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今年チェックしておくべき、時計にまつわる7のニュース

気がつけばもう12月も終わりだ。個人的な感想だが、今年はスポーツ、カルチャーの分野で明るいトピックスが多かったように思う。大谷翔平の快挙に加えてパリ五輪では海外五輪最多の45個のメダルを獲得し、第76回エミー賞では日本を舞台にしたハリウッド時代劇『SHOGUN 将軍』が作品賞など史上最多の計18部門に輝いた。2024年は1月1日に起きた能登半島地震により大きな打撃を受けてのスタートとなったが、これらの話題が少しでも日本を明るくしてくれればいいと思っている。一方時計業界は2023年以降のコロナ規制緩和の動きもあり、海外に赴いてのプレゼンテーションがグッと増えた印象だ。欧米のブランドとの生のコミュニケーションの場が増えた分、これまで以上に濃密な情報を提供していきたい。今回はそんな2024年を振り返って来年へと踏み出すべく、チェックしておきたい7つの話題をダイジェストでお届けしていく。

チャリティーオークションでムーンスウォッチ スーツケース11点が約9137万円で落札
2024年2月25日


 いまだ熱狂は冷めやらず、今年もHODINKEEではムーンスウォッチにまつわる数々のトピックスを紹介してきた。4月のWatches & Wonders期間中(もはや遠い昔のように感じる)にはムーンフェイズ部分に“スヌーピー”の姿を描いたミッション・トゥ・ザ・ムーンフェイズが発表され、6月には地球の自然環境にインスピレーションを得たミッション オン アース、その翌月にはわずか2週間ほどしか販売されないミッション トゥ ザ スーパー ブルー ムーンフェイズの発売がアナウンスされた。その後米国と中国でムーンスウォッチのオンライン販売が開始されるというニュースを挟み、スーパーコピー Nランク代金引換10月にはなんと“アースフェイズ”なる新機能を搭載した完全新作もリリース。2023年はミッション トゥ ムーンシャイン ゴールドの年だったが、今年はより個性的なモデルがコレクションに加わった印象だ。


ニコラス・G・ハイエックセンターの2階にあるオメガブティック銀座本店での展示の様子。

 しかしそんな2024年の明け、まず最初に届いたのはムーンスウォッチの新作に関してではなく、11本のムーンシャイン ゴールドモデルをオリジナルのスーツケースに収めてオークションにかけるというニュースだった。全11点が用意されたこのセットは2月25日開催のサザビーズ オークションに出品されるとブランドは発表。2月1日から11日まではチューリッヒにバンコク、シンガポール、そして東京など世界11ヵ所のオメガ ブティックで展示が行われ、SNSを中心に大きな話題を呼んでいた。

 結果として11セットの落札価格は総額53万4670スイスフラン(当時のレートで約9137万円)を達成し、成功のうちに終了。その売り上げは、同社が2011年から提携している失明予防のための非営利団体オービス インターナショナル(Orbis International)に100%寄付された。オメガの社長兼CEOであるレイナルド・アッシェリマン(Raynald Aeschlimann)氏は、その結果について次のように語った。「今回のユニークなオークションは、世界中のムーンスウォッチファンの心を捉えました。この収益をオービスに寄付できることに非常に感激しています。私たちはオービスが推進する眼科治療ミッションが素晴らしいことであると心から信じており、彼らのために募金を集めることができただけでなく、彼らの知名度がこの活動を通じてさらに高まったことを大変嬉しく思っています」。ムーンスウォッチの人気は、おそらくもう少し続くだろう。今年オーナーとなった(純白のスヌーピーモデルだ)身としては、皆がまたムーンスウォッチに注目するような仕掛けが来年予定されていることを望んでいる。

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新たな時計見本市“ミラノ・ウォッチ・ウィーク”の開催がアナウンスされる
2024年7月


 時計業界では現在、時計見本市をより一般の愛好家に開く動きが進んでいる。今年のWatches & Wondersでは一般公開日が2日から3日に拡大され、時計文化の啓蒙という観点から独自の路線を辿っているドバイ・ウォッチ・ウィークはその会期中に一般公開も実施している。そして今年の7月、時計愛好家と時計ブランドをつなげる新たな時計見本市“ミラノ・ウォッチ・ウィーク”の開催が告知された。会期は10月4日から6日の3日間で、会場はかの有名なテラッツァ・マルティーニ。今年はアンデルセン・ジュネーブにフェルディナント・ベルトゥー、グルーベル・フォルセイ、MB&Fなど独立系メゾンを中心に21ブランドが参加していた。イタリアは食やアート、テーラリングの中心地であると同時にヴィンテージウォッチ市場をいち早く築き上げてきた場所でもある。当然そこに集う愛好家も熱心な人々が多く、Time + Tideの記事によると、30ヵ国以上から3000人を超える参加者が集まった会場には、メディア関係者よりも愛好家やブランドの顧客が多く見られたようだ。すでに2回目を望む声も挙がっているようで、来年の開催に期待が膨らむ。

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数々の議論を巻き起こしたパテック フィリップ キュビタス
2024年10月


