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LOCK THE SUPERMAN

緑の髪の永遠の少年ロックの物語は、名のある出版社から刊行されているコミックス以外にも、ビデオアニメやLPレコード、そして同人誌版と呼ばれるものまで多くの媒体によって語られています。
その中でも比較的手に入れやすいのは、普通の書店で手に入るビブロス社版の現在も連載中の内容をまとめたコミックスや、以前少年画報社から出版されていたものを再編集した文庫版、後はスコラ社から刊行されている愛蔵版などでしょうか。

雑誌での連載という形式をとっているにも関わらず、超人ロックの物語はちょうどコミックス1冊、ないし前後編のような形式での2~3冊で一つのエピソードが完結するように出来ています。また、「超人ロックとは何者か」や「この世界の設定は」といったことが丁寧に語られる独立したエピソードはどこにもありません。さらに、超人ロックには設定上の「始まり」は存在しないので、ぶっちゃけた話どこから読みはじめても間違いではありません。
慣れるまで、超人ロックというのは読みにくいマンガです。登場人物は自分の知っていることしか喋りませんし、また、自分の立場でしかものを見ず、独断的な間違った判断などもどんどんしてしまいますので、読者は混乱します。読者の視点のキャラクターというものがほとんど登場しないのです。
しかし、ひとたび物語の骨格がつかめてくると、そういった登場人物たちの姿が、大きな歴史の流れの一部に繋がっていることが解ってきて、かえってその生き生きとした言動に引き込まれるようになります。
綿密にくみ上げられた骨太のストーリーがバックにあるため、超人ロックは何度も繰り返して読むことが出来、その度に新たな発見があったりして、いつまでも楽しむことが出来ます。
そういった楽しみを逃さないように、僕が超人ロックを読む時に心がけているいくつかのコツを、最近(00年2月現在)ビブロス社から刊行されたばかりの「メヌエット」を例にとりながらここにあげます。

まず、冒頭の数ページを読みながら、その物語が年表上のいつ頃の話なのかを把握します。
大まかに、初期の連邦なのか、連邦末期なのか、帝国初期なのか、帝国中期なのか、帝国末期なのか、新連邦初期なのか、新連邦中期(つまり最新の設定)なのか、ということくらいをチェックします。
まあ、新刊の場合だと大抵は最新の時代設定の話ですし、文庫版なんかの場合は、年表順に刊行されているので混乱する事はないのですが、たまに、とんでもない時代の設定である場合があるので、注意しましょう。例えば「メヌエット」は、いきなり帝国初期の時代設定の話で僕は驚かされました。
このようにすでに描かれている時代が舞台の場合は、以前にその時代が描かれた時に登場したキャラクターが再び登場することがあります。「メヌエット」には、帝国の第3代皇帝として実質的に帝国の基礎を築いた名君、女帝トレスが冒頭から登場します。少年画報社版の16巻あたりで登場した時には花も恥じらう美少女でしたが、今回はすっかり老女になってしまっており、そろそろ退位を考えています。しかし父ナガト帝譲りのその頭の切れは相変わらずで、10年ほど前から彼女の存在を知っている僕は、ちょうど懐かしい友人に再会したような気分になります。

時代、そして舞台になる場所を大体把握したら、次は主人公のロックが今回はどんな姿に化けているのかをチェックします。
超人ロックの世界では、高度な力を持ったエスパーは他人の外見を「マトリクス」というデータに置き換えることによって、自分に写し取ることが出来ます。ロックは大抵の場合、物語の序盤ではその姿を見せません。しかし、誰かのマトリクスを使ってすでに物語に登場していたりするのです。
この、「誰がロックか」というのは、話によってはそれ自体がそのエピソードの主題になっている事があり、なかなか判明しないことが多いです。ロック自身のマトリクスも長い物語の間には何度か奪われているため、ロックの姿をしているからといって本当にその人物がロックであるとは限りません。
「メヌエット」の場合は、はじめからロックが登場します。ストーリー自体が、帝国初期の跡継ぎ問題に付随する血縁や権力争いといったかなり複雑なテーマのため、ロックには物語上での複雑な役割は与えられなかったのでしょう。

