙

どうやら、フィルモア王家のサイレン指揮用MH「プロミネンス」の、読者への初お披露目のようですね。
左手のシールドについているウオータークラウンの紋章に、腰部前面についているプロミネンスの紋章、そしてなにより手前に大きく描かれているファティマはチャンダナでしょうから、間違いありません。
MHの肩やファティマの頭部についているオレンジ色のぐるぐるマークも、どうやら意味のある紋章のようです。残念ながらDCのマークでは無いようです。
カブトムシのようにせり出した頭部の形状が印象的なMHです。よく見ると、肩の関節部分の構造がこれまでのMHと違っているような気もします。この機体が活躍するのは、連載再開後でしょうね。


最初の見開き

先月号のラストシーンを、城の外からスペクターとポーターが見上げているカットと、その修復が始まっているカットが連続して描かれ、時間の経過が表現されています。ブッラックスリーの災悪はAKDから去りました。
くつろぐアマテラスに対してバハットマに報復戦争を仕掛けるべきと激昂しながら進言するサリオンに、アマテラスは報復戦争の愚を説いて冷たく突き放します。
アマテラスの冷たくも正しい論理に、サリオン少年は何も言い返すことができません。


二つ目の見開き

アマテラスが、ボスヤスフォートに関わることすなわち災悪そのものであるということを静かに説明します。(それはちょうど、インターネット上の会議室荒らしのような性質のものであります)
そして自らの言葉を「老巧なこと」として話しを切り上げ、アマテラスは控えの者に声をかけます。
「ちょうどいい頃だ用意を!」
サリオンの元服です。
それまでサリオンの母親代わりを勤めていたマージャが、細く美しい実剣をささげ持ち、プラスティックスタイルに身を包んで登場します。それまで死亡扱いになっていたサリオンは戸籍を戻され、サリオン自身が両親を殺してしまったために取り潰されていたシナーテ家に代ってエミーテ家が興され、この日からサリオンは天照家第一親王斑鳩王子としてミラージュ騎士団およびAKD全軍総司令に任命されました。
後に星団中にその名を轟かす”LED”、斑鳩王子の誕生です。
そしてアマテラスはつぶやきます。ボスヤスフォートに引導を渡すのは我々ではないのかもしれないよ、と。


三つ目の見開き

今回のシリーズ「ザ・シバレース」のエンディングエピソードのタイトルが明かされます。
「L.L.L.」
FSSのイメージCDの中に永野氏自身の作曲によるほぼ同名の曲がありますが、それとの関係は分かりません。Lとは、最強(LED)のLのことなのか、ラキシスの頭文字のLなのか、はたまたサイズのLなのか。木陰でまどろむアマテラスのところに、ファティマスーツを着たラキシスがやってきます。


四つ目の見開き

見開きに跨って、二本の線とその内側にラキシスとアマテラスによる会話が書かれた12のフキダシがあるだけの、ちょっと驚いてしまうページです。
その内容は、アマテラスが自分の内側にいるソープ、ソープダッシュ、リンス、東の君のそれぞれの人格が、自分がアマテラスでいるときも処理されないでいるという、アマテラスが自分の内側を告白するというものです。
優しい口調で、バランシェが死んだ時に自分の内側で起こった複雑な分裂を、恋人のラキシスのあいの手を受けながら語ってゆきます。それは、神というにはほどとおい、まるで僕らが時々物思うような、自分との対話の話でした。聞いてくれる優しい人が居るからこそ語れる、自分への呼びかけのような独白です。

五つ目の見開き

語りは続きます。
死んでいった者達の思いが大地や空へと拡散していき、やがて宇宙へと溶け込んでいくのを、人の数倍の年月を生きてきた自分は今まで見つめ続けてきたし、これからも人が先にゆくのを見ていくのかもしれないと、アマテラスはつぶやきます。
ジョーカーの人々の寿命は約300年。しかしアマテラスはこの3010年の時点でゆうに1000年を越える年齢を数えています。どれほどの超越者になろうとも、悲しみや苦しみの感情に慣れてしまうなんてことはないという、FSSで繰り返し語られるテーマです。
ページの下段には、11の人物がシルエットで描かれています。何人かは、それが誰なのか大体見当がつきます。
右から、不明、メイザー・ブローズ(不確定)、ヨーン・バインツェル(不確定)、ジャコー・クォン・ハッシュ、鈴華御前、不明(ファティマとおもわれるが)、プリンセス・タイトネイヴ、斑鳩王子、パナール・エックス、胎児のログナー、そして剣聖蒔子。
これから活躍し、そしてアマテラスより先に死んでいく人々です。

六つ目の見開き

フェザードラゴンが死に、その新たな幼生が生まれていないことが、ぽつりとアマテラスの口から語られます。それに気がついたのは、どうやらアマテラスとマグダルだけのようです。アマテラスは、マグダルに会いに行くと告げてラキシスの膝枕を借りて眠り込むように意識を失います。おそらく別体のリンスか誰かを飛ばしたのでしょう。
残されたラキシスは、期待していた恋人としての語らいもなく行ってしまったアマテラスにあっけにとられ、終いには怒り出して残された体をぽこぽこ叩いたりと、かわいいことこの上ないです。
その時のラキシスの最後のセリフです。
「いったい・・・いつになったら
私を傷物にしてくださるのでしょうか?
この方は・・・」
なんだかナマナマしさも漂うような、少女の本音の告白のようですが、これには少し深い意味があるような気がします。ラキシス自身は、いとしい人と結ばれたいという素直な気持ちから発言しているのでしょうが、ラキシスとアマテラスが結ばれる時というのは、すなわちカレンの誕生の時。それはFSSのエンドエピソードです。
このところ、ラキシスはよく置き去りにされます。星団中があわただしく、アマテラスはデルタ・ベレン星大統領という表の顔もそれ以外の裏の顔も大忙しですから、あっちこっちに飛び回っています。コミックス三巻でも、忙しいソープとかまってもらえないラキシスというエピソードがありました。発表されている年表を見る限りでは、これから先も、かなり長い間ラキシスは置いてけぼりを食らうのではないでしょうか。
その立場が逆転し、いなくなったラキシスをアマテラスが追いかける話、それこそが年表に記されている第三部にあたる話になるわけで、その、おそらく20年も30年も先に描かれる予定の話の前振りや複線張りが、今こうやって行われているのでしょう。
そして舞台はマグダルのいるハスハの地へ移ります。

七つ目の見開き

コミックス九巻のラスト以来のご登場のマイケル・ジョーイ・ギラと共に、腕の立ちそうな女性騎士ヘアード・グローバに、ぶかぶかの正装が可愛らしい少年騎士アード・ゼニヤソタと、ハイヒールを履きなれず歩き辛らそうな少女騎士ヒン・モンダッタの登場です。この二人のお子様騎士は、それでもモラード・カーバイト博士の最新作「カプリコーン」と「エベレスト」のマスターだそうですから、かなりの騎士の素養があることは間違いありません。
ギラは、この二人のお子様騎士を年齢の近いデプレのお付きにしようとして、デプレを探しています。デプレとマグダルは、どうやらあのクリスティ隊の隊長バルンガのところに入り浸っているようです。”掃除屋”クリスティ隊のハスハ内での評判の悪さと、マグダルとデプレが信頼を置くくらいなら評判通りの人物ではなさそうだという、ギラとヘアードの会話が描かれます。
そして、バランシェ伯が入城したというニュースもヘアードによって語られます。バランシェの名を継いだ、ミース・シルバー、後の剣聖蒔子の母親です。
場面が変わって、どうやらMHの整備場近くと思われる広場です。登場したのはマギー・コーター。名作MHクルマルス・シリーズの製作者ゼビア・コーターの子孫に当たる人物です。そして、マイトとしてのソープの師匠にもあたる人物です。そこには、自分の養女であるミースに出会うことを恐れて逃げてきたハスハの総騎士団長である剣聖カイエンの姿も見えます。
マギーは、どうやら鍛冶として名高い鈴華御前に、MH用の武器を大量に発注していたようです。斧、根、矛、どれも重さを生かした打撃系の破壊武器です。多少の刃こぼれなど気にしなくてすむ実用性重視の武器を大量に発注したとなれば、やはり実戦、それも組織立った大規模な戦闘、つまり戦争が近いということでしょう。ミースが城に呼ばれたのも、おそらくは兵器であるファティマ達のメンテナンスのため。スパリチューダやアウクソー等、バランシェファティマすら数人を擁する大国家ですから、ミースほどのマイトも必要になるわけですね。
おそらくこれからミースとカイエンは再会し、そして蒔子が生まれるきっかけになる出来事が起こるのでしょうが、それは来月までのお預けになってしまいました。

まとめ

このままいくと、次号ではマグダル、デプレ、ミース、リンス(ソープかも)などなど、重要人物目白押しのサービスカットが満載になりそうです。
果たして次号でシメなのか、もう一月続くのかわかりませんが、今シリーズの幕引きもそうとう派手なものになりそうです。
ではまた来月。

いっぱい死ぬ

サア、今月もやってまいりました、こどものくに現在唯一の定例企画、「読み解け今月のFSS」の時間です。
そんなにわかり辛くもなかったみたいなので、先回と同じく見開き単位で読み解いていく事にします。このコーナーを読んでいるのはほんの三四人だという噂もありますが、気にしないでゴー!

表紙

先月までの本編解説コーナー状態からうってかわって、今月はひさびさの作者の趣味のコーナーです。
永野護のすべてのデザインの根底にあるというドイツ戦車、そのプラモデルのお話。ロシアの戦車キットメーカーの話からはじまって、簡単な戦車キット史みたいなものが語られつつ、情熱がぶちまけられたコラムになっております。戦車のキットって、作るの大変なんだろうな・・・。
今年からの「ニュータイプ全ページカラー化」の恩恵を唯一受けていないと言われるFSSですが、表紙だけでもこうやってちょっと色が着いているのはお洒落で嬉しいですね。


最初の見開き

ヌーソード・グラファイト(以下ヌー)のつぶやき「こいつ・・・姫様のお披露目にいた・・・?」。さすがのゴーズとAKDの剣指南役を務めるヌーでも、1巻に登場した時のデコースとのあまりの変わりぶりに驚いている様子。あの時は、あんまり強そうに見えませんでしたからねえ。その向こうでは、ウラッツエンがリイの遺体に気が付いて、ちょっと大きなコマで回想シーン。どうやら、彼は特別リイと仲が良かった様です。一緒にいる赤ちゃんはリイの子供、おそらくパナール・エックスでしょう。間違っても、ウラッツエンの子供ではなさそうです。
カッと来たウラッツエン、ヌーの制止も聞かずに残像攻撃(ディレイアタック)でデコースに飛び掛かりますが、剣が流され、そして突然ウラッツエンの腹から出血!ヌーはウラッツエンに動くなと叫びます。腹の傷はデコースのストラトブレードによるもの。どうやら、ストラトブレードとは、デコースが人差し指一本で放つ極小の真空斬りのことだったようです。変則の二刀流で戦いながら、さらに同時でもう一本真空の剣を使えるとは、デコースやはりおそるべし。それを一瞬で見抜いたヌーもまたおそるべし。
そして、それを見切った上で、ヌーが仕掛けます。神速の踏み込みからまっすぐな打ち込みです。これもディレイアタックで、デコースはさすがに二刀を使って防ぎますが、肩まで衝撃は抜け、サングラスも吹っ飛びます。ところが次のコマ、デコースは剣を受けたまま回り込み、ヌーの膝を踏み折り、一瞬でとどめをさしてしまいました。腹の傷をさらしで応急処置したウラッツエンが驚いたところで次のページへ。


二つ目の見開き

ウラッツエン曰く、デコースの剣技には”型”がなく、それでいて相手の剣を受け流したり変幻自在に動けたりするのは、デコースの剣がとてつもなく重いからだとか。強いキャラが、何故強いのかちゃんと理由が存在しているあたりが、このマンガの素晴らしいところです。超一流の騎士であるウラッツエンが驚くくらいですから、デコースの剣はまさに常識はずれなんでしょう。それを操れるデコースの膂力もおして知るべし。(永野護の実家には、何本も日本刀があったそうで、その”重さ”を幼い頃から体で知っているからこそ、こういう設定が作れるのでしょう。古今東西を問わず、剣という武器の破壊力はだいたいその重さに起因するみたいですからね(スターウオーズは別)。剣の類の武器が出て来るマンガは数あれど、そこまで解って描いてる作者はそんなにいないのではないでしょうか。「ベルセルク」の表現は秀逸だと思いますが。)
サリオン王子からウラッツエンに、テレパシーで指令が下ります。デコースに対抗できそうな腕を持った騎士であるブラフォードとアイシャはカステポーに行っていて留守だから、勝てないのは解ってるけど、なんとかそこでしのいでくれとのこと。しかしまともに動けるミラージュは自分一人、しかも大量出血中ということで冷や汗が走ったところに、救世主登場!スパークです。しかし、ぶっとびもんです。重量30Kgの「ブリ」を持って、エプロン姿に、ごていねいに包丁まで持って現れます。数ヶ月前から「凄い騎士だ」と言われ続けていたスパークですが、よもやこんな姿で登場するとは・・・また作者にやられました。スパークの後ろに控えているのは、先月号でやられてしまったステートバルロ・カイダ(以下カイダ)のファティマ、カレちゃんです。手にした買い物篭には、大根、ねぎ、にんじん。ということは、スパークはぶり大根を作るつもりなんでしょう。この時期、一番美味しい料理の一つですね。
スパークはどうやら、毎週水曜日にはお料理教室を開いているようです。今日の犠牲者はたまたまカレだったんでしょうね。このコマのカレの驚きの表情は、自分のマスターが倒れているのを目の当たりにしているからでしょう。初登場にしてあっさりやられてしまったカイダですが、設定によると彼の真価はMHのコントロールの凄さにあるらしいので、大目に見てあげましょう。どうやらカイダは重傷を負ったものの生きているみたいですし、パートナーも無事なわけですから、近いうちにMH戦で汚名返上してくれるかもしれません。
左のページに入りまして、デコースとスパークの罵り合いがはじまります。どうやらこの二人は旧知の仲のようです。大変下品な発言をしながら、エプロンと、何故か上下の服まで脱いで下着姿になってしまうスパーク。しかし、表情を崩してすんごい顔をしているので全然色気はありません。「エストがほしい!」とデコースにおねだりするも断られ、「じゃ今晩のオカズは・・・」と包丁を持ち直して、ハートマーク付きで「君だーっ」と言った瞬間のスパーク、いきなり美人になってます。やはり慧茄の血筋、顔の造詣も素晴らしい。ちなみにこの時手にしている大きな包丁には「錫」の銘が付いています。のちに判明しますが、これは鈴華御前のうった包丁なんだそうで、なるほど、これならデコースの剣とも戦えるのでしょう。スパークは「刃物を持たせりゃ世界一」(4月号参照)なんだそうですから、こういう露骨な”刃物”の方が使い易いのかもしれません。
カレに指示を出しつつ、さっと分身をかましてデコースに襲いかかります!


三つ目の見開き

デコース、真剣な表情で小粒の汗を浮かべながら構えます。デコースの「慧茄のできそこない!!」という叫びに答えるがごとく、スパークは十二体分身からのリングスライサー同時攻撃二十四本!デコースの動きが止ります。まさに先代の剣聖慧茄の必殺技、ダブルヘキサグラムです。そして、慧茄と同じく、それをおとりにして後ろからスパークの攻撃がデコースに。一瞬の反応の応酬があり、お互いに傷を負って二人は離れます。しかし、重傷なのは明らかにデコース。先月あれほど強かったデコースに、互角以上の立ち回りです。デコースの「もーやだこの女ボクちゃん帰る!!」発言が出たところで、次の見開きへ。


四つ目の見開き

舞台は玉座回廊へ。ここを守るのは、まだ自体を把握しきれていないハインド・キル(以下ハインド)と、レフトナンバーのミューリー・キンキー王女(以下キンキー)&メル・ズーム(以下ズーム)です。先のとがった帽子がなんだか可愛いキンキーと、サワギが大好きで浮かれているズーム、そしてハインドの前に、FSSでは非常ォ~に珍しい、肉感的な美女が現れます。彼女はバハットマ魔法帝国のビューティー・ペール(以下ペール)でした。・・・エストじゃありませんでした。また予想外した~!ペールってもっと小物だと思ってたんだもん!しかしとんでもない大物だった事がじきに判明します。
過去、ラキシスにも噛み付いた事のあるズームが、何故かペール相手には恐れおののいていることも気にかかりつつ、ハインドの切り込みが横なぎにペールを一閃。しかしその瞬間大爆発!が起こって爆風をもろに受けたハインドは一発でぼろ屑のようになってしまいました。すぐに次の見開きです。


五つ目の見開き

壁際にこともなげに立っているペールを見たキンキー、とっさに謎の技(すぐに「十文字霞切り」と判明します。わお、某忍者マンガの技みたい)をかけて今度こそペールを倒した、と思ったらまたもや大爆発!その瞬間、キンキーの前に立ち、盾になって再び爆風を浴びたハインド!身を呈して乙女をかばう、まさに騎士の鑑と言えましょう。
コスチュームが吹き飛ばされたお陰で、やっとキンキーの姿を見る事が出来ました。アーリア系の美少女です。ハインドが身を呈してかばい、王家の王子であるサリオンを「サリオン様」と名指しで呼べるところから見て、やはり彼女はアマテラス王家に連なるものなんでしょう。手元の資料には以前から「王女」ってはっきり書いてあったんですけど、具体的にどうなのかっていうのは今までよく分からなかったんですよね。あ、まだ何もはっきりしたわけじゃないですね。
一方ズームは大変な事になっております。離れていたせいか、爆風は浴びなかったようですが、なんとペールに向かって「お母ちゃんやめてェ!!」ペールによって今までかけていた「成長を止める魔法」を解除され、あっさりズームはジャコーやヨーンやクリスティンと同年代の少女になってしまいました。今シリーズで大活躍中のこの百歳前後(地球の感覚ではだいたいハタチくらい)の年代のキャラクターが、また一人増えました。おなじダイバーということで、桜子あたりとのカラミがこれからあるかもしれませんね。


六つ目の見開き

さて、いよいよ玉座です。サリオン、ベクター・オービット(以下オービット)、ブローズの三人が到着すると、そこにはすでにつるりぬるりとした謎の影がいます。サリオンとて、後にヤクトミラージュ一機で星を一つ占領してしまう(らしい)ほどの騎士ですから、まだ子供である現時点でも並の騎士では無いはずですが、正体の分からぬ相手にはやはり警戒をします。相手の出方を見るために、オービットとブローズは捨て身の覚悟で前に出ます。オービットは高名な剣豪、ブローズは、どうやらミラージュナンバー3のランドアンドスパコーン(以下ランド)と同様に体を機械化した騎士のようです。
謎の影は自分の正体を明かします。やはりボスヤスフォート(以下ボスやん)でした。その襟元には、アトールの紋章が付いています。たしかこの男は超帝国の遺児であるという話ですから、この紋章を付ける資格があると言えるのかもしれません。しかし、最近出て来るキャラクター、みんなこの紋章付けてる気がするなあ。ブローズの体をあっさりボスやんの影のような防護膜が鋭く貫いて、最後の見開きへ。


最後の見開き

即座にブローズをサポートし、救出するオービット。しかし、そこに襲い掛かった魔法波が、無情にオービットの体を粉砕します。そしてボスやんの防護膜がサリオンの方に伸びてきたところを、まるではじめからそこにいたかのようなポーズで、目にも止らぬ早さで登場したランドが救います。飛び上がって避けようとしたサリオンの額にも、汗が浮かんでいます。・・・半ズボンのサリオン君かわいいなあ。おっと、失礼しました。このコ、すごい美形なんですもん。
さてここから、一巻以来久々に戦闘シーンに登場のランドが、ミラージュ・ナンバー3の腕をみせてくれそうです。ボスやんの、まるで自分が超帝国の星帝であるかのような発言もやたら気になるところでありますが、といったところで次号に続きます。


まとめ

先月号に引き続き、戦闘シーンがメインのサービス満点の回でした。それにしても、ミラージュ騎士団があまりにも弱く見えてしまって、不憫でなりません。来月号で巻き返しなるんでしょうか?ミラージュ騎士の強さの代名詞と言うべきログナー、アイシャの不在に加え、実力者ブラフォードも居ないといっても、レフトナンバーもスパークを除いてほぼ総崩れとは・・・。しかし、彼らはこの後、「モナークセイクレッド」において十分過ぎるほど恐ろしい騎士団の実力を見せ付けてくれるはずですから、たとえここでイメージが悪くなったところで、あまり関係無いのかもしれませんね。まあとりあえずは、カッコよく登場したランドと、いまだ無傷のサリオンの来月での活躍を期待しましょう。
MH戦はないのかも。デコースは「帰る」発言をしてしまいましたから、重装甲版のバッシュのお披露目はまだ先になってしまうのかもしれません。となると、ひょっとしてミューズのSSIクバルカンとの対決まで出番無しかも。この黒騎士と白騎士の対決は、連載再開後の目玉のひとつでしょうね、きっと。
さあ、来月号、この混乱にどう決着がつくのでしょう?やはりポイントはそろそろ登場するはずの、アマテラスの「エイリアス」なんでしょうか?

絶叫

週末にかかるため、発売日がいつもより早かった今月号。もしや、と思って本屋に行ってみたのは正解でした。そして、平日の誰も家にいない日中にFSSが読めてラッキーでした。今月号を読みながら、てなしもは何度も恥ずかしいほど大きな悲鳴をあげるはめに陥ったのですから。

表紙

永野護が代表を務める会社、トイズプレスが扱う新商品「グレイトフルデッドのビーンベア」その他もろもろの広告的写真記事です。
海洋堂のファティマフィギュアやFSSマウスパッド、マグダルとデプレのフィギュアの紹介もあります。えらくポップでサイケな表紙であり、その次ページからの激しい展開をまったく想像させないものでした。


最初の見開き

ギニャ。
一目見て唖然。読めない文字が沢山目に飛び込んできます。場合によってはこれをすべて訳さねばならないかも、と想像しててなしもの意識が少し飛びましたが、何者かの呼ぶ声(後に正体判明)で我を取り戻し、まずは右端のコマから読みはじめます。
侵入者ボスヤスフォート(以下ボスやん)の一人語りは、一般的なダイバーの力が古のものよりもはるかに衰えてしまったことを説明します。次のコマ、話を聞かないグリース・サリオン王子(以下サリオン)は、ボスやんの攻撃が自分には見えず、ランドアンドスパコーン(以下ランド)には見える理由を、自分が持っているダイバーパワーのせいであると気が付き、自分がこの場では足手まといでしかないことを認識しています。最強のダイバーであるボスやんには、まわりにいるすべてのダイバーの心が読めてしまうのでしょう。まだ少年なれど騎士としての力は星団屈指であるはずのサリオンが、先月号でやすやすとボスやんに手玉に取られていたわけが、こうして説明されました。FSS作品内の戦闘において、「敵の先が読める」ことが何よりも強いということが、このシーンでも証明されているわけです。(例1:コミックス9巻登場の、スパリチューダが得意とした演算戦。例2:最強騎士の一人デコースの出足を、ファティマであるにも関わらず止めてみせたバ-シャ。)
これは、永野護氏が筐体を買うほどはまってしまったゲームセンターの対戦格闘ゲームの影響も考えられます。どんなに強力な技が使えるキャラクターで戦っていても、こちらの攻撃パターンを読まれてしまっては相手に勝てないということを、対戦格闘ゲームは体に教えてくれます。
さて、やっと3コマ目。いきなり部屋の扉を吹き飛ばして何者かが登場します。横文字で書かれた彼の発言は、おそらくドイツ語です。読めません。しかし、所々日本語が混ざっているのでそれを拾い上げてみると、「豆大福」「大福」「アズキ」「アンコ!!」・・・・・・???
それを見たサリオン、慌てて城内に緊急脱出命令を飛ばします。曰く、「デザートが食えずブチ切れた奴が来よった!!」次のコマの命令を受けている女性は、スパークかとも思ったのですが、ひょっとしたら以前にも名前の出てきたことのある「ホワイトリンクス」ご本人かもしれません。どうやら彼女が城内の連絡網を仕切っているようです。テレパシー能力に特化したダイバー、といったところでしょうか。同じコマの向こうの方に変な生き物がいますが、これは先月急成長したズームのように思えます。
左のページに入りまして怒り狂うドイツ語の主の姿がはっきりと姿を現します。バビロン国王にしてミラージュ騎士団司令、F・U・ログナー(以下ログナー)その人です。周りの人間の反応から判断して、どうやらログナーのドイツ語の内容は、食後のデザートに豆大福を食べようとしていたところに騒ぎが起こって、それが食べられなかったのでオレは頭に来ているゾ、といったところのようです。ジャーマンメタルでも聞きながら食事をとっていたのでしょうか。とりあえず翻訳をしなくてもストーリー理解に影響は無さそうですが、でもきっと、何か面白いことを言っているに違いありません。どなたか、ドイツ語に堪能な方がいらっしゃいましたら、部分的にでも訳しててなしもに教えてくださいまし。
「サリオン!Hau ab!!」とログナーが叫んで、ボスやんVSログナー戦闘開始です。多分、「どいてろサリオン!」くらいの意味なんでしょう。


二つ目の見開き

ボスやんが手下の変な生き物を呼びます。曰く、「バビロン王!私は君とマトモに戦うほどおろかではない」。今まで強敵と戦うことがほとんど無く、実力が不明だったログナーですが、最強のダイバーであるボスやんが戦いを避けたがるほどの騎士であるということがついに作中で判明しました。ついでに、ボスやんが失われたダイバーパワー、生命の様々なしくみを操る能力である「ルシェミ」の持ち主であることも判明します。あ、忘れてはいけません、フロートテンプルで何かあるとしゃしゃり出てくるアマテラスかあちゃん(以下ミコト)もひょっこり出てきました。
ログナー&ミコトVS変な生き物、ボスやん&ランドVSサリオン、と戦いの組み合わせが変わったところで次の見開きへ。


三つ目の見開き

ボスやんからいきなり放たれた衝撃波を避けられないサリオンを、ランドが体を張って守ります。それにしても、サリオンはかわゆいです。成長すると超絶美形の斑鳩王子になるわけですが、現時点でも、まんま美少女で通る顔立ちです。
ボスやんの正面に出現した光の玉。ついに登場したメル・リンス・ウザーレ・ターマ(以下リンス)です。外見はクローソーですが、その正体はアマテラスの別体です。それを見て憤るボスやん。アマテラスが本当の力(神の力?)を出せば自分なんて一瞬で消し飛ぶというのに、わざわざ別体なんぞを出してくるというアマテラスの余裕が、苛立たしいようです。そうではなく、ここに来たのはリンスの意志であり、すべてがアマテラスの余裕である、というような考えは間違っているとリンスは訴えますが、ボスやんは話を聞かず、相手をアマテラスそのものとして憤りを吐き出し続けます。この作品の大きなテーマの一つであるはずの、神にあがらう人間の苦悩の姿がそこにあるように思えます。実はアマテラスは悪であるという視点を持つことで、この作品はより深い解釈を可能にするのでしょう。それにしても、人の話を聞かない奴が多いなあ。
リンス=アマテラスが来たことで発憤したランドが攻勢に出ます。先月号で体を貫かれ吹き飛んだブローズも、まだ息があったようでランドの呼びかけに応じて動きます。


四つ目の見開き

この最初のコマを見たとたん、僕は全身の血が頭に上ってくるのを感じました。床に突っ伏して、カーペットをかきむしりました。しかしそれでもこらえきれず、僕は大声を上げて、飛び上がりました。ちくしょう!と、思い切り声を張り上げました。何たる不覚、何たる狡猾、何たる作者のアイデア力。
そこに描かれているのは、大きく張り出した両肩の装甲から無数のファンネルを打ち出す、人間サイズの戦闘兵器でした。尖ったくちばし、円筒形のアームガード、ローブのすそから見えるMHとは異なるデザインラインの脚部パーツ、そして腕に刻まれた「Q」の文字。まさかブローズが「キュベレイ」であったとは。
しばらく、のけぞるようにしながら、自分の太股を何度もたたき、奇声を上げる自分を、どうしても押さえることが出来ませんでした。
「機動戦士Zガンダム」がTVで放映されたのは、僕が小学校三年生の頃でした。キュベレイは、「Z」「ZZ」二作続けて登場した敵役、ハマーンカーンの搭乗した名MSです。そして「ZZ」の時には、ほぼ同デザインの「キュベレイMk2」が別口で登場し、僕はそれに乗っていた無邪気なクローン少女への募る思いが募りすぎ、いまだに自分の自転車にそのまま「キュベレイMk2」と名前をつけているという始末なのです。そんなキュベレイ。もう十五年も前から、自分の自転車をそれに見立てて、毎日のように親しんできたそのデザインが、まさかそのデザインの生みの親である永野護氏のマンガFSSに再び登場しようとは。先ほど、ログナーのドイツ語を見て飛びかけたてなしもの意識を、呼び戻してくれたのは、きっとこの「キュベレイ・デザイン」だったのにまちがいありません。こんなにいとおしいのですから。
ブローズがFSSに初登場したのは、コミックスだと6巻です。この頃すでにニュータイプ誌を毎月買っていましたから、おそらく最初に目にしたのはコミックス発刊一年前の93年のこと。およそ、7年前です。なんということでしょう、僕は7年もまえから、いとおしいそのデザインを目にしておりながら、それに気が付いていなかったのです。確かに、その頃のブローズの姿は今回登場したものとはずいぶんと異なっていて、かろうじて金属製の尖った指のデザインがキュベレイっぽく無いことも無い、といったところなのですが、それでもキュベレイはキュベレイです。その上、先月号を見返してみたところ、ブローズはその特徴的な腕部を大きく振りまわして「Q」の文字を何度も見せつけ、肩部や脚部もはっきりと公開しています。遅くとも、先月号の段階では、識別は可能だったのです。なあんとなく、「Q」の文字が気になったり、前腕部の装甲の形を見たことがあるような気はしていたのですが、まさかMSが人間サイズで登場し、体を貫かれて「ぐわっ!!」なんて叫ぶとは思いませんから、まったく気が付くことは出来ませんでした。ここ数年無かったほどの、完敗です。参りました。永野さん、一生ついていきます。
さて、そんなブローズですが、活躍はそこだけ。無数のファンネルを飛ばしてボスやんを撹乱しますが、おいしいところはランドに持っていかれます。機械の体であることを生かしてボスやんの火炎を無効化したランドは、その一瞬の隙に切り込んで、ボスやんの右腕を切り落とします。落ちた腕には、六亡星とヘビの入れ墨がありますが、何かの紋章なのでしょうか。ボロボロになったランドを気遣うリンスと、えらく余裕な感じのログナーをせかすミコトを見ながら、次の見開きへ。


五つ目の見開き

ログナーに襲い掛かる、ボスやんの変な生き物の怪光線を、霊体であるミコトが体を張って守ります。ドリフのコントのようにボロボロになって、肌も露に艶姿を見せてくださるミコトさまですが、さすが霊体、一瞬で衣服が戻ります。自分を守ってくれたミコトに対してまたもやドイツ語で何事かささやきかえすログナー。多分、「次の一発で終わらせます」みたいなことを言っているんだと思うのですが。
強く右足を横に踏み出し、体全体をひねって力をため出すログナー。その踏み込みだけで、床に亀裂が走ります。八極拳という中国拳法に存在するという「震脚」を思い起こさせる、すさまじい踏み込みです。リンスがその場に居る全員に注意を促します。星団最強剣技「マキシマムバスタータイフォーン(M・B・T)」をログナーが放とうとしているのです。M・B・Tは星団史上最強騎士といわれるマキシだけが使える技なのかと思っていましたが、やっぱりログナーも使えるみたいです。ログナーが、今回唯一の、ドイツ語でない言葉を叫びます。「Rock’n Roll!!」


六つ目の見開き

全身のひねりから生まれた強力な衝撃波が、ボスやんの変な生き物を襲い、破壊します。勢いあまって、お城の外壁も崩壊し、あたりは崩れはじめます。事前に城からの退去命令を出していたサリオンは、こうなることを予期していたのでしょう。
敗北を認めたボスやんが、以前にヤクトミラージュに乗ったシャフトを殺した時のように、去り際にサリオンの命を奪おうとします。サリオンは自由を奪われ何も出来ません。危うし、といったところで最後の見開きへ。


最後の見開き

サリオンに向かって放たれた「絶対零度」を阻止すべく、リンスが放った衝撃波ですが、一瞬間に合わず、絶対零度はサリオンに命中します。リンスの衝撃波もボスやんに命中しますが、サリオンこれまでか、と思ったところに、身を挺してサリオンをかばったログナーの姿が浮かび上がります。絶対零度によって瞬時に凍り付いたログナーの体は、すでに崩れはじめて、まさに弁慶の立ち往生の状態になっています。おそらく、このログナーはここで死んでしまうのでしょう。マジャスティク・スタンドの本格始動はマンガ内時間で20年後の3030年あたりからですから、生まれ変わった次のログナーは早くてもまだ20歳、僕らの年齢に換算するとまだ6~7歳くらいですから、まあ、諜報活動ならともかく、まともな戦には参加できないことになります。その時代に、ここでログナーに命を救われたサリオンが代りにミラージュ騎士団司令となって活躍するはずですから、計算はばっちり合います。
ミラージュ全体にはかなり大きなダメージを与えながらも、金星クラスを落とせなかったボスやんが、ぼろぼろになりながらその場を去ります。去り際のセリフから、ボスやんのねらいの一つはラキシスだったことがわかります。2ヶ月前の予想通り、実際には今もスペクターの意図は不明ですが、スペクターに姿を消されたラキシスは結果的にこの騒動から身を守れたことになります。
そして最後の一コマ・・・・・・え、なにこれ?
羊水らしきものの中に浮かぶエンプレスのシンボルと、そこからへその緒が繋がった胎児と、それに触れようとしている手。多重積層装甲のような底面。直感的には、モラード・カーバイト制作の最高傑作ファティマ、「タワー」の現在の姿なのではないかと思うのです。しかし「タワー」は、コミックス9巻に二コマだけ登場した時には、まだ人の姿になっていない胎児でした。あれからマンガ内時間で17年ほどが経過しています。いくらジョーカー星団とはいえ、いくらファティマとはいえそれほど長い間胎児であり続けるということも無いように思えます。そして、それに触れようとしている手も、モラードの手にしては繊細過ぎます。これは女性か、ファティマの手のようにも思えます。手の甲には何かしら紋章が浮かび上がっているようですが、ここからも、僕にはなにも判別できません。急に時間が飛んだのでしょうか。過去、またはずうっと未来へ。それとも、これは別の何者かなのでしょうか。


まとめ

フロートテンプルが大混乱になりました、チャンチャン♪・・・先月号を読んだ時点で、こんな感じで終わるかと思っていた今月号の話でしたが、ふたを開けてみればどっこい、ここ一年くらいの連載の中でも一、二を争うような内容の濃い話でありました。例えば、アマテラスと、ソープ、リンスはそれぞれ別の意志を持っているというのも、かなり大きな話です。これまで、ソープとアマテラスに関しては、まず同一人格だと思われていましたが、再考証が必要になりそうです。また、最近登場した東の君も、ヨーンを監視していたシーンから解るように重要な人格みたいですから、要素として頭に入れておかねばならなくなります。
また、明かされたログナーの実力や、想像以上だったランドの剣技、そして僕が衝撃を受けたブローズのキュベレイ・デザイン。特にキュベレイ・デザインは、FSSワールドが、今後デザイン上だけでも他の永野作品、例えばガンダムワールドなんかと接点を持ちうるということを証明しているわけですから、下手をすればZガンダム・モチーフのMHやメッサーラ・デザインの人間なんかも出てきてしまうかもしれません。ブレンパワードすら可能性はあるわけです。いえ、ブレン・デザインは、LEDミラージュやサイレンの新装甲に採用された「積層装甲」という形ですでに登場しているんでしたね。

来月号からは今回のシリーズのエピローグが始まるようですが、そこで語られるのはどんなエピソードなんでしょうか。連載中断前というのは、かならず読者の度肝を抜きにかかってくるのが永野護のいつもの手法ですから、今回もドキドキしながら待たねばなりません。僕らの想像力を爆発的に膨らませてくれて、なおかつエンドエピソードとしてふさわしいものが提示されることと思います。また外れるかもしれませんが、僕の予想としては次期連載時に主役格になるはずのマグダルとデプレのエピソード、もしくは、マキシの誕生にまつわる、ミースとカイエンのエピソードあたりではないでしょうか。以前会議室の方で話の出ていた「バトンタッチ」の考えから行くと、ボスやんから「超帝国のザ・シバレース」繋がりでタワーに行くかも、とも思うのですが。
もう一つ可能性があるとすれば、今回はとにかくたくさんの登場人物がたくさんのエピソードと共に登場しましたから、そのほとんどの人物がもう一度づつ登場するようなわかりやすい「まとめ」をやるかもしれません。でもでも、完全な新キャラをいきなり出して、読者を混乱させて終わるかも・・・・・・。
とかく、妄想の種は尽きません。あな恐ろしやFSS。