 ある意味、今年一番話題を呼んだ時計ではないだろうか。海外誌の広告ページがSNSにリークされたことで瞬く間に世界中に拡散され、その特異なスクエアフォルムに対してさまざまな評価が飛び交った。どこかノーチラスを思わせる面影を持ちながら、突然変異のような存在感もある。キュビタスのなかではエントリーにあたるSS製のRef.5821/1Aでなお、653万円(税込)というプライス(アクアノート Ref.5167Aの392万を大きく上回る)もしばしば論点になっている。

 直径45mmという(数字の上では)ビッグサイズに対する意見も挙がっていたが、実際にキュビタスを手首に乗せた人々の意見は概ね好意的だ。僕自身も一度機会を得て、3本すべてを試してみた。ケースの薄さもあり、特にブレスレットのモデルは僕の17cmという日本人において平均的な太さの腕にも心地よくフィットした。わずか数分程度の試着だったが、数字から感じる以上に着用感はよかったと伝えておく。


僕のInstagramに投稿した写真だ。こちらはゴールドコンビ。


こちらはSSモデル。サンレイのグリーンダイヤルは色調も穏やかで、ファッションに合わせやすく感じた。

 ベンも自身の記事のなかで語っているが、ブランドが顧客の平均年齢を引き下げ、新規層を開拓するべく新たなモデルを提示した際には、大抵の場合既存のコミュニティに大きな衝撃を与える。それはノーチラスとアクアノートにも当てはまり、当時は高級ブランドがSS製の(比較的)安価な時計に注力する動きをよしとしていなかった。だが、その後の成功についてはご存じのとおりだろう。ティエリー・スターン氏はブランドの整合性を重視し、ときに大胆な判断を行える人物だ。2021年のSS製ノーチラスのディスコンもそのひとつであり、これについてはSS製ウォッチがコレクション全体を牽引する存在となることはブランディング上望ましくないからだと語っている。いまだキュビタスについてはSNSでは厳しい意見も飛び交っているが、この時計がパテック フィリップというブランドに何をもたらすのかについての判断を下すにはもう少し時間が必要だと感じる。

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失われたジョン・レノンのパテック フィリップ Ref.2499問題に(一旦)終止符が打たれる
2024年11月14日


 少々ニッチだが、HODINKEEでも2014年にベンが「姿を消した最も偉大な12の腕時計」という記事で話題に挙げて依頼、約10年にわたって追い続けてきたトピックだ(ちなみに2014年時点では、その存在すら懐疑的であった)。ジョン・レノン(John Lennon)が40歳の誕生日にオノ・ヨーコ氏から贈られたRef.2499 パーペチュアルカレンダー・クロノグラフは、1952年から1985年のあいだにわずか349本のみ製造されたうちの1本である。しかしレノンはその2ヵ月後に、ニューヨークにあるアパートの外で殺害される。彼の死後、オノ・ヨーコの自宅で保管されていたこの時計は当時の運転手であるコラル・カルサン(Koral Karsan)によって盗み出され、彼女との別件の係争によって彼が母国へ強制送還された際にトルコへと移動。その後Ref.2499はベルリンを拠点とするオークションハウス、香港在住のイタリア人ディーラーとわたり(このあたりの詳しい話はIn-Depthをチェックして欲しい)、最終的にこの時計が持ち込まれたクリスティーズ・ジュネーブがオノ・ヨーコの弁護士に問い合わせたことでその所在が発覚することになる。この時点で彼女は35年前にレノンに買った時計を紛失したことに気がつき、そこから泥で泥を洗うような法廷闘争が10年にわたり続けられることとなったのだ。


 そして2024年の11月14日、スイスの最高裁判所によって、この時計の所有権がオノ・ヨーコにあるという判決が下された。件のイタリア人ディーラーは速やかに時計を返却するよう命じられ、ようやく彼女のもとに戻ってきたのだ。この時計に関するその後の処遇はオノ・ヨーコが決めるところだが、ジョンの息子であるショーン・レノン(Sean Lennon)氏を含め、彼らは本件に対してひどく心を傷めていたようだ。以下は、過去のRECOMMENDED READINGからの抜粋だ。

「この時計に関して私たちが乗り越えてきたことすべてを思うと、取り戻すということがとても重要なのです」とショーン・レノン氏はニューヨーカー誌に語った。「私にとってこの時計は、信頼することがいかに危険であるかを何よりも象徴しています」

 イタリア人ディーラーことマウリツィオ・デ・シモーネ(Maurizio de Simone)氏の息子であるジュリアン・デ・シモーネ(Julian de Simone)氏は、この判決が下された当日にInstagramに動画を投稿している。彼は「この件に関して飛び交っている噂や誤った情報を正すため、私たちはこの事件の真実を共有する準備ができています」と主張しており、Youtube上にも本件に関する動画をアップしている。この物語は完璧に幕を閉じたのだろうか。SNSの一部では来年のオークションにこのRef.2499が出品されるのでは? という噂も囁かれている。

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新生ユニバーサル・ジュネーブ、ポールルーターのトリビュートピース3モデルを発表
2024年11月