そしてストーリーを楽しみます。
物語の主人公はロックではない場合が多いです。ロックは銀河最強のエスパーである上に、有数の高度な技術を持ったコンピューターハッカーであり、他に類を見ないほどの苦難を乗り越えてきた冒険家であり、一流のレーザー銃の使い手であり、専門家顔負けの破壊工作員であり、自分の体を生かしきった戦いの出来る格闘家であり、銀河トップレベルの企業を切り盛りできる商才を持ち、クーデター指導者の経験もある上、ついでに5つの星系を統治する大公であったこともあるくらいで、こんな有能な彼が中心にいると物語があっという間に終わってしまうのです。
そんな彼が、どんな事件と出会い、多くの登場人物たちとどんな関係を持って、最後にその力をどのような判断で使ったのかという、ドラマを楽しみます。

「メヌエット」では、帝国初期の名君トレス帝の退位に関わるドラマと、後の帝国の崩壊の時代にも名を残すオーリック家とマイノック家、そして帝国中期あたりには当たり前に使われるようになる「若返りの技術」の誕生についての物語が語られます。
初代皇帝ナガトの娘トレスが帝位につくまでの事件や、若返りの技術が最初はある一人のエスパーの特殊能力でナガト帝にのみ使われていたこと、そして今回のラストに登場するカール・ダーム帝が後に不思議な存在になっていくという、帝国の初期から末期までの数百年間に点在していたいくつかもの重要なエピソードを、「メヌエット」は繋ぎあわせる役目を持った物語でした。
謎の多かった銀河帝国史の一部に、やっと光が当たったのです。銀河帝国の成立のエピソードが描かれたのはおそらく15年ほども前になりますから、まさに現代に残る数少ない「大河マンガ」と呼ぶべき作品と言えるでしょう。

十年以上前からの謎がやっと解かれるこの快感のような体験を、もっと多くの方に味わってもらいたいと思うのです。これからもこのHPでは超人ロックの紹介を続けていきたいと思います。

連邦と帝国

作品内には、人類統一政府が2つ登場します。正確には3つですが、名前は2つです。
まず、人類が地球にしか住んでいなかったころの国家連合体の延長線上にあると思われる「銀河連邦」が存在しました。
次に、宇宙船技術の発達と、1発で惑星を破壊する力を持ったジオイド弾の発明によって引き起こされた「汎銀河戦争」の中から、ナガト帝とスーパーコンピュータ「ライガー1」によって打ち立てられた「銀河帝国」が現れます。
そして、長く続いた帝国の支配の腐敗の中から芽吹いた活動団体「SOE」を前身とし、「ライガー1」と惑星コンピュータ「ドラム」との壮絶な相打ちによって秩序が失われてしまった宇宙に新しい秩序をもたらすための機関としての「銀河連邦」が生まれました。

もちろんどの組織も、実際には完全なる人類統一政府ではなく、友好関係があるにしろ同時代に傘下ではない自治体が存在していたりもしました。超人ロックの世界でも、人類はそう簡単には統一政府を作ることが出来なかったようです。
しかしながら、この作品を大河歴史マンガと捉えるのならば、その根底としての仮想人類史としてこの「連邦→帝国→連邦」という流れは押さえておくのが妥当であると思われます。
この大きな流れを認識すればこそ、ロックという一個人がどれほど大きく歴史に干渉したのかという視点が生まれ、そしてそのダイナミズムを僕らは楽しむことが出来るのです。
ロックは、どうやらノンポリらしく、「連邦を守るため」とか「帝国を守るため」というような戦いはしませんでした。彼の行動の多くは、連邦に勤める友人の依頼によってのものであったり、多くの人間の命を救うためのものであったり、目の前で一人の人間が殺されたことによる怒りによってのものだったりしました。
しかし、結果として彼は第一次銀河連邦の崩壊を見届け、銀河帝国の設立に結果的に手を貸し、帝国の崩壊の時にも、その現場にいました。そういった彼自身がかかわってしまった歴史的事件も沢山ありましたし、彼がかかわった人物の子孫が、後に大きな歴史的活動を行ったという事象もあります。
基本的にこの作品はコミックス1冊分で一つの物語が完結するように作られていますが、その背後には1000年以上におよぶ年表が横たわり、一つの人類史を描いているのです。

時にスーパーヒーローであり、時に狂言回しであり、時に脇役であるロック・ザ・スーパーマンは、この作品の主人公でありながら、作品の描いている人類史の観察者であるという側面を持っています。
いつか彼の旅に終わりが来るのでしょうか。そして、ロックとは、何者なのでしょうか。
その答えを探すのが、超人ロック研究の真の目的です。しかし、失礼かもしれませんが、それは作者である聖悠樹でもわからないことなのではないかと、僕には思えてなりません。

銀河を駆けろ!