最初の妖精たち

「インタシティ」
「フォーカスライト」
「SSL」
「ニーヴ」

この四体のファティマを総称して、「4ファッティス」と呼びます。
ジョーカー星団最悪の戦闘兵器、モーターヘッド(以下MH)のコントロール補佐の為にDr.リチウム・バランスによって生み出された、生体コンピューター、人造人間。彼女たちは、その最初の四体です。
ファティマというのは、戦争の道具です。道具であるからには、その性能の良し悪しが重要です。これまでFSSという作品において、ファティマの性能というのは、そのファティマが成人した時に計られるという「パワーゲージ」によって比べられるものだと、僕ら読者は思っていました。例えば、Dr.バランシェ最後のファティマ「アトロポス」は、5つのパワーゲージすべてが3Aという超絶的なファティマです(平均的な騎士の能力が2Aなのですから、その凄さも解ろうというものです。アトロポスは、戦闘能力、MHコントロール能力等において、天然の騎士を上回っているわけです。)。ところが、そのパワーゲージ以上にファティマの能力を左右する要素があることが、「第五話 ザ・シバレース」の、エピソード4、「皇帝たちの操り人形」の中で、明らかにされました。
それは、「経験」でした。
長い戦闘経験等の蓄積は、性能差をも跳ね除け、能力に勝る敵に勝つことが出来るということを、そのエピソードの中で他でもない4ファッティスの一人「インタシティ」が証明し、また、いまだ描かれない後の時代において、星団のほとんどを手中に収めたアマテラスがただ一つ恐れたもの、それはその時代に敵方に所属していたファティマ「エスト」の豊富な戦闘経験であったといいます。
ジョーカー星団史上もっとも数奇な運命を辿ったファティマであるとされる「エスト」は別格としても、戦闘経験がファティマの性能の優劣に大きく関わるのだとすれば、もともとの彼女たちの性能が未知数なのではっきりとは判りませんが、星団歴2310年に作られた4ファッティスは、現在の連載中の時代である3000年代以降には、700年近い戦闘経験の蓄積によって、すでに並のファティマでは太刀打ち出来ないような非常に重要なファティマになっていると言えるはずです。
そして、その存在が明るみに出るやいなや、そのうちの一人はメインストーリーに絡み、一人は実はとっくの昔に作中に登場しまくっていた事が判明し、後の二人も年表中に名前の出るような主要人物達とドンドン絡みはじめ、その存在は到底無視出来るものでは無くなりました。
更に言うならば、ジョーカーに住む一般人の2倍以上の寿命を持つ(まだ確定したわけではありませんが)彼女たちは、歴史上の有名人物たちのパートナーとして、また、絶対無比の軍事兵器として、歴史が動くその現場に居合わせ続けているはずなわけで、彼女たちが、それぞれの時代に、何処で、誰と、何をしていたのかというのを整理する事は、難解なFSSの物語全体を理解し、これからの物語をよりスムーズに読み解いていくためにとても有益な事だと考えます。
その上もっと重要な事は、このFSSという物語は、ファティマという虐げられた人造生命体の種族が、「救われる」物語であるという大きな骨格を持っているという事です。最初のファティマである4ファッティスの生涯を辿る事は、FSSのストーリーの骨格に近づく事に他ならないはずです。

よって、これから、4ファッティスについて現時点(1999年11月8日)で判っている限りの情報を元に、彼女たちのパーソナルデータと、彼女たちに関係する人物の情報を、僕の憶測も含めつつ、簡単にまとめたいと思います。ただ、FSSが連載されている月刊ニュータイプ誌の新しい号がちょうど明日発売なので、いきなり近日中に改訂版の更新をしなければならなくなるかもしれませんが・・・。
(ふう。前置きだけでこんなにかかってしまいました。)

ファティマ「インタシティ」について

インタシティは、連載中ですでにお亡くなりになっているファティマなので、その生涯の最初と最後を明確に線引き出来る分、他の三体よりも足跡を辿りやすいです。
4ファッティスは、四人ともはじめに”純血の騎士”ナッカンドラ・スバースに仕えました。その後、それぞれに自分の「マスター」を選び、各国に散っていきました。彼女の最初のマスターは、ハスハの剣聖ビザンチンでした。星団歴2500年代にハスハで起こったミグノシア大動乱において、十ヶ国を相手に戦い、見事ハスハの大地を守りきったという、ちょんまげ頭のシブいおっちゃんです。ダグラス・カイエンやアマテラス、シャフト(げ!)等の師匠として知られる剣聖デイモス・ハイアラキの、さらに師匠にあたる人物で、アトロポスも使う剣聖剣技「飛燕剣」の生みの親でもあります。そんなビザンチンと共に、インタシティはハスハを守りました。
その後、彼女がどんな騎士にどのように仕えたのか、やはり詳しい事は定かではありませんが、彼女は星団歴2977年頃に、彼女の生みの親の子孫であるDr.バランシェの元に一時身を寄せ、そこで特殊な処置を受けます。インタシティとしてのデータをすべて隠し、無銘のファティマ「ハルペル」として、再び世に出たのです。それは、「最初のファティマ」として博物館に飾られるのではなく、生命の火が燃え尽きる最後の一瞬まで、一ファティマとして騎士の元に寄り添い続けたいという、彼女自身の願いをバランシェが叶えたものでした。
察するに、その直前まで、インタシティはハスハかどこかの博物館や研究所で、歴史に残るファティマとして、展示物同然の扱いを受けていたのかもしれません。
そして彼女は命尽き、彼女の身を案じてくれる騎士の手の中で、多くの優しい人々と、自分がかつて乗り込んだ二機のMHに見取られて、静かに息を引き取ります。星団史上、寿命で死んだ最初のファティマです。コミックス九巻に収録されているそのシーンは、何度読み返しても胸に込み上げて来るものがあって、目頭が熱くなります。
彼女がその昔守り切り、最後の瞬間まで仕えていたハスハ共和国&アトール聖導王朝は、これ以降、カイエンの息子、天位騎士デプレッサー・ビート(デプレ・ツェン・アトール)が守ります。デプレは剣聖ビザンチンのMHエンプレスを駆り、インタシティの最期を見取ったファティマであるコンコードをパートナーに、この地を守り続けるのです。そして、MHエンプレスはDr.モラード最後のファティマにして、最高のファティマであり、アトール聖導王朝最後の騎士でもあるという「タワー」に引き継がれます。それは、星団歴にして6800年のあたりの出来事であるといわれています。


ファティマ「ファーカスライト」について

フォーカスライトは、ファティマが「お披露目」をするようになってからも、ナッカンドラ・スバースに仕え続けました。騎士のことを「ヘッドライナー(天を取る者)」と呼ぶ事がありますが、その呼称はもともとスバースの個人的な呼ばれかたで、それが長い時間をかけて星団中に広がったのです。このことだけでも、この騎士の歴史上の影響力の強さをうかがい知る事が出来ます。
星団歴以前のAD世紀に生れ、何度も封印を受けながら長い時間を生き続けてきたスバースは、星団歴2499年に7000年にも及んだその生涯を終えます。その時、彼にはアラド・バスコ・スバースという娘がいましたが、彼女がフォーカスライトを継いだのかどうかは、定かではありません。フォーカスライトは、「純血の騎士」に仕えようとする強い意志を持っているという話なので、すでにその時代の人間の血が入ってしまったアラドには仕えなかったのかもしれません。
その後、彼女が仕えた相手としてはっきりしているのは、剣聖ダグラス・カイエンです。カイエンのパートナーである、バランシェファティマ38番「アウクソー」は、実はフォーカスライトであるらしいのです。カイエンは、バランシェがLEDドラゴンから貰い受けた「純血の騎士の受精卵」を、ファティマ「クーン」に着床させて産ませた、紛れも無い純血の騎士ですから、フォーカスライトが仕える条件に当てはまりますし、そのままの体では寿命が近いということを悟った彼女が、バランシェに頼んで複数の情報体を体に作ってもらい、別時代の別のファティマとしてカイエンに仕えたというのも、納得がいく話です。
さて、カイエンの没後、フォーカスライトが誰に嫁ぐのかについてなのですが、実は、手元にある資料がそれぞれ異なる記載になっていて、よく分からなくなっているのです。
ある資料には、カイエンの息子マキシが、アウクソーを継ぐとあります。しかし、手元にあるうちで最も信頼のおける資料である「FSSエピソードガイド」(角川書店刊、1997年)によれば、マキシのパートナーはSSLであるとされています。もちろん、マキシが二人供をパートナーにしていた可能性もあるわけですが、星団史上最強騎士と謳われる彼の、パートナーであるファティマが、そんなあやふやな事も無いのでは、と僕は考えるのですが・・・。
そして、フォーカスライトは後に、ラベル・ジュード(コーラス六世)の元に嫁ぐようです。しかしながら、その時の彼女の名前は「デルタ・ベレン」というものになっているそうです。そして、デルタ・ベレンは人の形をしていないファティマであるとも言われています。これはただの憶測ですが、フォーカスライトはいずれかのファティママイト(おそらくはカイエンの娘であり妻であるDr.ミース・シルバー)の手によって、エトラムルファティマへと作り変えられるのではないでしょうか。そして、ラベルのMHであるジュノーン・オクターヴ(ユニコーン、さらに別名ジャッジメント・ミラージュ)にあるといわれる二つのファティマルームに、クローソーとともにおさまるのではないでしょうか。
・・・まてよ。そういえば、ラベルとフォーカスライトが並んで立っているショットが、コミックス八巻の182ページにあったような。そうなると、やっぱりこの時代も彼女は人型のままなんでしょうか。
しかし、それ以前にフォーカスライトにはもっと大きな謎があるんです。それは彼女の名前です。「フォーカスライト」というのは、AKDの数代前の先祖の名前にあるのです。その名も「レディオス・フォーカスライト」。”純血の騎士”ナッカンドラ・スバースを前時代の皇帝から受け取った、AD世紀と星団歴を繋ぐ人物です。レディオスというのはアマテラスの一族の幼名で、ソープ君も使っている名前ですから、彼女がアマテラス王家の先祖に当たる事は間違い無いでしょう。また、「デルタ・ベレン」というのも、アマテラス王家の住む星の名前ですから、やはりこのファティマとアマテラス王家が無関係であるとは考え難いです。
はっきり言います。このファティマはまだまだわからない事だらけです。


ファティマ「SSL」について

SSLは、太陽王レーダー四世に嫁ぎました。何故にこの王が「太陽王」と呼ばれているのかはまだ定かではありませんが、こういう立派な呼称が付くくらいの名君だったのでしょう。レーダー王家といえば、もちろんフィルモア帝国です。カラミティ・ゴーダースに渡ったSSLがどんな活躍をしたのか、残念ながらこれもまだ詳しくはわかりません。
次に彼女の所在が確認出来るのは、臨終間際のインタシティの言葉からです。どうやら、SSLはバランシェの手によって封印を施されているらしいのです。そのまま普通に活動を続けていたら、インタシティのように寿命が来てしまいますから、冷凍睡眠のような延命措置をしているのかもしれません。何を待つために延命をしているのかは不明ですが・・・。
そして、剣聖マキシのパートナーとして、彼女は星団史に名前を大きく現します。駆逐型MHデストニアス(レッド・ミラージュB4、さらに又の名を暁姫)を駆ってわずか数十年の間に300機オーバーのMHを撃破する星団最強騎士、そのパートナーですから、その能力も計り知れません。
ただ、マキシは非常に若いうちに死んでしまうらしいのです。何らかの敵と戦い、ジョーカー星団に住む全ての生命の命を守って死ぬらしいのですが、その戦いをMHに乗らずにこなすという事もあまり考えられません。その際に、SSLも一緒に命を失うという可能性があります。しかしながら、SSLと上記のフォーカスライトは情報が錯綜していて、どの災難がどちらに降り注ぐのか、いまだにはっきりしませんから、SSLがどんな活躍をするファティマなのか、まだよく分からないというのが本当のところです。まさか、アウクソーみたいにもう僕らの前に姿を現している、なんてことは無いと思いますが(多分)。


ファティマ「ニーヴ」について

ニーヴは、初めてマスターを「選んだ」ファティマです。そのお相手はジェスター・ルース。ミッション・ルース(ボード・ヴュラード)の曾祖父にあたる人物です。まだトラン連邦は成立しておらず、レント国が独立国として存在していた頃の王様で、ナッカンドラ・スバースの娘アラド・バスコ・スバースを側室に迎えた騎士です。アラドとの間には二男一女を設け、そのうちの次男は後の剣聖、デイモス・ハイアラキであるというところからも、彼の騎士としての素質の高さがわかります。また、その長男や長女の血筋には、剣聖慧茄・ダイ・グ・フィルモアや、天位より上の小天位の位を持つオルオカン・ハリス、その娘で、ミラージュレフトナンバーのピッキング・ハリス(スパーク)、その更に子孫のベルベット・ワイズメル、そして連載にまだ二ページ出てきただけなのに話題性バリバリのマロリー・マイスナー(多分)等、とんでもない騎士が鈴生です。
しかしながら、ニーヴがいつ何をして、そしてこれからどう活躍するのか、それを示す資料は今のところ皆無です。ただ一つだけ判っている事は、SSLと同じようにバランシェの手によって封印されているらしいということだけです。
この「封印」というのが曲者で、普通この言葉を聞くと、どこかの研究室の奥深くにでも開かずの扉を作ってそこに冷凍睡眠でもしているのではないか、なんて思い浮かぶわけですが、ひょっとして、もっと意外なところに隠されているのではないか、なんて僕は考えます。長いことこのマンガのファンをやっていると、考えがひねくれてくるんです。
例えば、ハルペルやアウクソーと同じように、別のファティマの人格を植え付けて隠してしまうというのはどうでしょう。実は二人ほど、気になるファティマがいるんです。
一人目は、以前、慧茄に仕え、今(星団歴3000年代初頭)はフィルモア・ファイブ(ダイ・グ)に仕えている、バランシェファティマ5番のチャンダナです。その根拠はただ一点、「ボケた性格」です。冗談で言っているのではありません。チャンダナがちょっとボケた感じの可愛いファティマであることは、連載の11月号に(吹き出しの外の発言ではありますが)はっきりと描写されており、Dr.プリズン・コークスもそのボケぶりをいぶかしんで「バランシェの設計ミス」とまで言っています。そして、コミックス九巻103ページにおいて、ニーヴは「吹き出しの外で」ほえほえ、ふにら~、すき~、と、なんともボケた発言をしているではありませんか!(力説!)しかも、この発言は、そのコマの中の細かい文字で、その場に居合わせたアマテラスが聞いていることがはっきりと描かれています。ニーヴがこういう発言をしたという、れっきとした証人までいるわけです。これは、この二人が同一の精神を持つファティマであるという伏線ではないでしょうか?僕はこういう「ボケ子ちゃん」が好きなので、たまたまこのコマが記憶に残っていてチャンダナと繋がったのですが、他にこの事に気が付けた読者は一体何人ほどいるのでしょう?・・・とはいっても、ただの僕の思い込み、勘違い、見当違いかもしれないんですけどね。
さて、もう一人の気になるファティマは、同じくバランシェファティマの、チャンダナと僅か一つ違い、6番のニーム(ヴィンティン、弁天とも)です。根拠は、こっちも単純、その名前がニーヴに似ている事です。ニームのマスターは、強天位騎士ジャコー・クオン・ハッシュ。カイエンからシルバーナイトの称号を譲り受け、ミラージュ騎士団の騎士団外騎士としても扱われる非常に強力な騎士です。星団歴3000年前後の頃にまだ幼い少年ですから、ジャコーが活躍するのはまさにこれからなわけですが、そのパートナーであるニームは少なくとも50年以上前に成人しているファティマなわけで、バランシェの銘入りのファティマの、これほど古いナンバーのものが、それ以前に高名な騎士の元に嫁いでいないはずはなく、その素生が明らかになっていない以上、とっても怪しいファティマなわけです。ちなみに、ニームには三つの名前がある、なんて以前から作者はよく注釈をいれており、そのあたりからも、彼女がただのファティマではない事がうかがえるので、ニーヴの変わり身である可能性を強く感じるのです。
こうして考えてみると、この二人のナンバーが並んでいる事が、偶然とは思えなくなります。ひょっとして、どちらかがニーヴであるという、作者の謎かけなのでしょうか?もしくは、一人はニーヴで、もう一人はSSLなのかもしれません。となると、レーダー王繋がりでチャンダナの方がSSLなのかも・・・いや、そうなるとSSLまでボケ子ちゃんということになってしまう・・・。いやいや、そもそも4ファッティスに個性の差があったかどうか・・・。

と、いうわけで、こうして並べてみても、やっぱり謎だらけです。さあ、今月のFSSを読みましょう。
そこにはいくつかの謎の答えと、それに倍する数の、僕らが求めて止まない、新たなる謎が記されているはずです!

整理するゾ~

というわけで、毎月10日前後に、その月の月刊ニュータイプ誌に掲載されたFSSについての僕なりの読み解きをやる事にしました。
皆さんがFSSを読まれる時の参考にしていただければ幸いです。当然、このコーナーはすでに今月のFSSを読んだ方が読まれる事を想定して書きますので、未読の方はそれを覚悟の上で、読むか読まないかを決めて下さいね。

表紙

おそらく初公開、コーラス王朝の家系図です。”大帝”ディス・バイス・コーラス・ワンナインから始まる、コーラス王朝成立以後の、作者曰く「削りに削った」家系図だそうです。
この1ページだけでもワンコーナー書けちゃうくらいの内容の濃さなので、細かい事は又いずれ、追求を入れます。
ただ、謝罪と訂正を一つ。僕はこのHP上で何度か「アルル様=マロリー・マイスナー」説を掲げてまいりましたが。大嘘でした。すみません。完全に別人で、マロリー・マイスナー(マロリー・ハイアラキ)、アルル・フォルテシモ・メロディ・フォース、セイレイ・コーラスの三人で、暴風あばずれ3王女・・・もとい、麗しの風の3王女なんだそうです。これからの動乱の時代に、星団中で暴れまわるコーラス籍の三人なんだそうです。
このコーナーを定例にすることにした以上、これから、こういう訂正を何度も入れる事になるんでしょう。でも、ばりばり予断を入れていくつもりです。楽しいから。


最初の見開き

「見開き」単位で語っていく事にします。
まず、星団歴3010年の晩秋のフロートテンプルをバックに、控えめなタイトルコール。「ブラック・スリー」。黒い三人ですね。誰の事でしょう?多分、じきにわかります。
今回もお留守番のラキシスと、その退屈な姫様をあやす、道化師スペクター&ポーター。先月号ではキモノに身を包んで可憐にして妖しい美しさをちらっと見せてくれたラキシスですが、三年後の今号では、いつものように置いてけぼりを食っています。ごていねいに秋雨まで降って、寂しさを演出しております。カエルさんプリントの傘が可愛いです。
姫様の退屈、それは一大事とスペクター駆け寄り、「かくれんぼー」なる秘術で姫様をぱっと隠して、それを見ていたポーターの拍手とともにこのシーンは終わります。
いやいや、ちょと待って下さい。ラキシスが消えた、これこそ何にもまして一大事です。スペクターは「全能神ジョーカー」でありますから、ラキシスを消してしまう事くらいわけはないでしょうし、ひょっとしたらあまりに寂しそうなラキシスを見かねて、アマテラスの居場所、つまりこの後に登場するカラミティ星衛星軌道星団会議場に彼女を送ってあげたのかもしれません。しかし、スペクターが、そんな単純な心理で行動するでしょうか。彼は、FSSという作品全体の、とてつもなく大きな流れを見ながら、いつも行動しているふしがあります。そしてもちろん、一見何事もなさそうなシーンに重要な意味を持たせるのはこの作品の常套手段。今回、このシーンが一番重要であると僕は考えます。
現に、今号の後半は、スペクターの預言通りに城中みんな大サワギになっているではありませんか。


二つ目の見開き

舞台を星団会議場に移し、ぐぐっと大人になった、でも中身は以前のままの、ジャコー・クオン・ハッシュの登場です。
母親のイマラ・ロウト・ジャジャス、ミラージュの名門レオパルト・クリサリスとともに、星団会議に出席するアマテラスのお供について来たのだと思われます。また、他にも多くの人物が来ているらしい事がAKD貴賓室のざわついた雰囲気からわかります。おそらくAKDの外交官達でしょう。なんせアマテラスはデルタ・ベレン星一つ丸々の大統領ですから、外交交渉の規模もデルタ・ベレン内に存在する多くの国の分、相当な大きさになっているわけです。
ヤクザの若頭のような風体で、せっかくの美形の顔を歪ませまくって暴言を吐いて暴れまくるジャコーに、イマラの母ちゃんキックが炸裂、イマラの下着がモロ見えという、コミックス三巻でイマラを見た時からファンになっている僕にはたまらないサービスシーンがあり(下着のブランドが見分けられる人なら、きっともっと楽しいに違いない)、さりげなくイマラの過去、”アティアの鬼姫”と呼ばれた宇宙海賊時代が、三条という名の人物から語られます。いなせな喋りかたをするこの美女は、ジャコーが騎士団長(ジャコー曰く、組長)をしているイオタ騎士団の人物のようで、ついでに彼女の口から、すでにこの時代ジャコーが強天位を持っているということも告げられます。強天位でも避けられない母ちゃんキックおそるべし。
後、このページの見所は、「はう・・・」となったイマラの可愛さですね。「痛いでスゥ~ッ」とママドア・ユーゾッタの口癖がジャコーに移っているあたりも、この二人の仲も続いているらしく気にかかるところですが、個人的には、三条の「香車のイヤリング」も素敵だと思います。すっかりナイスミドルになっているレオパルトの呟きもかわいいです。


三つ目の見開き

いきなり正装をしたヒューズレス・カーリーの登場。ミラージュレフトナンバー5番の彼女も、アマテラスのお供に来ているようです。この時代、裏メンバーであるはずのレフトの連中も、わりと表に出て活躍しているようです。コミックス九巻でも、ワックストラックスのマスターが最近見かけるミラージュの騎士の中に”スパーク”の名を挙げていました。知れ渡っているのは暗号名までみたいですが。
さて、このカーリーの着ている服、左前です。イマラが着ているのは同様のデザインながらほぼ左右対称の右前のもの。そしてレオパルトが着ているのは類似の意匠が凝らされた4つボタンのスーツ。おそらく、この三人でレオパルトを中心にして並ぶ事を考えてデザインされた服では・・・と思ったら、後で出てきたヌー・ソード・グラファイトも類似デザインの服を着ていたので、多分、この時代のミラージュナイトの制服なんですな、こりゃ。深読みしすぎました。ライトナンバー、つまり表ミラージュは右前、裏ミラージュは左前の制服なのでしょう。
錫華御前に呼ばれているということで、ジャコーは、カーリー、三条と共に部屋を出ます。おそらく、ジャコーがDr.ダイアモンドの新作MH、マイティシリーズのうちの一つの乗り手になるという件の話でしょう。途中、ドス(光剣)とヤッパ(実剣)の話が出てきますが、そうなるとチャカはMHってことになるのかも?冗談はさて置き、この見開きで最大のコマを使って花と点描をしょった美少女がいきなり登場します。セイレイ・コーラスです。コーラス・サードの長女君、コミックス二巻以来の登場です。ロンググローブにはしっかりサードの紋章が入っています。「くすくすっ!!」なんて笑うあたり、美少女キャラ好きのツボを押しまくりですが、タバコは吸うわ喧嘩は吹っかけるわの見事なヤンキーぶり。また見事です。ちなみに僕はショートカットの女の子に弱いという属性を持っているので、メロメロです。ファンクラブ作ろうかなあ。
セイレイはジャコーが強天位騎士であると聞いても怯みません。冗談と思ったのかもしれませんが、コーラス王家直系の第一子は強力な騎士であるとトビラに書いてあったので、彼女は本気で強天位騎士と立合える自信があったのかもしれません。
カーリーに本名を言い当てられて退散するあたりもヤンキー気取ったお嬢様っぽくてイイ感じですが、タバコのポイ捨てはいけないと思いました。
このページの背景をよく見ると、エープ騎士団、フィルモアの紋をマントに付けた人物、そしてクバルカンの騎士らしき人物も見えます。アマテラスが呼ばれるほどの会議ですから当然なのでしょうが、ハスハ、フィルモア、クバルカンの三大国からもかなりの重要人物が来ていると推測されます。あと、ラストの、片手でジャコーを止めているカーリーの技量も、見落としてはいけないトコロでしょう。


四つ目の見開き

三条の、セイレイのヤンキーぶりに思わず組にスカウトしたくなったという呟きが楽しいです。そしてカーリーは元・コーラスのトリオの騎士だった事がわかります。トリオといえば、コーラスのエリート騎士団です。カーリーはその将軍であったとも、何かで聞いた事があります。そのまま、コーラス王朝メロディ家の話、そして先月号に出てきたアルルの話になります。コーラス王朝最強の騎士、という話と、今号の表紙の情報を合わせれば、ほぼ、彼女の正体は判明したといえます。まあ、そのアルル様がこれからどんな活躍をするのかというのが、一番興味があるところに決まっているわけですけどね。
気を付けたいのは二コマ目の、やっと真面目な表情をしてくれたジャコーのバストアップです。まだ少年の面影の残った色男ですが、その胸元には、先先月号でカイエンの元に現れたフィルモア・ファイブそっくりな傷痕が見えます。クリスティン・Vとママドア・ユーゾッタ同様、彼ら二人も少年時代に、カイエンに叩きのめされ、そこで天位を受けたのでしょう。
ここでちょっと気になる事を。どうも、歴代の剣聖というのは、天位を配って歩く慣習のようなものがある気がするのです。
デイモス・ハイアラキは、カイエンはもちろん、アマテラスにも天位を与え、シャフトにもそれらしい事をしたみたいですし、コーラスセカンドにも剣技「ブレイクダウン・タイフォーン」を伝えています。セカンドはエストにもマスターと呼ばれたほどの騎士ですから、これまた天位を貰っていたかもしれません。その時代時代の強い騎士を見つけ出し、一定数以上の天位騎士を生み出す事で、彼らは何かの秩序を作っているような気がするのです。ひょっとしてジョーカー星団の国家間のパワーバランスというのは、個人レベルでの名君や天位騎士の配置などで変化するのではないでしょうか。僕らの世界の感覚でいえばおかしな話の気もしますが、MH一機の差が戦争の勝ち負けにもつながってしまうようなジョーカー星団の話ですから、あながち妄想とも言えないと思います。例えば、今号の表紙にも、コーラス・フォースが騎士として動かなかった事が、魔導大戦から始まるジョーカーの動乱を押さえる事が出来なかった理由である、なんてことも書いてありますし。
さて、閑話休題。ジャコーのセクハラ発言でオチが付いた後、場面はアマテラスの部屋に移ります。
イマラとレオパルトの前で、アマテラスは”エイリアス(別体)”を出そうとしています。分身や、剣聖剣技”ミラー”とも異なる、実体を持たない別の体を作り出すというアマテラスだけが使える特殊なダイバーパワーのようです。AKDの魔導組織ダイバーズ・パラ・ギルドの長メル・リンスや、東(あがり)の君といった別体をアマテラスは使うようです。東の君というのは、多分八月号でナトリウム・シング・桜子の前に現れた謎の人物の事だと思います。胸に「東」って書いてありましたし。
アマテラスが急がないといけないような出来事が起こっているという、舞台は再びフロートテンプルの主塔玉座へ。(「朱塔」玉座かも)


五つ目の見開き

人通りの多い中央ロビーのような所に、三つの影が現れます。その瞬間気が付いたのは、裏ミラージュのリーダー、グリース・サリオン。さすが「LED」(最強)の二つ名を持つ騎士です。矢継ぎ早に支持を出し、城全体にS級アラートを出します。表ミラージュ全員にまで戦闘体制を指示出来るという事は、アマテラス不在の時は、完全に王としての権限があるのでしょう。ひょっとしたら、もう成人していて「斑鳩大兄王子」の名を持っているのかもしれません。
そして、自分直下の裏ミラージュには個別に命令を出します。ミューリー・キンキー王女には玉座回廊の警備を、ベクター・オービットとメイザー・ブロースは自分と一緒に玉座へ。そして、スパークが不在である事に「ぬかった!!こんな時に!!」と悔恨の情を漏らします。ここから、サリオンがこれほど取り乱すくらい、今回はとてつもない非常事態なのだということと、前々号で慧茄が言っていた通り、スパークがそれほど強力な騎士なのだということがわかります。「カラミティの陛下はとうにお気づきだ」のセリフ通り、この前のページの段階でアマテラスは敵の侵入に気が付いてエイリアスを作りはじめているわけですが、それに気が付けるサリオンもさすがです。彼は騎士であると同時にダイバーパワーも持っているので、そういう事もわかるのでしょう。この時サリオンのまわりに集まっているメンバーをよく見ると、メル・ズームもいます。カイエンが対戦を嫌ったほどの力を持つ彼女は、次号以降で活躍してくれるかもしれません。
さて、左のページに入って、黒いフードを被った三つの影が実体化します。これが今回のエピソードのタイトル「ブラック・スリー」になっているわけですね。この時点でこの三人の正体を示すものは、何も無いかと思いきや、よく見ると三人が胸につけているのは以前登場したディス・ボスヤスフォートがつけていたのと同じ紋章。ということは、この三人はザ・マジャスティック・スタンドの最大の悪役、ボスヤスフォートの手の者なのでしょう。ついでに、三人のうちの右側の女性らしいシルエットの人物の足元を見ると、大変美しい足首が見えています。美しい足首といえば、ファティマ・エストです。ただし、いくらなんでも足首だけでその正体を見切る事は出来ませんから、彼女の正体は保留としておきます。たしか、ボスヤスフォート陣営にはビューティー・ペールという強力な女性ダイバーがいたはずですしね。
往年の忍者マンガのような表現で、二人の騎士が現場に走り込んで来るところで、次のページへ。


六つ目の見開き

やってきたのは、ミラージュナンバー7番メル・アトワイト・リイ・エックスと、16番ステートバルロ・カイダ。「リイ様こやつらっ!!」「おのれ何やつだ!!」時代がかったセリフもしっくり来るような大立ち回りのシーンですが、次の瞬間粉砕されてしまうリイ!
通常、騎士とダイバーが戦う場合、勝つのは100%騎士であると言われています。反応速度の差で、騎士がダイバーを押さえてしまえるからです。ところがこのシーン、リイに出来たのは太刀をとっさに構える事くらいだったようで、不意打ちのように粉砕されます。あえて名前を付けるなら「ディスインテグレート(分解)」とでも言えそうな、残酷な攻撃魔法を受けて、バラバラになってしまったリイと、それを見て驚くステートバルロ。リイやステートバルロにとって、想像の範囲外の攻撃だったのでしょう。
この事から、この黒い三人の中心にいるつるりぬるりとした人物の正体はおおよそ、想像がつきます。不可能なはずなのに、なんなく騎士を殺傷せしめるダイバー。やはり、ボスヤスフォート本人でしょう。
ステートバルロの制止の声と打ち込みに反応して、その太刀を「ギシ!!」っと受止めた黒い三人のうちの右の人物。そのフードが「ドッ」と落とされます。


七つ目の見開き(最終ページ)

それは黒騎士デコース・ワイズメルでした。改定前のコミックス一巻に描かれていた黒騎士の装束に身を包み、胸には三つ巴の黒騎士の紋章、袖に輝く「EST」の文字。ステートバルロの打ち込みを一太刀受けた次の瞬間には、背中を貫いて仕留めてしまいました。アンチヒーロー、デコースの恐ろしいまでの強さが発揮されます。
「どけっ!どけどけっ!!」っとそこに遅れてやってきたのはミラージュナンバー12番のウラッツエン・ジイと17番のヌー・ソード・グラファイト。仲間二人の死体を前に、事態が把握出来ないまま剣を構える二人。ゴーズ騎士団の剣指南役を勤めるグラファイトと、ヴーグラ騎士団の筆頭ダッグナート・ボア・ジイ天位騎士を兄に持つウラッツエンは、黒騎士デコースを相手にどう戦うのか、といったところで次号につづいてしまいました。


まとめ

先月号は、沢山の謎をほうり投げて読者を混乱の渦に巻き込むような話でしたが、今号は一転、ストーリーを急展開させて読者を引き込む話でした。まあ、どちらにせよ、来月が待ち遠しい事は変りません。
改めて見返してみると、つるりぬるりとしたボスヤスフォートらしき人物は、彼のエイリアスなのかも知れませんね。驚異的な黒い三人の実力と、それを押さえる裏ミラージュの力が拮抗したところに、颯爽と現れたスパークがボスやんの首級を上げて見せ、ところがそれはエイリアスでしかなかった、ということろでこのエピソードは終わるのではないでしょうか。エイリアスが使えるのはアマテラスだけのはずなのに、というわけで、ボスやんの強さがクローズアップされるわけです。とりあえず、FSSには伝統的に「後だしが勝つ」という法則がありますので、スパーク大活躍は揺るぎ無いところだと思います。・・・まてよ、そういえば、後の時代に登場するというベルベット・ワイズメルなる騎士は、その姓からデコースの血筋なのは間違い無いのですが、スパークの血筋にもその名が出てきています。ということは、この二人の間に何らかの関係が発生するのでしょうか?恋愛から強姦(うわ)までいろいろと想像はできますが、どうにも早く真実を知りたい部分であります。
さて、以前にもコミックス六巻でフロートテンプルが混乱の渦に巻き込まれたことがありましたが、あの時はラキシスが気張って、事無きを得る事ができました。ところが今回は、そのラキシスが冒頭で消えてしまっています。ラキシスが出ていって、神の力で簡単に片を付けさせるわけにはいかないのか、それともボスやんには神すらも殺す力があるために、その姿をスペクターが隠さざるを得なかったのかわかりませんが、今回のエピソードに収拾を付けるための一つの鍵が、すでに失われているわけです。この条件下では、ラキシスが殺される事はありませんから、まあ、スペクターのウルトラCが炸裂したという見方が一番当てはまる気がします。
黒い三人の侵入に、その瞬間に気がついたのがサリオン、少し前に気がついたのがアマテラス、そして、そのずうっと前に気がついて手を打っていたのがスペクター、というわけですね。

後、黒い三人のうちの最後の一人はやっぱりエストなんだろうなと思います。「黒い」と言ってるんですから、「黒き死の女神」とまで呼ばれる彼女でなきゃ嘘でしょう。しかし、エストはこの後のモナークセイクレッドの時代にはアマテラス陣営に所属するはずですから、そんな彼女が今回どんな殺戮をフロートテンプル内でしてしまうのかといった辺りが、FSSの今後に繋がる見方、でしょうか。
きっと、今回のエピソードが来月号か再来月号で終わったら、コミックス十巻のための休筆期間に入ってしまうんでしょうねえ。出来たらその前に、ウワサされているログナーのエピソードってやつを読みたいものですが・・・(今回、彼は何をしているんでしょう?)。

純粋な響きのカッコ良さ

FSSに登場する人々やファティマ達の身につける衣服や、幾多のMHや機動兵器、街や城の建造物に至るまで、全てのデザインは、作者の永野護氏自身が行っているそうです。
どのデザインを見ても、とにかく格好良いです。何かの模倣ではなく創造。引用はあっても、高度のアレンジが加えられています。
そのデザインセンスはキャラクタターの人格や歴史上の役割等をも含んだ「キャラクターデザイン」や、登場する全てのものの「名前」にまで及んでおり、作者の才能をこれでもかと読者に見せ付けます。
今回は、それらのありとあらゆる「デザイン群」の中でも、とりわけ僕の好きなMH、特にこれから注目のMHの、その名前をいくつか取り上げ、語ってみようと思います。

まずは、ハスハ共和国のATOLL(エイトール)の新規改良型・「ATOLLダンダグラーダ」。すでにATOLLには12種類の装甲パターンがあると発表されていますが、このダンダグラーダはそれらに属さない、新しいATOLLのようです。一説には宇宙戦用のMHであるとも言われていますが、現時点では、その開発にエンブリヨ隊のワンダン・ハレーのファティマ「ハルペル」が関わっていたということしか明らかになっておらず、登場が待たれるMHの一つです。なにせ、現在連載中のFSSのシリーズ、「ザ・マジャスティックスタンド(大君主の調律)」においての主役的な役割を果たす国家の新規MHなわけですから、作者も気合が入っているはずで、半端なデザインではありますまい。

続いて、皇帝レーダー8世が退位したばかりのフィルモア帝国。フィルモアといえば、ジョーカー中の泣く子も黙る「一つ目のサイレン」で有名な軍事大国でありますが、そのサイレンを指揮するための王用MH、プロミネンスが気にかかります。もちろん、フィルモアの王用MHならば、ハイランダー(フィルモアの国家全権代理騎士)に就任したクリスティン・Vがレーダー王より預かっている「V・サイレン(別名:ネプチューン)」が有名ですが、レーダー王家とは別のもう一つの王族、フィルモア王家専用のMHとして、この機体があるのだそうです。プロミネンスを駆るヘッドライナーは、どうやら次のフィルモア皇帝に即位するらしき、フィルモア・ファイブ。ジャコー(ミラージュ騎士イマラの息子で、ジョルジュ・スパンタウゼンからイオタ宇宙騎士団を、剣聖カイエンからシルバーナイトの称号を譲り受けた、後に強天位を取る熱血騎士)とも旧知の仲らしい彼は、「ザ・マジャスティックスタンド」の最中、動乱のハスハに武力介入をするらしいのですが、そこにクリスティン・Vやバキン・ラカン帝国の天位騎士アマドア・ユーゾッタらとからんで、どのような活躍をしてくれるのか、そのMHのデザイン同様、目が離せないのであります。
特に、フィルモアではMHの重装甲化が進んでおり、ちらりとだけ連載に登場した、試験運転中のアルカナ・サイレン(皇帝警護用MH)がとんでもない厚さの装甲を羽織っていただけに、プロミネンスもそういった戦車的カッコ良さを前面に押し出したデザインなのでは、と予想しております。