 2023年も終わりというタイミングで飛び込んできた、ブライトリングのオーナーシップグループであるパートナーズグループがユニバーサル・ジュネーブ(以下、UG)を買収したというニュースを覚えているだろうか。ドクサやニバダ・グレンヒェンなど一度消滅したブランドのリバイバルが続くなか、UGは“眠れる巨人”として長らく手付かずのままで残されてきた。同ブランドには熱烈な愛好家が多く存在しており、今年の前半には各所でポールルーター、トリコンパックスなどの名品がどのように扱われるのか、納得のいく形で復活がなされるのかについての議論が交わされていた。ブランド復活に対する期待値の表れかセカンドマーケットにおけるヴィンテージUGの価格は上がり続け、現在では状態のいいトリコンパックスは100万以下ではほぼ存在していない。

 そして今年の11月、2026年の再始動への期待をさらに高めるかのように、3本のポールルーター SAS トリビュート エディションが発表された。これらはスカンジナビア航空による世界初の北極圏横断商業飛行の70周年を讃えるべく製作されたもので、とりわけローラン・ジョリエ(Laurent Jolliet)氏が史実に基づいてハンドメイドしたメッシュブレスが付属するホワイトゴールド(WG)製のバリエーションは出色の出来栄えだ。この1本は2025年5月にフィリップスのオークションで出品され、収益はジュネーブで応用美術を教える準備校、CFP(Centre De Formation Professionnelle)Artsに寄付される。

 このコンセプトウォッチを実際に目にした人間が周りに少ないので、時計そのものに対する言及はここでは行わない。しかし少なくとも、来年の5月まではこのトリビュートモデルに対してどのような評価が下されるのかという議論が続くだろう。個人的には2026年のグローバルローンチに向けて、来年末あたりにまた大きなトピックスが投下されるのではないかと考えている。

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香港で行われたTOKI-刻- ウォッチオークションでジャパンインディペンデントが大躍進
2024年11月22日


 時計製造、時計収集の世界において独自の文化を有する“日本”にフォーカスした史上初のテーマオークションとして企画されたTOKI(刻)ウォッチオークションが、さる11月の22日にフィリップスのアジア新ヘッドクォーター「WKCDAタワー」にて開催された。HODINKEE Japanは同オークションのメディアパートナーとして、日本の地でヴィンテージウォッチ収集の土壌が形成されるまでのストーリーや、昨今大きな盛り上がりを見せるジャパンインディペンデントウォッチの現在についてさまざまな形で紹介してきた。日本の時計市場、そこに眠る希少な個体に対する評価がそもそも高いこともあり、当日の会場には過去類を見ないほど大勢の人々が詰め掛けたという。

 その期待の高さをそのまま表すかのように、大半のロットが事前のエスティメートを大きく上回る形で終了。なかでも大きな話題を呼んだのが、ジャパンインディペンデントウォッチメーカーの時計たちだ。特にロット107の大塚ローテック 6号 東雲は直前にGPHG・チャレンジ部門の受賞で箔がついたこともあってか、ハイエスティメートの10倍近い42万香港ドルでハンマー。その後菊野昌宏氏の蒼(SOU)が68万香港ドルで落札されたほか、オークションを締めくくるように終盤ロットに名を連ねたMasa & Co、クロノトウキョウ、タカノ、Naoya Hida & Co.も好調な成績を残した。

 その他、クレドール ノード 叡智、カシオ G-SHOCK G-D5000-9JRなどのジャパンブランドもハイエスティメートを大きく更新し、極上ロレックススーパーコピー代引き専門店そら~会場を大いに沸かせていた。ウォッチコレクティングの分野における日本市場の価値が、さらに高まってきていることを示す結果と言えるだろう。TOKIに出品したなかにはすでに大きなリリースを控えているところもあり、2025年におけるジャパンブランドのさらなる躍進が今から楽しみでならない。

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HODINKEE Japanの5周年を祝うイベント【Hjp5】を開催
2024年12月19日


 最後は、僕たちにとって今年一番のトピックスとなったこちらで終わりにしたい。2019年11月18日に誕生したHODINKEE Japanは、今年5周年を迎えることになった。最初は編集長・関口、和田のふたりでスタートした媒体は読者やパートナー、関係者の皆様に支えられながら成長し、少しずつメンバーを増やしながらここまで歩んでくることができた。12月19日にはその感謝の気持ちを直接伝えるべく、渋谷のTRUNK(HOTEL) CAT STREETにて5周年記念のイベント“Hjp5”を開催。スペシャルゲストとして俳優の谷原章介氏をお招きしての対談、本国版HODINKEE新編集長であるジェームズ・ステイシーとグランドセイコー企画担当の江頭康平氏とのクロストーク、そしてG-SHOCKの父である伊部菊雄氏の登壇と盛りだくさんの内容に、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

 詳細なイベントレポートは、追って公開される予定だ。2024年も間もなく終わる。HODINKEE Japanは次の5年を見据えて、今後も時計にまつわる価値あるストーリーをお届けできるよう歩みを続けていく。