超人ロックって、まだどこかで連載されたりしているんでしょうか?
最初から随分と弱気ですが、これは僕はマンガになっている超人ロックをすべて読んでいるわけではないという自信の無さに起因しています。基本的には少年画報社から出ていた38巻までのコミックスと、その後に発売されたいくつかのコミックス、それと、少年画報社版より前のコミックスが2冊ほど手元にあるだけです。
それぞれが、どんな雑誌に連載されていたのかもよく知りませんし、少年画報社版は37巻の「神童」が抜けています。しかも、その欠けたところを今現在精力的に探しているわけでもありません。こんな腑抜けた僕の書くコーナーですから、いたるところに、記載のミスや事実の誤認、無知ゆえの誤った考えなどが現れると思いますが、そういうものに気が付かれたら、どうか寛大な心で会議室やメールなどでご指摘いただけますよう、よろしくお願いします。

僕が「超人ロック」に出会ったのは小学校時分です。夏休みに、避暑に訪れた山荘で、たまたま少年画報社版がずらっと揃って置いて有るのに遭遇し、雨天が重なったこともあって山登りにも行かず、二日ほどかかけて一気に20巻代後半まで読みました。小学生の僕はほとんど初めて触れた本格的SF世界に興奮し、滞在が終わってその山荘を出る直前までむさぼり読んでいました。
街に戻ってから、本屋にたまたまあった38巻を買い、それだけを何度も繰り返し読みました。1年ほど後に、また本屋で7巻と8巻を偶然見つけ、1度だけ読んだ記憶を手繰りながら、この2冊で語られている惑星ラフノールの物語をこれまた何度も読み返しました。

春になって、新しく出来た中学の友人が、なんと15巻まであっさりと譲ってくれました。前に読んだ記憶がほとんど薄れ掛けていた僕は、この時にあらためて、ロードレオンやヤマキ長官を魅力的なキャラクターとして認識し、惑星ロンウォールの独立指導者リビングストン将軍に感動し、サイバー達の運命に涙しました。
それ以降は書店や古本屋を巡り、ひたすら自分の持っていない巻を集めることに没頭したのですが、こういったコミックスの流れにとらわれない読み方をしたお陰か、僕は超人ロックを一つの大河歴史読み物として認識して、コミックスを買う行為は、まるで年表に空いた謎の空白を解明するための歴史学者の研究行為であるかのようになっていったのです。

そして、超人ロック歴史研究家てなしもの研究者としての自意識を決定付けるイベントがおこりました。
あれは中学3年の夏だったでしょうか。長野県長野市にある、全国的に有名なお寺「善光寺」。その表通りにあった古びた本屋に僕はふらりと立ち寄りました。いつもの癖で、超人ロックのコミックスがありそうな棚を覗いていると、何とそこには、古本ではない新品の、まだ僕の持っていない超人ロックが、なんと8冊も並んでいたのです。涎の出そうな宝の山でした。しかし、その時僕の財布には4冊分を買うお金しか無く、「まあ、こんなにここにあるんだから、またどこかで見つかるだろう」と高をくくって若い方の巻を4冊だけ手にとり、レジへ向かったのです。(ああ、今思い返してもなんとも惜しいです。)
次に長野を訪れたのは1年後でした。その本屋をやっと見つけだし、本棚を覗いていましたが、もちろん買い逃した4冊は残っていませんでした。あの後も、あちこちの本屋を回りましたが、結局新しい巻は全然手に入っていなかったので、1年前にここに8冊もあった事を不思議に思い、店主にそのことをたずねてみました。すると、驚くような答えが返ってきました。
なんとこの本屋さんは、超人ロックを新刊で仕入れた最後の店だったのです。お客さんから「全巻欲しい」という注文を受け、全巻2セットを版元に問い合わせたところ、もう既に原盤が残っていなくて在庫も無いと言われてしまったものの、なんとその版元が全国の取り引きのある本屋さんに問い合わせて、各地の店頭に並んでいたものまですべて引き上げ、全巻セットを2つそろえてこの店に送ってくれたのだというのです。つまり、僕が1年前にこの店で見た8冊は、少年画報社版超人ロック新品の、最後の8冊だったわけです。
いうなれば、あの時の僕は少年画報社版コミックスの、介錯の立会人だったわけです。

ある歴史の瞬間に立ち会ってしまった人間が、その生き証人として生きることに宿命を感じてしまうことがありますが、僕もまさにその心境でした。
結局、ロックはしぶとくもいまだ出版社間をテレポートしながら新しい神話を紡ぎ続けているようですが、僕は一度彼の死を看取ったものとして、未熟の身なれど、これからも彼の後を追いかけて行こうと誓っているのです。

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