「ザ・マジャスティックスタンド」での悪役は、大魔道師ディス・ボスヤスフォートと三代目黒騎士デコース・ワイズメル率いるバッハトマ魔法帝国のバッハトマ黒騎士団、クラーケンベール・メヨーヨが大僧帝に即位したメヨーヨ四奉開経連合朝のメヨーヨ108金剛遊撃騎士団、AKDから盗み出したデータを元に新型MHを作ったコーネラ帝国のスケーヤ騎士団、アイオ・レーン天位騎士を擁するジャスタカーク帝国のジャスタ宮殿騎士団、さらには幾多の傭兵国家等が名を連ねます。そして、それぞれの騎士団の所有する主なMHは、バッハトマが重装甲版のMHバッシュ・ザ・ブラックナイト、MHアウェイケン、MHバルブガット、メヨーヨはMH姫沁金剛(きしんこんこう)、MHアシュラテンプルDD、スケーヤが傑作MHカン、ジャスタがMHグルーン、MHエルダグライン、MHシャクター、などなどなのでありますが、なんでもアシュラテンプルDDというのは、すでに四巻で登場しているアシュラテンプルとはまったく異なるデザインなんだそうで、そうなると重装甲版バッシュ以外は、すべて新登場、新デザインのMHということになります。悪役側だけですでにこれだけの数のMHが出演予定・・・・・・いったいどれほど大規模な戦争が描かれることか・・・。

さて、「ザ・マジャスティックスタンド」終了後には、いよいよ年表に記されているAKDによる星団大侵攻「モナークセイクレッド」が始まるわけですが、その時代になると、また多くのMHの存在とそのデザインが明らかになることでしょう。今のところ、僕はこの時代の情報をほとんど持っていないため、ただただ期待に胸を膨らませるばかりです。しかしながら、この時代以降に登場するという噂のMHの名前は、いくつか聞き及んでいますので、それを挙げていきましょう。

人気の高いトリオ・コーラス王朝は、ベルリンMK=2・ドラクロアと、4100年に登場するジュノーン・オクターブ(別名:ユニコーン)。ドラクロアは、最近連載の方に登場したドクター・ダイアモンドの設計したMHだそうです。ジュノーン・オクターブの方は、二つのファティマルームを持つMHであるといわれ、コーラス6世が乗り込んで、その時代悪の巣窟と化しているAKDを打ち倒します。

ミラージュマシンでも、いまだ未公開のMHはいくつかありますが、その中でも、古い年表に「とても美しいMHである」とだけ記されているゴウト・ミラージュと、7777年、惑星フォーチュン上で完成すると言われているLED・ミラージュ2あたりは、生半可なデザインや設定では無いことが容易に想像出来ます。


今回の資料はほとんどがコミックスに頼ったもので、トイズプレス社のFSS公式副読本、「クロニクル」や「キャラクターズ」を引用すれば、いくつかのMHはそのデザインが公開されているでしょうし、それに倍する数の未公開MHの名前も見付かることでしょう。それにしても驚きなのは、これら無数のMHのデザインのほとんどを、作者はすでに10年前に終わらせているらしいということです。全体のストーリーラインも、FSSマスターシナリオという原作小説のようなものが連載開始時には出来上がっていたんだそうで、とにかくこの作者は、確信犯的に物語を進めています。
この、「手のひらの上で踊る」感覚を突破するためには、作者の想像の上を行くしかありません。そういう意図を持って、今回はとにかくデザインが未登場のMHばかりを取り上げてみました。デザインの予想であの作者を上回るのはとても難しいことですが、名前や設定に関してならば、ここでこうして一度整理しておいたことで、いつか、何かはっと気がつけることがあるかもしれません。最近連載上で明らかになったファティマ「エスト」とMHバッシュの真実に関する伏線は、10年前に刊行されたコミックスの二巻から張られたものでしたが、いっぱしのFSSファンとしましては、これから作者が仕掛けようとしている(あるいはもう仕掛けられている)幾多の伏線のうち、いくつかにでも反応しておきたいものです。

※はなはだ頼りないですが、今回の内容に、てなしもの調べ間違いや思い違いなどによるミスがあるかもしれません。そういうものに気が付かれた方がいらっしゃいましたら、どうか会議室か、メールにてご一報をよろしくお願いします。事実確認のうえ、迅速に訂正いたします。

F.S.S.は果てしなく面白い

「ファイブスター物語」(以下FSS)は、SFロボットマンガです。

このマンガの一番素晴らしいところは、現在まだ月刊ニュータイプ誌上でばりばり連載されていることです。
これだけスケールが大きく、細部まで考え抜かれた設定、古今東西の名作と比べてもなんら見劣りしないエピソード群、魅力的なたくさんのキャラクター、抜群のデザインセンス(作者はデザイナーでもある)に裏打ちされたロボットや登場人物たちの衣装、などなどが詰まった作品が、現在進行形で読めてしまうという幸福。
今、この時代に日本に生んでくれたことを両親に感謝してしまいます。
多くの優れた要素は作品内で混ざり合い、物語のグレードを引き上げます。「シュミの悪いMH(モーターヘッド。FSSに登場する戦闘用ロボットの名前)」と悪口を言われるシーンには趣味の悪いものが、「なんと美しいMHだ」と溜息をつくシーンには、美しいMHがちゃんと出てきて、読者はマンガのキャラクターと思いを共にすることが出来ます。
それは、キャラクターのつけているアクセサリーや服のブランドの設定から、MHの駆動パーツのそれぞれの機能や発する音に関する設定、国家群の成り立ち、舞台になる街の民俗、風俗、意識、モラル、流行、美意識、価値観に至るまでしっかりと用意され、しかもそれは華やかに活躍する「騎士」や「ファティマ」達の表の物語によりリアリティーを出すためにしか使われないという徹底ぶりと繋がって、ただひたすら僕らに良質のエンタテインメントを与えてくれます。
あえて言うならば、FSSは「過剰」なのです。コミックの一コマ一コマに情報が満ち溢れ、ケレン味たっぷりのアクションや、身を切るような片思いや、燃え上がる怒りの炎のストーリーなどを繊細な編み物のように紡ぎだします。

コミックス第一巻を開くと、まずはフルカラーの登場キャラクター紹介、そして細い線でびっしりと書き込まれたMHの紹介があります。
そこには、それぞれの説明というには余りにも不確かな、未来への予言めいた紹介文が丁寧につけられていて、このマンガが単なるアクションマンガではなく、壮大な大河物語であることを、まず読者に感じさせます。
物語の始まりは、嵐の吹き荒れる中、岩山にへばりつくように建っている山小屋の中での、少年と老人の会話です。
山の向こうから聞こえてくる金属音について、少年は老人にたずねます。「あれはMHの音だよ」「もう2週間も前に戦争は終わったんでしょ?」「目の前の敵を倒すまで、騎士の戦いは終わらないのさ」そして飛来する、巨大なMHの盾。老人が語っていたのは、御伽噺ではなく、現実でした。

シーンは山の向こう、巨大な2つのかげ。繊細なラインを持った白いMHが無骨な黒いMHと大胆な構図でにらみ合っています。剣技が飛び交い、戦いの中で騎士をサポートしている「ファティマ」の存在が説明されます。巨大な戦闘力を持ったMHを、騎士とともにコントロールする少女型生体コンピューター。戦いはいつしか終わり、勝った騎士と負けた騎士の誇り高い対面、そして人間と何一つ変らぬ感情を見せるお互いのファティマの対比が描かれます。
この戦いの終了は、ある長い戦争の終結でもありました。
やっと登場した白く長い髪を持つ主人公らしき青年が、この戦争で彼が失った多くの大切な人々の名前をつぶやきます。そして、モノローグでこのエピソードはFSSのエンド・エピソードであることが語られ、物語は、それ以前の時代、多くのヒーロー、ヒロインが輝いていた時代を語りはじめるのです。

このあと第一巻で語られているのは、ある少女の恋が成就するとてもHAPPYな物語です。
ただ、その少女は最強の力を持つファティマで、恋の相手は何やらいわくありげな最高の腕を持つMH整備士。「ファティマは騎士でない者に嫁いではならない」という法律のあるこの世界では、禁断の恋である上に、性能の良いファティマはMH同様最高の軍事兵器としても扱われるわけで、FSSの舞台であるジョーカー星団中で話題になるような、大逃走劇が繰り広げられます。
しかし、その逃走劇も幕引きは一瞬。我々の住む地球よりも数段科学の進んでいるジョーカー星団での最強兵器、MHが登場して一気に話を終わらせてくれます。
ここがまたこの作品の独特な部分で、FSSの中で、MHの持つ圧倒的な戦闘能力は、戦争だけでなく、そのストーリーをも一瞬で終わらせる力を持っているのです。作品内だけではなく、作品の流れに対してもMHは斧をふるうのです。こういった「メタ」の視点が、より一層このマンガを楽しむためのカギになっています。

「難しい」とこの作品がよく言われてしまうのは、その世界観がとても綿密に構成されているからです。MHがあって、ファティマがいて、超人的な能力を持った騎士がいるこの世界は、読みながら学ばねばならないことは多いですが、その空気が掴めてきた時の見返りもたっぷりあります。
ストーリーは、決して難しかったり堅苦しかったりするものではありません。アレンジは効いていても、常に物語の王道を周到しています。
もうじき第一巻は英語訳されるそうですが、せっかく日本語が使えて、現在出ている9巻までに加えて現在進行中の連載まで読めるのですから、この幸運を甘受しようではありませんか。

次回以降の更新では、この果てしなく面白いマンガを生み出している永野護という天才についての話を中心に進めていきたいと思います。

妖精の謎、それは希望か、それとも悲劇か。

「ファイブスター物語」(以下FSS)は、SFロボットマンガです。

最強の戦闘能力を持つ兵器として描かれてるMHにほ、その能力に見合うだけの厳しい制約も設定されています。
まずは、単価、運用費、メンテナンスにかかるコスト等が、異常に高いこと。基本的に、国家クラスの組織でなければ運用できません。傭兵団や個人レベルでMHを所有している剣豪なども、大抵はバックに特定の国家がついていて、いろいろな援助をしています。
また、その極端に高い戦闘能力のせいで、核兵器並の戦略兵器になっており、気軽には運用出来ないこと。戦争において両軍が持てるMHを投下したとき、片方の軍が一機でも数に勝れば、その一機にMH以外の兵器は全て蹂躪されてしまいます。戦場においては、MHを止めることが出来るのはMHだけだからです。三大MHやミラージュマシン以外のMHは事実上の性能差がほとんど無いので、ジョーカー星団でのほとんどの戦争の勝敗は、いかに多くHMをそろえ、その正確な数をどれだけ相手から隠すことが出来るか、にかかります。後は僕らの世界と同じく、はったりのかましあいです。作中で、ソープやカイエンが簡単に複数のMHを倒してしまいますが、あれは彼らが天位クラスの騎士だからであって、本来は滅多に無いことなのです。

そして、MH運用にかかわる一番やっかいな制約は、もちろんその乗り手、騎士とファティマの存在の希少さでしょう。
ヘッドライナー(天を取るもの)と呼ばれる彼らは、古代のジョーカー星団に存在していた「ファロスデー・カナーン帝国」の遺伝子実験体の末裔です。この遺伝子実験体の血は、今ではジョーカー星団に住む全ての人の中に混じっていますが、極端な劣性遺伝のため、騎士の能力が発現するのは10万人に一人とされています。
騎士の能力は、超人的な筋力、忍者のような瞬発力、マシーンのような持久力などに代表され、一人でも多くの騎士を召し抱えるため、各国家は全力を尽くします。もともとMHのコントロールは、乗り手に騎士の能力があることを前提に作られているからです。そして騎士とファティマの操るMHには、他の兵器ではまず勝つ事が出来ないからです。
しかし、それらの騎士もおつむのデキは私達と同レベル。どれだけ鍛えたところで、機体制御に火器管制、座標認識にメインコントロールと戦闘機の数十倍といわれる操作に必要な情報量には、ついていくことができません。さらに、MHは戦闘機と異なり指令塔無しのスタンドアローンでも確実な運用が求められているため、機体の運搬や簡単な整備、最悪の場合には機体に使用されている機密情報の抹消や脱出後の敵地でのサバイバル活動に関してまで、乗り手に負担がかかることになります。

MHの開発当時、ことをMHコントロールだけに限っても、騎士をサポートする今までに無いような高性能コンピューターが必要でした。
その問題にある天才科学者が出した答えが、生体コンピューター「ファティマ」でした。美しい少女の姿をしたそれは、人工羊水の中で生命を与えられ、成長するまでに脳や遺伝子レベルに様々な情報を組み込まれた、人造の妖精でした。
騎士とファティマの乗り込んだMHは、開発者の予想値をはるかに越えた圧倒的な戦闘力をはじき出し、ついにジョーカー星団最悪の兵器は完成しました。はじめは最高機密兵器の一部でしかなかったファティマも、科学者達の努力によって人数も増え、その研究も進み、マンガの主な舞台となっている時代には星団中で10万体弱ほどが活動するようになりました。

さて、ここまではFSSを愛する皆さんには、いまさら説明するほどのないことだったと思います。自分としても、少々のおさらいをしてみたつもりです。この辺は、まだまだ「設定」のほうに寄った話で、これから先が、僕やあなたの愛する「作品性」の話です。(もちろん「設定」の妙があるからこそ作品性も輝くわけですから、決して「設定」をおろそかにしてよいなんて述べているわけではありません。)

MHが運用されるようになってじきに、騎士とファティマには相性があることがわかりました。初期のファティマは国家の所有物であり、兵器の一部として複数の騎士に交代で使われていたわけですが、特定の組み合わせの時だけ、MHの戦闘力が数倍になるのです。そして、各国の王の立ち会いの元、ある高尚な実験が行われ、その時初めて、ただの道具だと思われていたファティマに「意志」があることがわかりました。
最初に作られた四体のファティマは、それぞれ相性のよい騎士の元へ引き取られ(「嫁ぐ」と表現される)、その時点ですでに生産されていた五百体のファティマはすべて首実検が行われ、それ以降に産れたファティマは、皆世に出る時にお披露目を行い、自分の望む騎士を「マスター」として選ぶ権利が与えられました。
人を超える能力を持っているために、定められた星団法によって基本生存権にすら抵触するような多くの制限をうけるファティマですが、自分のパートナーを選ぶ権利だけは与えられたのです。
ちなみに、その最初の実験の内容は、最初のファティマの一人「フォーカスライト」に対して、彼女と組むとMHの性能が上がる騎士、ジェスター・ルース(当時のレント国の王)が一言「おめー、俺のこと好きか?」と聞き、感情制御を受けているはずのフォーカスライトが震える言葉で「わたし、ルース様だけにお仕えしたい」「ずっと私の中に響いている言葉があったんです」「あなただけのファティマにして頂ければ、わたしの力を100%発揮できます」「マスター。どうか私をお選び下さい」と、返した、というものでした。(このシーン、コミックスでは一コマで語られていますが、本当は、ここに載せたものよりさらに膨大なやり取りがあったと設定されています。副読本『プラスティック・スタイル』参照)

やっと、ここからが本題です。ジョーカー星団の国家間のバランスすら傾かせるファティマ。その能力は、彼女たち(「彼」もたくさんいますが)が特定の騎士をマスターに選ぶことで、発揮されます。そのマスターを選ぶ基準は、ファティマの「好き」という気持ちです。もちろん、ファティマには騎士の力を一目である程度見抜く能力が与えられていますから、ちょっと即物的ですけれども、自己保存の観点から、より能力の高い騎士にひかれやすいという状況があります。強い騎士は大抵大きな騎士団に所属していますし、そうなればパートナーのファティマもより良いメンテナンスが受けられるからです。そして、ファティマは貴重な兵器であるということで、騎士以外の人間には反応しないようにマインドコントロールを施すことが星団法で定められています。

ところが、この辺のきまりをぶっちぎっちゃってるファティマがいらっしゃいます。三人もです。
最初のファティマを誕生させた科学者の子孫、ドクター・クローム・バランシェが生み出した、最強の能力を持つ3姉妹、長女「アトロポス」三女「クローソー」そして次女「ラキシス」です。FSSの最初の物語にしていきなり十年以上も続いた「運命の三女神編」の主役を張り、「大君主の調律編」に入ったこれからも物語に登場し続けるであろう彼女たちは、そもそもマインドコントロールを受けておらず、ファティマが生き物として自然にあったならばどうなるのかを、僕たちに見せてくれています。
長女アトロポスは、形骸化しているお披露目に出すのを嫌がった父バランシェの手によって、その姿が発表されることもなく逃がされました。彼女はその無限に近い寿命を使って人間を見守って行こうと考え、人間社会にフリーの騎士として紛れ込みます。これも星団法違反ですが、彼女は並の騎士以上の力が与えられていたのです。そして、とある鉱山地帯のレジスタンス活動のリーダーをしている時に、時の剣聖ダグラス・カイエンと出会い、恋に落ちます。しかし、当時最強の騎士である彼のことすらも、マスターとは呼びません。彼女が誰かのことをマスターと呼ぶ日が来るのかどうか、まだ、僕らには知る由もありません。
次女のラキシスは、この作品全体の主人公の一人でもあり、主人公アマテラスの嫁さんで、ファティマでありながら「神」でもあります。お披露目の時、彼女は騎士ではないMH整備士のレディオス・ソープをマスターと呼んでしまい、違法ファティマであることがばれてしまいました。彼女は、自分が幼い頃から父バランシェの元に通って来るソープの事が大好きで、ついにはマスターと呼んでしまったのです。ここでは、幸福なことにラキシスの「好き」と「マスター」は一致しています。そんな彼女がどうしてアマテラスの元に嫁ぐことになったのかは、万が一コミックス第一巻を読んでいないという方のために、一応隠しておきます。
そして三女のクローソー。彼女はラキシスを上回る、ラキシスを殺す事の出来る能力を持つただ一人のファティマです。その父の施した残酷なプログラムに気が付いた彼女は、自らを封印してしまい、もう、物語に登場することは(多分)ありません。彼女は、ラキシスと同時にお披露目をする予定でしたが、その前にやっぱり逃げ出し、逃走中の街で知り合った騎士と略式のお披露目をして、さっさと自分の嫁ぎ先を決めてしまいました。お相手の騎士はなんとコーラス三世。ジュノー大陸のコーラス国を統べる、若き武帝でした。クローソーは、初めてコーラス三世を見た時、思わず「マスター」と言ってしまったのですが、実はこの運命的な出会いは、彼女の持つ超常能力が引き起こした、未来の物語への予約でした。クローソーは、コーラス三世の向こうに、彼女が本当にマスターと呼ぶべき騎士、はるか未来にジョーカー星団で活躍するコーラス六世の姿を見ていたのです。マスターはコーラス六世、そして好きなのはコーラス三世。クローソーの「好き」と「マスター」にも、少々の「ずれ」があります。

矛盾があります。
「自分の好きな人をマスターに選ぶことが出来る」ということが、ファティマの持つ唯一の何物にも優先する権利であり、希望であるはずです。
それなのに、マインドコントロールを外された三人のうち二人のファティマは、「好きな人」と「マスター」が一致しないのです。アトロポスに至っては、剣聖カイエンに向かって切なく微笑みながら「私が正真正銘の人間だったらよかったのに 私・・・きっとあなたのいい奥さんになったわね」とはっきり告げているにもかかわらず、マスターとは呼ばないのです。
「マスター」というのは、実はマインドコントロールが生み出したただのパートナーのことで、本当に好きな人のことでは無いのでしょうか?だとしたら、彼女たちはあまりにも可哀想です。

ファティマというのは、一つの同じ受精卵のコピーから作られています。そこで、一つの仮説を立ててみます。そのもともとの受精卵に、強い誰かへの恋愛感情があるのだとしたら?そして、それすらもコントロールして、目の前にいる騎士をその「誰か」だと錯覚させるのが科学者の行っているマインドコントロールだとしたら?
これは、あまりにも恐ろしい仮説です。作中に登場する全てのファティマの愛が、捻じ曲げられた錯覚だというのですから。クローソーがコーラス六世をマスターと呼ぶのだって、「ラキシスを殺す事の出来る強力なパートナーを『誰か』であると錯覚するように」というプログラムが走っているだけなのかもしれません。
エストも、ウリクルも、ティスホーンもコンコードもカレもパスエットもバクスチュアルも、エトラムルですら、ただ、プログラムで騎士を愛しているというのでしょうか・・・?

随分、気分の悪い推論をたててしまいました。
僕はそもそも、「MHは騎士とファティマの愛の力によって動くものであり、FSSは愛の物語なのだ」という、まことにハッピーな結論を用意してこの原稿を書き始めたのですが、書いているうちにFSSの語る「騎士とファティマの愛」の背後にある、「気味の悪いもの」の存在に気が付いてしまいました。
作者の永野護氏は一流のストーリーテラーでありますが、また同時に僕ら読者を混乱に貶めることが大好きな、悪魔的道化師でもあることは、皆さんご存知でしょう。そのせいかこの、ひょっとしたら僕らをだまし続けているのかも、という妄想を振り払うことができません。
ただ、僕がどれほど暗い推論を立てようとも、まだまだ、FSSには希望があります。
ラキシスです。ファティマであることの悲劇性を彼女は全く負っておらず、作中ことあるごとに彼女は「ファティマの希望」と呼ばれます。彼女が真なる自由意志を持ち、そして全てのファティマを呪縛から解き放つ力があるのだとしたら・・・!
そうしたら、もし僕の推論が正しかったとしても、これから語られる奇跡の物語の序章に過ぎないという事になります。

「ギヒ・ラキシス・ファナティック・B・アマテラス・グリエス」。これがラキシスの本名です。さらに、「フォーチュン・ラキシス」とも呼ばれます。
ここに来て、彼女が常に「フォーチュン(希望)」と呼ばれるわけが、やっとわかったような気がします。
彼女は、多くのライバル達を飛び越えてアマテラスの元へ行き、最強のMH「ナイト・オブ・ゴールド」を駆って敵を振り払い、時空の狭間に迷い込んでも56億7千万年の時を越えて再びアマテラスと再会してしまう、最高のスーパーヒロインです。
99年8月現在、ニュータイプ誌で連載中のFSS本編にはしばらく姿を現していませんが、もうそろそろ、レディオス・ソープと星団最強の能天気コンビを再結成して再登場してくれるはずです。

彼女が内包しているその希望の本質が明かされる時、それはおそらく、FSSが終わる時でしょう。それまでに明かされなければならない謎が、まだまだ作中にはごまんと有ります。
僕らは所詮ただのファン。結局は、永野護氏の仕掛けに笑ったり、泣いたりすることしかできません。しかし、その快感を知ってしまったのも、一つの幸福です。昔、楽園で、知恵の果実を齧ったイブは、さぞかし妖艶に微笑んだことでしょう。僕らもイブの末裔ならば、この快感に身を委ねるのも人間の特権であるはず。
さあ、共にむさぼりましょう。そして味わい、語り合いましょう。人造の妖精達が運んでくれる、現代最高の知恵の果実を。

マンガの話

日本のマンガ文化の凄いところは、今現在、漫画家、編集者、出版社の不断の努力と市場の強力なニーズによって、優れた作品が湯水のように作られ続けていることです。
たとえ読後につまらなかったと思うような作品でも、ほとんどのマンガは読んでいる間は没頭させてくれます。途中で読むのが嫌になるというマンガは、そうはありません。これは、娯楽としての送り手の水準が非常に高いことを表しています。
また、業界全体に常にチャレンジャブルな姿勢があり、それを評価するのも訳知り顔の批評家ではなく、市場です。面白い作品は市場が正当に評価して売れ、つまらない作品はどんな権威が後ろにつこうとも排除されます。
これほどまでに健全なエンタテンメントの市場は、世界に類を見ないのではないでしょうか。読者が楽しめるものでなければ、どんなにCMで煽ってもマンガは売れないのです。
さらに、紙、ペン、インク、印刷技術、簡単な編集と流通のノウハウ、など、比較的単純な道具と技術によって再現が可能であるというところも、経済的、文化的に優れています。
ただし、それらの設備が整っていても、作り手の「才能」という要素が無ければ、マンガは成立しません。そして、日本はその「才能」とそのための努力、そしてそれらを生むための風土において、世界のあらゆる国を圧倒しています。日本の子供は、必ず一度はマンガ家になりたいと思うものです。また、マンガ家になれなかったほとんどの日本人は、マンガ市場の消費者になり、厳しい視点でマンガ文化を支えます。

このコーナーでは、面白いマンガをいろいろと紹介するのではなく、僕が好きでしょうがない作品、またはマンガを取り巻くあらゆる現象についての、掘り下げを行っていきたいと思います。
面白いマンガは市場にいくらでも溢れていて、すでに皆さんお気に入りの作品がいくらでもあるでしょう。無いという方は、本屋さんのコミックコーナーに行って10巻くらいまで続いているマンガの1、2巻を買ってきて下さい。どんなジャンルものでも、まず間違い無く面白いです。
よって、ただ「面白い」と感じたものを扱っていたのでは、HP容量がいくらあっても足りませんから、狭くふかーく作品を論じていこう、というわけです。


●「ファイブスター物語」は、SFマンガの最高峰であり、「三国志」や「ファウスト」と肩を並べうるような絶対的な面白さを持っている。 (99年8月11日)
初心者置き去り!深読みFSSその一 (99年8月25日)
これからのMH (99年9月22日)
4ファッティスについて (99年11月8日)
定例化決定・読み解け今月のFSS12月号 (99年11月9日)
読み解け今月のFSS1月号 (99年12月9日)
読み解け今月のFSS2月号 (00年1月7日)
読み解け今月のFSS3月号 (00年2月9日)
読み解け今月のFSS4月号 (00年3月25日)
読み解け今月(&先月)のFSS10月号 (00年9月9日)
読み解け今月(&先月)のFSS10月号の続き (00年9月10日)
読み解け今月(&先月)のFSS10月号の続きの続き (00年9月13日)
読み解け今月のFSS2001年2月号 (01年1月9日)
本格再開・読み解け今月のFSS5月号 (01年4月9日)
本格再開・読み解け今月のFSS5月号の続き (01年4月11日)

読み解け今月のFSS6月号 (むにゃむにゃ)
読み解け今月のFSS7月号 (01年6月8日)
読み解け今月のFSS8月号 (01年7月12日)
読み解け今月のFSS9月号 (01年8月21日)
読み解け今月のFSS10月号 (01年10月9日)

読み解け今月のFSS11月号(行方不明)
読み解け今月のFSS12月号 (01年11月9日)

  (謎の空白期間)
読み解け今月のFSS4月号 (02年3月9日)


●「超人ロック」は、大河マンガの醍醐味をこれでもかと教えてくれる。 (99年9月9日)
連邦と帝国 (99年9月9日)
超人ロック入門 (00年2月11日)


●「赤ずきんチャチャ」の完全なる世界。 (99年12月2日)


●「キン肉マン」の中には、語られるべき熱い戦いが確かに存在する。 (99年12月24日)(クリスマスイブになんでこんなもん更新してるんだろう)


●「キャンディ・キャンディ」を読んだことがありますか。 (00年1月10日)


●「最狂超(スーパー)プロレスファン列伝」は人に奨められない。 (00年1月17日)

●「スラムダンク」って、どうしてこんなに面白いんだろう。

●士郎正宗について語るのは、あまりにも難しい。


以下、いろいろ続く。

憧れの一人暮らし(のようなもの)

 東京に出てきたのが8月の9日ごろでしたから、もう半年ほども経ったことになります。
 皆さんお元気でしょうか? ご無沙汰しています。僕は元気です。
 夏の暑さにもかなりやられましたが、東京は思ったよりも冬寒く、名古屋に居た頃よりも部屋では厚着をしています。日々の暮らしは順調です。
 近所にスーパーが数軒あって、生き残り競争が激しいのか野菜や魚がそれぞれに安く、ほぼ毎食自炊をしています。初めの頃は失敗もしましたが、同じ料理を三度づつ作るようにして慣れ、いまでは料理のレパートリーもそこそこ増えました。この時期はやはり鍋ですね。

 今は、僕の最初の本の出版に尽力をして下さった、先輩作家さんのお宅の一室に、間借りをして暮らしています。そういう意味ではまだ全然一人暮らしではないのですけれど、自分で家賃を払っている四畳半の一室に居ると、小さなヨロコビが湧いてきます。そんな気持ちは引っ越してきて初めのうちだけかと思っていましたけど、いまだに一人でニヤニヤしていることがあったりします。
 「最初の本」などと言いましたが、まだ二冊目の本は出ていません。初めていただいた「原稿料」はとうに使い切ってしまい、別の収入で今は糊口を凌いでいますから、まだ作家は自称できない立場です。かっこつければ書生さん、今の言葉ならやはりプータローでしょうか。
 それでも、毎日楽しく過ごせています。

 最初の日、床に雑巾をかけてから、何も無い部屋でゴロリと寝転がりました。
 手足を伸ばしても四方に何も触れるものはありませんでした。広いと思いました。
 荷物がやってきて、今では部屋にコタツまで買い、また本棚の一角はダンボールから出した書物を適当に押し込んだきりになっているので、まさしく男の部屋というか、今はかなり雑多な部屋になってしまっています。それはそれで快適に感じてたりして。

 東京は良いです。
 いつ頃からだったか、僕はこの街に住みたいとずっと思っていました。
 このHPで一番最初に掲載したテキスト、このコーナーの最初の「バベルの塔」が、この街には数え切れないほど建造されています。
 街を見て、僕はものを思います。
 思考が溢れて、指がキーボードを叩きます。


 また途切れ、途切れにはなると思いますが、このHPの更新を再開します。
 良かったら時々遊びに来てみてください。

99年8月から03年2月まで載ってました

目標がはっきりしていると、毎日の生活にもめりはりが出て来るというものです。

大学で社会学なんか勉強して、いろいろ考えてみたんですけど、「高度成長期が終わって、これから日本が目指すべきもの」というやつに、一つ良い考えがあるんです。
日本を、21世紀の100年間をかけて、「こどものくに」にするんです。
子供というのは、欧米的価値観では、「未完成な大人」でしかありません。カルチャーは大人のものであって、子供が自己主張をすればそれは、大人のメインカルチャーに対するカウンターカルチャー、もしくはサブカルチャーとして扱われるものになります。
ところが、日本の価値観では、子供は尊いものであって、大人に対しての未完成だったり相対するものだったり副次的なものだったりしません。
日本では、子供は子供として存在しうるし、大人には子供に対しての憧れを持ち続ける文化があります。
異なる二つの価値観がある時は、お互いに認め合わなければなりませんが、決してどちらかが劣っているということも、また、ありません。
で、実際に日本の未来像「こどものくに」が何をするのかというと、

1・国際紛争における、国家としての、人的義務の放棄
2・1における放棄の代償としての、技術的、文化的国際貢献
3・2における国際貢献の最大のものとしての、こども文化国家の設立

世界の国からは、もう日本は子供扱いしてもらいましょう。
最先端科学の行き詰まりが叫ばれて久しい昨今、これからの地球に住む人々の豊かさのためには、科学の進歩に伴うハードウェアではなく、文化や哲学、思想を含めたソフトウェアの充実が必要です。
製造業以外で、日本が今得意なものといえば、マンガ、アニメ、ゲーム等、欧米的価値観でいえばサブカルチャーで片づけられてしまう「こども向け」ソフトウェアです。
でも、サブカルチャーとメインカルチャーという対立の構図から離れてみれば、人を楽しませることの出来る「良い文化」がそこにあるってことは、日本人なら何の抵抗も無く理解出来るはず。
この思想的スタンダードを欧米メインカルチャー人たちが理解するまでにかかる何十年かの間に、日本は文化で大きく彼らを引き離してしまいましょう。
欧米の大人たちが「こどものくに」の思想を無視してきたらどうするかって?
簡単です。彼らにそんな事はできません。必ずや、彼らの子供たちは、「こどものくに」日本へ憧れ、行ってみたいと親に熱望するからです。
思想の未だ備わらぬ子供は大人よりも事実を見ることが出来るってことです。
その時までに、我ら日本人は世界の人々を楽しますことの出来るソフトウェアを、そのソフトウェアを実現出来るハードを、汗水たらして作り上げるのです。
「世界中の子供たちが、大人になるまでに一度、訪れる国」
目標としては、なかなか夢があってよいと思いませんか?