ブレゲの新CEO グレゴリー・キスリング氏は、アジアを歴訪した。

ブレゲから届いたニュースレターに、時計関係者は少なからず驚いたはずだ。創業250周年を翌年に控えたこの時期に、CEOが交代したというのだから。この日からメゾンの舵取りを任されたのは、オメガの製品デザインやムーブメントの開発に20年間にわたって関わってきたグレゴリー・キスリング氏。突然の交代劇が、違和感を抱かれていることに気付いたのだろう。2日間の日本滞在の間、キリング氏はブレゲファンや取引先、メディア関係者らと時間が許す限りコミュニケーションを図った。物腰は柔らかく、知的な語り口が、我々の不安視を払拭する。2022年からオメガの商品開発担当副社長としてブランドを大躍進させた手腕が、ブレゲでもいかんなく発揮されるはずだ、と。


ブレゲCEO グレゴリー・キスリング/マイクロテクノロジーを学び、学士号とMBAを取得。さらにラグジュアリーマネジメントの修士号を取得した後、カルティエの技術部門を経て、2004年にオメガ入社。プロダクトマネージメント責任者として経験を積み、2022年に商品開発担当副社長に就任した。2024年10月1日より、現職。

photo by Keita Takahashi

2代連続の時計師ルーツのCEO誕生。自身が感じるミッションとは?
極上スーパーコピー時計代引き専門店そら~「自己分析は得意ではないので、信用してもらえないかもしれませんが」──そう前置きをした上で、グレゴリー・キスリング氏は、「CEOとして何を期待されているとお考えですか?」との我々からの質問に対し、慎重に言葉を選びながら語り始めた。

「私はオメガで長くプロダクト開発に従事し、その後は世界中を歴訪してコレクターや時計関係者とコミュニケーションを図り、新たなコラボレーション、イベントの企画にも携わってきました。そうした多様性が評価され、起用されたのだと思います」

 前ブレゲCEOのリオネル・ア・マルカ氏は、技術畑一筋の人物であった。対してキスリング氏は開発者である上に、マーケティングも経験したオールラウンダー。さまざまなイベントの準備が進んでいるであろう2025年のメモリアルイヤーと、その先の未来を託すには最適な人物だと言えよう。

「オメガは量産型ブランドであり、ある意味工業製品的です。対してブレゲの時計は、すべての箇所に必ず人の手がかかわる真の意味での高級時計です。来年250周年を迎える老舗であり、アブラアン-ルイ・ブレゲから受け継いだ素晴らしいヘリテージがある。そうしたDNAは決して変えることなく、最新のテクノロジーとの融合でさらなる革新を目指していきたいと考えてます」


photo by Keita Takahashi

ブレゲが持つ強みは、時計1本ごとに現れる固有の表情
ギヨシェパターンを内製できる唯一の時計ブランド
 キスリング氏が言う、ブレゲの手仕事と初代から受け継ぐヘリテージを象徴する1つが、ギヨシェダイヤルである。

「他社は、19世紀から20世紀初頭に使われていたギヨシェマシーンをメンテナンスしながら使っています。対してブレゲは、初代の時代と同じ仕組みのギヨシェマシーンを自社製造している唯一のブランドです。パターンカムも製作が可能なので、新しい文字盤の模様が生み出せる。これは他社にはできない、ブレゲならではの強みです」

 例えば、マリーンコレクションで使われる波モチーフのギヨシェは、新たに製作したパターンカムによってかなえられたオリジナルである。さらにダイヤモンド製の彫刻刀により、脆い真珠母貝(MOP)へのギヨシェ彫りも実現している。

「またグラン・フー エナメルの技術も有していて、発色が非常に難しいダークカラーであるブラックやネイビーのエナメルダイヤルをリリースしてきました。ギヨシェもエナメルも、人の手が大きくかかわっているため、ブレゲの時計は1つずつ微妙に表情が異なるユニークピースになってくれるのです」

 ギヨシェとグラン・フー エナメルを組み合わせた「新たなフランケダイヤルの登場はありますか?」との問いに、キスリング氏は「素敵ですよね」と笑顔を浮かべ、含みを持たせた。


ブレゲ クラシック 7337 文字盤全体に施されたバーリーコーンのギヨシェパターンと、シンメトリーに配されたカレンダーとムーンフェイズ、それに対してオフセットしたスモールセコンドなど同社らしいデザインが光る。


ブレゲのマニュファクチュールには、レストアされた古いギヨシェマシーンと自社製造した真新しいマシーンとが合計50基以上並ぶ。またギヨシェの職人を、社内で育成してもいる。

ブレゲウォッチの大いなるルーツはスースクリプションとモントレ・ア・タクト
「ギヨシェとエナメルに加え、スモールセコンドなどをオフセットしたアシンメトリーなダイヤルデザインも、初代が製作した懐中時計にしばしば見られるブレゲのDNAです」

 この日、キスリング氏が着用していたのも、トゥールビヨンをオフセットしたアシンメトリーダイヤルであった。クラシカルな印象をキープしながら、レイアウト操作で大胆な印象をブレゲは併せ持たせてきた。

