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しゃき、しゃき

「巷説百物語」より、「小豆洗い」 (京極夏彦著、株式会社角川書店、1999)

このHPでのこういった話の役割を考えますと、本来は「妖怪の話」で扱うべき本かもしれません。

「小豆洗い」は、ミステリー小説の形式をとり、妖怪と、それにとり憑かれた人々を描くことで、人間の真の姿を小説中に描き切ろうとする異色の作家、京極夏彦氏の、江戸時代を舞台にした時代妖怪小説シリーズの一作です。
しかしながら、僕は小説としての感想を今回は述べません。ある種の妖怪研究の参考文献として、ここでは扱います。
妖怪「小豆洗い」とは、主に日本の山中で、川の上流からしゃき、しゃき、というような、まるで小豆を洗っているような音が聞こえて来るという事象の妖怪名です。山深く踏み込む旅人や近隣の住民が、どこからとも無く聞こえて来るその音を不思議がったという話が、日本中にあるといいます。
さあ、この妖怪の正体は何なのでしょう。

作中語られるいくつもの小豆洗いの話の中に、まことに鋭いものがあります。「小豆を洗う音というのは、人間が立てるものである。しかし、山中異界には、本来人間はいないはずである」というものです。
現在のように登山道が整備されているならばいざ知らず、本来山々というのは人間の侵入など寄せ付けぬ異界です。例えば人界、街中で人が死んでいれば、すわ大事と人が集まり、街にそれなりの騒ぎが起こるわけですが、山中異界において人がぽつんと死んでいても、山はいつもと変わらずにそこにあり続けます。「異界」とは、そういう事です。
その、異界に、人の存在を現す音がしゃき、しゃき、と鳴り響く。
妖怪は、人が恐れを抱くところに現れるもの。この場合、人が恐れているのは、「山」ではなく、いるはずのない「人」です。人は、やはり人が一番恐いのです。

この小説「小豆洗い」も、山中で雨宿りをすることになった人々が、百物語をするうちに、「人に対する恐れ」から、一人の人間が命を落とすという話です。それはまさに、「小豆洗い」に惑わされた、としか言いようの無い命の落としかたでした。

いつもながらの恐るべき筆の冴えで、読者を妖怪世界に引きずり込んでくれる京極夏彦氏。
今回、同書「巷説百物語」に綴じられているのは七つの妖怪話です。
後六つ。
無意識にページをめくる指が、気がつくと震えています。