「国家の思想」としては甚だ脆弱、されど、何千年と繰り返してきた人類の悲しい歴史や単なる欲望の具現化の思想より、僕はこの考えを広く日本に、そして世界に知らしめたい。
21世紀の日本をどうしていくかという勉強会を行ったそうですが、その結果が「富国美徳」なんて、孔子の時代から進歩が無いですよ、小渕さん。
世界のみんなで、得意なことを分け合って、恒久に平和な地球を作りましょうって、日本は世界に先駆けて言い出す事の出来る国ですよね。

(「こどものくに」実現に関する思想的、実務的アイデアを募集しています。単純な意見や感想などもございましたら、気軽に会議室の方に書き込んでみて下さい。このコーナーでどんどん取り扱っていきます。)

楽しい旅行でした

11月26日

 会場であるパシフィコ横浜の最寄駅に着いた段階で、すでに人が溢れかえっていました。
 人の波に乗って道なりに歩いていくと、駅から出てすぐのところに、はやくも

「今から並んでも入場出来ないかもしれません-ROBODEX2000」

というプラカードを掲げた、すまなそうな表情のお兄さんがいました。
 かまうこっちゃねえ、突き進め! と入り口近くまで行ったのですが、そこには無情にも「当日券は売り切れ」の看板がありました。

 無念ですが、そこで歯噛みしていたところで何も事態は好転しません。
 とりあえず、まずは昨日のうちに上野公園の催し事を見ておけてよかったと思いました。それは、ロボット展と同じくらいに、普段見ることが叶わないものでした。
 よく考えたら、いつもは新幹線で素通りするだけの横浜です。中華街とまでは行かなくても、せめてそこらの面白そうなものを見て歩こうということになりました。

 そこでまたいきなりの予定変更。
 もっとあちこちうろつこうと思ったのですが、すぐ近くで行われていた大道芸人さんのショウに魅入ってしまいます。
 はじめはちょっと立ち見をしていただけだったんですが、何時の間にか階段に座り込んでしまい、最後には拍手と歓声で、そのイギリスからやってきたと自称するジャグラーさんの芸に引き込まれておりました。
 格闘技観戦をしていても思うのですが、やっぱりライブというのは面白いです。
 目の前で、火のついたたいまつのお手玉や、2メートルもの高さの一輪車、スティック、ボール、チェーンソーの異種お手玉、火食い、などなどを見せてもらえると、寒空も気にせずに熱く声援を送ってしまいます。
 お客を整理してきっちり自分の芸を見せ、子供たちの心を掴み、大人たちを感心させて、最後には大きな袋にいっぱいにおひねりを入れさせる、プロの技を拝見することが出来ました。
 もちろん僕も、千円札一枚、袋に入れました。
 今思うと、途中で手伝ってくれる子供を募って、芸が上手く行った後にお駄賃として千円札をよく見えるように振りかざしてからあげていましたが、あれは僕ら観客に「千円札」を認識させることで、基本的な見料の相場を示していたのかもしれません。まあ、適正価格ですね。
 気がつけば、随分時間が経っていたのでした。

 その後、また秋葉原まで戻ってココ一番屋でカレーを食べたり、ラジカンで妖怪グッズを買ったりいろいろありましたが、その日のうちに新幹線で名古屋へ帰ったのでした。


11月25日

 前夜、静岡の露天風呂付き高級ホテルで一泊と洒落こみましたが、この日の晩は3900円のカプセルホテル泊が内定しておりました。
 朝食のバイキングは、好きにご飯やパンやおかずを選べる他に、卵と魚をコックさんが目の前で調理してくれるという豪勢なもので、それを朝からお腹いっぱい楽しんだ後、僕は二度目の露天風呂を楽しみました。
 ほんのりと雲が出ていて、うたい文句の「富士山まで一望」は叶いませんでしたが、目の前に広がる太平洋の大海原、青い空、長時間浸かってものぼせない適温の温泉。僕以外にほとんど利用者が無く、ぷかーっと浮いて湯と地球を満喫します。ああ、水平線だ。
 このとき僕は思いました。全世界の歴史を見渡しても、今の僕くらいに自分の努力によらずに贅沢を満喫している人間は、いないんじゃなかろうかと。
 のぼせてきたら、湯から上がって朝の潮風を受けます。そしてまた湯に沈みます。
 そして飽きる前に湯から上がって、ちょっと後ろ髪を引かれながらも露天風呂を後にするのが、贅沢の完成です。
 置いてあった無料のオレンジジュースをぐいっと一杯。さあ、東京に出発です。

 同じく東京へ帰る叔父と新幹線で話しこみます。
 日本中、場合によっては世界中を旅する仕事をしていて、話が面白いので有名な叔父です。
 仕事の合間を縫うようにして強行日程で行ってきたシドニーオリンピックの話をいろいろ聞かせてもらいます。
 シドニーに生息する身長2mのオカマさんとか、そんな話を伺っているうちに列車はすぐに東京へ着きました。

 上野公園へ。
 今回の上京も、元はと言えば、急に開催されることを知ったロボデックス2000を見るために急遽組んだ日程だったわけですが、この上野公園訪問はさらに急日程、僕の興味のある催しが行われているのを知ったのが出発二日前で、見に行くのを決断したのは出発してから、前日の24日でした。
 平成館とやら名前のついた四角い建物で行われていた「中国国宝展」、これです。
 入るとすぐに、全般にまろやかなラインで形作られた仏像がだだーっと並んでいます。1000年も前にそれを作った人々の情熱と執念が伝わってきます。
 魅力的な展示物は多かったのですが、人が多かったのと時間が無かったのを理由に、ほとんど駆け足で通りぬけ、いくつかのお目当てブツにだけじっくりと時間をかけて観賞しまして、小一時間ほどで新石器時代から中世あたりまでの中国の文化遺産を、ほんのさわりだけ楽しんだのでした。その後、間抜けなことに時間が余ってしまって、昨夜に読みかけた本を平成館の休憩コーナーで最後まで読んでしまったりしました。

 午後になって、インターネット上で知り合い、親しくお付き合いさせていただいている方とお会いし、喋って飲んで歩いて食べて、気がつけば日付も変わろうという頃になっていました。
 翌日横浜をごいっしょする方とは時間の打ち合わせを、こういう機会でもないとお会い出来ない方とは別れを惜しみながら、電車の時刻表に引き裂かれ、楽しかった会合が終わります。
 僕は、朝に予見していた通りに、行き付けの秋葉原のカプセルホテルに宿を取り、高級ホテルの羽毛布団よりこういうカプセルの煎餅布団のほうがぐっすり眠れる自分の貧乏性を呪いながら、快適な狭さにやがてまどろむのでした。


11月24日

 前夜も夜更かしをしてしまったがために、しょぼくれた目を擦りながら、午前10時30分、静岡に向かって出発です。
 高速道路は快適、すいすい進みます。
 途中、なんとかいうSAでご飯を食べました。そこはレストランが小奇麗なのを売りにしているSAで、洋の店舗と和の店舗の二つが入っており、僕は「八丁味噌ラーメン」にひかれて洋の店舗に入りました。(あれ?今考えるとなんだか変だ)
 小奇麗で、期待していたとおりには美味しかったです。野菜は契約農家からしか買わないとか、コーヒーお代わり自由とか、サービスも含めて、なかなかよろしい。でも、お値段ちょっと高かったです。
 トイレに行きがてらふと見ると、ターンAガンダムの200円ガシャポンが。
 地元で買い逃していたものです。いつもの、こんなところに置いてあってこんなの誰が買うんだろうなどと呟く人格をよそに向かせて、レッツトライ。1000円使ったところで、去年の今ごろプレイしていたドリームキャストのゲーム「シェンムー」の主人公と同じあやまちを犯しつつある自分に気がついて、立ち上がります。
 収穫は、龍角散くららちゃん、じゃなかったキエル・ハイム二つとMSフラット二つとターンAガンダム。ソシエ・ハイムが欲しかったのに、と後ろ髪ひかれながらも、いつもの「本当に必要なものならば、今手に入らなくてもいつかまた出会える論」を持ち出して自分の感情を納得させ、車に戻ります。

 静岡で、まず伯母の家に寄ります。
 3年前に来た時から、さらに緑の侵略が進んでいます。伯母は「みどりの指を持つ人」、つまり園芸の達人でして、家の中も外も観葉植物でいっぱいにしているのです。「みどりの指を持つ人」というのは、園芸を行う人間が誰でも憧れる、どんな植物でも不思議と枯らさずに繁茂させることが出来る人のことです。
 庭も改修されていて、小作りながらも整った趣味の良い日本庭園風になっており、小さく水も流れていて、去年連れ合いを亡くした長野の祖母が、冬場は気候の穏やかな静岡にあるこの伯母の家で、この庭を眺めて過ごすのです。静かに眺めていると、十種類以上の野鳥がやってくるのだそうで、そうやって自然の鳥が佇むことで完成するように作られた、贅沢な庭であるという印象を受けました。

 それから皆で、結婚式の行われるホテルへ。今日は従兄の結婚式に呼ばれていたのです。
 新郎新婦の希望で、お互いの会社関係者すら呼ばない、近しい縁者同士が顔を合わせるだけという慎ましい式です。
 ホテルに着いたところで、まだ随分時間があり、僕は浴衣に着替えて名物の景色のよいという風呂に向かいました。
 公衆浴場の作法通りに、まずは体をざあっと流し、きれいな体で湯殿に足を入れます。少し温まったら、ガラス張りの引き戸を開けて露天風呂へ。
 日が傾き始めたところで、世界は、視認できるかどうかぎりぎりのオレンジ色。海と薄曇の明るい空が同じ色をしていて、水平線が霞んで、大空と太平洋が溶け合ってしまっていました。

 勿体無くて、ため息を一つ。湯に手を入れ、僕ごのみのぬるさに喜び、静かに身を浸してもう一つため息。
 鼻歌でもと思ったのですが、どうにもしっくり来る歌が思いつかず、遡っているうちに小学校のころに習ったような唱歌に行きついて、ゆうやぁけこやけぇのぉなどと場違いに奏して自分なりに気分よくしておりました。
「何処から来たの」
 なんて、知らないおじさんが話しかけてきました。
 話をしてみると、なんだか御忙しい仕事をされている方のようで、明日は京都、昨日は東京で宿泊とのこと。
 ちょうど思い出したので、明日行こうかと思っている「中国国宝展」の名前を出したら、なんと昨日丁度見てきたところだと。あれは凄い、あれはよかったとおじさんの絶賛を受け、こういう偶然には何か意味があるはずだと納得し、僕は明日の朝の出立を少し早めて国宝展を見に行く時間を作ることにしたのでした。
 さらに話を伺うと、おじさんには息子さんがいて、その方は一度そこそこの企業に就職したものの、あまりにも無茶な就労条件に体を壊し、それでも働こうとしたのを家族で反対して会社を辞めさせ、いまはフリーターの境遇とか。なんだか僕と似ています。
 おじさんは、今の世の中、なんだかおかしい気がする、というようなことをぽつり、ぽつりと言いました。おそらくそれは、人間が人間として生まれて以来、何億回、何兆回と繰り返されてきた呟きだと思います。
 自分の生きている時代、自分の生き方、家族の運命、現実のそういったものに満足出来るのはほんの一部の人達だけなのではないでしょうか。
 何かしらの不満や、不安や、不幸のある人の方が絶対的に多数で、そして、いや、だから、この考えが何に結びつくのかは、まだ僕にはよくわからないのですが。

 結婚式が終わって、二次会のカラオケもやがて終息し、部屋に戻ります。
 布団に横になったものの、なんだか寝苦しく、僕はカバンから一冊の文庫本を取り出しました。人に薦められて買った『おもいでエマノン』というSF小説です。
 ちゃんとしたSFを読むのは久しぶりだな、と思いながら、読み始めました。
 エマノンという不思議な名前の少女が主人公の短編連作で、全体を通してみてもそれほど長いわけでなく、しかし、心に残る詩情を持ったお話ばかりで、その夜は、僕の記憶の中で従兄の結婚式を差し置いて、エマノンの夜だったと名づけるに至るほどの、静かな感動を僕に与えてくれたのでした。
 一息で読むのが勿体無くなって、途中で閉じ、布団に潜りこみます。
 布団の中で、僕の意識はエマノンを思って拡散します。
 エマノンは、ジーンズに荒編みのセーター、ENと刺繍された黄色いナップサックを持って、長い髪を払うのが癖。ちょうどそんな感じのジーンズとセーターを持っているので、長い髪は諦めるとして、黄色いナップサックを買ってくれば簡単にエマノンのコスプレが出来るな、なんて考えます。
 エマノンは、この地球に生命が生まれてからの、全ての記憶を持っている少女なのです。彼女は旅をしています。もう30億年にもなる旅です。それがどう終わるのか、なぜにエマノンはそんな能力を持っているのか、もっともらしい推論はいくつも出てきますが、誰にもわかりません。
 どうせ旅行をするなら、エマノンの格好でしてみよう、なんてミーハーなことを考えているうちに、今度は、短編の一つに出て来た、「宇宙」になってしまった少年の話を思い起こします。
 交通事故の現場にエマノンが居合わせ、その血液を輸血された少年は、それから30億年の記憶を自分の中に宿してしまい、それに苦しみ、治療の一環として逆行催眠をかけられているうちに人間から猿人、哺乳類、両生類、魚類、微生物、単細胞生物とその姿までも遡っていき……最後に「宇宙」になってしまい、そのまま夜空へ旅立っていくというお話でした。
 僕は、人という器を持ったまま、やがて眠りに落ちました。


 ロボットは、ロボットであることに、やがて悩むときが来るのでしょうか。
 そのとき、人は先輩としてその悩みに答えてあげることが出来るのでしょうか。
 今では遺跡だけが残る古代の人類の文化の中には、その答えがあったのでしょうか。
 三日間の日程の中で、ロボットあり、歴史あり、オリンピックあり、SFあり、露天風呂あり、大道芸あり、その他いろいろ、そして多くの出会いと、その語り合いの中での知性がありで、実に思うところが多かったです。

 ロボデックス2000をみることが出来なくて、いじけて逆順で旅行記を書きました。
 これを書いていて、今日も夜更かし、ちょうど24日の出発前と似た状況です。
 だからたまには、こんなふうに時間を逆回しにしてみるのも、刺激があっていいですよね。

秋の山々

 11月の11日、12日にかけて、信州へ行ってまいりました。祖父の一周忌です。
 祖父は、病状が悪化する直前の去年の夏、考えあってカトリックに改宗したため、墓石には、苗字の前にペトロという洗礼名が刻まれています。
 宗教が違うわけですから、例えば高いお金を払ってお坊さんを呼んだりする面倒がなかったりとか、三回忌とか七回忌といった仏教の風習にも関係無かったりするので、いろいろと勝手が違うなあとは思いながらも、やはりある程度カタにはまったものがないとということで、墓前にお線香を上げたりはしました。

 おりしも信州は冬の入り口でした。
 紅葉は盛りを少し終えた頃。信州の秋の山々というのは少々慎みが深く、色づいた葉が落ちきる前に雪に埋もれることで、禿げ上がってしまったみすぼらしいその姿を覆い隠してしまいます。
 ちょうど去年がそうでした。
 山中の焼き場に向かう車の窓からは、祖父の好きだった紅葉が、やや時期が遅かったにもかかわらず、山という山を赤や黄色や山吹色に染め上げていて、そのあまりの華やかな美しさに、葬儀の席であるにもかかわらず、僕らは歓声を上げてしまったものでした。
 そしてその翌日、北信濃一帯はその年初めての本格的な降雪にみまわれ、山々は冬の装いになったのです。
 祖父は大変にわがままなところのある人だったので、僕らは口々に、「おじいちゃんは最後まで、自分の見たいものを見て、周りの人の迷惑なんて考えない人だったね」と笑いあったものでした。

 今年の冬は例年より温かくて、11月に入っても、長野市で最高気温20℃を記録する日があったくらいなのですが、僕らが訪れる数日前から急激な冷え込みがあって、当日の墓地の気温は6℃でした。
 風もありました。僕は祖母に寄り添って、その手を引くのが役目でした。
 その寒さは、ちょうど生前の祖父を思い出させる厳しさがありました。
 寒い代わりに、墓地の桜の紅葉が一際美しかったのでした。
 桜は年に二度咲くのだなあ、などと僕はぼんやり考えていました。

 祖父の墓前で、隣で手を合わせる従兄にも聞こえないような小さな声で、おそらく、生まれてから発した声の中でも一番小さな音量で、僕は祖父に、文章を書いてご飯を食べていく道の、小さな小さな第一歩を踏み出せたことを報告しました。
 祖父は生前、僕の小説家になりたいという夢を、あまり快くは思っていなかったようです。趣味でやる分にはいいだろうが、好きなことを仕事にしてしまうのは辛いぞ、と二度語ってくれました。
 しかし、僕がやりたいことをやって、それで食べていかれるのなら、父や母にとっても一番嬉しいことのはずだ、とも言ってくれていました。
 そんなことを言う祖父ですが、実は祖父こそが、僕の近しい人の中では一番好きなことを仕事にした人でした。
 僕が思い描いている人生は、祖父の人生をなぞるところが多くあります。

 祖父については、またいつかきちんと書こうと思っています。
 戦前、戦中、終戦直後、戦後、高度経済成長期、そして近年。それぞれに、「信念と実行」の人だった祖父の面白いエピソードは山ほどあるんです。
 そしてきちんと、大きな大きな結果を残した人でした。

 これからも、ちょうどこの紅葉の時期に、たびたび信州を訪れることになると思います。
 紅葉や秋の味覚といった祖父のもてなしを受けながら、僕はこれからも生まれ故郷の信州を愛しつづけます。
 どこに住んでいても、帰る場所はやはりここなんだなあと、その山々を見るたびに僕は思い返すのです。


 ちなみに、一泊二日の旅行中、ソバは四回食べました。
 あと、田中新知事で話題の長野県庁も見学してきました。田中さんがんばれ。

誰にも言わないで下さいね

 雑誌を買いに、本屋に来ていた。

 なんだ、まだ出ていないじゃないか。
 しょうがない、何か他に出ていないか。

 何だ、あれは。
 なぜ、文庫の平積みの山の中に、匣(はこ)が置いてある?
 ボクの不安を掻きたてる、真っ黒い匣が、いくつもいくつも積み上げられて、あれではまるで。
 そうか。
 あれは文庫版だ。
 あの「魍魎の匣」の文庫版だ。
 もう、随分前に出たものだが、いまだに平積みなのだな。売れているのだろう。
 面白いものな、京極夏彦。分厚いのに、いくらでも読めるものな。

 う。
 違う。「魍魎」ではない。「魍魎」の文庫版は、講談社文庫の棚にきっちりと納まっている。
 これは何だ?
 表紙には・・・
 「狂骨の夢」と書いてある。

 馬鹿な。
 「狂骨」といえば、京極作品としては「姑獲鳥」についで薄く、手に持っても疲れない程度の厚みの本だ。
 こんな、「魍魎」と並べて遜色無い匣が、「狂骨」であるはずが無い。
 こんなにずっしりと重いはずは。
 なんだ。何か手にまとわりつく。
 宣伝の帯か。
 帯に何か模様が。
 じゃまっけだ。趣味の悪い。

 いや違う。これは文字だ。宣伝文だ。
 落ちつけ、文字があるなら読めばいいのだ。

 『加筆400枚』

 匣が「ほう」と鳴いた。

 ボクはその匣がひどく欲しくなって---
 一枚の千円札を取り出し---
 震える腕を抑えながら、二つを重ね、そっとレジに差し出した。

思う所あって、漢詩の本をいくつか入手しました。
漢詩文を素読し、いつかは創作までできるようになりたいと思っているのですが、とりあえずは、易しい書き下し文と砕けた口語訳の付いたものから手を付けております。
漢詩といえば、まずは中国最古の詩集である「詩経」にあたることになるわけですが、これに関する解説文の中で紹介されていた孔子の言葉にひどく感銘を受けたので、それをご紹介します。


「詩経」は儒家の経典の一つであるために「詩経」と呼ばれていますが、もとは単に「詩」と言ったんだそうです。
収録作品数は三百五編。これは孔子の時代からほぼ変わっていないようで、「論語」の中でも孔子は「詩三百」と言っています。
それに孔子はこう続けます。

「一言にしてこれを蔽(おお)えば、曰く、思い邪(よこしま)なし。」

「思い邪なし。」一編だけでも読めば胸がいっぱいになって食事も喉を通らなくなるような名詩文が三百五も集まった詩集が、この一言に要約されてしまいます。そこに歌われているのは、すべからく純粋な人の心なのです。
振返ってみて、今、僕らの身の回りに「邪なし」と言い切れるようなものがどれほどあるでしょう?
孔子は「古い時代へ帰れ」と事ある毎に言った人ですが、確かに、古には目を見張るような美しい道徳や人間の心があるなあとため息を吐いてしまいます。


「詩経」の内容の内訳は、恋の歌がまず過半数を占め、あとは農事を歌ったもの、結婚を祝ったもの、悪政を呪ったものなどです。
恋歌に、仕事の歌に、イベントの歌に、世相の歌と、今も昔も、人々が歌の題材に選ぶものは、あまり変わりが無いようです。人の心というのは、変わらない部分があるようです。
だからこそ、二千年以上昔に詠まれた歌が、今も人の心を打つのですね。


ちなみに、僕の買った本に載っている「詩経」の第一詩は、若い男が良い乙女を求めてあちこち探し回り、見つからなくて夜も眠れず寝返りを何度もうち、やっと見つかったらとにかくちやほやするという、本当に今も昔も変わらぬ男女の風景でございました。
さすがに笑ってしまいました。

変わらぬ営み

五月九日のことです。
毎年ゴールデンウィーク前後にこんな日があるものですが、僕の住んでいる愛知県西部の気温が突然跳ね上がって、昨日までは25度より下だったのですが、いきなり30度を越えました。
数値的にはっきりと表れた、夏の始まりです。

夕方からいつものように中型店舗の小売業のお店で店番をしておりましたところ、お客さんに声をかけられました。
「はい」
「アイスがドロドロですよ」
冷凍物用ショーケースの冷房装置がほとんど止まっていました。
すでに帰宅していた店長に慌てて電話を入れ、まだ商品として寿命のありそうなものから、どんどん裏の冷蔵倉庫に運び込みます。
普段からお客さんが少ないためにのんびりとした空気の流れている店内が、この時ばかりは大騒ぎです。
近所の社員さんも出てみえて、みんなでわらわらと半分溶けたアイスやら唐揚げやらでいっぱいのカゴを運びました。僕はなぜか冷凍枝豆の袋を引っつかみ、真っ先に運んでいました。もっと高価な商品は沢山あったのに。
思ったより早く、冷房装置の業者さんが来てくれて、あちこちいじりはじめます。
話をうかがうと、今日はそこらじゅうでこんな事が起こっているんだとか。大型の専門的な機械の故障ですから、当然、店員の手には負えず、業者さんが大忙しというわけです。
原因はやはり、急に上昇した気温のせいのようです。

その昔、季節の変わり目や、特定の記念日には、国を挙げてお祭りが開かれました。そういった「変わり目」に、一緒に大きな変化が訪れ、なにか自分たちの周りに大きな災厄が起こらないようにと、祈ったわけです。今でもその名残で、年末年始や個人の誕生日なんかは、自然にお祝いやイベントを行いますよね。
節分なんかはまさに「節」の「分かれ目」ですし、春分の日、秋分の日というのは、昼と夜の長さが全く同じという、まさに季節の変わり目の日なわけです。
こんなときには、何かが起こって当然。何も起こらなければ、それこそ信心の篤い人なら、神仏に感謝するのも当然でしょう。
その昔は神様に祈る専門の職業の方がいらっしゃったわけですが、現代では精密機械の専門職の方がそういう場合に出張ってみえるわけです。
こうしてみると、今も昔も人の営みにはあまり変化が無いように思えます。

機械を業者さんに任せて、アイスが売り物にならなくなってさらに暇な店内で、バイトの相方と取り留めも無い話をしているうちに、話題はレジ近くの棚に一大勢力をはびこらせているカップラーメンに移りました。
これが美味しい、あれは微妙なんて話しているうちに、やがて、即席麺というのは発明の才能が無いと言われている日本人が、世界に誇る三大発明の一つであると、僕が以前本で読んだ内容をとうとうと語りだします。
二つ目の発明品は炊飯器。これで、世界中の人々が、上手にライスを炊き上げ、美味しく食べられるようになりました。
そして三つ目は・・・。
僕は自分の話に夢中になり、それがどんなにすごい発明なのかを語りました。ローマ法王庁にさえ認められている、人類全体の知恵の一つなのです。
ふと見ると、相方の女の子はそっぽを向いていました。心なしか、頬を赤らめているように見えます。
はたと気がつき、僕は口を閉じました。しまった、女の子の前で、オギノ式避妊法の話なんて、するもんじゃなかった。

これも、初夏の陽気が招いた、ちょっとした災厄ですかね。

発想

現在でも続いている 超人ロック という歴史あるSFマンガに、「ニケ」という戦闘兵器が出てきたことがありました。
主人公ロックに自分の部隊を全滅させられたストロハイム少佐という軍人が、ロックを倒すために最後に持ち出してきた、本来は使用禁止になっている軍の秘密兵器です。
鎧に身を包んだ女神像のようなデザインの、特殊金属製の人間サイズの兵器です。使用者は専用のヘルメットを装着し、安全な遠隔地から特殊な無線を使用して操縦します。ニケのモニターに写ったものはそのまま操縦者の視覚に投影され、それらの情報を元に、繊細な判断が要求される潜入任務から、備わっている四肢を駆使した格闘戦、内蔵されている膨大な火力や特殊合金製の頑丈なボディを利用した体当たり攻撃などを使っての対戦艦戦闘まで、万能とも呼べる性能を発揮します。
その開発コンセプトは、「個人が使用できる最強の兵器」です。
ただし、この兵器のコントロールには人間の限界を超えるような神経の反応速度が要求されるため、操縦者は麻薬である加速剤を使用し続けなければなりません。それゆえに使用禁止の実験的兵器だったわけですが、ストロハイム少佐はロック憎さのあまりに、軍の倉庫からこれを強奪して使ってしまったわけです。
さらにこのニケは、コンセプトの優秀さからかその後も研究が続けられたようで、ニケマーク4なる後継機も後の話に登場しました。このように超人ロックというマンガは、主人公ロックをとりまくドラマの他に、兵器の開発の流れや人々の風俗が時代とともに変化する様などもさりげなく描写されていて、一度その面白さに気が付いてしまうと、なかなか離れることが出来なくなってしまいます。

ちょっと脇にそれてしまいました。今回の更新は、このニケのプロトタイプとでも呼びたくなるものが、実際に開発されたという話です。場所は日本の九州です。
といっても、軍事兵器としてではありません。人間サイズのプラスチック製の体を持った機械人形を簡単に遠隔コントロールできるハードとソフトのシステムを、福岡のある会社が開発したんだそうです。
TVのニュースのトピックスで見ただけなので詳しいことはわかりませんが、どうやら機体の下部についている車輪で移動するようなので、段差の多いところでは使用できないみたいです。
開発コンセプトは、ずばり老人福祉です。
家から出ることの出来ないご老人が、この機械人形を操縦して、近所の商店街で買い物をすることが出来るわけです。機械のカメラに写ったものは、動画で老人の元に送信されます。声のやり取りも出来るので、知ってる人にあった時に挨拶もできます。それこそ、自由に動かせる目として、観光に出かけることもできます。TVでは、実際に買い物をしているところを写していました。
さて、ここからが凄いのですが、このシステムは、機械の頭脳部分がソフトウエア中心で組み立てられており、メインコンピューターはなんと市販のノートパソコンなんです。しかも、通信部分は市販のPHSを4機同時に使用することでまかなわれており、新しいインフラ整備はまったく必要ありません。
その結果、ハード部分も含めて実際にはいくらくらいで発売されるのかわかりませんが、従来では考えられないような低コストでこのシステムは販売できるそうなのです。
製作者の社長さんは、遠く離れて住んでいる母の肩を叩いてあげる方法はないものかと考えているうちに、このシステムを思い付いたんだそうです。


お金をもってのそのそ歩いているような機械人形は、たやすくイタズラできてしまいます。交通事故を引き起こしてしまうことも多いかもしれません。
課題はいろいろありますが、この「もう一つの体」の発明は、ものすごい可能性を秘めているように思います。
なにより、いつか日本が「こどものくに」になった時、そういう機械が街をてけてけ移動していたりするのは、とても似つかわしい光景ではないですか。

その理由

僕らは、まず何より自分を大切にしなければなりません。
おぎゃあと生まれて此の方、嬉しいことも、楽しいことも、時には辛いことも悲しいことも、みんなこの体と精神があったからこそ感じることが出来たんです。
それらの感覚や、そういった記憶の蓄積は、他の誰でもない、自分だけのものです。例え親や兄弟だって、自分のこの感覚を全て共有してくれているわけではありません。
だから、自分で自分を守らなくてはならないのです。自分を守るためならば、何をしてもよいのです。自分を守ってくれるのは、まずは自分だけなのですから。

ところで、人は事ある毎に「人を殺してはいけません」と言います。
当然です。「人を殺してもいいですよ」と言ってしまうと、その相手に自分が殺されてしまうかも知れないからです。自分の大切な人を殺されてしまうかもしれないからです。
みんな自分を守るために、他人に対して「人を殺してはいけません」と言うのです。

ところで、本当に人って殺してはいけないものなんでしょうか。
論理的には、他人の存在の証明というのは、未だなされていません。そんな居るんだか居ないんだかわからない人の都合なんて、知ったこっちゃありません。「殺すな」って言われても関係ありません。そうすると、「自分が殺したいと思ったら人を殺していい」、ということになってしまうかもしれません。

でも、自分は死んでは駄目です。当たり前です。自分の存在証明というのは、有名な「我思う故に我有り」でなされているのですから、この世でただ一つ存在の確かな自分というものを、消してしまって良いわけは有りません。質量保存の法則だって、慣性の法則だって、そこにあるものは有り続けようとするし、そこに無いものは決して発生したりしないとしています。そこにあるものを消してしまうというのは、宇宙の科学の法則に反しているのです。

さて、論理では他人の存在は証明出来ていないわけですが、僕らは直感的には他人の存在を認めています。先天的に、他人が存在しているということを知っています。
論理や科学の世界ではありません。人ならば、自分以外にもこの世に他人というものがいるということを、知っているのです。
「他人」というのは、その「他人」自身にとっては「自分」です。想像力があるならば、他人の痛みや他人の悲しみを、自分に置き換えて想像することが出来るはずです。そうやって想像したとき、間違いなく他人は直感的に実在します。
論理だけで構築される世界を越え、自分の枠の外にあるものを想像したとき、人は他人をあらためて認識し、そしてやっと自分と世界との対話が始まるのです。

他人を殺すことは、自分を殺すことと全く等しいのです。
だから、人は人である限り、人を殺してはいけません。

コンピューターに計算させても、現時点でこの答えは出ません(いつか論理学が他人の存在を証明できるようになったらわかりませんけど)。
だからこそ、人は、人を殺してはいけないと、直感的に理解している限り、人なのです。
人種も民族も文化も常識も法律も関係ありません。意志あるものは、意志ある他者を殺してはいけないのです。
そしてそんな他人の存在を認めることができるほどの想像力の翼は、自分を守ると同時に、その持ち主にどこまでも豊かで美しい世界を見せてくれることでしょう。

ばかっつら~!

この冬、WOWOWに注目すべきアニメが3本ほどあるので、簡単にご紹介いたします。

まず、毎週水曜夜7時からの、「風まかせ月影蘭」です。
先日までWOWOWで放映されていた「今そこにいる僕」という近年希に見るハードなアニメの監督脚本を手がけた、大地丙太郎氏の最新作です。
やたらに腕のたつ女剣士の月影蘭と、大陸生まれの拳法家ミャオ姐さんの女旅ガラス二人連れが、はびこる悪を退治する時代劇じたてのアニメです。何といっても魅力的なのは、悪漢との殺陣のシーンの工夫の練られたアクションと、主人公蘭の押し殺すような声質によって表現された、控えめな大人っぽい女性の表現でしょう。
時代劇をやる以上は殺陣に凝るのは当然ですが、痛快娯楽作品ならば能天気で元気な主人公、というような定石を外して用意されたと思われる蘭の性格は、虚を突かれると同時に視点の異なる面白味を感じさせてくれます。まるで、三船敏郎演じる椿三十朗に輪をかけたような、ぶっきらぼうを装っていながらいつのまにか騒ぎに紛れ込み、結果的に弱者を救うその行動は、油の乗った作り手の腕を感じさせてくれます。
現時点では第一話のみが放映済みですが、演出を手がけるのは「赤ずきんチャチャ」「アキハバラ電脳組」「十兵衛ちゃん」などでテンポのよいカット割りに定評のある桜井弘明氏であり、総作画監督に一部で有名なサムシング吉松氏の名前らしきものも見えます。大地監督の人脈健在、といったところでしょうか。
ところで、その第一話にさくらという名前の気立ての良い街娘が登場したのですが、作品内の演出とは関係なく、僕はそのキャラクターの動向に注目せざるを得ませんでした。まことに作品とは関係の無いことなんですけど、そのキャラクターを演じられていた声優さんが渕崎ゆりこさんという方で、「少女革命ウテナ」というアニメにおいて僕にトラウマ的なショックを与えた姫宮アンシーというキャラクターの声優さんだったんです。もちろん、キャラクターの外見や性格等の設定もまったく違いますし、本来ならば気にすることはないんですが、普通声優さんというのはキャラクターによって声質を使い分けたりするんですけど、なぜか渕崎さんは、この街娘の声をアンシーと同じ声質で演じられていたものですから、どうしても心に突き刺さってしまって、一人TVの前でもだえ苦しんでしまいました。
僕のお馬鹿な話は置いておきまして、作る作品がことごとく話題作になる大地監督の最新作ですから、この作品も見逃さないでいきたいものです。ちなみに、WOWOWですが、無料放送です。衛星受信施設があれば、未加入でも見ることが出来ます。

続いて、毎週木曜夜7時からの、「OH!スーパーミルクチャン」。
一見可愛らしいものの、よく見るとものすごく毒のあるデザインのキャラクター達が、不可思議なストーリーに乗って大暴れします。偶然時事ネタになってしまったきんさんぎんさんのギャグはちょっと毒気が強すぎた気もしますが、それは別にしても全編にわたるムチャクチャな登場人物たちのやりとりが、なんとも大笑いさせてくれます。
セリフを棒読みするようにとつとつと喋る主人公のミルクチャンは、声質は普通の女の子なのに、セリフはものすごく乱暴で、これまたなんとも魅力的です。消費者金融にお金を借りておいて、取りたての電話がかかってくると「きさまにかえすかねはね~!」と受話器を叩き付けたりします。同居人のロボットがミルクチャンの乱暴な言動に注意をしようとすると、「このばかっつら~!」と怒鳴りかえす始末。でも、あまりに可愛らしいデザインで、憎めません。
まったく絵柄の異なるキャラクターや実写まで作中に登場する、ごった煮のようなアニメです。制作はぴえろ。その昔押井守が在籍していた、能力のあるスタジオです。こういう先進的な作品が作れるスタジオは、やはり限られているのかもしれません。
あと、ちょっと古いアニメが好きな人なら、OPは必見です。
これも、無料放送です。

トリを勤めますのは、毎週日曜夜10時頃(週によって少々変わります)に絶賛放映中の「サウスパーク」です。
アメリカのとある田舎町サウスパークを舞台に、主人公の四人の小学生を中心とした奇想天外な大騒動が巻き起こります。かわいい切り絵の様な絵柄とは裏腹に、主人公達のまわりで起こるのはいつもジョークとブラックの境界スレスレの事件です。100歳を越えた祖父に自身の殺害を依頼されたり、親友でもある飼い犬が実はホモで矯正しようとしてもまったく効果が無かったり、主人公のうちの一人が自分に父親が無いことに悩んで登校拒否になってしまったり・・・・・・。
こうして挙げてみるとまるで社会派ドラマのようでありますが、実際にはブラックユーモア溢れるギャグアニメです。アメリカではPTAがその内容のあまりの下品さに大変な抗議をおこし社会問題にもなったそうで、日本でも今回のWOWOWでの放映はR指定(15歳未満視聴禁止)となっています。
ただ、扱われるテーマはあくまで社会派で、それを今時のクールな小学生が淡々と能天気に乗り越えていく様は一見不謹慎かもしれませんが、その実とても丁寧に描かれる心理描写や説得力のある登場人物たちの行動原理は、決して子供たちに見せることを禁止するような番組ではないと思えます。
ブラックなユーモアを楽しめる方なら、膝を叩いて笑えること間違い無しのアニメです。
これだけは有料放送です。WOWOWに加入して見てください。


どのアニメも、現在やっているアニメの中では「トランスフォーマー・ビーストウォーズメタルス」に次ぐ地位を争うほどの面白さです。機会があったら、是非一度見てみて下さい。

年末だというのに

12月26日23時30分発、新宿行きの夜行バスに乗っててなしもは東京へ向かいました。
目的は東京観光、そして、ネットで知り合った方々とのオフ会への出席です。期待にはずむ胸とは裏腹に、襲い来る睡魔。しかし、窓がカーテンで閉じられた暗いバスの中で眠るのは、なかなかに技術が要るものです。うとうとしたり、昼間に聞いた変な流行り歌が頭の中でぐるぐる回って眠れなかったり、車内トイレで大あくびをしたりしている間に、いつのまにかバスは東京に近づいていたのでした。
途中、談合坂SAで休憩があり、食堂できつねそばを食べました。それにしても、なんで夜のSAで食べるかけそばというのは、あんなにおいしいのでしょう。甘辛く暖かい汁を最後まですすって、沈殿していた七味を吸い込んでむせるところまでお約束です。

新宿に着いた時点で、あたりはまだ真っ暗です。夏前に同じバスを使った時には、同じ時間にはもう夜が明けていましたので、同じ場所で降りたにも関わらず随分異なる印象を受けました。それとも、来るたびに違ってみえるのが東京という街なのでしょうか。
そのまま、まだラッシュの始まっていない山の手線に乗って、しばらくの間ぐるぐると東京を回りました。じきに適当な駅で降りて、線路に沿ってしばらく歩きますと、吉野屋を発見。所詮、吉牛道(よしぎゅうどう:吉野屋の牛丼を探求する道。しょうもない思想)のしもべにはこれがさだめなんだろうと、素直にそこに入って遅めの朝食、牛丼を食べました。

朝から腹も膨れたところで、またふらふらと歩いていますと、なんだか不思議なにおいがしてきました。見ると、道端でコーヒー豆を煎っている人が。目の前の喫茶店の店員のようです。すぐに行きたい目的地があるわけでもなし、そこで、食休みをすることにしました。
濃いコーヒーは苦手なのでアメリカンを頼み、それをすすりながら、しばらく窓からの風景を眺め、ポケットの文庫本に目を通したり、隣席のおじさん同士の会話にこっそり聞き耳を立てたりしているうちに、意外に時間が経っていました。

最寄りの駅は目黒でした。
そこからあちこち乗り継いで、お茶の水駅へ。駅を出て、橋を渡り、湯島聖堂に向かいます。東京へ来た時には、大抵一度はそこへ行って、孔子像に一礼するのが慣例になっています。友人からは腐儒とののしられることもしばしばですが、一応これでも僕は儒学の徒のつもりなんです。
東京に来た時には、その湯島聖堂の隣にあるカプセルホテルで泊まるのも慣例になっているので、一度立ち寄ってその晩に泊まれるのかどうかを確認後、秋葉原の駅へ。ネットで親しくお付き合いさせていただいている、さとりさんとの待ち合わせ場所です。
ほぼ時間どおりにお会いすることが出来、そのままさとりさんの先導で秋葉原巡りに出発しました。何度か来てはいるところですが、やはり詳しい人の先導があると回りかたに無駄が無くなります。あっちへウロウロ、こっちへチョロチョロしながら、いろいろ喋ったり、PCのパーツの値段を見たりしているうちに、うわさに聞こえたおでん缶の自動販売機を発見しました。
こんにゃく、うずらの卵、練り物等が豊富に入った、200円のホット缶です。出汁の味もなかなか。もっとチンケなものを想像していたので、そのボリューム感としっかりした食感には驚きました。これがこの日の昼食でした。

さらにしばらく秋葉原電気街巡りをしているうちに、ジャンクショップで古い98ノートを発見。なかなかお手ごろな値段だったので、ハンディテキストエディターにするために購入しました。無知は罪。その日に浦和でコインロッカーで発煙筒が焚かれたという事件があり、首都圏のコインロッカーはすべて使用禁止になっているとも知らず、そのちょっと重いノートパソコンを買ってしまったわけです。

その晩に別の用事を抱えているさとりさんの都合で、少々早く晩御飯を食べることになりました。秋葉原駅の近くの、万世というお肉の専門店です。
さとりさん、おごっていただいたハンバーグ、まことにおいしゅうございました。

さとりさんは帰り際におでん缶をいくつか買っていかれました。宿直の仕事の時に食べるんだとか。バイクで去っていくさとりさんをお見送りして、僕は先述のカプセルホテルへと向かいました。割り当てられた自分のコンテナの中で備え付けの浴衣に着替え、まずはと買ってきたノートパソコンをいじっているうちに、夜行バスでの睡眠不足がたたったのか猛烈な眠気に襲われて、そのままバタン、きゅう。最後に見た時計の針は、まだ6時でした。

なにかひどく気がかりな夢から目を覚ますと、時計の針は1時30分を示していました。
まだ深夜ですが、すぐに眠ることも出来そうになかったので、とりあえず腹ごしらえをしようとホテル内の談話室へ移動しました。冷凍もののポークカレーを買って、よれよれになっている新聞を読みながらもしゃもしゃ食べました。味気なや。その後最上階の大きなお風呂にゆっくり入って、自分のコンテナに戻って再び睡眠をとりました。
目が覚めたら、本格的な忘年オフ会に出席です。