「2005年に登場したトラディションコレクションも、すごく古典的であると同時に、極めて大胆でもあります。ムーブメントをダイヤルから見せることは、今ではトレンドの1つで他社にも採用例が多くあります。しかしトラディションのように、メゾンのDNAから生まれた例は他にありません。そのルーツとなったのは、初代ブレゲが考案したシンプルなスースクリプションウォッチであり、そこから派生したむき出しになった時針に手で触れて時間を知るモントレ・ア・タクトの背面に備わっていた、オフセットダイヤルの下側にムーブメントを構築するスタイルを受け継いでいるのです」


ブレゲ トラディション オートマティック レトログラード セコンド 7097 ブティック限定モデル。かつてのスースクリプションウォッチからインスパイアされて、2005年に誕生したコレクションだ。


グレゴリーCEOの手元にはクラシック トゥールビヨン エクストラフラット オートマティック 5367が。5時半位置にアシンメトリカルに配されたトゥールビヨンは、時計デザインとしてもユニークだ。

photo by Keita Takahashi

 2005年にトラディションを発表した際、故ニコラス G. ハイエック氏は、「これはブレゲのアバンギャルドだ」と強く訴えた。そしてフュゼチェーン(鎖引き)によるトゥールビヨン、完全に独立させたクロノグラフ輪列、巨大なレトログラードデイトといった独創的な機構の数々を搭載してきた。

「発明と革新こそが、ブレゲにとってもっとも重要なDNAです。トゥールビヨンが初代ブレゲの発明であることは、古くからの時計ファンには周知されていますが、若い世代のコレクターには意外と知られていません。ですから250周年を機に、若い人たちにもっとアプローチしたいと考えています。メゾンの歴史を知ってもらう機会を作り、ギヨシェや面取りを体験してもらうなど、ブレゲの魅力を肌で感じていただきたい」

 オメガ時代にも、キスリング氏が企画したイベントは大盛況で話題にもなった。その経験が、ブレゲでも生かされる。


ブレゲの初代懐中時計トゥールビヨンのひとつ、No.169。ジョン・アーノルドのムーブメントにブレゲのトゥールビヨンキャリッジを搭載したもの。


トラディションのインスピレーション源となった、スースクリプションウォッチ。ブレゲ初期の懐中時計 No.3424(1820年販売)。

ブレゲらしいデザインをするために、ムーブメントが必要となる
 アシンメトリーダイヤル、トラディションのメカニズムを表に露わにするスタイルといったブレゲならではのデザインは、オリジナルのムーブメントなくしては成しえない。実際、キスリング氏は「ムーブメントの開発は、まずダイヤルデザインをどうするのかを検討することから始まる」という。

「今も、複数のキャリバー開発が進んでいます。それらの機構は、各コレクションのバランスを考えながら決められます。そしてシンプルなタイムオンリーのキャリバーであっても、ブレゲらしさが求められます」

 開発中のキャリバーの中には当然、250周年記念モデル向けも含まれていますよね、と尋ねると「開発は、進んでいます。それらは、ブレゲの偉大な遺産と現代、さらに未来をつなげるタイムピースになります」との答えが返ってきた。

 現代のブレゲは、初代ブレゲの発明を受け継ぎ、アップデートしてきた。
「トゥールビヨン、ミニッツリピーターのリング状ゴング、永久カレンダー、耐衝撃機構パラシュート、自動巻き機構ペルペチュエルはどれも初代の発明であり、ブレゲが元祖です。そうした事実を、もっと広く知ってもらいたい」


 初代の発明で、まだ再現されていない機構はいくつかある。代表的なのはレゾナンス、そして初代も完成に至らなかったナチュラル脱進機。初代によって製作されたレゾナンス懐中時計が、開発チームの手に渡って久しい。ナチュラル脱進機も、ブレゲが先鞭を着けたシリコン製であれば実現可能だろう。

「レゾナンスは、ブレゲにとって重要なメカニズムですが、実現へのハードルは高い。シリコンパーツは、同じグループ傘下のニヴァロックスとの連携が欠かせません」

 これらの登場を肯定も否定もせず、しかし真摯にキスリング氏は答えてくれた。250周年記念モデルでは、どんなメゾンの歴史が紡がれるのか、胸を躍らせて来年を待ちたい。

IWCに脈々と息づく核心への挑戦的取り組みを、

デイヴィッド・セイファー(David Seyffer)

1974年、ドイツ生まれ。歴史家、文学博士。2003年にシュトゥットガルト大学で自然科学・技術・歴史学の研究を修了(2012年に同分野で博士号を取得)。時計製造の歴史に関する論文執筆のためにIWCの歴史的記録へのアクセスを許可され、2007年にアシスタントミュージアムキュレーターとなる。2010年にミュージアムチーム エグゼクティブマネージャーに就任。現在はIWCミュージアムの館長であり、自身もキュレーターを務める。

インタビュー当日、デイヴィッド・セイファー氏がつけていたのは、2024年の新作ポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー 44(IW503702)。従来のレッドゴールドよりも硬く優れた耐摩耗性を備えたArmor Gold®ケースを持つモデルだ。

去る2024年11月13日に、今年もジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)の授賞式が開催された。先日公開した記事でGPHG 2024の全受賞作と速報レポートを公開したが、最優秀賞に相当する2024年の金の針賞(Aiguille d'Or)に輝いたのはIWCのポルトギーゼ・エターナル・カレンダーだった。現地に赴き、レポートをしてくれたリッチ・フォードンは受賞理由を次のように考察している。