続きは、明日の更新で。

進行中

日本を、21世紀のまるまる100年間をかけてこども文化立国「こどものくに」にしましょう!というのが、このHPのメインテーマであります。
HP立ち上げから4ヶ月が経過した現在、なんだか急速に、予想以上に事態がこどものくにの望む方向へ進んでいるような気がします。

そもそも、アニメ、ゲーム、マンガといったこのHPで主張している「こども文化」の主要なものは、質、量共に全て日本がダントツで世界の国々を引き離しているものです。世界中を見回してみても、お隣の韓国は国家レベルでそれらの制作に力を入れているそうなのですが、今のところ、日本に逆上陸を果たすような作品が出てきているという話は、あまり聞きませんし、台湾あたりにも結構レベルの高いそれらの製作者がいるという話ですが、まだまだ、組織立って大きな活動がされているわけでもないようです。ゲームに関しては、ソフトウェア的には海外産の面白いゲームがすでにいくつも存在していますが、ゲーム専用ハードとなれば、任天堂、セガ、ソニー等、日本企業の独壇場です。
とにかく、日本はこのジャンルの文化の豊富さに置いては、世界のどの国よりも圧倒的です。そして、この文化はTV受像機やインターネットや、アメリカナイズされた生活の力を借りてやがて世界に広まり、いつしかそれぞれの地でそれぞれの風土風俗にあった作品創りがされるようになると思うのですが、その時も、基本的に20世紀末から21世紀にかけて日本の中で生まれたこども文化スタイルの模倣がほとんどとなることでしょう。
自然にそうなっていくだろうと僕は考えています。それだけのパワーを、こども文化は持っているからです。
そうやって広まっていくこども文化が、地球上のどこで最初に発展したのか、それを普及させたのは何者であったのか。それはこの日本ですよと、22世紀や23世紀になった時に世界からはっきりと認識され、それが日本という資源の乏しい国にとっての大切な資源として、有効に活用されるように、今から準備しておきましょう、と、このHPは呼びかけているわけです。

さて、アメリカで現在、ポケットモンスター(通称ポケモン)が異常な人気の旋風を巻き起こしております。
元は小型ゲーム機のRPGですが、トイ、映画、キャラクターグッズ、TVアニメ、そしてカードゲームに等において、恐ろしいほどの商品売り上げをみせています。
訴訟騒ぎもいくつか起こっているそうです。例えば、ケベック州が、年内にフランス語版のポケモンを発売しなければ訴えると言っているとか。なんだかすごい話です。
子供たちはポケモンの小型ゲーム、又はカードゲームに夢中で、学校やキャンプ等では携帯禁止物の一つになっているそうです。カードのニセモノもすでに沢山出まわっているとか。

コンピューターゲームは、その市場や開発の環境によって、作品の質が大きく左右される事のある文化です。
世界の標準ゲーム機といえば、ソニーのプレイステーションですが、その後継機プレイステーション2が発売される前にライバルのセガが勝負をかけて発売したドリームキャストは、アメリカで2ヶ月半で100万台、ヨーロッパでは発売初週で約18万台、今でも品薄状態が続いているほどの、爆発的な売れ行きだということです。
もちろん、プレイステーション2が発売されれば、場合によってはドリームキャスト以上の売れ行きを記録するかもしれませんが、そうなった場合でも、ソニーの一人勝ちという構図では無くなりますから、お互い競争をする事でどんどんとより素晴らしいゲームの環境が整っていくでしょう。もちろん、ポケモンやマリオを引っさげて登場する任天堂の新ゲーム機ドルフィンも、黙ってはいないでしょう。
世界を舞台にした三すくみがバランスよく形成されれば、よりすぐれた作品が登場するための場として、この上ないものでなるでしょう。そして、その三すくみの作り出す結界は、そうやすやすとは他メーカーの侵入を許すことはないでしょう。

これは、言葉が悪いのですが、ある意味で、文化の侵略戦争なんです。
自国の文化が日本産の文化に阻害される事を嫌悪して、露骨に締め出し運動を行う人々はかなりいるようです。法律で、TVの全放送枠のうち、他国の番組の占める割合を一定におさえるように定めている国もあったように記憶しています。(フランスだったかな)
しかし、それは「状況」程度のものであって、こども文化が戦うべき「敵」ではありません。本来「敵」になるはずのものは、それぞれの自国の子供文化ですが、そのほとんどは伝統文化におもねっていて、大人が真面目に向き合って作った、現代の子供を喜ばせる事に特化した文化である日本のこども文化の前には、ほとんど戦闘力を持っていません。もちろん、駆逐やら殲滅やらではなく、共存をすることは何ら難しくはないはずですから、これはそんなに殺伐とした話ではありません。
敵がいない戦いでも、状況によって敗れた戦いというのは確かにありますが(冬にロシアに向かったナポレオンとか)、きちんと情報戦をやって、はっきりと対策を立てれば、物の数ではありません。
これはつまり「勝てる戦」なわけですから、勝った後のことを考えるべきであると、僕は訴えます。
それはすなわち「世界中の子供たちが大人になるまでに一度訪れる国」に代表されるような、世界中から信頼される国であるという、国のイメージ創りです。
そして、世界各国の子供たちや、やがて現れるかもしれない宇宙生活民の子供たちに、いつまでもメイド・イン・ジャパンのこども文化を楽しんでもらい、消費してもらえば、この国はいつまでもそれなりに繁栄し続けることができるはずです。そのために、これからの100年は勝負です。こども文化の整備を、死にもの狂いでやらなければなりません。

今はまだ一介のフリーターの戯言ですが、いつしかこの思想が多くの人々の胸に秘められん事を願います。
これより優れた日本の将来のビジョンを、まだ聞いた事がないんですもん。

ワーク

12月29日が最後の店番でした。念のため申し上げておきますが、たった一ヶ月でアルバイトがおしまいになってしまったのは、別に勤務態度が悪かったからではなく、最初から12月の忙しい時期のための臨時雇いだったからです。
短い間でしたし、特に大きな事件が起こったりもしませんでしたが、いろいろと勉強をさせていただくことが出来ました。

良く聞く言葉ですが、やはり何事もやってみなければ解りません。店番という仕事は、見た目以上に大変で、予想以上に気楽なものでした。
なかでも、僕にとって快適だったのは、仕事を丁寧にやろうとすることを邪魔するものが、何もなかったということでした。
もちろん、一緒に店番をした相方の皆さんはどなたもまじめで、明るく、元気で、お客さん達の人気者でありましたから、例えば隙を見て仕事の手を抜く、なんてことはそもそも全くなかったんですけど、それ以上にお客さんが少ない暇なお店だったので、僕は売れた商品を補充する際などに丁寧にならべたり、レイアウトに気を遣ったりすることに、たっぷり時間をかけることが出来ました。
見栄え良く、そしてお客さんが取り易いように商品をならべて、お客さんに大きな声で心から挨拶をし、わからないことは相方に聞き、ちょっと仲良くなったお客さんと世間話をしたりしている間に、いつのまにか一ヶ月は過ぎていました。

小売店というのは、資本主義社会において欠くことの出来ない要素です。そういうシステムの末端部分で実際に働いてみることで、本や、経済を扱ったTV番組などでは感じることの出来ない具体的な感触を、いろいろと味わうことが出来ました。
人が人に、持っているものを渡して、その代価を受け取るというシステムは、かなり昔から人類が行ってきた、人類だけの便利な文化です。そこには人と人との一瞬のふれあいという暖かなものがあり、人の優しさや親切さに触れることができます。
ひどく当たり前な印象かもしれませんが、人が働くということは、すばらしいことなんだと思いました。

というわけで、12月30日を持ちまして、てなしもはフリーターからまたもや社会不適合者に肩書きが戻ります。とりあえず、またアルバイトを探さなくてはなりません。
どこかにいい仕事、落ちてませんかねえ。

社会学の最先端

人は、目で見たり耳で聞いたり肌で感じたりしたことを、自分の中で再構成して、世界を認識しています。その外部から入って来る情報を、まとめて、一つの世界として僕らに認識させてくれるのが脳という器官です。
僕らが認識している世界というのは、すべて脳が見た世界です。脳を通さずに世界を認識する事は、人には出来ません。
脳は、外部から入って来る情報を体系化して、一つの世界を作り上げます。僕らはそれを世界そのものであると認識していますが、科学的にはそれは、世界の本当の姿ではありません。例えば、人の目では感知出来ない赤外線や紫外線、人の肌では触った事を感じる事が出来ない極小の物体、そして、僕らが知らない情報。それらのものが、僕らの認識している世界からは抜け落ちています。

さて、脳は、基本的には解剖学や脳生理学で扱う対象のモノです。しかし、脳というのは人間の活動すべてをその内側から起こさせている根元なわけですから、人間に関するありとあらゆる学問は、脳を研究対象としても良いはずなのです。
ある学者が、脳と社会学の関係に気が付きました。ある人物の脳とその人物をとりまくコミュニティーは相同関係にある、という事に、ある時ふと気が付いたのです。(相同:同じものを起源に持ち、同じ構造を持つということ。例えば、哺乳類の前足と鳥類の羽は、進化の過程で使用法が別れ、異なる機能を果たすようになったものだが、その骨格は今でも酷似しており、相同関係にある。)

生後間も無い幼児の脳は、生物としての基本的な機能以外は、ほとんど白紙の状態です。そこに、外部からどんどん情報を与える事で、その脳内に世界を再構成してやります。はじめのうちは意味も分からず、幼児はただ物を見つめ、音を聞き、体を動かすだけですが、ある瞬間、幼児の中の乱雑に積み重なっていた情報が、意味を持って有機的に繋がりはじめ、脳内にその幼児だけの世界を作りはじめます。そして人間は、そうやって作りあげた自分だけの世界を通して、外の世界を認識しはじめるのです。
だから、人間の脳は、その人をとりまくコミュニティーの構造と同じになります。

砂浜に住む生き物は、自分の体の形に合わせた孔を砂に穿って、そこに生活します。僕らも同じです。僕らは、脳にとって住み心地の良い世界を、僕らのまわりに作り出します。
厳しい自然から自分達の体を守るため、家を創ります。護身、防寒、装飾、その他30ほどの理由によって、衣服を着ます。食料を手に入れやすい土地を求めて移動し、確実に食料を手に入れるために飼育や栽培をはじめます。家の材料、服の素材、使い易い道具等を求めて、原始的な流通の仕組みが生れます。流通をスムーズに行うための輸送道具や、道が整備されます。それに合わせて、情報伝達の仕組みが発達しだします。
身のまわりを見渡してみて下さい。脳にとって不快なものは僕らのまわりから遠ざけられ、身近には、脳にとって心地よいものしか無いではありませんか。
こうして、人々の住む環境や、人々の構成するコミュニティーは、脳によって創られます。

お互いがお互いの元である。では、どちらが先なんでしょうか?・・・この二つのものの発生は、同時であると考えられています。どちらがかけても、残されたものは有効に機能しないからです。
酷く当たり前の理屈です。しかし、近年まで、こういったことに気が付く人はほとんどいなかったのです。それは、社会学と解剖学が異なる学問として別々に研究されていたからなんです。この理論に気が付いた社会学者が訴えているのは、異なる学問の研究者同士がお互いの研究を勉強しあう事で、1+1を3にも4にもしようという事なんです。こういう発表を、その社会学者は文理シナジー(相乗効果)学会で行いました。
『社会学の謎の一つに、「ムラの構造」というのがあります。人の社会は常に変化していて、人が生活している村の構造も、常に変化、進歩をしています。しかし、その構造変化は一様にはおこりません。現代社会の一端である現代の日本の農村にも、例えば江戸時代から変わらない風習というのがよく残っているのです。それが新しい社会の中でも何故消えずに残っているのか、そういう謎があります。しかし、脳生理学の成果を用いれば、この謎は簡単に解決出来ます。人の脳は、外側に大脳新皮質という高機能なものがありますが、その内側には旧皮質や脳幹といった古い構造の脳がそのまま残っているのです。だから、今の社会にも古い構造が残り続けるのです。細部の細かい状況などはもちろん色々と異なりますが、理論上、この二つは、同じ現象なのです。』
これらは、発表当時は「ヒューマンスマテリア(人物)」、今は「複雑系の社会学」と呼ばれている学説です。
今まで主に理系の分野で扱われていた複雑系という学問体系を、社会学に組み込んだ世界最初の学説です。数年前にはじめに日本語論文、ついで英語論文で発表され、世界の一部の社会学者の間でとても話題になっています。

さてさて、ここからが本題です。今まで述べてきたこのお話、すべては研究中の学説でしかありません。ですから、実はとんちんかんな大間違いであるかもしれないのです。現に、こんなのは出鱈目だ、という批判を浴びせて来る学者や、見向きもしない学者もごまんといます。
しかし、この学説は面白いのです。理論の展開をどんどん進めていくと、妖怪の話だとか、文学の話だとか、人は何故あくびをするのかとか、何故人は人を好きになるのかとか、ありとあらゆるものに、わりと簡単に答えが出てきてしまうのです。
この学説はてなしもの武器なんです。この学説を知っているのは、世界中でも現役の社会学者くらいだからです。同じ学者でも、他ジャンルの方々にはまだ全然認知されていませんし、一般にも、社会学の最新情報なんて、TVニュースレベルにまで落ちて来るには20年くらいかかります。
この学説を、物語の構造作りに利用したり、難解な文学の理解に利用したりする使用法は、おそらく、世界でまだだれも行っていません。僕だけです。実は僕、この点に関しては世界の最先端なんです。なんちゃって。

この学説を通してみると、世界は僕の知らなかった姿をいろいろと見せてくれます。世界を構成する理論を知る事で、人はより「客観」に近づく事ができます。それは科学の使命であり、究極的には「人でないもの」に至る道の一つです。
近年、また他の学者からのアプローチなどもあって、随分多角的な脳の研究が進んでいるようですが、その研究の成果を踏まえた誰かが創作の世界にそれを活かす事にやっとたどり着いた時、ううんと引き離しておいてやろうというのが、僕の目下の野望です。
まだまだ勉強しなければならない事が山ほどありますが、いつか、これを活かした他に類を見ない上質の少年少女向けファンタジー小説を上梓するつもりです。

遠い思い出

今月に入って、全然更新が行われていないにもかかわらず、随分沢山の方がこのこどものくににいらしてくれています。
いつも大した話は出来ておりませんが、見に来て下さっている皆さんに感謝の気持ちを込めて、今回は少し自分の話をしてみようと思います。多くの優しい言葉をかけて下さった皆さんや、僕の事を気にかけて下さっている皆さんに、感謝を込めて、あまり人に語った事のない話をさせていただきたいと思います。

小学校5年生の終わり頃から、僕は「考え事」にとりつかれました。何も考えないでぼーっとしていることが出来ず、とにかく、何かいつもテーマをみつけて、頭の中でこねくり回していました。ただ、当時考えていた事は、ほとんど憶えていません。おそらく、答えのでないような問題について、堂々巡りをしていたんだと思います。その状態は、小学校を卒業するまで続きました。
中学で、ちょっとしたきっかけがありました。ホームルームの時間に、担任の先生がB4のわら半紙を配って、「普段自分が考えている事を好きに書きなさい」と言いました。僕は、とりあえず机の上にあった鉛筆の話から始めて、物質の成り立ち、時間の始まりと終わり、人間の行為を何かに記録する意味等について、思い付くままに書きました。もちろん、主観と思い込みに偏った、寝言みたいな内容の文章でしたが、細かい字で紙の3分の2ほどをびっしりと埋めました。
先生は、その紙に返事を書いて返してくれました。それは、内容に関する直接の返答ではなく、僕の文章を読んでいるうちに先生の頭の中に浮かんできたという、ガンと人間の総数の関係についての話でした。先生は、その話を紙の裏側まで使って赤いペンで書き連ね、最後に、僕が行っている思考は、「哲学」というものだ、と教えてくれました。先生がとても丁寧な返事をくれたことに僕は舞い上がって、友達にそれを見せびらかしたりしましたが、それと同時に、自分の中でずっともやもやしていた物に初めて名前を与えられて、とてもすっきりした思いでした。ちなみに、その担任の先生は、若くてきれいな方でした。
僕は考え事をする事にさらに熱中し、中学一年の終わり頃には、「釈迦や孔子でも、こんなに考え事はしなかっただろう」と、今考えると傲慢の極みのような気分を味わっていました。当然その頃の僕はまだ、釈迦や孔子が何をした人か、ほとんど知りませんでしたけど。
やっぱりこの頃の僕が何を考えていたのかは、今ではほとんど憶えていません。そのB4の紙も、最近までは引き出しに入っていたのですが、引っ越しなどをしているうちにどこかに紛れ込んでしまいました。

中学2年になり、友人が小説を書いてどこかに送ったら図書券が貰えた、という話をきいて、僕も小説を書き始めました。小説を書きながら、どんどん沸き上がって来る夢想を、あちこちのノートに走り書きするようになり、やがてそれらをまとめて「ネタ帳」を作りはじめました。ほとんど毎日何かを書き留めていたそれは、そのころの僕の日記のような役割を果たしました。人に見せるかどうかが違うだけですから、今も、あの頃も、やってることはあんまり変りませんね。
さて、その頃に作りはじめたノートは、書く頻度はだんだん減ったものの今でも続いており、その量は膨大なものになっているのですが、その中に「人でないものになりたい」という一文から始まるノートがあるんです。
それぞれのノートは、思い付いた事と、それを書いた日付だけが走り書きのように連なっているだけなのですが、やはり日にちが近いと関連のある話や文脈の繋がる話が多かったりして、当時の自分の事などが思い出せたりします。しかし、その「人でないものになりたい」は、どこから出てきた考えなのか、前後の脈絡も無くさっぱりわかりません。また、日付は付いているものの、具体的にいつ思い付いた事なのか、やっぱりよく分かりません。
しかし、この言葉は、今では僕にとって一番大切な魔法の言葉なのです。

「人でないもの」に、それ以上の定義はありません。例えば、大虐殺を行った歴史上の指導者等が、「悪魔のような人」と言われる事がありますが、それは人です。「悪魔」とまで言われたら、やっとそれは「人でないもの」です。そういう、表面上のことでもあります。同様に、「あの人は天使のような人だ」は、人だから駄目です。「天使だ」ならばOK。また、身体的に、人ならば100m走で九秒代後半くらいが限界ですが、「人でないもの」ならば七秒とか、一秒とかで走れるかもしれない、なんていうのも一緒に考えてしまいます。
そして又、内面の話でもあります。人であるならば耐えられないような悲しみも、「人でないもの」ならばそよ風が吹いたほどにも感じないかもしれません。極悪非道の犯罪者を、許したりできるかもしれません。
「人でないもの」は、空を飛ぶ事が出来るかもしれないし、地中を泳ぐ事が出来るかもしれません。世界から全ての苦悩を取り去る事が出来るかもしれないし、世界の真理にあっさり気が付けるかもしれないし、不死であるかもしれません。

きっと、読んでいて「何を言ってるんだこいつは」、と思われたことでしょう。内容が支離滅裂です。論理というより、詩に近いかもしれません。
中学の頃から、ずっと、ぼんやりとこんな事を考えていたんですが、哲学や論理学なんかを少々齧った頭でまとめているうちに、これはきっと、折に触れて突き抜けた価値観を持つ、ということになるんだと考え付きました。
人は生きて入る限り人の殻から逃れられませんし、死んでからだって、周りの人から「いい人だった」とか「やな奴だった」とか人として扱われ続けるわけですが、それに捕われず、自分が限界だと思う世界からさらに外に出てみる、という思想なんだと思うのです。単純です。

チーターなら、100m走七秒は簡単です。飛行中の宇宙ロケットなら一秒もかからないでしょう。仏像や十字架はどんな罪人をも許します。本物の天使がどこかにいたら、世界の苦悩を取り去ったり、真理を知っていたり、深い悲しみに傷つかないでいられるかもしれません。
「人でないもの」なら、どれも簡単な事なんです。
これを初めて思い付いた時、僕はなにかとても哀しい思いに打ちひしがれていたような気がします。「人でないもの」に憧れることで、僕は自分が人であることを強く意識し、悲しむ自分というものを、正当化したのだと思います。

人である限り、死ぬまで「人でないもの」になろうとする努力は終わる事がありません。「人でないもの」が普遍の、例えば「神」なんかであるならば、これは怪しい宗教になってしまいますが、「人でないもの」は、この世界に存在するあらゆる物のことですから、その答えや、目指す方向は無数にあり、一つの考えに凝り固まる事がありません。同じものを目指しても、正反対の方向を向く事すらあるでしょう。
大きな目標として「人でないもの」になることを掲げ、今の自分の行動の根元にも、それを同時に存在させます。
こうして自分で分析しているうちに、これはなかなかに優れた思想ではないかと思えてきました。いくつかの矛盾を内包したまま、思想として存在しうるような気がします。もちろん、僕個人の思想としてですけどね。

「人でないもの」になるには、他人の何百倍も努力しなければならないかもしれません。反対に、思い切り怠けて、他人のお世話になり続けているうちに、ふいになれるものかもしれません。まあ、そういう人は普通、「努力した人」や「怠け者」と呼ばれますけどね。「努力した人」は、それからさらに努力を重ねても、「努力」そのものになることはできません。やっぱり「努力した人」でありつづけるでしょう。
しかし、「人でないもの」になることは、実は不可能ではありません。
歴史上には結構、「人でないもの」になってしまった人がいます。菅原道真は天神様になってしまいました。徳川家康は大権現です。日本の歴史上には、このように神様になってしまった人がかなりいます。ぐっと格が下がりますが、民話などにはよく、物や動物になってしまった人の話が出てきます。中国の歴史には、「虎になってしまった男」の話が実名で出てきます。
後の人が何らかの目的で祭り上げた。面白い話になるように脚色された。おおいに結構です。「人でないもの」になるというのは、そういう表面上のことでもOKなんですから。
自分で自分の事を「人でない」と言ったら、大抵は狂人でただの幻想ですが、まわりからそう言われる事は、事実として希に存在するのです。


「人でないものになりたい」というのは、僕てなしもにとって、一番心の奥底にある言葉です。僕の考えや行動は、すべてここから始まっていると考えてもらって構いません。その根元が、こんなにもあやふやな概念だからこそ、僕はこんなにちゃらんぽらんなわけです。
12月1日からの本格再スタート後も、今まで通りのちゃらんぽらんな、寝言みたいな話が続くと思いますが、よかったら、これからもよろしくお付き会い下さいませ。

ここから湧いて来る

当事者の一人である僕にはほとんどなんの話も無いまま、気が付くと、僕は今日から父の縁のあるお店でアルバイトをする事になっていました。
あくまでいずれかの企業への「就職」を目標に就職活動を続けていくため、日中は避け、アルバイトの時間は主に夕方から夜にかけてです。
仕事は、店番です。今日はまず品物の種類の違いを学び、レジ打ちの一部を習い、実際に少しの間だけお客さんへの対応もしました。

会社を辞めてもう七ヶ月も経ってしまいました。その間、まったくアルバイトはしませんでしたから、少々の責任を与えられ、自分の体や頭や声帯や笑顔を使って「働く」のも、七ヶ月ぶりです。
自分の体を誰かの為に動かすという事の、面倒さと、ほんのちょっぴりの充実を、久しぶりに思い出せました。
このHPをご覧になっているほとんどの皆さんは、毎日色々な場所で様々に働かれながら、お金を得て、それで電話料金やプロバイダー料金を払っていらっしゃるんだなあって、レジの前に立ってぼんやりしながら考えていました。

「職業に貴賎はない」という言葉はありますが、楽な仕事や大変な仕事というような違いはあるでしょう。僕が今日から始めたアルバイトは、間違いなく楽な仕事です。
立場が社会人であるせいか、同じ仕事をする高校生の皆さんに比べて、どうやら時給も少々良いみたいです。
それで、このアルバイトを続けていけば、来月の末にはちょっとした額のお給料が貰えるわけです。衣、食、住は実家で保証されていますから、プロバイダー料金とテレホ代とWOWOW視聴料金を合わせて7千円ほど払うだけで、あとは毎日を不自由無く暮らしていく事ができてしまいます。
なんと、楽、な立場でしょう。趣味にかけられる時間は、日中にたっぷりとあるのです。

だから、日中は色々な事をします。
読んでいない本を読みます。読んだ本を再読します。映画を観ます。雑誌に目を通します。考え事をします。胸踊るような物語を書きます。街に出て、街の空気を吸います。
贅沢な事に、読まなければいけない本、観なければ行けない映画、追わなければならない情報、考えなければならない事、書かねばならぬ物語、吸わなければならない空気、どれもが膨大な量です。幸せです。困ったものです。
あとは定期的に卒業校の就職課や企業展に出かけ、これは、と思った企業があれば、お話を聞きに行き、僕を採用してくれる企業に出会えるのを気長に待っていればよいのです。

世が不況でなかったのなら、僕はもっと早くに何処かの企業へ就職を決め、この日常を手に入れる事は出来なかったのかもしれません。
当事者としてこの上も無く平和で幸せな、そして他者や関係者から見た時にあまりにも先が不安で儚げな、こういう生活をしている人を、一般にフリーターと言うそうです。
今まではアルバイトもしていなかったので、ただの「社会不適合者」だったんですけど、この度「フリーター」に肩書きが変りました。
今自分がしている生活が本当に意味の無い物なのかどうか、それは途中で「就職」というイベントを挟みつつ、数年のうちにはっきりと証明されてしまうでしょう。僕の中にある、創作や未知の情報への餓えにも似た渇望が癒された時、僕がどれほどの結果を残す事が出来るのか。数年後、僕は人に迷惑をかけない生活をしていられるのか。親や兄弟を安心させている事が出来るのか。
自分に与えられたこの猶予期間は、そういう試練の時でもあります。さあ、色々な事を勉強するぞう。

また楽しからず也

何かを学ぶというのは、とても楽しい事です。自分の見識や、能力が上がっていくのは、間違いなく楽しい事です。
だから、学んでも自分の見識や能力が上がっていると思えない場合は、楽しいと思えないのも当然でしょう。勉強が嫌いだという人がいたら、その人が得意な事を聞いてみて、それについての勉強をしてもらえば、自分の見識や能力がどう上がっているのかとか、進歩していないにしてもその理由なんかが理解しやすいですから、やっぱりきっと勉強が楽しいという事に気が付いてくれるはずです。

勉強をすると何が楽しいのか、という事について、孔子はこう述べています。
「勉強をして、時々その身につけた事を思い出してみる。なんとも楽しい」
有名な『論語』の最初の一文です。学んだ事、身につけた事というのは、時々思い返してみて、ニヤニヤするのが正しい楽しみ方であるというわけです。
と、いうことは、「思い返す事が出来ないものは、身についたとは言えない」ということに、なりますよね?
今日の主題が何なのかといいますと、僕が、まだまだ何も勉強が身についていないという話なんです。毎日のんびりと暮らし、とても楽しい事やちょっと辛い事なんかを繰り返す中で、少し前まで自分が信条にしていたはずの大切な人生訓みたいなものを、簡単に忘れてしまうなあ、ということなんです。

今日、このページをあちこち見返しておりましたら、我ながら、なかなか良い事が述べられている個所があるではありませんか。
そう気取りもせずに、そんなに珍しくない言葉を使って、日常の事柄なんかを見ながら、少しは教訓めいた事なんかを、たんたんと述べている、そこそこに読みやすい文章がちょこちょこと有って、自分で感心してしまいました。
もともと僕はとても物忘れが激しいのですが、自分の書いたものさえもすっかり忘れていました。自分の身についていないものをこうして述べたところで、人に届くはずもありません。
これも『論語』の一節ですが、孔子の高弟の一人が毎日自分の行いを省みる事の一つとして、自分がよく知りもしないものを人に教えなかったか、という事を上げています。そのとおり、僕は自分の身についていないものを人に語ろうとしていたのです。これは、大いに恥ずべき事です。

だからといってもちろん、恥ずかしいのが嫌だから何もしない、なんていうのは、まさに愚です。こうして間違い、恥を掻くからこそ、僕は進歩し、物事を学ぶ事が出来るわけです。
このHPをはじめたお陰で、こうして自分が今どこに立っているのかという事を、日々確認する事が出来ています。道を逸れそうになっても、自分の辿ってきたものを見返して戻る事が出来るわけです。このHPを初めてよかった。心からそう思います。日々増えていくこのHPの内容を見ていくのは、とても楽しい事です。
これからも、記憶力の悪い僕のメモリーの一部として、このHPを更新していこうと思います。

乱筆乱文御免

大学の就職課に顔を出してみたら、気になる求人があった。地元の広告代理店のもので、既卒者もOKというものだった。
まず履歴書、健康診断書などの書類を郵送し、しかる後に面接の日取りを連絡するということだったので、さっそく応募締め切り日を見ると、なんと10月30日と書いてある。郵送したのではとても間に合わない。
とりあえず、慌てて公衆電話に走り、その会社に電話をしてみると、人事担当者が外出していた。急な事で申し訳ありませんが、求人の事でうかがいたい事がありますとお願いしてみると、なんと代表取締役さんが電話に出てくれた。既卒でもいいのか、何とか書類を数日遅れでも受け付けてもらえないかと伺ってみると、明日に書類が揃うなら、という返事。
一度電話を切り、大学で手に入る書類をすべて手配して、再び公衆電話へ。明日の昼には揃えられます、健康診断書は、これから町医者に飛び込みますと告げると、それならば、明日○○時に会社に来て下さい、特別に一時面接を行います、と有り難い声が。
そのまま電話口で住所氏名電話番号意気込みその他諸々を質問されるままに答え、ボックス内で何度も頭を下げて一路自宅へ。
万一診察時間が終了していてはならぬと、バス、地下鉄、電車の乗り継ぎを駆け足で行い、地元の病院の前まで来てみると、なんと夕方の診療開始まで、あと二時間もあった。
自宅に戻り、保険証を用意して、それからインターネットでその会社の事を検索してみると、HPはみつからないものの、関連のプロジェクトからE-mailアドレスがわかったので、先ほどのお礼と、明日の意気込みをメールする。こういうのは、ポイント高いだろうか?
この時、せっかくネットに繋いだんだからと、昨日行けなかった、僕が常連をしているある会議室を覗いてみたら、昨晩は大変な事があったことがわかり、冷や汗をかく。昨晩そこ常駐していた何人もの信頼出来る友人のお陰で、大事には至らないまま和解状態になったようだったが、これは今晩は万難を排して覗きに行かなくてはなるまい。結果的に明日に響くことになろうとも、僕にはその会議室に対する責任があるのだ。

その後、病院で健康診断書を受け取り、自宅に帰って履歴書の文面に悩む。正直、今日知ったばかりで、先方がどんな会社かわからないのだ。(社是は、「ナンバー1よりオンリー1」だそうで、こういうのは好きだ。)

なんだかいつもこんな事をしている気がする。
成長が無いなあ。

三本

99年秋の水曜日。夕方6時から、まずはテレビ東京系列のチャンネルを見て下さい。きっと、至福の一時間半があなたに訪れます。今日、僕には訪れました。


一番手は「無限のリヴァイアス」という作品です。
今時珍しい本格SFアニメだ、という噂は聞いていたのですが、とりあえず、見るのは今日が初めてでした。そして、見てびっくり。これは僕が今まで見た事の無いジャンル、言うなれば「群集劇アニメ」です。すでに数回の放映が済んでしまっているのではっきりとは解らないんですが、舞台は難破した巨大宇宙船の中、どうやら大人達は先に死んでしまったようで、そこで数百人の少年少女が生きていくという物語のようです。数百人です。主人公とその友人や幼馴染の作っている主人公グループ、どこか陰があって主人公と反目しあっている様子のライバルのグループ、一応、少年少女達を束ねようとしている比較的年齢の高いリーダーグループ、ただの反骨的な少年少女のグループ、リーダーグループの言う事すら聞かない不良グループ、そして、グループは形成してはいないものの、時折群集の中でピックアップされる何人もの個人たち。それぞれのグループの構成員は無個性化されておらず、丁寧に、のびのびと人物描写がされています。恐ろしいほどの人数がそれぞれの意志を持って動く、群集劇です。
そして、ストーリー設定も巨大です。一つ一つ、場面の説明や演出はとても丁寧なのに、そう簡単には作品全体が把握出来ません。良質なSFには、よくそういうことがありますし、それを乗り越えるとその作品世界の楽しさがわんさと押し寄せて来るものです。少年少女の乗った宇宙船は、もっと大きな宇宙船「リヴァイアス」に接舷している事が判明し、助けが来るまで居住性を考えてそちらに移る事になります。しかし、そもそもの難破に至る原因が何だったのか、多くの少年少女は知りません。実は、それは事故などではなく、何者かが大人達を殺してしまったのであり、故意にそれは引き起こされたのです。そして、数百人の中の、主人公も含めた数人の少年少女だけは、実はそれを知っています。少年少女達はリヴァイアスの中で林間学校のような楽しげな共同生活をスタートさせますが、それは、ほんの小さなきっかけでパニックに陥ってしまったり、もしくは、また何者かの手によって事故が起こされてしまうような、危ういバランスの上にあるのです。なんせ宇宙空間であり、また、多くの「人間」がそこにいるのですから。
次の瞬間何が起こるか解らない、本物の緊張感があるアニメです。この作品を「十五少年漂流記・宇宙版」などと言い切る事はできません。この作品が作り出している「極限状態」は、時に醜く、時に美しく、すでにどんな人間の姿を描く事も出来ます。目を逸らしてはなりません。


6時半からは、「ビーストウオーズ・メタルス」が始まります。こっちは、「リヴァイアス」以上に集中力を必要とするアニメです。一瞬でも気を逸らせば、その間に一つ、アドリブやギャグを見落とす事になります。
もともとの映像素材はアメリカ産の、フルCGアニメです。そこに、日本の声優さんが吹き替えを当てているのですが、これが抱腹絶倒ものなんです。前後の流れに関係無く、いきなりその場面だけを捉えてギャグがかまされます。ストーリーなんて、とっくに破綻していますが、お構いなしです。日本語版の台本を作っている人は、間違いなくこのフルCGアニメを舐めてます。一応、物語は進行しますが、そもそも元の英語版と同じ話なのかどうかも定かではありません。マンガの吹き出しの部分を違う言葉に書き換えて遊ぶのと同じ事をしているのでは、と疑いたくなるほど、話がめちゃめちゃです。
そのギャグのほとんどは、アドリブです(断言)。あんな訳の分からん発言の山、脚本でかける人いません。ライブ感覚で楽しめるという、極めて異質なアニメなんです。
はじめのうちは、何を笑ったら良いのか分からずにパニックになってしまうかもしれませんが、じきに解ってきて、笑い転げて貰えると思います。とりあえず、「破壊大帝デストロン(声・千葉繁)」の、粋な悪党っぷりを楽しむ所からはじめると良いでしょう。


三本目は、視聴出来るのが衛星放送受信設備を持つ方に限定されてしまいます。お持ちの方は、7時になる前にBSチューナーのスイッチを入れて下さい。BS-5で無料視聴できるロボットアニメ、「THEビッグオー」がはじまります。
「リヴァイアス」は工夫が凝らされた極限状況を演出する「からめ手アニメ」、「メタルス」がアニメの極北「異端アニメ」とするならば、「ビッグオー」は「正統派アニメ」です。主人公が少年ではなく大人の男性なので、「ロボットーヒーロー王道アニメ」とまでは言い切れませんが、派手なアクションと一話完結型のストーリーの織り成すこの作品の完成度は、過去に名を残す名作アニメ達と比べてもなんら遜色ないものでしょう。
ここ数年、アニメーションは深夜枠などにも進出し、多くの作品が僕らの前に現れました。その中には、すでに伝説化すらしつつあるような名作もありましたが、何話見ても面白いと思えないような、あきらかにいいかげんな作りのアニメもありました。「いいかげん」というのは、要するに「丁寧でない」ということです。ところで、今日放送分の「ビッグオー」の中に、こんなシーンがありました。

山小屋に一人で住んでいる老人の元にやってきた主人公、ロジャー・スミスが、自らフライパンを持って、朝食のスクランブルエッグを作っています。
「僕の作るスクランブルエッグも、捨てたもんじゃないですよ」
テーブルの上には、すでに炒められたベーコンが、二枚の皿にのっています。よく見ると、そのベーコンは結構焦げています。
出来上がってきたスクランブルエッグを、老人は一口食べて、黙り込み、そしてテーブルの上の調味料をやたらと振り掛けてから再び食べます。
それを見て、ロジャーは溜息をつきます。

このシーンだけでも、ロジャーと老人の関係や、その性格がいろいろとわかります。カリカリになるまで炒めた方が、ベーコンが美味しくなるということをロジャーは知っていて、丁寧にそれをしました。ベーコンから染み出した油は、次のスクランブルエッグを炒める油にもなります。その手際の良さから見て、ロジャーは決して料理が下手ではありません。しかし、老人はロジャーの味付けが気に入らないとばかりに調味料で味を変えてしまいます。その意地っ張りなところを見て、ロジャーはこれは打ち解けるのは大変だぞ、と、溜息をついたわけです。
こういう数秒のシーンに、脚本と画面演出の労力が惜しげなく注がれています。こういった丁寧さは、ドラマシーンの後の巨大ロボット・ビッグオーの登場するアクションシーンにも引き継がれます。
OPを見るとわかりますが、この作品は往年の特撮映画にかなりインスパイアされているようで、アクションシーンも、ロボットアニメよりは怪獣映画の系譜を強く感じます。とにかく巨大なロボットが、これまた巨大な敵とどったんばったん戦います。奇を衒わず、しかしその効果を考え抜かれたカメラアングル、時折入るシルエットだけの画面などは、まさに作品としての完成度を重視するプロフェッショナルの技です。
声を大にして、僕は多くの人にこのアニメを見ろと叫びたい。これが、過去の達人達に劣らない、現代に生まれた職人芸の姿だと。