「私の考えではGPHGの審査員が、最信頼性の日本スーパーコピー時計代金引換専門店!すでに名声を確立したブランドがなおも時計製作の新たな1歩を踏み出したことを評価した結果だと思われる。これは重要なことだ。IWCはビッグ・パイロット・ウォッチやポルトギーゼ・クロノグラフを安定して販売するだけでも成功を収め続けるだろう。しかし並行してこのような挑戦的な取り組みを行った点は、業界にとっても評価すべきことである。革新は若手や独立系のみに委ねられるべきではない、という強いメッセージがこの金の針賞には込められているのである」

彼の言葉にもあるが、IWCは歴史的に見ても革新的な挑戦をしてきたブランドのひとつだと個人的に思っている。そもそも同社は、スイスの手工業的なウォッチメイキングにアメリカ式の工業生産手法を取り入れるという挑戦によって成功したブランドだ。新素材の導入にも積極的で、いまや多くブランドが使用するチタニウムやセラミックスなども、他ブランドに先駆けてコレクションに投入してきた。さらにはチタニウムに匹敵する軽さと堅牢性、セラミックスとほぼ同等の硬度と耐傷性を持つセラタニウム®や、発光するセラミックス“セラルーメ®”など独自素材も開発している。なかでも時計業界に大きな影響を与えたのは、複雑機構のひとつである永久カレンダーの分野においてだ。

クォーツの普及によって機械式不遇の時代であった1985年、IWCはダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダーを発表した。ETAの7750をベースとした自動巻きのCal.79261を搭載したこの時計が革新的であったのは、永久カレンダー機能をすべてリューズで調整可能だった点だ。これにより、日付、曜日、月、年、ムーンフェイズ(月齢)の調整が複雑な操作なしにできるようになり、従来の永久カレンダーに求められる面倒な操作が解消され、シンプルな操作性を実現した。加えてこの時計が革新的であったのは、その正確性や精度だった。約500年間正確に作動するよう設計され、とりわけ文字盤上に四桁の西暦表示を初めて備えていた点は見逃せない。この四桁の西暦表示は、カレンダー機構の完成度を大幅に引き上げたと言っていいだろう。こうしたほかにはない機構をわずか80点前後の部品で構成していたという事実も画期的だった。

そんなIWCのパーペチュアル・カレンダーをさらに進化させた時計こそ、金の針賞を受賞したポルトギーゼ・エターナル・カレンダーであり、まさにIWCにおける飽くなき革新への挑戦を象徴する存在である。IWCのスペシャリストであるIWCミュージアム館長、デイヴィッド・セイファー氏はこうした同ブランドの挑戦や製品に対してどんな考えを持っているのか? 我々のインタビューに対し、彼は実に真摯に答えてくれた。


IWCミュージアム館長からみたIWCの魅力とは?
佐藤杏輔(以下、佐藤)
時計好きの人たちのあいだで、IWCは質実剛健で真面目なブランドであるというイメージがあります。IWCの歴史をよく知る立場からみたブランドのイメージ、魅力はどんなところですか?

デイヴィッド・セイファー氏(以下、セイファー氏)
質実剛健、真面目というイメージには私も同意見です。この質実剛健というのは、つまり信頼性ということに関係するものですし、それは私たちにとって大変重要なものです。 時計で言えば、たとえばムーブメントの優れた精度ですよね。これは過去、歴史的にも常に私たちが提供してきたもので、IWCというブランドの特徴として的を得ていると思います。

佐藤
IWCミュージアムはオープン以来、年間約8000人ものお客様を迎えているそうですが、ミュージアム運営にはどのくらい人たちが関わっているのでしょうか?

セイファー氏
だいたい3人で運営しています。そのなかのひとりは元時計技師、ウォッチメーカーをしていた方です。それから展示場で仕事をしてくれるスタッフもいます。たとえばお客様の案内係ですね。それからガイドをしてくれる人が10人ほどいて、すべてのスタッフを合わせると20人ぐらいの人たちがいます。


佐藤
ガイド向けの歴史を学ぶ教育プログラムのようなものはあるのでしょうか?

セイファー氏
もちろん、ありますよ! もうリタイアした時計技師の方や若い人、なかにはシャフハウゼン州のシティガイドとして案内業を専門的にやってきた人もいて、さまざまなお客様、さまざまな質問に答えられるようにきちんとマッチングした多様なガイドがいます。たとえば、今1番年長のマゴーバートさんという方は1979年にIWCに入社した元社員で、勤続40年という豊富な経験を持つ方もガイドとして私たちに協力してくれています。

ひとりひとりに対して私が教えるということはありませんが、全員が特徴のある案内をしていますし、それぞれに得意なテーマを持っています。先ほどお話したように、長くIWCで働き、ブランドのことを熟知している人たちもいますね。それぞれ自分が選んだ、たとえばベストな展示時計は何かというテーマに沿って説明、案内をすることもあります。これが正しい情報なので覚えておいてくださいと私たちからお伝えすることはもちろんありますが、あとはそれぞれガイドの方に任せています。そのほうがロボットではない、顔の見える人間らしいガイドのあり方ではないかと考えているからです。そうすることで画一的ではない、お客様のニーズに合わせた説明ができると思います。

佐藤
多くのブランドがヒストリカルピースを探すことに注力していますが、IWCミュージアムの展示品はどのように集め、管理しているのですか?