だから、水曜の夕方はTVに釘付けです。夕食時と重なりますから、ゆったりと全部を見るというのは難しいですが、6時から7時半までの間に、TVアニメの面白さが凝縮されたような三本の作品が、電波に乗って日本中に送られています。ビデオにとってでも見たいです。
三本の中では、最初の「リヴァイアス」が一番面白さの分かり易いアニメだと思いますが、一度くらい、三つ続けて見てみることをオススメします。現代のアニメーションの多様性が、この90分間で感じ取れることと思います。

状況次第ですけどね

戦争に勝ちました。激しい消耗戦の末であっても、戦闘行為が全く無い無血開城だったとしても、勝ちは勝ちです。ちなみに、最上の勝ち方は、相手がそれが戦争であったことに気が付かないままに、勝つ事です。近代の、戦闘行為を伴わない情報戦なんかでは、よくこういう事があります。負けた側は、それが戦争であったことに気が付いていないのです。

勝った直後から、今度は戦後処理という段階が始まります。まず気を付けなければならないのは、敵を完全に死滅させたので無い限りは、勝ったからといって相手に対して好きなことが出来るわけでは無いということです。
相手は負けたわけですが、生きている限り、戦後も生き続けようとしますし、いろいろな要求も出してきますし、不平不満も言います。もちろん、勝った側にはそれらを総て跳ね除ける「権利」はありますが、ただ勝者の論理を押し付けるのは、あまり上手い統治法とは言えません。不満を溜め込んだ敗者は、いつかまた軍備を整えて、戦争をしようとするかもしれません。そうならないように、相手が再び戦争を行えないように仕組みを整えるか、いつか戦争を吹っかけて来ても絶対にこちらが勝てるように仕掛けを打っておく必要があります。
つまり戦後処理というのは、次の戦争に勝つための準備の段階なのです。戦争の終わりは、次の戦争の始まりなのです。

上手な統治の話ですが、まず、負けた側からこちらに対する敵対心を取り除くことからはじまります。なにかこちらの圧倒的な物を見せるという方法でもいいですし、優しく丁寧に相手を扱うのでもいいでしょう。他者の警戒を解くというのはなかなかに難しいことですが、戦争を仕掛ける前からこの段階のことを計算しておくと、事がスムーズに運べるでしょう。例えば、こちらは豊かで幸せであると戦前からアピールしておく。または、もともと敵意は無く、友好的ですよというポーズをとっておく。さらに、相手がそれが戦争であったことに気が付いていないようならば、この段階はかなり上手く行くはずです。

警戒心を解いたら、向こうに分かり易い言葉で、「教育」をはじめます。優しく優しく、相手の牙を丸めていきます。最終的に、こちらを味方だと思わせることが出来たら、成功と言えるでしょう。この段階のコツは、相手に入る情報を制限し、考え方や感情を操作することです。先の先まで見据えて、ゆくゆくは自分の側に最大の理が出るように、かといってうわべは向こうを思いやっているように見せながら、教育を施します。この作業には極端な二面性が必要なことが多いので、個人レベルでこの作業を行う場合、大変な精神疲労を覚悟して下さい。国家レベルならば、組織の力で行えるので、それほどの精神負担は無いでしょう。

この段階で注意すべき所は、「教育」が完了していない複数の人間に、組織や閥を作らせてはならないということです。彼らは、内部で盛り上がって、こちらの思いも寄らないような方法や考えで、厄介な行動を起こしはじめるかもしれません。また、お互いで情報交換や意見交換をしているうちに、自分達がされている偏った教育に気が付くかもしれません。かといって、特定人物の隔離や、露骨な情報規制は、こちらに対する警戒心をおこさせてしまうので、やらない方がよいでしょう。一番良いのは、彼らが自分の意志で選んでいるつもりで手に取る情報が、すでにこちらの教育による選択基準で選んだものになっている、というようにすることです。そのためには、戦後処理の一番初めに、相手の趣味や興味を調査し、それに沿った「教育」を検討する必要があります。これは、大変骨が折れる作業ですが、労力を払う価値のあることです。

「戦後処理」を上手に行えば、相手はもう、こちらに敵意を持つことはありません。ある程度以上に教育が済んだ相手に対しては、それ以降、常に戦わずして勝つ事が出来るようになります。このように戦闘がおこらない状態を、人は「平和」と呼びます。(本当は「平和と戦争」というのは対概念では無く、戦闘無き戦争という状況は平和な時代にも常にあるのですが)
人類の普遍の夢が「恒久平和」であるならば、今の時代の人類がなし得る方法としては、この状態がもっともそれに近いものであると言えるでしょう。


昨日、今日と、僕は、随分おぞましいものを書いている気がします。一応、戦争というものを効率よくこなすための「技術」について書いているつもりなので、思想とか、宗教といった話には触れませんでした。つまり、「ハサミの使い方」みたいな話をしているつもりなんですが、どうにも、自分の中に奇妙な感情が湧いてきてしまいます。
今回、最近自分の身の回りに起こっていることや、この国の歴史に取材をしてこのページを書いたんですが、この「雑記15・16」を通して、僕は、地球上から戦争というものが無くならない理由が、ぼんやりと見えてきた気がします。

ちなみに、うちにはDCが二台あります。両方とも29800円で買いました。

戦乱が起こると、戦闘術の研究が盛んになります。
日本の近代の夜明け、幕末の時代は、激しい内乱の時代でもあり、渦中の若者たちは、ある者は高名な師について厳しく身を律し、ある者は自己流を貫いて、己の抜刀術に磨きをかけたのでした。
こういった技術が広まっていくうちに、一人、また一人とその道の”天才”と呼ぶしかないような者が現れます。とにかく強い。徒党を組んで襲い掛かっても、ものともせずに皆、なで斬りにしてしまう。しかし、なんとかその天才を斬らねばならない、斬らなければ、時代が変らない、という事態が、そのころには少なからずありました。
すると、またある種の天才によって、「天才を斬る方法」というものが何通りも編み出されます。どれほど修行をしても天才には到底及ばない剣客たちが、それでも天才を斬り殺す方法というものを体得します。そのうちの一つに、「初太刀で殺す」というものがありました。
いきなり襲い掛かって、その一刀めに、文字どおり命を懸けるという、とんでもなく乱暴な方法です。それを避けられたら当然その刺客は返り討ちに遭うわけですが、それを恐れて斬りかかれないような者は、役に立たないとみなされるような時代でした。
もちろん、先制攻撃は近代戦闘においても非常に重要です。最初の一撃で決定的なダメージを与えられれば、その時点で勝負は決します。しかし、それを耐えられてしまうと、手痛い反撃を受けることになります。

セガのドリームキャスト(以下DC)は、ソニーのプレイステーション(以下PS)とのゲーム機競争に一度は敗北したセガが、PSには無い新機能を満載して市場に送り出した、新世代のゲーム機です。
新しいケーム機を出す、という行為に関しては、いろいろと意見があるところですが、まあ、それは今回の論旨から外れるので置いておきまして、とにかくセガはこのDCで家庭用ゲーム市場の巻き返しを図っています。相手は、現時点で国際標準家庭用ゲーム機であるPSと、その後継機プレイステーション2(以下PS2)です。
後発の強みで、DCの性能はPSを大きく引き離しています。PSではできなかったいろいろな遊びが、DCでは出来るようになっています。ところが、2000年3月発売予定のPS2は、さらにDCを遥かに越えた高性能ゲーム機であると発表されています。
情報戦の発達した現代では、先に動いた方は徹底的に研究され、それに対しての必勝法を練られます。じゃんけんのように、後出しの方がなにかにつけて有利なのです。相手がチョキを出しているのが明らかなのですから、確実にグーを出してきます。先に動いた側が相手に勝つためには、幕末の人斬りのごとく、初太刀で勝負を付けて、相手がグーを出す前に勝っている状況を作らねばならないのです。

そして、DCは、その戦法をとってはじめから販売戦略が練られていると、発売当初から僕は感じていました。本体の発売直後から、かつてない良質のゲームソフトが揃えられ、その後も毎月、目玉といえる強力なソフトが連続で発売され、インターネットを使ったサービスも満点です。
いくつかのつまずきもありましたが、結果として家庭用ゲーム機としてはPSや過去の任天堂の傑作ゲーム機スーパーファミコンを遥かに上回るペースで本体は売れています。
しかし、PS2を戦わずして殺してしまうだけのシェアには、到底及んでいません。
セガは、間違いなく本気で、家庭用ゲーム機の覇権を狙っています。そして、いくつかの要素で、それは不可能でないと言えます。その最大のものはDCの発売時期で、発売日からそろそろ1年が経とうとしているわけですが、DC最大の敵PS2が市場に登場するまでには、まだ、あと約半年の猶予があります。この時間的優位の効果は巨大です。つまり、DCの初太刀は、まだ生きているのです。そしてPS2という実物の刃が市場に出て来るまでに、もう一度ゲーム業界最大のかき入れ時である、年末商戦を迎えられるのです。
PS2が出て来るまでの間に、DCをどこまで普及させられるか。どれだけ、DCでしか楽しめない遊びを提示出来るか。ゲーム業界のシェア戦争は、まだこれから半年の間に大きく変る可能性を残していると、僕は考えています。

今日は、「DCはもうだめだ」なんて最近特に声高に言う人がいるので、そんな事はないよ、と自分なりの分析を述べさせていただきました。

場合に寄るんですけどね

いきなりですが、戦争を行う場合には、いくつかの段階があります。

「こいつと戦争をするぞ」という気持ちになっても、いきなり襲い掛かったり、宣戦布告をしてはいけません。
まずは、相手との交渉の席を設けます。この場合も、敵意万々で近づくようなことをしてはいけません。この段階では、相手に、こちらの戦争の意志を気取られない方が良いです。笑顔の一つも作れれば上出来です。その席で、相手から譲歩を引き出すための交渉を行います。戦争をすることによって結果的に奪う予定のもの、その数倍の要求を吹っかけるとよいでしょう。最低でも、奪う予定のものそのままを欲しいと要求すべきです。これは、相手を怒らせるための要求、などという生易しいものではありません。この段階はすでに戦争です。この段階で戦争を終了出来るように、まずは全力を尽くすべきものです。
もし、ここで、相手がその要求を飲んだら、用意した矛は素直に納めましょう。あなたは戦闘無き戦争に勝ったのです。

相手が要求を飲まなかった場合、今度は開戦のタイミングを伺います。状況次第では、相手が要求を断った瞬間にナイフを突き付けるのが最善である場合もありますので、交渉中から緊張感を失ってはなりません。
この段階では、とにかく相手の虚をつくことが大切です。センスとスピードが重要です。そういう意味では、すでに戦術の才能が必要な段階であると言えます。

戦争は、相手があってはじめて成り立つものですから、相手をよく知ることが大切です。開戦前に、相手の情報を出来るだけ集める必要があります。孫子曰く、「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」です。交渉の席での、相手の対応やこちらからの呼びかけに対する反応などを、細部に渡るまで観察することも無意味ではないでしょう。
また、自分の情報を出来るだけ相手に漏らさないようにすることは、相手のことを知る以上に重要なことです。この時、相手にこちらのコントロールしている虚偽の情報を流せれば、それは強力な武器になりますから、意図的に流すことも考えるとよいでしょう。

それから、開戦前に、戦争が終了する段階を想定しておく必要もあります。相手を、どのような状況に持ち込めたら勝ちなのかということです。自国の領土から追い出せたら勝ちなのか、相手をこの世から消してしまうことが目的なのか、はっきり自覚しておく必要があります。
戦争状態というのは、その母体に大きな消耗を強いるので、自分がどれだけ戦えるのかということを計算しておかなければならないのです。無限定に戦いを続ければ、その消耗は絶大なものになってしまうでしょう。
戦争とは、始めた時から、その終わらせ方を模索するものなのです。


今回述べている内容は、国家間の戦争のみでなく、例えば、インターネット社会での掲示板を利用した「フレーム戦争」と呼ばれるものにも同様に当てはまるようにも考えています。
これを読んでいるあなたが、ちょっとした喧嘩程度のものではなく、「戦争」をしなければならなくなった時、上手にそれを行う手助けになれば、と思います。この続きも、自分なりに研究をしながらだんだんと書いていく予定です。

北信濃の旅

10月8日

春日井を夕方に出発。中央道をひた走り、長野へ。途中、駒ヶ岳SAでラーメン、姨捨SAで天ぷらソバを食べました。
姨捨SAは、長野インターのすぐ手前にあり、山から善光寺平を一望できる抜群のロケーションです。中央道を使って長野方面へ行かれる場合は、是非一度立ち寄ってみて下さい。特に、夜は素晴らしい夜景が見渡せることでしょう。
名物、どんぶりを覆うような大きなかき揚げの乗った天ぷらソバは、見た目以上に味がよく、ソバ処信濃の入り口にふさわしい一杯です。
JR長野駅前に、この旅行中の宿を定めて、初日は就寝。


10月9日

朝より、戸隠へ向けて出発。長野市街から「七曲がり」と呼ばれる、極端に蛇行しながら一気に1km以上も標高の上がる山道を通って行くと、その途中には、実が色づきはじめたばかりの林檎の木が沢山ありました。
まだ青い実ばかりの木もあるなかで、所々に赤い実のある様は、初秋の信濃を象徴する景色のように思われました。山々は、紅葉にはまだ1週間は早い、といった風情でしたが、いち早く色づく山ブドウの濃い赤と、林檎と同じ赤に塗られた林檎農家の屋根の色が、点々と山を彩っていました。
昼頃に戸隠に着いて、戸隠神社中社の参道にずらりと並ぶ戸隠ソバのお店の一つ、岩戸屋さんに入りました。あちこちのソバ屋の看板に「元祖」だの「本家」だのという字が躍っていますが、本当の元祖戸隠ソバは、この岩戸屋さんなんです。
元祖というだけではなく、ソバ通の間でも、ソバの味は一番、と言われているお店なんだそうです。ただし、今ではそんな事は無いのですが、一昔前までは、ソバつゆの味が甘すぎてソバの味が活かしきれていないと言われていたそうで、通はお好みのソバつゆを持参していたとか。
盛り一杯700円、天ぷらつけて1400円と、町角の立ち食いソバ屋に比べると良心的とは言い難いお値段に思われますが、ところがこっちは盛りが良心的で、立ち食いソバ屋の盛りソバの、倍はあろうかという大ざるが目の前に出てきます。長野の食べ物屋さんは、盛りがよくないと繁盛しないなんて言われているんです。もちろん、天ぷらも揚げたて!美味しそうだけどこんなに食べきれないよなんて思いながらも、一度箸をつければつるりつるりと食が進み、息継ぎをしたかどうかも思い出せないような勢いで、気がつけば目の前には空のざるがあった、という塩梅です。
膨れたお腹をさすっていると、後ろの席の新客さんから、「ざる大盛り!」と威勢の良い声が。老舗なのに、店員さんの愛想も良く、また来たくなるお店です。ちなみに、向かいの、「元祖!」とでっかく看板を出しているお店には、お昼時だというのに一人もお客さんが入っていませんでした。御愁傷様。

戸隠神社中社の前を横切り、僕の大好きな戸隠神社奥社へ。信濃の一番奥にある神社、ということは、本州の一番奥の神社ということでもあります。鬱蒼と茂る日本の原生林の奥に、突然現れる石畳の道。樹齢1000年を越えるような杉の巨木がびっしりと並んで左右を守るまっすぐな回廊を、2kmほど歩いていくと、それほど大きくはないお社がありました。祭神はタジカラオノ神。天照の岩戸隠れの折に、天の岩戸を押し開けた、強力の神様です。
今回は、時間の都合でそこまでは行きませんでしたが、その入り口で日本の”奥”の清浄な空気をたっぷり吸ってきました。
続いて向かったのは野尻湖。石器時代に、ナウマン象の狩りが行われたことで有名な湖です。幼い頃に一度来た事があったのですが、よく憶えていないための再来訪です。
ところが、意外につまらなかった。まだ気温の高い初秋の野尻湖は、レジャースポーツや観光客がひしめいており、期待していた博物館は、巨大なナウマン象やオオツノジカの骨は見られたものの、わりと低年齢向きに作られた展示という雰囲気。まあ、展示よりも、現在進行形で発掘作業が進められている学術的な場所なわけですから、こういうのもしょうがないかなと思いました。

その頃には、道々採っていた北信濃のこの季節の名物キノコ、「ジコボウ」が結構な量になっていました。同行のキノコ採りの名人(父)曰く、「今年は、よっぽど湿った、沢のふちのような所じゃないと生えとらんわ」だそうです。ここに生えてなきゃ日本中どこにも生えない、と言えるほどの穴場でも、思ったより採れないんだとか。これから採りに行かれる方は、参考にして下さい。
ジコボウは、信州唐松の根元に生えるキノコで、南信濃では、また違う名前で呼ばれます。本当の名前は「ハナイグチ」。松茸と類の近いキノコです。煮干しで取った出汁をベースにキノコ汁にすると、ぷうんと唐松の香りがして、信州人は秋になるとこれを探しにこぞって山に入るとか。確かに、道々キノコ採りと思われる駐車車両をやたらと見かけました。
長野市に住む祖父の家に持ち込んで、保存がきくように、一度茹でてから冷凍にしてもらいました。そのまま、夕食はみんなで中野へ向かい、今回の旅行のお目当ての一つ、福田屋へ。すき焼き、焼き肉、ちょっとした洋食なんかも食べられるバラエティー豊かなお店ですが、名物は、何といってもソースカツ重。普段は、卵でとじてある物しかカツどんと認めない僕ですが、このお店のソースカツ重は別格です。ご飯を敷き詰めたお重に、ジャガイモとピーマンのフライ、そしてソースに浸されたとんかつが乗っているだけ、というとてもシンプルな物ですが、これが、なんとも言えず柔らかくて美味しくて、絶品なのです。
お店の名前は、最近「すき焼き」さんと変ったみたいですが、地元ではまだまだ福田屋で知られています。信州中野にお立ち寄りの際は、一度お試しを。
長野市に帰ってきて、宿の部屋で急にデジタルデータが恋しくなり、持っていったワンダースワンをしばらく遊び、心安らかに就寝。僕のダメ度も、すっかり板に付いてきました。


続きは、明日の更新で。

北信濃の旅(続き)

10月10日

爽快な、長野の三日目の朝です。昨日の成果、具沢山のジコボウ汁を朝ご飯にたっぷりといただいてから、父の生まれた町、真田に向かって出発しました。
父方の実家はもうそこには無いのですが、うちの一族(そんな大した物じゃございやせんが)の本家はまだ真田町にあるので、その家の門の前まで行ってみました。もう何代も離れてしまっているので、今更ご挨拶もしませんでしたが、自分の由来の一端に触れて、不思議な気持ちでした。
戦国時代、武田一族の家臣の武将として活躍した、真田氏の神社があるというので、そこにも参拝。数年前に大改修を行ったそうで、気合の入った大きな神社でしたが、まわりにある小さな祠や木々なんかは古い社の風情を残していて、なかなか楽しめました。
他にも、その辺りには戦国時代に由来する神社仏閣がいくつもあり、それぞれの土産物屋のオバちゃんなんかに縁起の説明を聞きながら、ふらふらとまわりました。

上田市に出て、今日のお目当ての福招亭へ。行列の出来る、中華料理のお店です。その日も、詰め込んでも12人程しか入れない小さな店内から続く行列が、小道の曲がり角まで続いていました。
名物は、ヤキソバ。ソースは使われず、野菜たっぷりのあんが、炒められた麺の上にかけられて出てきます。お好みで、カラシを酢で解いたものを適量振り掛け、麺にあんを絡めてわっしわっしと食べます。香ばしい麺の味わいは、月並みな表現ですが、一度食べたらヤミツキです。金糸卵で表面を覆われたチャーハンも、一度食べたら二度注文せずにはいられないというほどの美味しさで、それら二つを合わせて食べられるチャーハンヤキソバセット(1050円)が、僕のオススメです。
行列が嫌いな父が、このお店だけは並んででも食べたがるという逸品です。上田に行かれた時には、行列の塩梅を見ながら、どうぞお立ち寄りください。

食後に、上田城跡を見学。城門が改修されたばかりとかで、なるほどヒノキの香り漂う、ぴかぴかの門がそこにありました。
城郭の中には、上田市の博物館と、上田出身の芸術家山本鼎の美術館も併設されており、城門内の資料館と合わせて、300円の一つのチケットで三つともまわれてなかなか良心的です。昨日の塩尻湖の資料館はあれっぽっちで500円も・・・。(←まだ根に持っている)
色々なものが展示されていたのですが、現物を眺めてみると、やはり”真剣”の迫力というのは凄いものがあるなあと感じました。真田幸村の佩刀だったという太刀の鈍い輝きは、今でも目に焼き付いて離れません。あとは、小さな細工物なんかも面白かったです。
また、地元の民俗学者が編纂したという、郷土の昔話の小冊子を買うことが出来ました。地元の民話に、その学者の解釈が丁寧に加えられたもので、一読大変に面白く、なかなかの掘り出し物でした。
この日は、志賀高原にも行きました。紅葉にもまだ早いといったシーズンだったため、人出もそれほど無く、のんびりと初秋の高原を楽しむことができました。この日も、途中で、ジコボウを採集出来たので、この分は調理せず、そのまま冷凍して春日井に持ち帰り、同じ信州出身の方にさしあげることにしました。

長野市に戻って、夕食へ。十万石という名前の、長野中心のうどんのフランチャイズ店へ入りました。このお店は、ほうとうを食べさせてくれるので、祖母や父のお気に入りなのです。
運ばれてきたほうとうや、名物の十万石うどんは、信州風の合わせ味噌仕立ての、確かに美味しいものでした。しかしながら、いくらそうするのが長野の流儀とはいっても、そのあまりの盛りのよさに僕は閉口してしまいました。一人一人の目の前に、中サイズのナベが運ばれて来るのです。蓋はされておらず、摺り切り一杯の所まで並々と汁が満たされており、小鉢に取って食べるようになっています。麺も具もおびただしい量で、食べても食べても減りません。あれは、誇張無しに三人前はあったと思います。
これで、650円とか、高くても1000円とかなんですから、まったく文句の付けようも無いんですけどね。
後から来た斜め後ろの御家族連れが、うどんの大盛りを頼んでいたんですけど、運ばれてきた実物を見て、そちらのお父さんもお母さんもびっくりしていた様子でした。汁が零れそうになっている鍋に、うどんが山を作っていたんですから。あれは到底食べきれたとは思えません。
もちろん、僕も食べ残しました。


10月11日

5時30分に起きて、まずは早朝の善光寺へ。まだ6時前だというのに、お年寄りを中心に、大学生風の若い人もちらほらと、かなりの人出です。売店も、いくつか開いています。朝の光の中にそびえる善光寺はなかなかの見物ですが、僕らのお目当てはその見学ではありません。
6時15分ぴったりに、寺門の目の前の宿坊から、数人のお坊さんがやってきます。朝のお勤めに向かわれる、善光寺の貫首さんだと思われる人(実はよく知らないんです)と、その貫首さんに大きな朱色の傘を差し掛ける、これまた位の高そうなお坊さんと、その前を歩く露払いのようなお坊さんです。僕らは、そのお坊さん達がゆっくり歩いてみえる道の脇に、ひざまづいて待ちます。貫首さんは、手に持った数珠で、すずめの子のように並んだ僕らの頭にちょん、ちょん、と、短く、しかしとても丁寧に、触っていってくれます。優しいお顔をしたお坊さんが、これまた優しく触っていってくれて、なんだかとてもありがたい気持ちになります。僕は五歳までこの善光寺の近くに住んでいて、幼い頃この境内でよく遊びましたから、こういう事を有り難がる気持ちが強いのかも知れません。
お坊さん達が本堂に入って、やがて厳かに読経が始まります。その妙音をうかがいながら、本堂をぐるっと一回りし、それから、朝ご飯にはまだ早いので、近くにある、とある有名なスポットに行きました。
皆さん、知らない方はいらっしゃらないと思うんですが、「夕焼け小焼けで日が暮れて~」という童謡、その中に登場する「山のお寺の鐘が鳴る」の一節に歌われているその鐘、と言われているものが、長野市内のとある場所にあるのです。
かの歌の作詞をされた方が、幼い頃にこの地に住んでみえたそうで、この地で、夕方に鳴る鐘といえば、その鐘なのです。行ってみると、そこには「夕焼け小焼けの鐘」と記された立て札があり、歌詞を刻み込んだ石碑も建てられていました。朝なので、とりあえず一打ち、とはいきませんでしたが、おそらく今でもその付近の子供たちは、この音を頼りに夕遊びをやめ、お家に帰るのでしょう。

帰りの道は、ちょっとした渋滞に巻き込まれてしまって、なかなかに苦労をしました。
途中、塩尻から木曽路に入る入り口付近の、「食堂SA」という、なんとも身も蓋もない名前のドライブインに入ったのですが、ここの食事がメニューも豊富なら味もばっちりで、870円(ちょっと高い)の焼き肉定食を美味しくいただきました。その道路を使う人には人気のお店なんだそうで、お客もひっきりなしに出入りし、活気のある良い定食屋さんでした。自動車でしか来られないような場所にあるのに、一人で来た長距離ドライバーらしき人達がみんなビールを飲んでいたのは、まあ、御愛敬ですね。
その後、中山道の宿場の一つ、奈良井宿でも休憩を取り、そこで旅の記念に、振るとからからと音の鳴るブリキの金魚を購入しました。(僕は、旅行をする度に「音の鳴る玩具」を記念に買うのです)

そこからも、渋滞で塞がった大きな道をひいこら進んだり、近道に挑戦したり、旅慣れたふうのジープについていってショートカットに大成功したりしながら、何とか我が家に辿り着いたのでした。

10月5日の日記

早朝、まだ日の昇る前に目が覚める。前夜9時から眠っていれば当然かもしれない。
とりあえずPCのスイッチを入れ、メールとあちこちのお世話になっている会議室をチェック。自分のHPを見ると、今日も3~40ものカウントが記録されていて、毎日のことながら頭が下がる思いになる。10人くらいなら毎日覗いてくれそうな酔狂な(そしてありがたい)方に心当たりもあるけれど、他にどんな方が覗いてくれているんだろう?
あちらこちらとネットを散策しているうちに親が起きてきて、食卓で朝食を取る。今日は大学の恩師に会いに行こうと思うと、何となく親に話す。
父親が会社に出かけ、母の洗濯の合間を縫って軽くシャワーを浴び、父の本棚の前に立つ。HPの企画、「読書週間」用の、今日読む本を物色する。集英社の古い世界文学全集から、カフカを手に取ってみる。うん、たしか「変身」というのは短い話だったはずだ。知名度もあるし、今日はこれでいこう。
カバンにカフカと、二日前に企画でちょっと読んでみてまだ読みかけの「巷説百物語」を突っ込んで、家を出る。見上げると、傘がいるかな、と思うような薄曇りだった。
まず、駅前の銀行へ行く。先月末に払わなければいけなかった国民健康保険税を払い忘れていたのだ。ところが、その銀行が朝から随分混んでいて、思ったより時間を取られた。大学の二時限目に間に合うように行って、ゼミのディベートに参加しようと思っていたのだが、これでは間に合わない。興をそがれて、とりあえずそのまま駅前の本屋に入った。めぼしい本も無くぶらぶらしているうちに、大学の就職課を覗いてみることを思い立つ。午後にもゼミはあるから、それから参加すればいいだろう。

電車を待つ駅のベンチで、カフカをぺらぺらとめくり、そこには他にもいくつかの短編が収録されていたが、やっぱり「変身」を読みはじめる。
「ある朝、なにか気がかりな夢から目を醒ますと、グレゴール・ザムザは自分が一匹の巨大な虫になっているのを発見した。」
有名な書き出しが目に入ってくる。電車の中でも読む。途中、地下鉄に乗り換える際、これからも何度かこの路線を使う予定があるので、オトクな回数券を買うことにする。ところが、何を惚けていたのか、自動券売機で全然オトクではない一番回数の少ないものを買ってしまう。ゲンナリしつつ、その券を使って地下鉄に乗る。「変身」を読みふける。大学最寄りの、終点の駅で降りる。午前中の中途半端な時間なのに何故か大学行きのバス停に長い列が出来ていたので、駅前の広場に行く。ベンチに座ろうと思っていたら、総てに「ペンキ塗り立て」の張り紙があって溜息。
ふと見ると、駅前のマクドナルドに「牛鍋パン」の文字が踊っている。TVCMもしているものだ。そのCMを見た時から、吉牛道(よしぎゅうどう:吉野屋の牛丼を哲学する道。他店のニセ牛丼も研究対象になる)を歩むものとしては、無視出来ない商品だと思っていたので、店に入ってそれを注文する。食べるそばから中身が向こう側に落ちていく、欠陥商品だった。また、肉の味付けが甘く、吉野屋の牛丼とは全く方向性の違うものだった。一緒に挟まれている半熟卵と合わせて頬張るとすき焼きのような旨みが口いっぱいに広がるが、こうなるとまわりを包んでいるパンの味がうっとおしく思えた。別々に食べた方が旨いんじゃなかろうか?別にするんなら、パンよりご飯で食べたいなあ。ご飯で食べるなら、吉野屋の味付けがいいなあ。という具合に、吉牛道の信奉者の思考は推移していく。

バス停もすっかり空いていた。数分バスを待つうちに、「変身」を読了。バスに乗って、今度は「巷説百物語」の続きを読み出す。「舞首」の話だった。大学についても、歩きながら読みふける。ゼミの教室の前まで来たが、途中から入るのもなんなので、そのままドアの前で立ち読みを続ける。
鐘が鳴るのとほぼ時を同じくして「舞首」を読了。教室から出てみえた教授に頭を下げると、教授は部屋に僕を呼んで下さった。今年の四年生は、僕らの年よりさらに苦戦しているそうだ。そして、僕に大学院への道を奨めて下さった。大学院に入って、そこで二年を過して卒業すれば、またある種の「新卒」扱いをされるだろうという話だった。昼食の時間を押して様々なお話をして下さり、僕はあらためて教授に感謝しながら退室した。すぐに、大学院事務室へ向かい、二月募集の分の大学院生募集要綱をもらった。

大学内の本屋で三国志の副読本が目に付いて、しばし立ち読み。案外つまらなかったので、オビの力は商品にとって偉大であるということを改めて感じる。そうこうしているうちに昼休みが終わって、学生もまばらになったので、大学の就職課へ行く。
職員さんに自分が今春の既卒者で、一度就職したもののもう辞めてきた者である事を告げると、親切に対応してくれて、部屋の一番奥に通された。忙しそうな就職課長さんが、僕の相手をして下さった。こちらの希望などをしばらく話すと、手中の名刺の束の中から一枚を取り出し、すぐに電話で「さっきの話なんですが、おとなしい感じの子が、今、目の前にいるんです」と話しはじめられた。電話はすぐに終わり、パンフレットと一緒に、とある企業を紹介して下さった。
「すぐに連絡を取りなさい」とのことで、帰ったら今日中に電話をしようと誓う。さらに、もう一つ紹介していただいて、僕は就職課を退室した。課長さんは、ちょくちょく顔を出しなさいね、と何度も頭を下げる僕におっしゃった。

午後のゼミに出る予定を取りやめ、教授の部屋にもう一度挨拶に行ってから、さっきの企業の前まですぐに行ってみることにした。
大学のバス停に立ち、また「巷説百物語」を開く。今度は「芝右衛門狸」だ。まったく持って京極夏彦の妖怪小説は面白い。読んでいるうちに、バスから地下鉄に乗り換えた後、学生時代の癖で、いつもの乗換駅で地下鉄から出てしまっていた。路線図を確認し、改めて回数券を使って改札を通った。地下鉄の乗り換えなどを行いながら、「芝右衛門狸」を読みふける。途中で読み終わったお陰か、乗り越しなどすることなく目的の駅に着けた。
駅から歩いて数分、紹介していただいた会社の自社ビルを発見する。会社の隣の家になにやら古めかしい立て札があって、読んでみると、その家は尾張徳川御用達の茶釜を作っていたという鋳物師なのだそうだ。会社より、この家の方をまじまじと観察してしまう。

時計の針を見て、よーいどん。会社の前から、家までどのくらい時間がかかるのか、計るのだ。
急ぐ必要はないので、のんびりと歩き、地下鉄の中でまたもや「巷説百物語」を開く。今度は「塩の長司」という話。読みながら、いろいろ乗り継いでいるうちに、地元の駅に着いた。ちょうど「塩の長司」も読み終わった。ちなみに、今日買ったオトクじゃない地下鉄の回数券は、一日でもうほとんど使い切ってしまった。
家に帰り着くと、時間はあの会社の前から45分経っていた。電車の乗り継ぎのタイミングがやたら良かったことも鑑みて、小一時間と記憶する。結局今日は、雨に降られなくて助かった。
母が、僕に電話があったと告げた。前に勤めていた会社からだ。といっても、もう辞めてから半年近くも経っている。何事かと問い合わせると、当時、社宅ということで会社名義ながら、僕が自分で家主の口座に振り込んでいたアパートの家賃が、なんだか振り込まれていないという話だった。
もしやと思い、その会社にいた頃常に携帯していたカバンの中を漁ると、なんとその振り込みをした時の利用明細票が出てきた。面倒がってカバンの整理をしていなかったのが、この場合は良かったということになる。ものぐさも、たまには役に立つものである。これは証拠になると、すぐにコンビニのFAXサービスで送った。

その会社への就職時にも、働いている時も、やめる時にもお世話になった事務の女性の、あの頃と変わらないとびきり元気な声を懐かしく思いながら、就職課で紹介をいただいてきた二つの企業に電話を入れ、うち一つの会社への面接を取り付けた。まあ、真っ当な社会人へは一歩前進したと言えるだろう。
今日はいろいろあったので、日記を書くことを思い立った。書いている途中で夕食になった。好物のうなぎだったので、嬉しかった。しかし、毎食後に飲む筋弛緩剤が効いてきて、今、とても眠い。
これから、「変身」の読書感想文を書くのだが、果たして意識が持つだろうか?この突発日記を皆さんがご覧になる頃には、それも判明している事だろう。

蜘蛛の糸

不勉強の身ながらも、「こういう事が出来たら、きっと理想的だよね」というような話をさせていただきます。

特許というのは、技術的な新発見や、旧来無かったような何かのアイデアを特許庁に申請することで、「あなたが最初にそれを思い付いたので、そのアイデアを使う権利はあなたにあります」と、人に認めてもらうことですよね。
そうすることで、そのアイデアを獲得するまでにその発案者が費やした時間や労力が報われ、場合によっては、後からそのアイデアを使いたいと言ってきた人に対して、お金を取ってその権利の一部を貸し与え、一財産作ることも出来るそうです。
先に特許を取った者の権利というのは絶大らしく、後発の、あきらかに同じようなことをやっている人に対して、「それは私が先に考えたアイデアだから、勝手に使ってはいけません」とそのアイデアの使用を停止させることも出来るそうです。
では、二者のアイデアが、どちらが先かわからないような状態に陥っていたり、もしくは、ある特許にかなり似ているけれども、同じアイデアと言い切れるかどうか難しいといった場合はどうなるのか。しかも、その判定によっては将来にわたる多大な利益が左右されたり、既得権益が犯されてしまうような場合は。
この部分がどんどん膨らんでいくことで、結局、泥沼のような訴訟合戦になってしまうことが、ちょくちょくあるようです。

芥川竜之介の「蜘蛛の糸」で、主人公のカン陀多は、自分の後から蜘蛛の糸を登って来る地獄の罪人の群れをみて、このままではこの細い蜘蛛の糸が切れてしまうと、群がる無数の罪人たちを一喝した途端、糸が切れて再び地獄へと真っ逆さまに落ちていきました。
せっかくの救いを無に帰してしまうという、勿体無い話ですが、この小説の優れているところは、読んだ人のほとんどは、カン陀多の心理が理解出来てしまうところです。自分が掴まっているだけでも切れてしまわないのが不思議なくらいの細い蜘蛛の糸。自分にもたらされたそのか細い幸運を、何の努力も無しに亡者達が甘受する。そんなことが、あってたまるか。
ここで、「どうぞ皆さん、一緒に登りましょう」と言える人の心理の方が、不可解というものでしょう。そして、人はその業を背負って、地獄の底へ落ちていくのです。

蜘蛛の糸が切れないという保証はありません。特許を認定されたアイデアも、いつ、どんな新しいアイデアが現れることで無意味になってしまうかわかりません。しかしながら、僕らは、蜘蛛の糸を登り切れなかったカン陀多の惨めさも同時に理解しています。
「切れてしまうかもしれないけれど、一緒に登りましょう」と語り掛けることは、人間には不可能なのか。もし不可能だというのならば、その一点こそ、人間が新たに獲得しなければならない「勇気」ではないのか。

などと思っておりましたら、ちょっと目にした雑誌記事によりますと、現在の特許というのは、強力な権益ではなく、「私が先に考えたものだから、敬意くらいは払ってよね」といった程度の意味あいのものがほとんどになっているとか。
「あなたの考えたそのアイデアを使って、私はこういう事をしたい」
「どうぞ、僕の考えたものであるということさえ明記してくれるなら、存分にお使い下さい」
いやはや、世界は、僕なんかの思考の範囲内より、よっぽど先進的であったらしいです。