セイファー氏
もともとホムバーガー家がIWCを所有していた時代から収集を始めていました。そういう意味ではもうコレクションの基盤がしっかりできていたため、私たちは幸運だったと思います。現在も収集は続けていますが、さまざまなチャネルを使っていますよ。とてもありがたいのは、お客様のほうから所有する時計を持ち込んでくださることですね。それからセカンダリーマーケットのディーラーとの人脈がありますし、オークションも見ています。ただ、気をつけないといけないのはIWCが入札の名前に入っていると、いきなり値段が跳ね上がってしまうことですね。私たちとしても毎年使える予算が限られていますので、バランスを見ながら収集をしています。


インタビュー当日、会場となったIWCブティック銀座2階の特設会場には、歴代パーペチュアル・カレンダーやコンプリケーションウォッチが展示された。

佐藤
限られた予算で重視するのは時計のクオリティですか? それとも数を集めることでしょうか?

セイファー氏
とてもいい質問ですね。やはり複雑機構を備えたいいものを集めようと思うと相当高額になります。たとえばある年代の全コレクションを揃えたいというような場合は数が優先されることもありますが、そのときどきで何を優先すべきかを検討しています。それから市場には出ていない、プロトタイプ、試作品として社内に保存されているものが相当数あり、私たちはこれを展示会でも利用しています。商業化はされなかったけれど、画期的なデザインを持つものが残っていますし、クルト・クラウス氏が作ったプロトタイプもありますね。あとはホワイトセラミックを使用したクロノグラフというのもありました。

プロトタイプのホワイトセラミック製Ref.3705 フリーガークロノグラフはHODINKEEのジェームズ・ステイシーさんの記事がとても話題になって、2022年の新作として登場することに繋がりましたから、そういった当時は商業化されなかったプロトタイプがインスピレーションの元になって新作に繋がることもあります。

佐藤
卒業論文のテーマにIWCを選んだそうですが、興味を引かれた理由を教えてください。

セイファー氏
それは、IWCが古い資料にアクセスを認めてくれたオープンマインドな数少ない企業のひとつだったからです。こちらからお願いしたら、すぐにどうぞということでアーカイブを自由に閲覧させてくれました。しかも非常に豊富な資料が残っていました。論文を書く場合、 まず資料を見る機会があること、そしてそれを自由に使わせてもらえることはとても重要な条件になります。それに適ったのがIWCだったのです。

私は資料を調べることで、たとえば、かつてセラミックスのイノベーションがどのよう起こり、どのような工程で商品化されたのかといったことの再現を試みたり、その再現を試みる際にも、元社員へのインタビューを通じてさまざまな調査をすることができました。

私は当時、複数の企業の戦略を研究していましたが、IWCの過去の資料はとても膨大で調べるだけでも手一杯なほどでした。加えて、IWCの歴史が自分の研究分野のテイストとマッチしたことも引かれたところです。そのため、手を広げるよりもIWCに絞って研究しようと決めたのです。

長年の課題を解決したエターナル・カレンダー

IWC ポルトギーゼ・エターナル・カレンダー Ref.IW505701 価格は要問合せ

グレゴリオ暦の複雑な規則、不規則性、例外を正確に再現し、対応する“究極のカレンダー”である、IWC初のセキュラー・パーペチュアル・カレンダーモデル。本作を持ってIWCは2024年GPHGの金の針賞を受賞した。時計の詳細はこちらから。

佐藤
2024年に発表されたエターナル・カレンダーのどんなところが魅力だと思いますか? 過去のIWCの技術がDNAにあると思いますが、ミュージアム責任者の視点から見てエターナル・カレンダーの見どころや特徴を教えてください。

セイファー氏
うるう年問題(※)というのは、1756年にトーマス・マッジが時計の暦、カレンダーを作ったときからどう解決するべきかとずっと考えられてきた問題です。 グレゴリオ暦ではうるう年がない(本来あるべきだが飛ばす年がある)年が2100年に(加えて2200年、2300年にも)巡ってきます。これをどうするのかということです。

パーペチュアルカレンダーは、日本語にすると永久カレンダーですが、エターナル・カレンダーも日本語では永久カレンダーとなります。英語では区別できるのでいいのですが(笑) では、パーペチュアルカレンダーとエターナル・カレンダーはどこが違うのか。エターナル・カレンダーでは新たに8つのパーツを使ったことによって、2100年のうるう年問題が解決することができたのです(2100年を平年として表示ができるようになった)。2100年のうるう年問題が今の私たちにとって本当に大きな問題かというと、 そんなことはないのですが、歴史的に見ても技術的に見ても、エターナル・カレンダーは時計史において新たな1歩を踏み出す技術になったと考えています。

佐藤
IWCでは過去のコレクションについて、基本的にはどんな製品もアフターサービスが受けられると聞きます。エターナル・カレンダーもそうした生涯アフターサポートされる製品となるのでしょうか?