今回のような一人よがりにならないためにも、現代社会に生活する人類が、いかなる道徳を持って生活しているのかを、ちゃあんと勉強し続けなければならないという、よい教訓になりました。

よく見て素直に考えること

今年は大雨や地震、台風など、大きな災害のニュースが多く、連日TVではその報道がなされています。
このHPを覗いてみえる方々の中にも、なにか被害を受けたという方がいらっしゃるかもしれません。そう考えると、あなたが今、この文章を読んで下さっているということを、誰かに感謝したくなります。
TV画面にうつる、倒壊した建物や決壊した川の濁流、竜巻に転がされた車、そして地滑りを起こした山肌などを見るにつけて、自然の力の恐ろしさをあらためて感じます。
人は昔から、荒ぶる自然と折り合いをつけることで生きてきました。現代の僕らは、科学の力で何でも出来るような気になっていますが、ひとたび地球全体規模の活発な火山活動でも起ころうものなら、なす術も無く人は滅びの危機に立たされることでしょう。
これは、環境保護の問題なんてもの以前の、私達を取り巻く現実の話です。
基本的に、人は謙虚でいなければならないはずです。しかしながら、そう謙虚で居続けることも出来ないのが人間です。
数日前、災害報道の中で、僕も含めた誰もが陥ってしまいそうな、こんなエピソードに出会いました。

TVでは、高速道路を飲み込んで破壊していく激しい地滑りの瞬間が、生々しく放送されていました。
翌日の新聞でも、その場面はでかでかと取り上げられ、そこには数人の有識者のコメントが添えられていました。曰く、この土砂災害は、樹木の伐採、植林等の丁寧な山の整備を怠ったために起こった人災でもある、と。
この「有識者の発言」は、一見、奢りたかぶる人類に警鐘を鳴らす正しい意見のように思えますが、実は、事実から外れたものでした。この発言こそが、人が謙虚でない、今の風潮の象徴なのです。
どういう事かというと、地滑りの時にその山肌に生えていた樹木は、よく見ると半分以上が、広葉樹だったのです。人の手によって植林された山の場合、植えられるのは普通は針葉樹です。針葉樹は根をあまり深く張らないので、丁寧な伐採作業を行って山を整備しておかないと、山の保水力を落としてしまうことになるわけですが、広葉樹が多い山というのは、もともと人の手があまり入っていない山であると考えられます。
そして、あの地滑りの映像で本当に注意すべきだったのは、えぐれた山肌の部分です。普通、山の土というのは表面を数十センチほどの厚さで覆っていて、その下には、大きな岩のごろごろしている層があるものなんです。その岩のところまでしっかりと根を張ることで、木々は土と自分のからだを支えます。ところが、地滑りをした山は、えぐれた下の部分もほとんど土の層でした。ここから推測出来るのは、地滑りの直前、この山の表面の土は事前の大雨で、泥のようになった層を作っていたのではないかということです。土砂止めの排水機構が上手く機能せず、水分をたっぷり含んで重い一つの塊になっていた土が、高速道路脇の土砂止めの耐圧許容量を越え、道を破壊してしまったのではないでしょうか。
そうなると、今回の地滑りの人的な原因は、排水機構の不備という、純粋に技術的な問題ということになります。土砂止めの排水機構というのは、簡単に石や土が詰まってしまってなかなか有効に機能しないものなんです。
画面をよく見れば、専門家ならばこういう事は読み取れたはずです。しかし、どういう意図か、原因の指摘が微妙にずらされ、山の管理、森林伐採のやり方に問題があったのだとされてしまいました。

ここからは僕の想像ですが、情報の送り手は、問題の原因を樹木の方向に転換することで、情報の受け手に、これも環境問題の一つであると思わせたかったのではないでしょうか。もしくは、送り手自身が、事を環境問題の一環であると思いたかったのかもしれません。
そうすることで、人は「環境に気を使っている人」を演じることができます。しかしながら、事実をよく見もせず、不勉強のままに「自然を守れ」と叫ぶことが、環境保護につながるのでしょうか?現場の人間は、目の前にある事実から目を逸らして、自分の思いたいように事を解釈したりはしません。僕の父は山の専門家なので、この地滑りが何を原因としたものなのかをすぐに見抜き、上記のように僕に説明してくれました。

自然の山というのは、僕らが幼いころに触れたような砂場の山とはまったく違うものです。そういった知識が無いということを自覚せずに、自分の狭い了見で誰かを(この場合は地元の林業家か?)悪者に仕立て上げ、それを指摘することで自分はさも善人であろうとする。これに類することが、世の中には多くありすぎる気がします。専門家ですら、面白いことを言おうとするあまり、正確でない発言をすることがあります。
現実を、思い込みでなくありのままに観察し、冷静に分析し、自分のわからないことはわからないと素直に認めて、自分の出来る範囲のことをする。
そういった謙虚さが、本当の意味で自然を守り、僕らの生活を守ることに繋がるはずなんです。

これは、マスコミやインターネット等のメディアでの発言だけでなく、僕らのまわりの日常から、気をつけなければならないことだと、常に自分を振り返ろうと思いました。

おつかれ

僕は電車に乗っていると、立っていようと座っていようと、すぐに眠くなってしまいます。実際に、よく寝てしまいます。
そんな時、ふと、まわりを見回してみると、結構寝ている人は多いです。昼間に乗れば、買い物のおばちゃんや営業のサラリーマン風のおじさんがグウグウ。夜の電車ともなると、学生さんや御老人、やっぱり会社帰りのサラリーマンなんかが、席に座ってウツラウツラ。
旅行番組なんかで、外国の列車内なんかがよく映りますが、こんなに国民がよく寝ている国は見た事がありません。

もちろん、日本が世界各国に比べて並外れて治安の良い国であることは無関係ではないと思いますが、それはこの現象を可能にする状況、であって、原因ではありません。
では、なぜあんなに寝ている人が多いのか?
かしこまるほどの事ではありませんね。みんなが疲れているからに違いありません。
もちろん、疲れていない人も沢山いますし、車内でやたら元気に友達と喋ったり、携帯電話をかけたりしてる人もよくいます。しかしながら、ある程度の乗車率の列車内で、寝ている人がいないことはまずない、というこの状況には、こういう明確な理由があると考えた方が、分かり易いでしょう。
現代日本人は、なんでこんなに疲れているのか。昔に比べて布団の質が悪くなったのか、睡眠時間が少ないのか、日常に飽きているのか、生きることに飽きているのか。
ひょっとしたら、もともと電車みたいなものに乗ると眠くなってしまうという気質が日本人にはあるのかもしれませんが、いつか、日本人の生活に質的な転換が訪れることがあるとしたら、その結果はこういうところから現れて来るのでは、と思います。
たとえば、みんな目を爛々と輝かせ、やたら活発な列車内。もしくは、乗客全員がすやすやと眠りこける列車内。まあ、これはどちらも極端ですが、国民の意識の指標というのは、こういうところからも計れるような気がしますね。

身の程

大した話題ではありませんが、お昼の時間なんかにTVでやっている、俗に「ワイドショー」と言われる一連の番組で、ここ数ヶ月、とあるおばはん同士のケンカが延々と取り上げられています。
皆さん大抵そうだと思うのですが、この話題はもういい、と僕も今朝まで思っていました。正確には、半月程前にその心境になって、最近は忘却すらしていた話題です。

しかしながら、今朝方に、たまたまかかっていたTVを見ていたら、ちょっとしたことに気がつきました。もし、この話題がワイドショーで取り上げられなくなったとして、それでもワイドショーは無くならないわけですから、今度はまた、異なる話題が出て来るわけです。芸能ゴシップ、エセ環境問題、一方的な殺人事件報道、渦中の人物の虚像の構築・・・・・・。
ならば、おばはんのケンカ程度の話題でも延々と取り扱っていてもらう方が、まさしく分相応というものでしょう。下手に正義ぶった新興宗教叩きや、ヒステリックなだけの見当違いの自然保護をがなられるよりも、よっぽど害がありません。
せっかくの、多くの人達に情報を発信出来る全国放送のTVというメディアを少しでもそんなことに使わなくてはならないのは甚だ勿体無い事ではありますが、そうせざるをえないシステムがTVを放映する会社や社会そのものに存在してしまっているのでしょう。その中で、いつまでも分相応な話題を扱ってくれるというのは、かえって良心的かもしれません。「この話題をやってる限りは、番組によって苦しむ人もあまりいないだろう」というプロデューサーさんの意図すら、感じてしまいます。

つまらない、くだらないと思ったら、見ないこと。
ワイドショーで面白いものをやってくれるのではないかという僕らの中にある期待が、結局、ああいう番組を作りあげてしまうのです。
人の噂話より面白いものはないと古今東西で言われていますが、それより面白いものを提供出来る番組がお昼の時間にポンと提示出来たら、ワイドショーを無くしてしまうことすら出来るかもしれません。
まあ、そんなものは今現在僕には思い付きませんが、こういった「人間の根源的な卑しい心への挑戦」みたいなものこそ、「こどものくに」が最終的にテーマにするものであると考えています。

大した事ではないけれど

このHPで、いつも僕の好きな話題に付き合っていただいて、ありがとうございます。
いつもマンガや映画やアニメの話なんかを、頭に浮かぶままに更新させていただいております。このHPが存在することの思想的基盤である「こどものくに」の実現のために、本来ならばもっと近道の方法があるのかもしれませんが、僕としては、汗水たらして主張する重苦しい「思想」ではなく、僕も含めた、誰の負担にもならないようなちょっとしたアイデアというスタンスでこの考えを広めていくために、そして僕自信が気楽に続けて行けるように、自分の得意な話題ばかりで構成させていただいています。
マンガやアニメやゲームや、その他多くの面白いもの達について、自分なりのスタンスで語って行って、一カタマリの「てなしもデータベース」を作ること、それが、このHPの現在の具体的な目標です。
今はまだ雑文の寄せ集めでしかありませんが、この先、次第にテキストが蓄積されていくことで、次第に統計立てられた僕の物の考え方というものが浮かび上がって来ると思います。
それによって、この時代に生きた一人のオタクの参考資料として、このHPのデータが後の時代の誰かに役立ててもらえるかもしれませんし、今現在、なにか面白いものが無いかと探している人に対しての、ちょっとしたガイドブックになるかもしれません。

先日、1日で200人もの方がこのHPを訪れてくれたことがありました。まあ、再びここを訪れてくれた方はあまりいないのだと思いますが、それでもそれだけの人に、こどものくにという言葉を見ていただくことはできました。
一度目に入った情報は、その人の脳内に沈殿し、決して消えることは無いといいます。人間の脳は、デジタルデータに換算しておよそ一兆バイトほどの記憶容量があるらしいのですが、その中のほんの数バイトに記録されたこの言葉が、いつの日か異なる角度からの情報でまた蘇り、意外なところから社会の一端に現れることがあるかもしれません。

僕はそう考えるだけで、このHPを始めてよかったなあと、すでに考えてしまえるのです。

言葉について

現時点で、インターネットを使ってコミュニケーションをとろうとする場合、そのほとんどは文字を使ったものになります。
画像付きのインターネットTVやマイクを使った通信は、まだそんなに一般化していませんし、文字による意志の疎通というのは、多少の不自由があろうともそこそこに高度なコミュニケーションも可能にするため、今日多くの人にそう問題無く受け入れられています。
すでに人類は手紙という、文字を使ったコミュニケーションを昔から使っていましたので、簡単に受け入れられたという側面もあるでしょう。

「文字」というのは我々が使っている道具の名前ですが、「言葉」というのは、「人から発せられた、何らかの意志のこもったもの」であります。
たとえば、目の前にいる人のちょっとした含み笑いの仕種なんかも、僕は「言葉」と考えてしまっていいと思っています。(こういうものを指して「非言語コミュニケーション」なんて呼ぶことがありますが、今回はこの名前は適当ではありません。もう少し大きな問題を扱っているからです。)

さて、我々はインターネットで、文字を使って言葉のやり取りをしているわけですが、これに関して、イロイロ思い付いたので、ここでお話したいと思います。
掲示板なんかに書き込む時に、ある文章のほんの一個所の助詞が間違っているだけで、読んだ人をすごく不快にさせてしまうような意味に変わってしまうことって、まれにありますよね。自分の打った文章でも、接続詞が間違ってることに気が付いたりして、アップする直前に慌てて書き直す、なんてことがあると思います。
そんな時に、ふと手を止めて考えてみたんです。これを、修正しないままでアップしたらどうなるだろうかって。それどころか、その気になれば文章に使われている文字なんてどうにでも書き換えることが出来ますから、もっと、ヘンなことを書いてアップしてみたらどうなるだろうって。
そもそも最初にその文章をキーボードで入力したのは、なにか伝えたい事があったからなわけですが、自分の「伝えたい」という意志に関係無く、しょうも無い文章をアップしてしまうことは、労なく簡単に出来るわけです。
自分の中に、どれほど伝えたい意志があったとしても、画面上に表示される文字に、その意志を伝える「言葉」としての機能が備わっていないと、意志は向こうには伝わらないわけです。

実際のチャットなどでは、ちょっとした打ち間違い程度では問題はなかなか発生しません。人には、言葉の流れ、「文脈」というものを読み取る力があるからです。文脈に沿うように、相手の発言の意思を汲みとろうと受け手の気持ちが働きます。
これは、文字を通じて言葉のやり取りをし、お互いに意思の疎通がなされているから出来るわけです。これが、直接人に会っている状態では、お互いの表情や、身振り手振り、会話の間などの「言葉」によってさらに補完されます。(「間」は、ネットでも使われることが有りますが、通信状況の問題や急の用事などが絡んだ時にそれが上手く伝わらないため、あまり有効な「言葉」としては機能しません。)
ある程度「言葉」が限定されてしまっているネットという状況下で、お互いの意思を連続的に汲み取ろうとすると、これは、お互いに心を開き合わないといけません。ここに、不思議な出来事がおこります。面と向かっていてもなかなか人の意思というのは分からないものですが、ネット知り合った人というのは、妙に仲良くなれます。これは、お互いがすでに相手に心を開いているからでは無いでしょうか?
よく、新聞などでは「インターネットでの希薄な人間関係」なんて言葉を見ますが、そんな希薄なんて言われるものに心を捉えられるというのも変な話でしょう。お互いに、「言葉」が少ない状況下で、より上手に意志の疎通をするために、お互いの心を開き合える、それがインターネットの人間関係なんだと思うんです。掲示板なんかに初めて書き込んだ時や、チャットに初めて参加した時の楽しさというのは、自分の心が開いていく気持ちよさなんだと思うんです。
だから、インターネットで傷つけられると、傷は簡単に心の深いところに届いてしまうのではないでしょうか。ただ、さっき述べたように「文字」と「意志」は直接繋がってはいませんから、その人がどんなに優しい考えでいたとしても、書き込まれる文章がひどく荒々しいものになってしまうこともありえます。だからこそ、人を傷付けてしまわないように、書き込みには細心の注意を払うことが必要ですが、文章を読む時に、自分が傷ついてしまいそうだったら、あえて相手の意志を読もうとせず、心を閉ざすことも必要です。
あなたの心が深いところまで傷つかなければ、あなたはまた、優しい言葉を人にかけてあげることが出来るはずだからです。

インターネットは、人がお互いをより理解しあえる素晴らしい道具であり、人類が獲得した新たな能力なんだと思います。人は古来より、様々な方法で自分の「言葉」を他の人に伝えてきました。新しいものを怖がり、「悪いものだ」と騒ぎ立てるのは人間の癖ですが、これを上手く使えない人というのは、じきに人類失格になってしまうかもしれませんね。

バベルの塔再び

前にここでお話した「バベルの塔」について、少々その続きを。

一年ほど前に、僕の実家のマンションはまるごと地元のケーブルTVに加入しました。お陰で、一日中アニメや格闘技を堪能出来るようになったのですが、別にマンションに住む人達みんながそれを観たかったわけは無く、高い工事費まで出し合ってそんな事をした理由は、最近、TVの映りが悪くなったから、というものでした。
同じような理由でこの数年の間にケーブルTVやCSに加入された方も、結構いらっしゃるのではないでしょうか。特に、都市部では高層建造物などの電波障害がひどく、そうせざるをえない場合も多いと聞きます。
我が家の場合、ケーブル放送への加入が決まった時点では、TVの画像の入りが悪い理由は不明でした。特に深くも考えずに、そういうものなのかな、と受止めていました。僕の住むマンションは、同じ地上10階建てのマンションが群れのように立ち並ぶ地域の一角にあり、その中でも早い時期に立てられたものだったので、うちのマンションは高い、という自覚がありまして、他の建物のせいでうちに電波障害が起きるという発想が無かったのです。
ところが最近になって、どうやらその犯人が分かってきました。やはり高層建造物。はるか南東の地に並んで二本そびえたつ、名古屋駅新ビル、通称「タワーズ」です。あの双子が、名古屋のTV塔の電波を反射して、その干渉で僕らの住む地域全体に被害が出ていたようなのです。
名古屋駅までの線路はほぼ真っ直ぐ。家のすぐ近くの駅から電車に乗って30分ほどかかりますから、それほど近いというわけではではありません。そんなに影響があるとも思えなかったのですが、電波関係に詳しい友人に聞いてみると、あながちデタラメという感じもしません。

さてさて、ことの真贋は置いておきまして、世界で最も多くの人に読まれている本である聖書には、奢り昂ぶった人々が神に近づこうとして建てた高い塔の話が出てきます。醜く肥大した欲望をさらけ出す人々に対して、神はどうしたか。まず雷を落として塔を砕き、そして神は、人々の言葉を乱しました。それまで言葉の通じ合っていた人々はお互いに意志の疎通が出来なくなり、その後、人々はそれぞれ別の場所に暮らすようになったとか。この事件が、世界各国に異なる言葉がある由来なのだと、聖書には書かれています。
僕は一部の聖書絶対主義者ではないので、もちろん「聖書は現代の電波撹乱の状況を予言していたのだ」なんて思っているわけではありません。ただやはり、この現代社会との奇妙な符合には、興味をひかれます。
聖書が描いていたのは、人類の愚行についてです。悲しいことに、愚かな行為というのは、当事者にはなかなか分かりません。人類が大きな塔を建てまくっているこの世紀末の光景、そして電波という「言葉」を乱された我々の姿。自分で自分の手をツネり、「痛いなあ」と怒っている感覚。
もし、どこか高いところから見ている人がいたら、さぞや滑稽でしょうね。「ああ、昔と同じ事をしておる」なんて笑われている気がします。

乱暴な言葉の功

はじめに断っておきますが、これは、非常に不謹慎なこの「愚かな大衆」という言葉の存在にも、僕はそれなりに意味を見出しているという話です。

言葉というのは、発生した瞬間に、二つの対象をもっています。言葉の発し手と、言葉の受け手です。僕は、「愚かな大衆」という言葉に対して、まず自分が受け手であると考えます。極端な被害妄想ですが、「誰か偉い立場にいる頭の悪い人が、自分のことを愚かな大衆の一人としか見ていない」と、考えてみます。
そうすると、自分の自尊心がむくむくと膨らんできて、なにかしてやろうという気になってきます。人の気を引くこと、人の役に立つこと、人には出来ないこと。悪いことをしてもしょうがないですから、人に誉められることをしようと思います。
そして、何かをするには自分の能力が足りないということに気が付いて、勉強をはじめます。誰から見ても「愚か」と思われないように、思い込みで物を判断しないようにしたり、一つの物事を様々な角度から考えられるように訓練したりします。
ある程度勉強が進むと、だんだんと自分に自信がついてきます。他の人と違う意見が言えるようになったり、他の人が気が付かないことにいち早く気が付けるようになったりします。
すると、増長が始まります。この増長こそ、長い人類の歴史の中で多くの災いを引き起こした、人間の悪徳です。さてここで、もう一度「愚かな大衆」という言葉を、今度は送り手の立場で蘇らせてみます。
するとあら不思議、この増長が引き潮のように引いていくではありませんか。いつのまにか自分が、「愚かな大衆」という言葉を平気で使うような、「偉い立場にいる頭の悪い人」になっていたことに、気が付かせてくれるのです。

人は、その一人一人がそれぞれの顔と考えを持ち、「大衆」と一くくりに出来るものなんてこの世に存在しません。たとえ多くの人の中に良くない考え方をする人がいても、そのすぐ隣にいるのは賢者かもしれないのです。
世間にいる人一人一人の顔が見えなくなり、「大衆」と感じるようになってしまったら、それは、危険信号です。それは、「無い物が見える人」になりつつあるということなのですから。

「愚かな大衆」という、不謹慎で、ありえない言葉は、その不謹慎な響きとはうらはらに、人の向上心を活性化させ、そして醜い自我の肥大を抑制する働きがあるんだなあなんて、ある夏の日に、考えてみました。

バベルの塔

バベルの塔

僕の住む愛知県春日井市からは、天を突く二つの塔が見えます。
小牧の「ザ・シーン」と名古屋駅の「タワーズ」です。
先日、新宿の都庁も見てきました。「大きな塔」つながりでいくと、浜松の「アクトシティ」、新・東京タワーなんて構想もありましたね。

世界で一番読まれた本の中に、奢り昂ぶった人間が神に近づこうと建てた塔の話がありますが、現代日本とのこの一致は、決してその本を読んだお金持ちが実行した結果ではありますまい。
様々な経済的思惑を持って建てられた塔たちは、しかし、聖書に書かれた愚かな人々の行いに似ていて、人の業の恐ろしさを感じてしまいます。

皆さんも、自分の住んでいる町から見える建物を、見まわしてみて下さいな。
人の作った物を見て物思うのも、また一興です。

死について

道を歩いている時に、車道の自動車が突然飛び込んできて、跳ねられて死んでしまうってことがありますよね。
もし僕が明日そうなったとすると、僕からのメールとか、会議室への書き込みとか、HPの更新とかが止るわけです。
そうなると、これを読んで下さってる皆さんは真実を知りませんから、「てなしものやつ、最近さぼってるなあ」とか「とんびさん、最近書き込みに来ませんねえ」とか「源は新作書く気無いのかな」とか思われるわけです。
それでも僕は現れませんから、次第に皆さんに忘れられて行くわけです。

自分が不慮の事故に遭ってしまうことを想像すると、そういう事が恐くなります。「死んだり病気になったりは突然やって来るから、いつも身を落ち着かせて、出家出来る時に出家してしまいましょう」と「徒然草」に書いてありますけれど、僕は欲が深いのかそんな事をする気にもなれません。
それで、このHPを作った理由の一つは、「死後も残るものを作っておきたい」ということだったのかな、と思うのです。
もともとは「こどものくに」の思想を世に知らしめたい、という目的のために始めたのですが、いざやってみると、とにかく自分の頭の中にあるものを一つでも多く皆さんに見てもらいたい、という欲求が湧いてきます。
もちろん、遺書なんかにするつもりは毛頭ありませんし、皆さんに楽しんでもらえるようにこれからもガンガン内容を膨らませていきます。
ただ、もし僕に何かがあった時でも、僕の銀行口座にプロバイダーに支払うお金が残っているうちは、このHPが僕の分身としてネットの世界に残り続けるわけです。
・・・・・・何だか話が「攻殻機動隊」みたいになってきました。

この話題は、「押井守の話」の中の「『攻殻機動隊』を読み解く」の方で、のちのち展開することにしましょう。
(もう少し内容が充実してきたら、共通の話題がある時には、異なるコーナー間をどんどんリンクで繋げて行く予定です。異なる話題を繋げて、そのシナジー効果によって面白味を増すのが狙いです。)

本題

僕らはこれから何をしていくのだろう?
 2003年2月現在、このサイトの主催「てなしも」は26歳です。
 この歳までそれなりに健康に生きてこられたので、これから先も普通に生きてゆけば80歳か90歳くらいまでは生きられるでしょう。
 20世紀のうちに大人になり、21世紀をまるまる生きていく計算になります。21世紀におこる、良いことも、悪いことも、総てを体験していくことが出来そうです。
 22世紀はたぶん、見られないでしょう。

 21世紀なんて、ほっといても体験できるんです。だから、100年先の22世紀の話をしましょう。

 100年後の世界で、僕はこの国が「こどものくに」であって欲しいと思っています。
 今、日本から世界に向けて、アニメやマンガやTVゲームによって、高濃度に圧縮された「日本文化」が発信されています。
 それに触れた子供達は、箸でご飯を食べ、瓦屋根の家屋に住み、家の中では靴を脱いで畳の上を歩く主人公達の世界を受け入れています。
 いずれ彼らは成長し、世界を知り、気づきます。それは「日本」なんだと。
 この国はその時、彼らが訪れてみたい世界で一番の国になっているはずです。それが「こどものくに」です。

 社会の構成単位の最小のものは家族です。家族の中でも子供は大切にされます。
 日本では、子供を基準にして家族間の呼び名が変わるというおもしろい決まりがあります。名前で呼び合っていた新婚夫婦が、子供ができる事で「おとうさん」「おかあさん」になり、第二子ができると第一子は「おにいちゃん」「おねえちゃん」になります。子供が結婚してさらにその子供が産まれると、最初の夫婦は「おじいさん」「おばあさん」になります。
 世界には現在、約三千種の言語がありますが、このように呼び名が変わるのは今わかっているうちでは日本語文化圏だけだそうです。

 日本には、子供のための文化がたくさんあります。無理に欧米のメインカルチャー/サブカルチャー文化に合わせようとせず、日本の文化を自然に伸ばしていけばいいのです。
 子供のためのメディアを創り、それが乗せられるハードやネットワークを生産、整備し、子供のためのインフラを構築する。
 地球全体が情報化していく中で、世界中の子供は、大人になるまでに一度この国を訪れたいと思い、そうやって訪れた子供達が大人になった時、また自分の子供をこの国へ連れて行きたいと思う。そんな国にしていったらいいと思います。
 子供のために何かをしてあげること、それは大人の仕事です。
 21世紀を大人として体験する僕は、この世紀をそうやって過ごしていきたいと思っています。


 この考えを面白いと思ってもらえたら嬉しいです。
 ご意見、ご感想などなどがありましたら、こどものくにの会議室のほうにでもお知らせいただけるとありがたく思います。

心構え

このコーナーで展開していくのは、格闘技のパズル的な面白さの話と、その実践方法です。
「強くなりたい」と思っている方には、このコーナーを見ることよりも近くの格闘技の道場を訪問することをオススメします。
「格闘技って、どんなものかな?」「さわりだけでも格闘技に触れてみたいワン」という方に、部屋のちょっとしたスペースを使って気軽にやってもらおう、という考えで内容を作っていきますので、ダイエットや健康維持のために何か役にたつかも、くらいの気持ちで覗いて下さい。
では、レッスンを開始します。

キソ

最初に、このページを見る者の心構えを言います。

習った技を、決して人に使うな、とは申しません。ある程度知っている者同士で技を掛け合うのは面白いし、暴漢に襲われた時にここで憶えた技術を使ってあなたが助かるのならば、何がなんでも使って危機を脱して下さい。しかし、ここでこれからお教えする技が、人に大怪我を負わせることができる技術であるということは自覚して下さい。「格闘技を教える」と言った以上は、スポーツやショウの技術を教えるつもりは毛頭ありません。
今、全く緊張が走らなかった方は、このページを読む資格の無い方か、何かしら格闘技の心得のある方だと思いますので、どうぞご退場下さい。人を壊す技術というものに本能的な緊張感を持てない人には、お教えする技術ではございません。

少しでも緊張があったあなたは、僕の大好きな人間性を持った方だと思いますので、どうぞ気軽にこの以下の内容(文字ばっかりですが)を、見ていって下さい。どれも畳一帖分ほどのスペースがあれば出来るような、簡単なことばかりです。

[柔軟運動]

ラジオ体操がきちんと出来るのでしたら、まずはそれで充分です。
「もう憶えてないよ~」という方は、以下の運動を一通りして下さい。

屈伸
両足を肩幅より少し狭めて真っ直ぐ立ち、両手を自分の膝に当て、膝の曲げ伸ばし運動を行います。注意点は、曲げる際にはお尻を踵につけてしまうのは膝に悪いので降ろしかけで止め、同様に伸ばす時は膝を伸ばしきるのは膝によくないので適度に止め、伸ばしきらない、曲げきらない状態でリズム良く繰り返すことです。この時、踵は浮かさないこと。膝関節と足首が温まったら、最後に両足をそろえて、ぐるぐると回すようにして、膝をゆっくりと左右にひねり、ほぐします。この膝回しは左右に2、3回転づつ行って下さい。

伸脚
両足を肩幅の1.5倍ほどに開き、両膝にそれぞれの手を置いて、まずは右の膝を曲げて左の膝を伸ばしていきます。「屈伸」の時と同じように、膝の曲げすぎ、伸ばしすぎに注意して、伸ばすのが気持ちいい範囲にとどめて下さい。この時、爪先は地面から放さないように。左膝が適度に伸びたら、体重移動をして右膝を伸ばします。これを左右で2回づつ繰り返して下さい。終わったら、深い伸脚です。これは、膝を曲げきったり伸ばしきったりする運動なので、膝に不安があったり、痛みがあったりする方はやらないようにして下さい。やり方は、まず両足を肩幅の2倍ほどに開き、そして、さっきまでの伸脚運動と同じことをします。まず右膝をたたみ、左膝を地面と平行になるくらいうんと伸ばします。この時、左足の爪先は空を向けます。また、股関節の柔軟も兼ねているので、意識して下さい。これも、左右2回くらいづつやりますが、左右の体重移動がきついという方は、手を地面についたりしながら、ゆっくりと行って下さい。焦って行う柔軟運動は、百害あって一利なしです。

アキレス腱伸ばし
右足を前に出して曲げ、左足を真っ直ぐ後ろに出して、足を開きます。両手を右膝に乗せながら、左足を真っ直ぐ伸ばしつつ、左の踵を地面につけたり、離したりします。足の前後の開き加減は、踵をつけるのに抵抗があるくらいがよいでしょう。いくら足を開いてもアキレス腱に抵抗が無いという方は、羨ましいことに非常に柔軟なアキレス腱を持ってみえるということなのですが、だからといって柔軟をおろそかにはせず、余計に回数をやってしっかり筋を温めて下さい。


後は、腰をぐるぐる回したり、肩をぐるぐる回したり、首をぐるぐる回したりして下さい。簡単ですいません(^^;
柔軟体操などの本を手にとり、どの運動がどの筋をほぐしているのかきちんと把握しながら、新しい柔軟体操を憶えていくのも、とても楽しいものです。また、人の体の仕組みというのは案外単純で、「この筋を伸ばしているんだ」などと自分の体を意識しながら運動すると、柔軟や筋力トレーニングの効果が目にみえて上がります。
今回はまだ、日本人なら誰でも知っているような単純な運動ばかりを取り上げましたが、のちのちこの柔軟体操の紹介数も増やしていくつもりです。
柔軟運動は、30分以上かけて、ゆっくりでも確実に、うっすら汗をかくくらいやるのがよいです。

[基礎体力トレーニング]

筋力がないと使えないような技術は、このページでは扱いません。人の体の仕組みを上手に利用した、技のコツを紹介していくつもりです。
なにより、僕が体力の無いタイプの人間なので、自分が出来ないことを人に教えることなんて、到底出来ません(笑)。ただ、体力や筋力があった方がより効果的に使える技術というのは多いですし、無いよりはあった方が格闘技を楽しめますから、体力や筋力をつけるのにある程度効果的な方法というのを、以下に挙げていきます。参考程度にご覧ください。
紹介する内容は随時増やしていきます。

腹筋運動
仰向けに寝転がり、両手を自分の頭の後ろで組んで、上体を引き起こします。この際、体が完全に楽になるところまで引き上げる必要はありません。腹筋に適度に負荷がかかったら、ゆっくりと上体を降ろします。この際、力を抜いて一気に降ろしてしまってはいけません。二日に一度、50回ほど出来るようになるのを最初の目標にすると良いです。また、足を誰かに押さえてもらうと、やり易いです。

背筋運動
うつぶせに寝転がり、両手は90度に曲げて顔の横に、手のひらを下向きにして置きます。足はそろえて伸ばします。そして、瞬発力を使って上体を反りかえらせると同時に足を両膝が浮くくらいに反り返らせます。背筋力の強い人ならば、そのままジャンプしてもかまいません。背筋力の強い人は、まれにこの運動で腰を痛めることがあるので気をつけてください。背筋は、ただ座っているだけでも鍛えられることのある筋肉なので、一見貧弱な人でも驚くほど強いことがあります。この運動も二日に一度、50回、腹筋の後に出来るとよいでしょう。

プッシュアップ
平たく言えば、腕立て伏せです。ただし、このページで紹介するプッシュアップは、「脇を締めて行う腕立て伏せ」のことです。うつ伏せになって、開いた両手を立てて上体を支えます。その時、運動中に脇を締めるために、両手の中指と、体の頭から爪先までを通った中心線が平行になるように手のひらをしておくと良いでしょう。そのまま肘を曲げると、肘はぴったり体の脇に付くはずです。あごが地面に付くくらいまでゆっくりと降ろし、一気に腕を伸ばして元の姿勢に戻します。ここは、広背筋の瞬発力を上げる運動なので、素早くやって下さい。この運動も、二日に一度、50回、背筋運動の後にやるとよいでしょう。

スクワット
足を肩幅に開いて立ち、両手を頭の後ろか体の前で組みます。背筋を伸ばしたまま、膝を曲げて真っ直ぐゆっくりと体を落とします。この際、踵を浮かせてはいけません。尻を落としてしまうと膝に悪いので、ある程度まで体を下げたら今度は真っ直ぐゆっくりと足を伸ばします。足を伸ばしきっては膝に悪いので、適当に上体が上がったところで止めます。これも、二日に一回、50回ほど繰り返してやるとよいでしょう。プッシュアップの後に続けてやります。


これらの運動ができるようになったら、ペースは二日に一回のままでいいので、50回づつを3セット行うようにして下さい。それが出来るようになったら、今度はその3セットを30分以内で出来るようにして下さい。それが出来るようになったら、15分以内でできるようにしてください。
3ヶ月も続けられれば、あなたの体は随分しっかりしてくるはずです。二日に一回づつなのは、筋肉は休ませながら鍛えた方が大きくなるからです。

一応繰り返しておきますが、これらの筋力トレーニング運動が出来なくても、このページの読者としてはまったく問題はありませんので、安心して下さいね。

それでは、基礎はここまで。次項に続きます。

見る格闘技

ここ数年、TVにしろライブにしろ格闘技を見ることが出来る機会が増えています。
特に、TVが多チャンネル時代を迎えたことで格闘技専門チャンネルなどというものも現れ、見たいと思った時には、何かしら見ることが出来てしまいます。
しかしながら、格闘技には様々な種類があり、それを人に見せることで成り立っている興行団体や興行形態も千差万別。特に予備知識の無い人が見たら「何をしているんだかよく分からない」なんてものも、沢山あるように感じられます。
そこで、まずは僕てなしもの知る限りの、いろいろな格闘技の紹介をしてみようと思います。御茶の間で見られる手軽なものから、ライブじゃないと見られないもの、町角で見かけるもの、非常に希でまず見ることが出来ないものなどを、プロ、アマ、競技、求道、一子相伝を問わずに「ごった煮感覚」でいろいろ紹介して行こうと思っています。
のちのち、観戦記なんかも更新していきたいと思っていますが、とりあえずは皆さんに格闘技を見る面白さを知っていただくために、紹介に力を入れていくつもりです。
また、格闘技に詳しい方は、どうか内容をチェックして、間違った記載がないかとか、こんな格闘技も紹介してくれといった御意見・ご要望を教えていただけますよう、よろしくお願いします。
(本格的な説明は、順次行っていきます)


名称、および簡単な説明
「ファイティングネットワーク・リングス」様々な戦いの技術を身につけた戦士達が戦う総合格闘の場
「全日本プロレス」世界で一番レベルの高いプロレスを見せてくれる団体
「新日本プロレス」選手層№1・懐の深さ№1の巨大プロレス団体
「柔道」戦国時代の徒手戦場技術から生まれた極めて合理的、かつ美しい技の数々
「空手」超人願望の具現化
「K-1」日本発、世界トップレベルの立ち技格闘団体
「合気道」鬼神をも組み伏せる合気の世界

以下、いろいろ続く予定。

格闘技の話

格闘技って、人が真剣になってるから、面白いですよね。
やってる人が真剣じゃない格闘技は「看板に偽りあり」って感じでつまらないし、真剣にやってる格闘技なら、見る方も真剣に行くべきでしょう。
この場合の真剣さって、「相手を倒すことに真剣」のことだけじゃなくて、自分の技術を確かに見せるってことや、試合をすることによって得られる物のために真剣、ってことも含まれると思うんです。
ま、いろいろあると思うんですけど、とりあえず自分は、格闘技に対して真剣に向き合って、このコーナーを膨らましていきたいと思います。

今年は寒の戻りがあったりして、僕の住む辺りにはまだ花の便りは届きませんが、もうそろそろ桜の季節ですね。
近所に、花見の名所と言ってもいいくらいの、毎年素晴らしく桜の咲き乱れる通りがありまして、そこを通りますと、もうそろそろ始めようかと木々がつぶやくのが聞こえるような、濃く朱色に染まった固い蕾を見ることが出来ます。
木々の枝々一本一本にびっしりと備わった膨らみが、赤く赤く連なって、通り全体を赤く染め上げ、まだ花自体は咲いていないのに、まるで通り全体が血の霧に包まれているような気色を作り上げています。

今でこそ花見といえば酒盛り宴会の代名詞ですが、そもそもは、荒ぶる神を鎮めるための神事でありました。春に暴れ出す神、それは疫神です。

春になると壮麗に咲き誇る桜の花は、そもそも稲の霊の化身であるとされます。
冬の間を山で過ごした稲霊が、山と里の間にあるさくらの木に一度とどまり、それから田に入るのです。
古い日本語で、「さ」というのは稲霊そのものの事です。田んぼに関係する言葉で、「さ」が付くものが多いのは、これに由来します。「さおとめ」、「さなえ」、田植えをする五月のことは「さつき」と言いますね。秋になって稲霊が山に帰ることを、「さあがり」とも言います。
もちろん、「さくら」も関係のある言葉でして、「さ」は稲霊、「くら」というのは「鞍」、神の乗り物の事なわけです。元をたどれば、馬の背に乗せる鞍と同じ言葉です。さくらというのは、稲霊の乗り物のことなんです。日本のとある地方では、春になると、馬の背に鞍だけを乗せて山に放ち、自然に帰って来るのを待つという風習がまだ残っているところがあるそうです。目には見えませんが、稲霊が乗って来るわけです。
ちなみに、道端に小さなお社があったりして、地元の人が農作業の帰りなどにそこをお参りして通ったりする物のことを、「ほこら」なんていいますが、これはそのまま「おくら」がなまったものです。そこには神がいるのですから、決して通り掛かりに軽々しく扱ったりしてはいけません。

稲霊は、季節の折々、様々に姿を変えます。五月になって桜も散り、田に宿った稲霊は、それから五ヶ月ほどかけて稲になり、お米になります。日本人はこれを食べて何千年も生きてきたのですから、稲霊と日本人の関係というのは、ほぼ、輪廻転生に近いものになってきます。もち米を使ってこさえる「もち」の、あのでろーんとした形は、人間の魂をかたどったものであると言われます。だから日本人の思い描く魂というのは、白くて丸いわけですね。
役割を終えた稲霊は、山へ帰っていきます。その時に河童の姿になるという言い伝えのある地方があります。秋になると、集団で山に昇っていき、「やまわろ」という妖怪に変わるんだそうです。そんな姿を借りなくても、稲霊が山に帰った証拠に、日本の山は冬になると落葉したりして、大きくその姿を変えます。そうして、冬場を山で過ごし、春になるとまた稲霊は里に降りてこようとします。
落葉し、枯れ木と見分けのつかなくなっていた桜が、春になると里一面に咲き乱れます。このあまりにも急激な「変化」は、人々にとって、ただ事ではありませんでした。また、春には、人がよく亡くなります。高齢の老人がすっと息を引き取るのもそうですが、冬の間には大人しくしていた疫病が、流行り出すのです。ふと辺りを見渡せば、狂い咲く桜の群れ。その因果関係を、認めないわけにはまいりません。
人は、その時桜に宿っている稲霊にお酒をささげて、花が咲くように疫病を流行らせないで下さい、花が散るように身の回りの人々の命を奪わないで下さいと、祈るのです。しかしそんな人々の上にも、桜の花びらは無情にふりそそぎます。
花見とは、元来こうして桜に酒をささげる儀式です。現代でもそうですが、桜は墓地にも好んで植えられており、その根は僕らの祖先の肉体も絡め捕って、水晶のような汁を吸い上げ、稲霊と化しているのです。無論僕らも、いずれはその一部となって、米になり、河童になり、桜になるのです。

「桜の木の下には死体が埋まっているんだよ」と、誰かが言いました。桜の森の満開の下で発狂した盗賊の男の話を、また違う誰かが書きました。
この季節、僕は桜の花が恐ろしくて、ひどく憂うつな気分になるのです。
桜の花びらのあの色は、死体の肉の、今まさに腐り落ちようとする色ではないですか?

襲ってくるヨ

「あまめはぎ」は、東北地方に伝わる「ナマハゲ」と同じ部類の妖怪です。

水木しげる先生のゲゲゲの鬼太郎には、コマ回し妖怪として登場していました。
ナマハゲは随分有名になってしまいましたが、あまめはぎはそれほど有名ではないぶん、
まだ妖怪としての本質である「未知の怖さ」を十分に保った存在でしょう。
あまめはぎは人を襲います。
それも山や海など、人界から離れた異界に現れるのではなく、人里に突然現れます。
雪の降り積もる静かな夜や、大人が出払ってしまってひとけの少なくなった人里に現れて、子供を襲います。
同類のナマハゲは恐ろしげな出刃包丁を振り回して人を怖がらせるだけですが、あまめはぎは実際に子供に傷を負わせるのです。
「あまめ」とは、子供の足の裏に出来るたこのことです。
あまめはぎはそれが大好物で、子供を押さえつけると足の皮ごとそれを剥ぎ取って、むしゃむしゃ食べるのです。

足の裏のあまめは、囲炉裏にあたりすぎると出来ます。
要するに、「さぼりだこ」とか「怠けだこ」なんです。
子供は親の手伝いをして働け、親の手伝いもせず、怠けて囲炉裏にばかりあたっている子供のところには、あまめはぎがやってくるゾ!という、脅し話なわけですね。

実は僕のお尻に、最近すわりだこが出来てしまって、痛くてなかなか困っております。きちんと働いて作ったたこでは無いですから、うかうかしているとあまめはぎが僕のお尻の皮を剥ぎにやってくるかもしれません。SOHOで働いているならともかく、家でごろごろしているわけですから、あまめはぎに言い訳をすることも出来ません。
2月からのアルバイトでは、ちゃあんと立って勤勉に働いて、あまめはぎに襲われないようにしたいと思います。
僕みたいな怠け者が居る限り、それを叱る妖怪も、現代にちゃんと生きて行けるってわけですね。

そこにも、ホラそこにも。

つくも神というのは、平たく言えば「勿体無いお化け」のことです。物を粗末にすると現れます。
妖怪というのは、時代が変ると、その姿や本質を変化させてしまったり、消えてしまったりするものが多いのですが、つくも神は、その最初の発生以来、それほどその姿や本質を変えないで生き延びてきた妖怪であると思います。

つくも神の発生は、大体、日本の歴史の中でも「輸送」や「生産」や「商売」といった経済観念が著しく発達を始めた平安時代初期あたりであると考えられます。
当時の日本人のうち、都以外の土地に住む人々は、鎌倉時代が始まるころまで、縄文時代と大差無いような竪穴式住居に住み、生活の質もそれほど劇的な変化は無い日常を送っていたはずなので、この妖怪とはまず無縁だったはずです。(このあたり、この時代の都以外の土地に住む日本人の資料がほとんど残っていないために、推測の域は出ないことをご了承ください。)
この妖怪は、都で発生します。地方からの税の納入によって、富が都に偏り、財を持つものが生まれ、欲が加速し、そして都の人々は道具を使い捨てるようになります。
裸の木目が見える器より、舶来の呉器。普段履くボロ草履と、希に宮中に出仕するために履くきれいな草履。隣人より優れた道具を使う優越感。他人の美しい持ち物や衣装と比べられて、胸に湧き上がる羞恥と屈辱。当時の都から出ていた廃棄物を調べることが出来ないので、どんなものがどのように消費されたかはっきりとはわかりませんが、贅沢とは無駄をすること、いくらかのものが、使えるうちから捨てられる、もしくは使われなくなるということになりました。

物には「精」というものがあると人間は考えます。非科学的な事を言っているわけではありません。使っている道具に愛着が湧くとか、そういう意味の言葉です。
使えなくなった道具は、持っていてもただのゴミですから、捨てます。当然です。役に立たないものを持っていても無駄です。そんなことをするのはよっぽど余裕のある人だけです。しかし、使えるものはとことんまで使います。何故なら、この時代までの「道具」のほとんどは、生業に直接関係するものだったわけで、使えるものを捨ててしまうのは、勿体無いですよね。勿体無い以前に、そもそも、使えなくなる前にその道具を捨ててしまうなんてことは、それまでに誰も経験したことがありませんでした。この時代の、それまでになかったような大きな富の偏りが引き起こした、日本人にとって初めての、未知の経験なんです。
初めてのことは、わからない。だから、恐いです。そして人が恐れを抱いた所に、妖怪は現れます。

物を粗末にすることで、逆に人間はその粗末に扱われた物の気持ちを想像して、それを恐れます。これは罪悪感の妖怪なんです。
罪悪感は、僕らの心の中だけに発生するものなので、例え核兵器をもってしても消してしまうことは出来ません。一度発生したその妖怪は、経済の拡大によって次第に日本中に広まっていき、そして今日、僕らの心の中にも住み着いています。
『付喪神絵巻』という書に、「器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす」とあります。僕らは一つの道具を百年も使いませんから、ならばつくも神には出会わないで済むかというのは早合点、この「百年」というのは、その道具が使えなくなる直前までを表す言葉なので、現代の電化製品あたりは、五年ほどでつくも神になってしまうわけです。現代に生きる僕らのまわりはつくも神で溢れ返っていて、その数はあまりに多く、僕らはそれらをまとめて「環境破壊」とか「地球汚染」とかいう言葉で呼ぶようになりました。
環境問題は、僕らの罪悪感の塊です。だから、身の回りにはっきりとした徴候が出ていなくても、僕らには罪の意識があるわけです。


・・・・・・間抜けなことに、書いているうちに論旨がばらばらになってきてしまいました。自分でも苦笑しています。ここからまとめようと思っても、「物を大切にしよう」なんて説教話なんかでオチを付けたくはありませんし、かといって、目のさめるようなつくも神の新解釈がご披露出来るわけでもありません。つくも神に関する細かな話なんかはまだまだあるのですが、実例を挙げようと思ったらほとんどの出典の名前を忘れてしまってきちんと語ることが出来ません。「精」の話も、ネタを振りはしたものの、着陸点がありません。
「ならば書き直せばよいではないか」ごもっともでございますが、これほど明確な失敗論、かえって公開して皆さんに見ていただいてしまうことで、僕がいかにいいかげんな人間であるかということを知ってもらうのと同時に、もうこんなみっともないものを皆さんにはお見せすまいぞという反面教師的事例として、常に僕の目に付くHPの片隅に残しておきたいと思うのです。
なんともしょうも無い文章を読ませてしまって申し訳ありません。まあ、こういう心の痛むようなサーバー容量の無駄使い、まさにこのHPにも、つくも神が宿ったというわけであります。この古き妖怪も、現代社会においてこうやって「行動の動機付け」という役割を果たすことで、立派に存在価値があり続けているわけですね。

光と闇の境界線

「天井嘗め」というのは、住人の知らない間に家に入り込み、天井に染みや陰を作る妖怪です。現在ではマイナーな妖怪ですし、皆さんほとんどの方がご存じないと思います。
ぴょんぴょんと飛び上がって、その長い舌で天井を嘗め、暗い染みを作りますが、なぜかその姿を住民に見られることはありません。
江戸時代の妖怪紳士録「画図百器徒然袋」、その中の「天井嘗め」のページには、うろこやえらのびっしり生えた老人のような姿をしたものが天井に舌をのばしている絵が、以下のような一文を添えられて掲載されています。

天井の高は灯(ともしび)くらうして冬さむしと言えども、これ家さくの故にもあらず。まったく此怪(くわい)のなすわざにて、ぞつとするなるべしと、夢のうちにおもひぬ。

この文の意味は、徒然草に「天井を高く作るのは、冬は寒くなるし、明りも届かなくなるので部屋が暗くなる。(家を作るのは夏ではなく、冬を基準にすべきである。)」とあるのを受けて、「それは家の設計の所為ではなく、この妖怪がいるからだ」と反論しているというものです。
つまり、部屋の明りが天井の隅まで届かないのは、この妖怪が闇を作っているからであると。

ここで、そんなアホなと思ってはいけません。試しに、あなたのいる部屋の天井を見上げてみて下さい。電灯の明りが届かずに、隅の方がぼんやりと暗く染みのようになっていませんか?もし部屋の電気を点けていないのだとしたら、パソコンモニターの淡い光の他はあなたは闇に包まれていて、天井どころか足元すらおぼつかないでしょう。
さて、なんで電灯やモニターの明りが部屋の隅まで届かないか、あなたは説明出来ますか?大抵の人は、「光が弱いから届かない」とか「光が部屋の中の空気によって減少するから届かない」くらいしか思い付かないのではないでしょうか。僕はそうです。「光は粒子と波の性質を同時に持ち、物質によって遮られる」というような、中学生の頃にならう科学の基礎知識でだいたい説明をつけるでしょう。
しかし、冷静に考えてみれば、本当に光の性質について良く知っているわけでは無いですし、そもそも「光ってなんだ?」という問いに科学的に答えられる人はなかなかいません。まず普通は、わかったような気になっているだけです。
では、まったく科学的知識を持たない人がこの問題を考えると、どうなるでしょう。
ロウソクに火を点けます。ぼやっと周りが明るくなりますが、部屋全体を照らすわけではありません。手で遮ればその陰は暗くなりますから、光はロウソクから真っ直ぐ伸びているということには、すぐ気が付けます。では、なにも遮るものが無いのに光が弱まってしまうのは、どういうわけでしょう。とても難しい問題です。地上には空気が水のように満ちていて、それがだんだんと光を弱めているなんて、思い付きようもありません。わかりません。でも、その事実は目の前にあります。わからないから、恐いです。
そして、人が恐れを抱いたところに、妖怪は現れます。

床に置いたロウソクの明りが、天井まで届かない。それは、「天井嘗め」が天井や部屋の隅の方に、闇や染みを作っているからなのです。天井は人の住む全ての部屋の中にあるにもかかわらず、人がそこに行くことはできません。天井は、家の中の異界なのです。
結局のところ理解出来ない光の性質の、理解出来ないという未知ゆえの恐ろしさ。その人としての感情までを内包した、「天井嘗め」という妖怪の存在は、実に機能的な説明機構です。

時代が現代に至って、エジソンの発明などの結果、明りの技術は飛躍的に発展し、人は家の中どころか街中から闇を消し去りつつあります。人は、いまだに闇が恐いのです。恐い物を克服しようとせず、遠くに追いやることで見ないようにしています。
それでも、闇は僕らの家の中にも、僕らの体の中にも、深海にも、宇宙にも、海辺にも、裏山にも、川辺にも、どこにでも依然として存在しています。そこにあるのに、無いことにしていたって、いつか矛盾が出てきます。しかし、海を恐れ、山を恐れ、闇を恐れることでそれらと対話し、理解してきた先人の知恵は、すでに失われつつあるのです。
本来、闇に潜む恐ろしいものの話は、隠居した老人が、就労前の子供たちに語ることで受け継がれてきた、大切なこども文化の一つですが、今の日本には語る老人も、話を聞く子供もほとんどいなくなっています。だから僕は、「こども文化国家の設立」というこのHPの趣旨に乗っ取って、皆さんに自分の知る限りの「妖怪の話」を紹介していきたいと思います。

それでは又、次回の講義で。

吸血鬼の話

吸血鬼を見分けるのは、そんなに難しいことではありません。
彼らの持つ独特の特徴をきちんと把握出来ていれば、あなたにも、明日からでも見分けることができます。ただし、もし吸血鬼を見つけても、気軽に「退治しよう」なんて思ってはいけませんよ?
見分ける力と、退治する力は全く別のもの。うかつにその境界を踏み越えると、あなたも吸血鬼にされてしまいますから、冷静に身を引いて、まずはお近くの悪魔払い師に声をかけて下さい。お近くに悪魔払い師がいない場合は、しょうがないので、僕に相談してみて下さい。
また、吸血鬼にもいろいろありまして、何がなんでも退治しなければならないような恐ろしいヤツも偶にはいますが、その殆どは放っておいても特に問題の無いヤツなので、この講義中に、皆さんには「そこにいる吸血鬼がヤバいか、ヤバく無いか」を見分ける能力までは身につけてもらいたいと思います。

はじめに、皆さんのある誤解を解くために、一般的に言われている吸血鬼の特徴を挙げてみましょう。

1・血を吸う
2・日光に弱い
3・十字架に弱い
4・ニンニクに弱い
5・見た目より怪力である
6・不死である
7・変身する
8・高貴な身分であることが多い

こんなところでしょうか。しかしながら、ここに挙げた特徴は、どれも決定的な「吸血鬼の証拠」にはなり得ません。

特徴1は、怪我をした時などに人が同様の行為をとることはあります。
特徴2は、ある種の病気にかかっている人等は、日光を嫌います。また、有名な女性吸血鬼「カーミラ」は、日光を全身に浴びて平然としていました。
特徴3は、神経質な宗教嫌い、または特別に強い信仰を持っている人は、そのシンボルを恐れることがままあります。また、キリスト教圏出身でない吸血鬼には、十字架は効かないと言われています。
特徴4は、そんな人はいくらでもいます。
特徴5も、そんな人はいくらでもいます。
特徴6は、まれにそんな人がいたとして、それが吸血鬼であるとは限りません。ゾンビも、フランケンシュタイン・モンスターも、立派な業績を残した偉人も、不死であるとよく言われます。不死は吸血鬼の専売特許ではありません。
特徴7は、俳優や魔法少女、昆虫のさなぎ等を指して吸血鬼だと言う人はいません。
特徴8は、これはちょっと面白い特徴なんですが、とりあえず、高貴な身分だからって吸血鬼だってことは無いでしょう。

少々恣意的に論を進めておりますが、とにかく、一つ一つの特徴を取ってみれば吸血鬼というのは姿を消してしまいます。吸血鬼が吸血鬼たる由縁というのは、実はこれらの特徴には直接は関係無いのです。
ところで、吸血鬼というのは、我々にとって恐怖の対象であります。世間では、なんだか可愛くイラスト化された吸血鬼の名士ドラキュラ伯爵なんかが、たびたびマスコット化・商品化されたりもしていますが、吸血鬼というものの成立やその伝承が永きに渡って語り継がれてきた背景には、人々の恐怖というものがあったということに、異論を挟む人はいないでしょう。
吸血鬼は恐い。では、何故恐いのか?

この「妖怪の話」のコーナーの最初のページに、大きな文字で妖怪について書かれているのを、皆さんは読まれましたでしょうか。
その中に、「見えないものは恐いから、わからないものは恐いから、あなたの心が、妖怪を作り出すのです。 」という一文があります。
不明なものは、人間は恐いんです。「わかる」の本来の意味は、「分けることができる」です。「理解」は、「理をもってほぐす」です。あるものと、あるものを、はっきりと分類出来ること、それが「わかる」です。
そして、吸血鬼の本性は、「境界をあいまいにするもの」なんです。

人は昼働いて夜眠るものなのに、その反対の活動をする。なよなよっとしているのに、怪力。死体なのに、元気に動き回っている。人の姿をしているのに、獣に変身する。貴族なのに、卑しく人の喉笛に食らいつき、SEX無しで仲間を増やす。男性なのに、妙に色っぽい。などなど。
個体差はありますが、上等な吸血鬼になればなるほど、この「境界をあいまいにする特徴」は増していきます。
また、血は生命であり大量の出血は死に繋がるという昔の人々の一般的な医学知識が、その対立項である吸血行為をする魔物を産み、直接的な死をもたらすその行為は、「境界をあいまいにする魔物」の代名詞になっていきました。今回論旨にしているヨーロッパ産の吸血鬼と特徴は違えど、世界中に「吸血行為をする魔物」が存在するのは、この為でしょう。
吸血行為によって吸血鬼が増えていく様は、ペストの蔓延に準えられます。衛生観念というものが無かった中世の人々はペストが広がるのを止めることが出来ませんでしたが、ここに強力な殺菌作用を持つ「ニンニク」が登場します。ニンニクは、ペストを含めた病気の進入を防ぎ、また、人体に活力を与えます。一緒に置いておくと、食べ物もあまり腐りません。あいまいになりかける生と死のうちの、生の世界を活性化してくれるのです。もちろん、「境界をはっきりさせるもの」ではないので、中にはニンニクをばりばり食べる吸血鬼などというヤツも存在してしまうわけですが。
そして、人類が生み出した最強の「境界をはっきりさせるもの」、それが宗教です。神の教えに照らすことで、どんな問題にもYES、NO、はっきりとした答えが出されます。仏教に帰依したお坊さんは前世も死後も今生も迷いが無いですから、境界があろうと無かろうと恐くありません。そういう意味では、いまだ生命や宇宙の真理を解明出来ていない「科学」では、吸血鬼退治は難しいでしょう。(科学は、神に頼らずに世界を理解しようという学問ですが、その目的が達成されるのは当分先になりそうです。それがなされるまでは、人類には宗教が必要でしょう。)
そういったわけで、吸血鬼はタキシードを着たままよだれを垂らしたり、女性なのに女性を誘惑したり、十字架を怖がったりするわけです。

さて、皆さん、世間を見渡してみて下さい。
「境界をあいまいにするもの」が、見えますか?ここで、それが見えるかどうかは皆さんの才能次第です。才能の無い方でも、勉強をしていけばある程度は見つけられるようになりますし、よく見えるという方は、勉強をしていくことでさらにはっきりと見つけて、場合によっては退治することが出来るようになります。
ここでいう勉強とは、世の中の多くのものを見て、自分で考え、事実を見極める能力を高めるということです。化学や、人類学や、数学はその大きな手助けとなるでしょう。悪魔払い師というのは、こういう勉強をするのです。

僕なんかがぱっと探してみると、男と女の境目をあいまいにするファッション、親と子の境目をあいまいにする緩んだ倫理観、現実と虚構をあいまいにする技術の発達、議会の進行が下手な議長、話を何度もまぜっかえす人。いろいろと見つかります。
しかしながら、最初に述べたように、この「吸血鬼」達の中には、退治する必要の無いもの、もしくは退治してはいけないものがいます。吸血鬼を見抜いたり退治したりするのは、技術であって、思想ではありません。思想の名の下に行われる吸血鬼狩りは、残酷な暴力にすら成り果てます。
国と国との国境線を消す努力、異業種企業間での発展的な技術提携、学問の世界では、愛知学院大学日本文化学科の二宮哲雄客員教授が異なる学問同士を融合して相乗効果を挙げる理論を発表され、社会学と大脳生理学の境を取り払う研究をされています。

吸血鬼は存在します。人が世界を理解しようとする限り、その隙間に現れ続けます。だからといって、退治しなければならないような凶悪な吸血鬼は、さまざまなボーダーレスが叫ばれ正当化されるこの時代には、もう殆ど現れることはありません。
吸血鬼の存在は、保守的な社会にとってこそ恐ろしいのです。適度な数の吸血鬼との共生を計ることで、人は発展的で、心の豊かな社会をいつかきっと築くことができるでしょう。

吸血鬼に関する僕の講義はこれで終わります。何かご意見やご質問のある方は、会議室の方に書き込んでおいてください。面白いご意見があれば、第二講義を開設するかもしれません。

妖怪の話

妖怪は、客観的には存在しません。
この世のすべての事象を捕らえ、系統立てて分析すれば、妖怪がこの世界に存在する隙間は消えてなくなります。
でも、そんなことって無理ですよね?
あなたの生まれる前のこと、死んだ後のこと、それと、あなたが今見ていない部屋の隅。
見えないものは恐いから、わからないものは恐いから、あなたの心が、妖怪を作り出すのです。

世の中は分からないことだらけなのだから、素直に「わからない」って認められればいいのです。簡単なこと。
そうすればほら、妖怪達はあなたのまわりに溢れかえって、あなたを慰めてくれる。
ここは妖怪の住む世界。

第二回名古屋ミニオフレポート

今日はWOWOWのHP上で行われている「アイドルへの道」という企画の参加者の、名古屋近郊在住の人が集まるオフ会です。

うす曇りの名古屋では、雷がピカピカ光っていました。
待ち合わせ時間は2:45。約束の「ナナちゃん前」にたどり着いた時、時計はぎりぎりの2:40でした。きょろ、きょろと辺りを見回していると、柱の陰から二人の大男が!
鷹さんとWinnersさんでした。前に一度お会いしている二人に会えて、一安心。Winnersさんの飼っているシーマンのお話を伺っているうちに、一見スポーツマン風の男性が近づいてきて、こちらから鷹さんが声をかけました。
わざわざ静岡から新幹線を使って名古屋に来て下さった、マスターR∧さんでした。みんなでハンドルを名乗りあってご挨拶。もう一人の主賓、広島のうさたんが鈍行を乗り継いで名古屋に着くはずの時間までには、まだ2、30分あったので、そのままWinnersさんのシーマンの共食いの様子なんかを伺いながらその場で立ち話。10分ほどしたところで、僕らの横に黒い陰が!
真っ黒なうさたんでした。途中の駅の乗り継ぎを走って行うことで、時間を短縮したのです。「早すぎる。偽者では」と疑うてなしもを尻目に、みんなでハンドルを名乗りあってご挨拶。その場でシーマンの卵の孵し方の話なんかをしばらくしていましたが、どうせ喋るならということで近くの喫茶店をめざすことに。世間一般では夏休み。女性客の溢れかえるデパートフロアを男五人で闊歩しながら、やっと適当な地下階のサンドイッチハウスにたどり着きました。
コーヒーに紅茶にフルーツジュース、トマト抜きのサンドイッチやスプーンのついていないヨーグルトなんかを食べながら、アイドルへの道の企画中の話や、X氏のものまね、HPの話やシーマンの餌にはシーマンと同じ顔が付いている話などで盛り上がりました。

あっという間に6時になったので、本格的にご飯を食べようと、居酒屋に移動することになりました。地上に出ると、滝のような大雨。降り出したばかりらしく、一向にやむ気配がありません。しょうがないので、名古屋名物の地下街を通って目的の居酒屋に近づくことに。デパートのすぐ前にあった階段を降りるとさっきまでいたサンドイッチハウスに出くわしてずっこけたりもしましたが、うねうねと地下を進んで適当なところで地上へ。
しかし、雨はますます強くなっていました。そこから居酒屋には歩いて3分もかからないのに、あまりのどしゃ降りに前に進むこともままなりません。我々はなんとか、近くのコンビニに逃げ込みました。ここでうさたんが、初めての「ロッテアイス”爽”」との出会い。広島では見る事の出来ない青いパッケージを買い求めるうさたん。その後、てなしもがプロレス雑誌を読みはじめて余計に時間を食ったりしながら、意を決して雨の中を進み、なんとか居酒屋へ。
お刺し身、焼きイカ、焼鳥に土手煮、そして名古屋名物手羽先のから揚げなどを頬張りながら、東京で行われているはずのコミケオフを想像してみたり、うさたんがこっそり”爽”を食べたり、いつか闇鍋をやりたいなんて話になったり、シーマンの将来を語り合ったり、話は弾みます。気が付けば、予定していた8:30を過ぎて、そろそろうさたんが東京へ向けて出発する時間。マスターR∧さんの新幹線の時間もあるので、もうお開きです。
あっという間の6時間でした。でも、ただ会って喋るだけのイベントが、こんなに楽しいなんて!

外に出ると、雨はほとんど上がっていて、傘をさす必要は無くなっていました。まだ9時なのに多くの店が終わってしまっているという、夜の早い名古屋の街を通り抜け、名古屋駅に。うさたんはこれから16日まで東京へ。マスターR∧さんは新幹線で静岡へ。Winnersさんは電車と車を乗り継いで岐阜へ。鷹さんも電車を乗り継いで豊橋方面へ。
中央線320円区間で名古屋駅に来られてしまうてなしもは、皆さんの苦労を知りもせず、またこんなミニオフやりたいなー、シーマン欲しいなー、と帰りの電車の中で思うのでした。

寓話の力

8月19日に、TBSラジオの早朝番組「森本毅郎スタンバイ」の「現場にアタック」というコーナーで、WOWOWONLINEで活躍中のバーチャルアイドル、栗原みづきさんのことが取り上げられました。
ちなみに、僕は、その番組の存在をそれまで全く知りませんでした。特に大きく告知もされなかったその番組内容のことをどうして知る事が出来たのかというと、僕も含めてWOWOWバーチャルアイドル企画の応援活動をしている仲間のうちの中心的存在、REIさんのHPの掲示板に、「番組で取り上げるにあたって、ファンの人の生の声を聞かせてもらいたい」というディレクターさんからの書き込みがありまして、「応援活動の手助けになるなら」と僕てなしもが連絡を取って、結局そのままファン代表として出演した、というわけです。

さて、その内容に関してなのですが、まず、それを聞けた知り合いの何人かに感想を聞いたところ、大体「もう少しなんとかならなかったものか」という意見でした。
その不満の大半は番組パーソナリティの森本毅郎氏に注がれていて、「理解しようとしていない」「ただ怖がったり、笑ったりしているだけ」というものでした。

ただ、僕としては、テープに取っておいたものを何度か繰り返して聞いてみましたが、それほど変な扱いはではなかったのではないかと感じました。
確かに、森本毅郎氏は少しひいた視点で面白がって発言されていますが、そのほとんどは話題を面白い方向に持って行こうとする為のもので、それは番組のパーソナリティとしては当然の対応だと思います。
実際に僕のインタビューから放送に使われていた部分は、「この企画に参加していてこんなに楽しいですよ」という内容の場所で、それに対しての森本氏の発言は「ついていくのが難しい」という内容のものでしたが、ここは、そのとおりだと思います。インターネット社会にあまり触れていない壮年の人ならば、こういう反応が出て当然でしょう。「よくわからない→怖い→遠ざける」というのは、人間の心理の自然な流れです(ちょうどそういう内容を扱っているこのHPの「妖怪の話」参照)。
そして、この部分はバーチャルアイドル企画の宣伝効果という意味では、決してマイナスではありません。壮年層は、明らかにこの企画のターゲット層ではないからです。むしろ、メインのターゲット層であるはずの若年、青年層(そしてオタク層)の中には、「面白そうな話だ」と思った人がいたのではないでしょうか。森本氏が放送中「時代が変わったんだねえ」と言われていますが、まさしくそのとおり。取り残されている者と、変化の渦中にいる者とでは、同じ放送を聞いても印象は違うはずです。

また、森本氏が内容の締めとして

「クリスマスのサンタクロースみたいなものでしょ?それに大人が本気になるのもどうかなあ」

という発言をされていますが、このあたりは森本氏がきちんと事態の本質を掴んでいることがわかる発言だと思います。バーチャルアイドルというのが「サンタみたいなもの」というのは、実に的を射た意見です。
ただ、そういった「寓話の力」というものを、その凄さを、話者は理解していません。
そもそも市場主義経済も、科学も、社会も家族も友達も全て、人の思い込みから発生しているということを、森本氏は忘れています。大きなことから小さなことまで、人間同士の約束事によって社会は成り立っているということを、見失っています。もちろん、その「約束事」に疑いを持たなくても生きてこられた人にとっては、思いも寄らぬことでしょうし、それに疑いを持たないことは悪いことではありません。
しかし、時代はその「約束事」の定めた境界が大きく揺らいでいるところに来ています。「大人はそんな事はしない」という古い約束事ではなく、それがあるという状況によって実際にあがる「効果」を見つめなければなりません。
そして現実に、12月24日に世界中に訪れる「クリスマスのサンタクロース」が、どれほどの経済的・心理的効果を生んでいるか、ちょっと考えれば分かることです。さらには、この日が、ある世界宗教にとって大切な日であることも忘れてはいけません。(もちろん、宗教というのは、寓話の塊であるという側面を持ちます。)
「寓話の力」は、世界中の人々を優しい気持ちにさせる効果すら持っているのです。

「バーチャルアイドル」というものを扱うだけでも、ここまで発展させることはできます(放送を聞いてから考えたんですけど)。
インタビューの中で僕はここまで喋ったわけではありませんが、実際に使われた部分以外に「インターネットコミュニティの存在」や「これは文通の高速版であって、文通そのものは人類が千年以上も前からやっている。人は、そんなに新しいことを出来るわけではない」といった話をさせていただきました。
ディレクターの方は、放送日の昼に電話を下さって、「一部しか使うことが出来ませんでした」とわざわざ謝って下さいましたし、放送中のそのディレクターさんの丁寧なフォローが無かったら、もうちょっとは聞いていて不愉快な内容になっていたかもしれません。7~8分の短いコーナーではありましたが、内容そのものの趣旨は明確。ついでに「参加している”てなしも”という人は随分楽しそうだ。ちょっと早口だけど」といったことが、そういうアンテナのある人には聞いていて伝わる内容だったと思いますので、僕はこの放送に協力出来たことに喜びを感じています。


連日、新聞にはインターネット関連の記事が3つも4つも載っている時代ですし、そういった話題や、社会全般に関することなどで、もし、何かお手伝いが出来ることがあったら、出来るだけ協力したいと思いますので、また声をかけていただけるとうれしいです。

第一回名古屋ミニオフ会

約束は4時。
3時40分に待ち合わせ場所についた僕、てなしもは、おもむろに鞄から集合の目印であるWOWOWプログラムガイドを取り出して、読みはじめました。するとすぐ、声をかけてくる人が!
「アンケートお願いします」
・・・宗教の勧誘でした。断りきれずに話を聞いていると、
「もち」
と後ろから呼ぶ声が。
勧誘は立ち去り、振り向いた僕の前に立っていたのは・・・あれ?今日集まるはずの方々の中に、僕をもちと呼ぶ人はいなかったはずでは。
目の前にいたのは、僕より一回りほど年上にみえる男性でした。
「・・・うさたん?」
混乱した僕は、おもわずいつも僕のことをもちと呼ぶ、年下のはずのライバルの名を呼んでいました。
「違うよ~、今日は乱入OKだって聞いてたから」
「ひょっとして・・・」
そこに、体の大きな人が一人現れました。続いて、同じくらい大きな人がもう一人。
Winnersさんと鷹さんでした。
そして、僕らを遠巻きにしながら、恥ずかしそうに顔に手を当てつつ近づいてくる若者が一人。お調子者さんでした。
お調子者さんはしきりに
「あれ?今日は四人だって聞いてたんですけど」
と首を捻っていたので、乱入者の正体は、居酒屋に入るまで秘密にしていました。

乱入者の正体、それは塩尻でのお仕事を終えた後、バイクで名古屋まで回ってみえた、さとりさんでした。

早く集まったので居酒屋さんが開くまで少し待つことになってしまいましたが、特に問題無く入店。@Sa-yaのメンバーはおのおの、自分のひまわり騎士団ナンバーのついた下駄箱に靴を入れ、数字が見えるように鍵を持ってにやり。ああ、ここで写真撮っておけばよかったですね鷹さん。
早い入店が功を奏し、広めの席に入れて、飲み物、食事が運ばれてきました。そこから、アイドルへの道談義が始まりました。内訳は、思い出話5割、みづきさんのこれからの話3割、お互いの話2割といったところ。いろいろ楽しいお話が出来ましたが、くわしい内容は、出席者だけの秘密ということで・・・。
あっという間に二時間程が過ぎ、成田に帰るさとりさんと共に店の前で記念撮影パチリ。
「また今晩会いましょ~!」
とバイクで帰るさとりさんに無理なお願いをするてなしもがいました。
残る四人は、とりあえずゲームセンターへ。お調子者さん、鷹さん、てなしもの三人がDDRに挑戦して、玉砕。(特にお調子者さんは、けっこう酔いが回っていたようで見ていて面白かったです。)
すぐにカラオケへ。
四人とも非常に声が高く、女性ボーカルソングのオンパレードになりました。2時間の間の主な歌は、もののけ姫・ジャストコミュニケーション(Winnersさん)、突撃ラブハート・オートマチック(お調子者さん)、愛を取り戻せ・カントリーロード(てなしも)、さまよえる蒼い弾丸・アデッソエフォルチュナ(鷹さん)、などなど。アニメソング率8割くらいでした。
その後、お金をこわしにゲームセンターに寄ったりしつつ雑談を交わすも、
「まあ、テレホの時間に間に合うように帰りましょう」
といった感じで、9時ごろに解散に。
別れ際になって、よく考えたらお互いに本名の自己紹介をしていないことに気がつきました(笑)。

オフ会の写真は後日鷹さんが郵送してくれるそうなので、楽しみです。さとりさんに送られた分は後日HPにアップしていただけるかも。
是非また、皆さんとお会い出来るオフ会をやりたいです。今度は、もっともっとたくさんの方にお会いしたいですね。次は大阪?広島?それとも静岡でしょうか。都合をあわせて、また出席したいです。

川瀬爽の話

川瀬爽さんは、WOWOW ONLINEの企画 「アイドルへの道」 から生まれたバーチャルアイドル・候補デス。

川瀬爽(かわせさや)さんは、この春までオンライン上で行われていた競争で栗原みづきさんに惜しくも敗れてしまい、デビューの機会を逃してしまいました。でも、僕らが応援活動を続けることで、いつの日かまた機会が巡って来てくれることを信じています。
現在は、ともに戦った仲間ということで、栗原みづきさんの積極的な応援活動もしています。


※注意
「アイドルへの道」に関する、このHPで使用されている画像・名称等の著作物の利用に関する権利はすべて日本衛星放送株式会社に帰属します。
当HPはWOWOW及び日本衛星放送株式会社とは一切関係ありません。
当HPに関する質問・意見等は製作者にして頂き、日本衛星放送株式会社には一切なされませんようお願いします。