セイファー氏
そうですね(笑)。我々がある限り、もちろん“エターナルな存在”でありたいと願っています。真面目な話をすると、当然ながら修復やアフターサービスについては生涯ご心配に及びません。1870年代のF.A.ジョーンズの時代に作られた時計であっても、ちゃんとアフターサービスを受けることができます。スペアパーツがない場合は、イチからパーツを作るということまでやっていますから。たとえばエターナル・カレンダーのムーンフェイズは、1日の誤差が生まれるのが4500万年後ですから、その頃まで我々が存在しているかということは危ぶまれますが(笑)基本的には安心していただいて大丈夫ですよ。

貴重なIWCのアーカイブを今にしっかりと受け継ぐ

こちらは1980年代に1000本限定で製作されたリミテッドモデルのRef.5503。1930年代から1940年代に製造された名機Cal.97の耐震装置付き版であるCal.972をベースに、カレンダーモジュールを加えたCal.9721を搭載。シルバー製のケースに収められている。ハンターケース仕様でシースルーバック越しにムーブメントを見ることができる。クルト・クラウス氏により設計された。

佐藤
230点以上の品々がミュージアムに展示されているそうですが、特に思い入れのある展示品はなんですか?

セイファー氏
難しい質問ですね。何しろお気に入りがたくさんありすぎるので(笑)。それに時によって自分の趣味も変わりますし、聞かれたときどきで答えが変わってしまうこともありますから。ただし私の個人的な趣味とは関係なく、特別な展示品というのはいくつかあります。そのうちのひとつが、 今でもあるご家族が所有されているとても古い、おそらくIWC最古の懐中時計なんです。それは許可をもらい、現在ミュージアムで展示をさせていただいています。それと1977年の懐中時計ですね。当時は機械式時計に将来はないと言われていましたが、そんななかでもあえてIWCが複雑カレンダー機構を搭載した懐中時計を作り上げた記念すべきもので、今回の来日に合わせて展示しています。

それからクルト・クラウスは機械式時計にはもう将来がないと言われた当時、なんとかしなければならないということでひとつのプロジェクトを立ち上げました。その結果生まれたのがダ・ヴィンチです。1985年にはダヴィンチでパーペチュアルカレンダーを製作しました。これはパーペチュアルカレンダーがもともと懐中時計に使われていたという伝統をベースにして開発したものです。歴史を振り返ると、IWCは機械式時計が世間から見限られたときにも、ソfれを作り続けたブランドであることがわかります。

1985年に発表されたダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー Ref.3750。英語・フランス語・ドイツ語表記バージョンがあったが、展示されていたのはドイツ語表記仕様のIW3750-01だ。

佐藤
2007年にアシスタントミュージアムキュレーター、2010年にはミュージアムチームのエグゼクティブマネージャーに就任されたそうですが、ミュージアムオープン当初を振り返って思い出深いエピソードを教えてください。

セイファー氏
個人的なキャリアについては自分にとってはどうでもいいことで、素晴らしい同僚、チームに恵まれたということが一番重要なこと、大切なことでした。私たちが共通して持っていたのは、IWCのヘリテージを受け継いでいくというパッション、情熱です。そしてミュージアムで私たちが研究して収集したものを時計を愛する人たち、コレクターたちと共有するということが何よりも大事なことです。IWCがコレクションを通して際立ったブランドであることを世の人々に知ってもらうということが、自分たちにとって1番大事なことだと考えてましたから。それは単なる一介の資料整理係をしていた頃から、ヘリテージ部門に移って上に立つようになっても変わりません。ロレックス スーパーコピー代金引換を激安自分が仕事をできるのはあと16年くらいでしょうか。私は好奇心がとても強いので、まだまだやらなきゃいけないこと山積みだなと思っています。

佐藤
ミュージアムには現在ないものの、今後ぜひ展示したい過去のコレクションはありますか?

セイファー氏
まずは展示スケールを大きくしたいですね。そのために収集も進めています。それと今私がやりたいと思っているのは、IWCの創立者F.A.ジョーンズが作っていた時代の懐中時計コレクションの展示会です。実現できれば、そもそもIWCができた当時、どんなことを考えていたかが見えてくるのではないかと思っています。

それからもうひとつは、時計というよりはどちらかといえばアートに近いのですが、IWCの広告宣伝の歴史に関する展示会をしてみたいですね。あまり知られてないのですが、IWCはとてもイノベーティブな広告宣伝を早くから実施しているのです。たとえば1920年から30年代のカタログを見ると、当時としてはもちろん、現代でも通じるような照明の使い方、撮影アングルなど先進的なことをやっているんですよ。あとは1980年代ですね。チューリッヒの新聞に時計を1本だけをぽつんと置いた(構図の)全面広告を出していました。当時としては大きなスペースなのに“1本の時計だけにフォーカスするなんて”と、皆が驚いた広告でした。それは時計の存在感を強調するものでしたが、そういった広告を特集したいと思っています。